275 アテナイの生贄
僕の名はリテセウス。
何の変哲もない人族の男。
今年で十七歳です。
特に変哲のない普通の村で、普通の村人の両親の間に生まれ、ごく普通の五兄弟の真ん中三番目に育った。
人間国の田舎村としては、それこそ基本として貧乏で、兄弟全員を食べさせる余裕もない。
一番普通の僕が奉公に出されて、村を出ることになった。
奉公先は、領主様のお屋敷。
紆余曲折あって御大層なところで働けることになったが、領主様がとてもいい御方で、僕に目を掛けてくださった。
ここだけが普通とは違う。
領主様の下で一生懸命働き、侍従としてそれなりに成長してきた今。
僕の前に、ついに普通じゃない問題が立ちはだかった。
* * *
ある日のことだ。
領主様が真っ青な顔でお帰りになられた。
何かがあったと一目でわかる顔色の悪さ。
本当に何があったんだろう?
本日は、魔族の占領府から呼び出しがあって、それに応じるための外出だったはず。
僕たち人族が、魔族との戦争に負けてはや一年が経つ。
しかし魔族たちは、侵略者とは思えないほどの寛大な支配体制を敷いて、むしろ人王や教団が好き勝手やっていた頃より住みやすいぐらいだった。
人族の民もほとんどが魔族を歓迎している。
旧人間国の領主も変わらない統治を許され、僕的には尊敬する領主様が無事政変を乗り切れてよかったなあと思うぐらいだったが……。
しかし今日、ついに何かが起こった。
「リテセウス……! 水だ。水を持ってきてくれ……!」
御帰宅するなりソファに座り込む領主様。
やはり相当参っている御様子だった。
とりあえず、ご指示の通り水をお出しする。
「落ち着いてお飲みください」
「ブハッ! ……もう一杯!」
落ち着いてと言ったのに一気飲みしてお代わり要求。
やはり相当荒れておいでだな。
普段温厚な領主様がこんなに動揺するなんて、一体魔族から何を言われたんだ?
「……ついに牙を剥きおった」
「はい?」
三杯も立て続けに飲んで、やっと落ち着きを取り戻した領主様。
それでも全身から噴き出す汗を止められずに、忙しなく顔を拭いている。
「魔族のヤツら、最初こそ善人ぶって近づいてきながら……! やはり裏には残忍な本性を隠しておった! やはり人族を根絶やしにするつもりだ!!」
「領主様落ち着いて……! 一体何があったんですか!?」
僕は、領主様のお気に入り侍従として傍に仕えさせてもらっている。
よく気が利くので助かるんだとか。
こうしてプライベートな時間に相談を受けたり愚痴を聞くのも僕の仕事だった。
しかし領主様がここまで取り乱すのも初めて見る。
「占領府で何を言われたんです?」
今まで見てきた魔族の占領方針だと、そこまで無茶なことは言わない印象だが……!
「……差し出せと言ってきた……!」
「差し出す?」
何を?
「人を。若くて才覚のある有能なる者を数多く差し出せと……!」
「? そんなことをして、どうするんです?」
「わからん! 聞いても詳しく答えてくれんかった! しかし命令は絶対だと……!!」
拒否すればどんな報復が来るかわからないということか。
実際魔王軍は人間国の占領者なのだから、やろうと思えばどんな報復措置もとることができるだろう。
「人材は国の宝! それを奪い取って魔族は何をするというのだ!? まさか生贄か!? 魔族が飼っている凶悪なモンスターのエサにするとか……!?」
だから落ち着いてください領主様。
たしかに魔族がモンスターを操るという話は聞きますが、僅か一部のものに限定されると言う。しかも下位の人型。
そんなモンスターが、生贄など必要とするとは思えない。
しかし、取って食われることはないにしろ、かつての敵国に渡って、似たり寄ったりな待遇に置かれることもないではない。
魔族が何を目的で人材を求めているのかは知らないが……。
「差し出された当人は、尋常ならざる境遇を覚悟しないといけないでしょう」
そして戦争の敗者である人族は、要求を拒否するなどできない。
「……その通りだ。どうあがこうと我々は従うしかない。要求されたものを、その通りに差し出すしかない。力に溢れ、知恵を伴い、才気煥発なる若者を……!」
領主様は心配げに呟く。
「なあリテセウスよ……! 我が領でそんな有望の若者と言えば、一人しかいないではないか……!?」
なるほど。
僕には領主様の心配がわかった。
「我が息子サルダケースしかいないのではないか!?」
領主様には息子がいる。
しかもたった一人だけ。
ウチの領主様は温厚でいい人。為政者としても充分な分別を備えているが、ただ一つだけ真っ当な判断力を失うことがある。
一人息子のサルダケースに関することだ。
領主様にとっては、お年を召されてからやっと生まれた息子で、それだけに溺愛ぶりが酷い。
「あの子は出来がいいから、きっと魔族の目に留まってしまうに違いない! そうなれば息子は遠い魔国へ……! 二度と会えないかも……! ああああああ……!」
これが取り乱す最大の理由か。
元々子ども好きの方ではある。だから使用人だろうと幼かった僕を可愛がってくださったんだし、血の繋がった実の息子ならなおさら。
僕のことも可愛がってくださった。
今こそ、恩返しの時か……!
「僕が行きます」
自然に言えた。
「魔族が求めるのは、とにかく若者でしょう? 僕も十七歳。とりあえずの条件は満たします。才気については、外見からそう簡単にわかるものじゃないですし、誤魔化せるでしょう」
「しかし、行けば二度と帰れぬやも知れんのだぞ?」
領主様は僕のことまで心配してくれている。
だからこそ、この人のために命を投げ打つ気分になれる。
どうせ大元は村人の、何処にでもあるやすい命だ。
* * *
そして約束の日。
僕は領の代表として旅立つことになった。
他の領からも、それぞれを代表して才気煥発な若者を一人ずつ差し出す決まりらしい。
僕の旅立ちにはそれ相応に見送りが来てくれた。
もっとも大半が、死出の旅路に出る僕を悼む雰囲気だったが……。
数少ない例外があるとすれば……。
「おいリテセウス。ボクの代わりになれて嬉しいだろう?」
と言ってくるのは例のサルダケース。
領主様の息子。
たしか僕より一つ違いの年齢だったはず。
「お前は前々から鼻持ちならなくて嫌なヤツだったが、こんな形でボクの役に立ってくれるとはな! 主の身代わりで死んでくれるなんて大した忠義じゃないか。褒めてやる!」
領主様が溺愛して甘やかすせいで、すっかりバカ息子に育ってしまった。
こんなヤツが将来次の領主になるのかと思うと心配で堪らない。
ある意味、魔族の下に召し出される自分自身の命運より心配。
「父上からは、いずれはお前を側近に置けとか言われてげんなりしていたが。ボクにとってはめでたいな! 僕の命は助かる、目障り者は死ぬ。天神ゼウスは僕の未来を祝福されているらしい!!」
本当にこんなのがこのまま次の領主になったら、この領はどうなってしまうのか?
仮に魔族のところで命尽きることになったとしても、それが未練になって化けて出てしまいそうだ。
「皆さん、あとのことはお願いします……!」
「わかっている。御曹子はきっと我々で鍛え直してみせる……!」
侍従仲間にあとを託し、僕は出発した。
いや本当に、これが今生の別れになるかもしれないのに。締まらない別離となってしまった。
一体、僕は魔族の下でどんな扱いを受けるんだろうな?






