195 老舗ブランド
『ミックスパイダー』といえば、魔国において知らぬ者なしといっても言ってよいほどのテイラーブランド。
魔族の支配者たる魔王様のお召し物を作らせていただくこともある。
人が生きていくために必要不可欠な衣服。
その生産者たちの頂点に立つ。
それが私たち『ミックスパイダー』。
そしてこの私は『ミックスパイダー』に所属する仕立て師。その中でトップの技術を持つ縫物のプロ。
その名をフルレティ。
私はある日ブランドの代表、『ミックスパイダー』製品製造組合の組合長に呼ばれた。
* * *
「見るがいい、この服を」
私と組合長は、穴が開くほどの勢いで衣服を凝視していた。
ウチで作られた服ではない。
最近巷で大流行りの新興ブランドの服だ。
その名は『ファーム』。
「フルレティ、この服の凄さがわかるか……!?」
「わかりません……!!」
凄いということはわかる。
しかし具体的に、どの辺りがどのように凄いのかと解説を求められては、上手く答えられない。
それは同じ衣服の仕立て師として実質的な敗北宣言であり、非常に悔しかった。
「私とて同じだ。悔しさではらわたが煮えくり返る」
まずこの生地。
物凄く上物だということがわかるが、一体どんな繊維を材質にしているのか?
四つ星ダンジョンから採取されるマナ繊維でもここまできめ細かく、輝かしい質感にはならない。
これが何を材料に作られているかまったく想像つかない。
次にこの縫い目。
なんでこんなに等間隔で、しかも緊密に縫うことができるの?
人間技!?
と疑わずにはいられない。この縫い方をどんな風に行っているかもまったく想像できない。
「この服の制作者は、私たちの想像を遥かに超える技術の持ち主よ」
「研究と思ってサンプルを買い求めてみたが……。絶望するだけの結果になってしまったな……」
私と組合長、揃って深いため息をつくばかりだった。
我ら『ミックスパイダー』が魔都一のテイラーブランドとして君臨すること、優に百年を超える。
先達から受け継いできた地位。世代を超えた努力によって魔王家御用達の栄光まで手にしたというのに。
それがポッと出の新参者に崩されようとしている……。
いとも容易く……。
『ファーム』。
その素朴で、ややもすれば芋臭さすらあるネーミングのブランドは、ここ最近、急激に広まり大ブームを起こしている。
魔王妃アスタレス様がご愛用していることがきっかけで。
今や『ファーム』のブランドネームが刻まれた製品は一般向けにも販売が始まっていて、ナウなヤングの都会っ子たちは我先にと争って『ファーム』の製品を買い求めている。
我々『ミックスパイダー』が発表した新作は軒並み『ファーム』の製品に敗れ去った。
「恐るべきことに……! 今季、我がブランドの売り上げは目標の七十%しか達成できなかった。これは過去最悪の記録だ……!」
ブランドを率いる組合長にとっては、まさに悪夢。
「お父さん、敵の正体はまだわからないの?」
「仕事中は組合長と呼びなさい。……パンデモニウム商会に度々問い合わせをしているが、好ましい答えは返ってこない。あっちにも取引先への義理があるからなあ」
ウチだって商会に衣服を卸してやっているじゃない!
これだから商人は信用ならないのよ!!
「向こうだって長年魔王家の御用商人を続けてきた大曲者だ。ちょっとやそっとの揺さぶりで倒れるような簡単な相手じゃない」
「またお父さんは気弱な……!」
「かと言って強硬策にも出れない。我々が彼らに与えられる最大の打撃と言えばなんだ? ウチで作る衣服商品をシャットアウトすることだ。だがそれを機に『ファーム』の製品をメイン商品として入れ替えるなんて言われたらどうする?」
私たちにとっての致命傷となりかねない……!
やっぱり私たちは裁縫職人として、服作りの腕で勝負していくしかないの!?
「でも、そっちだって芳しくないわ。あの魔王子様への作品、何なのよアレ!?」
私が別の仕事でノータッチだったことも痛かったが、組合長はなんであんなアホみたいなゴテゴテ服にOK通したの!?
「えぇ~? あれよくなかったか? 派手で、魔王子としての威厳が出てただろう?」
老舗として長いことトップの地位に安穏としてきたウチの職人たちは、その地位を揺るがされて動揺しすぎなぐらいに動揺しまくっている。
いつもだったら考えられない大ポカをして、余計に自分を追い込んでいる。
『ファーム』ブランドの方が売れて、それまでの方法論を否定されてしまったから、別の方程式を見出そうと模索の挙句に迷走しているのだ。
「とにかく『ファーム』とやらを何とかしないことには、ウチのブランド価値は下がる一方だわ。何か手を考えないと……!」
しかし組合長も私も、有効な打開策が思い浮かばず頭を抱えるばかり。
ああ何か、鋏で布を断つような爽快なアイデアが考えつかないものか……!
「大丈夫よ!!」
「お母さん!?」「お前!?」
組合長執務室に乱入してきたのは、『ミックスパイダー』組合長夫人にして、私のお母さん。
自身かつては『ミックスパイダー』一の仕立て職人だったが、今ではその座を娘の私に譲ってお父さんの補佐に専念している。
いないと思ったらどこに行ってたの?
そして何故今唐突に現れた?
「パンデモニウム商会と交渉してきたわ。『ファーム』の仕立て師と会える算段がついた」
「「ええーッ!?」」
「我が『ミックスパイダー』の工房に招くことになったわ」
「「ええーッッ!?」」
お父さんが散々てこずっていた交渉をこうもあっさり!?
お母さんどんな強引な手を使ったの!?
「普通にタイミングがよかっただけよ。向こうは向こうで何か考えがあるみたい。しかしこれはチャンスよ!!」
お母さんがズビシと私を指さした。
「フルレティ、『ミックスパイダー』一の仕立て職人として働いてもらいます!」
「何!?」
「商会との交渉で少しだけわかってきたのだけれど、『ファーム』は一人の仕立て師が回しているブランドだとわかったわ」
「たった一人!?」
いや、クオリティを保つためにも単独でブランドを回すのはありえるはなしだけど、相当腕に自信がないと成り立たないわよ?
「どれだけ腕のいい仕立て師でも、ソロで活動していくには限界があるわ。そこで浮かんだ逆転の一手!」
「「?」」
「『ファーム』の仕立て師を『ミックスパイダー』に所属させるのよ!!」
「「!?」」
お母さんのあまりにも大胆な発案に、私もお父さん……もとい組合長も絶句するばかり。
「新興ブランドが築き上げた名声ごと、超有能職人を取り込むのよ!! そうすれば『ミックスパイダー』は業界の頂点に返り咲ける!!」
たしかにそうなれば、我がブランドの戦力層も厚くなり、評判も鰻登りとなろうが……。
お父さんにしては大胆で有効な手段だと思うが……。
「そこでアナタの仕事よフルレティ」
「一体何なのお母さん……!?」
「『ファーム』の仕立て師がウチに訪問した時、アナタが勝負なさい。もちろん裁縫勝負よ」
ええええ……?
何言ってるのこの人?
「そしてアナタが勝ったら、相手は『ミックスパイダー』に加入する。そういう条件にするのよ。相手が何であれ『ミックスパイダー』ナンバーワンの仕立て師は、組合長の愛娘であるアナタ!」
それでこそ私とお父さんとお母さん、家族で牽引する『ミックスパイダー』の体制が保てる……!
私たちがここまで伸し上がるのに、どれほどの苦労と困難があったことか……。
幼い子供だった頃、私たち一家の住まいは魔都ではなく、ずっと離れた片田舎だった。
しがない縫物屋として、貧しいながらも満ち足りた暮らし。
父と母、そして幼い妹という四人家族の暮らしは、今では私にとってもっとも美しい思い出だった。
しかしその美しい暮らしは、人族軍の侵攻によってブチ壊しにされた。
生まれ育った村を滅ぼされ、私たち一家は命からがら逃げ延び、辛い難民生活を余儀なくされた。
その時離れ離れになった一番幼い妹は、今もって再会できていない。
何処にいるかもわからない。
長い流浪の果てに魔都に移り住む。手に染み込んだ縫物の技だけを頼りに仕立て師組合に所属。
活躍を重ね、十数年という歳月をかけて大きな組合への移籍を繰り返し『ミックスパイダー』までたどり着いた。
私とお母さん。
二人の縫物の腕をフル活用して、お父さんを組合長まで押し上げた。
私たち一家の進撃は止まらない。
この困難も、家族で力を合わせてきっと乗り越えてみせる!
「私は必ず勝つ。勝って相手を私たちの傘下に加える!!」
こうして魔都で偉くなって名を広めれば。
どこかで生きているはずの妹の耳にもきっと届くはずだから!
「そうだな。私からパンデモニウム商会を通して掛け合ってみよう」
「フルレティ、アナタなら必ず勝てるわ。アナタは私たちの娘だもの!!」
ありがとうお父さんお母さん。
私は必ずアナタたちの期待に応えて見せる。
どんな相手と競い合おうと。
私の鍛えた裁縫のテクニックは負けやしない!
* * *
そして当日。
問題の相手は『ミックスパイダー』本店へと現れた。
「……あれ、お姉ちゃん?」
「バティ!? どうして!?」