194 怯える巨人
「『ミックスパイダー』は、魔都にて最大最高、さらにもっとも古い歴史を持つテイラーブランドです。同名の同業者組合によって運営されています」
と説明してくれるのは、同じく魔王家出入りの商人シャクスさん。
「魔都一であるということは魔国一ということでもあり、国内には他にもいくつか衣服のブランドはあるものの、どれも『ミックスパイダー』には太刀打ちできません」
業界の覇者というヤツか。
「……その、何とかスパイダーさんとやらが、バティに怒っていると?」
「怒っていると言いますか……」
魔都のファッション業界は、長いことその『ミックスパイダー』とやらが一強でパワーバランスが保たれてきた。
しかし新たに輿入れした魔王妃が、どこから入手してきたのか知らないが、自分たちの製品でないドレスを着ている。
しかもそれが注目を集め、大人気となっている。
長いこと市場を独占してきた老舗としては、これほど面白くない話はなかろう。
「我が商会がバティ様の衣服を扱うようになってから度々『ミックスパイダー』からの問い合わせを受けるようになりまして」
「問い合わせ? どんな?」
「もちろん『この衣服を作っているのは何者だ?』とか『誰か教えろ』とか、そういう申し出でございます」
あー。
しかしそこはシャクスさんとてプロの商人。
守秘義務を破るわけにはいかないと、先方からの追及をのらりくらりとかわしてきた。
しかし魔王子ゴティアくんの誕生をきっかけに、事態が激化したという。
「なんで魔王子が生まれると、大きな影響が出るものなの?」
「それは出るでしょうが、本件はまた経緯が独特でして……。直接関与しているのは、やはりゴティア魔王子殿下がお召しになっております幼児服でございます」
「ほーう」
と話している傍ら。
何にでも興味を持つお年頃のゴティアくんは、ドラゴン化したヴィールが珍しいのか、母親のアスタレスさんに抱えられたまま、ドラドンの鱗をペタペタ触りまくっていた。
そんなゴティアくんが着ているのは、バティの作ったベビー服。
ドラゴンの牙すら弾き返す金剛絹の輝きが、ここからでも見てわかった。
「国を挙げて喜ぶべき魔王子殿下の誕生。『ミックスパイダー』も誕生祝いを兼ねて魔王子殿下専用の幼児服を数十着も拵えて魔王家へ納品いたしました」
「数十着……!」
さすがに国のトップが相手だとやることのスケールが大きいなあ。
「しかし魔王様と魔王妃様は協議の結果、『ミックスパイダー』の作品を受け取らなかったのでございます」
「受け取らなかった!? なんで!?」
「そして現状、ゴティア魔王子殿下がお召しになっている衣服はもっぱらバティ様の拵えられた服。魔都の一業界を牛耳るトップブランドにとって、未来の支配者となる御方が、自分たちと関わりない衣服を着ているというのは大変な問題らしく……!」
そこからシャクスさんへの追及が格段に激しくなったのだという。
『あの服を作っているのは誰だ!?』
『名前は!?』
『年齢は!?』
『男か女か!?』
『何故どこにも姿を現さない!?』
『とにかく会わせろ!?』
……などと。
バティ制作の衣服を取り扱っているところから、必ず何か知っているだろうと凄まじい攻勢なのだという。
「我が商会といたしましても大事な取引相手の一つですので、いつまでも惚け続けるわけにもいかず……! ここは聖者様と、バティ様ご本人に相談させていただけたら、と……!」
アスタレスさんのお供をしてやってきたわけか。
「そもそもなんでアスタレス様たちは『ミックスパイダー』のベビー服を拒否したんですか?」
一緒に聞いていたバティが、真っ当な疑問を口にする。
彼女も当事者の一人として、我関せずを決め込むわけにはいかないと気を遣ったのだろう。
「トップブランドが私なんかを強烈に意識したのは、まさにそれがきっかけなんでしょう? 魔王様は立派な為政者ですし、アスタレス様も今やそれを一番近くで支える御方。そんな不用意に和を乱すマネをなさるなんて……!」
「私だってしたくなかったさ」
アスタレスさんが、俺らの席に戻ってきた。
さっきまでゴティアくんをあやして向こうにいたのに。
「ゴティアなら先生が今あやしてくれている。あの方、赤子の扱いが物凄く上手いな! おかげで全面的に頼んでしまったぞ!」
見ると、ちょっと向こうで赤ん坊を高い高いするノーライフキングの姿があった。
あやされる赤ん坊本人は超楽しそう。
……。
ゴティアくんは将来大物になるな!!
「話を戻すが、無論ゼダン様も私も、絶大な評価を受けるトップブランド謹製の一作を拒否する意味はわかっている。波風なんぞ立てたくはない」
そんな魔王さんは、どうして今回に限って民の好意を無視したのか。
「それがなー、気持ちというよりモノ自体に問題があってなー」
魔王さんと一緒に拒否の決断を下した魔王妃アスタレスさんも疲れ顔。
「モノ自体?」
「現物を見てもらった方が早かろう。シャクス、持ってきているな?」
お供の商人に目配りすると呼応してシャクスさん、持参してきたらしいベビー服を、俺たちの囲む卓の上に乗せる。
ズッシン、と。
重くて大きな音が鳴った。
「!?」
いや待て。
待ってほしい。
普通服って、こんな重い手応えの効果音出すものか?
しかもベビー服だぞ?
大人の服より遥かに小さくて軽いはずだ。
それがズッシン!?
どういうこった!?
「これが、『ミックスパイダー』から献上されたベビー服なのです。聖者様」
アスタレスさんが俺へ言う声も、げんなりとしていた。
俺たちの目の前に置かれたベビー服の、一目見た印象を、異世界育ちの俺がその語彙を総動員してもっとも的確な一言で、言い表そう。
「こ、小林○子……ッ!?」
としか言いようのないゴテゴテ感だった。
衣服として本来あるべき部分の他に、ジャラジャラゴタゴタした飾りが多すぎる。
もし赤ん坊がこれを着たとしたら、本人の二倍以上のスケールとなって周囲からの注目を集めることだろう。
派手さだけは、それこそ魔王クラスのベビー服。
これさえ着れば魔王子としての威厳を示すことができますよ? という制作意図なのかもしれないが……!
「これはいくら何でも日常使いできないだろ……!?」
これが俺の率直な意見だった。
ハデさと威圧さだけが追い求められて、利便性がまったく無視されている。
試しにこのゴテゴテベビー服を持ち上げてみた。
「おっも……ッ!?」
間違いなく幼児本人を超える重さ。
あまり長いこと持ち上げられずにテーブルに戻すと、再びズッシンと軋んだ。
「こんなものを着ていては気軽に抱いてあやすこともできないし、何より首も据わってない赤子に対して怖すぎる……!」
「それで魔王さんと相談して、突き返したと……!?」
そんな魔王さんとアスタレスさんの判断は、正しいと認めざるをえなかった。
何を考えているんだこの老舗ブランドとやらは!?
衣服のプロどころかその頂点に立つ御方なんだろうあちらさんは!?
なのになんでこんな赤ん坊に無茶させる衣服を拵えやがった!?
「恐らくは焦りでしょう」
商人シャクスさんが深刻げに言った。
「現在魔都では、バティ様の作り出した衣服が席巻しております。魔国上層部に関わるあらゆる紳士淑女たちがバティ様の服を争って求め、それ以前の流行はまったく顧みられなくなりました」
それまで業界を牛耳ってきたトップブランドとしては、過去の遺物と化してなるものかと必死に巻き返しを試みる。
その必死の結果が、このゴテゴテベビー服だと?
「私の記憶でも『ミックスパイダー』がこのようなヘンテコ作品を売り出したのは、ここ最近に限って。それ以前は落ち着いた作風の、オーソドックスなものを発表していた」
「焦りが迷走に繋がっているんでしょうなあ……!?」
これだけの迷走っぷりが作風に表れているのだ。
実際の行動まで迷走しだしたら、どんなことになるか想像もつかない。
実際にシャクスさんへの突き上げという形で迷走が現れ始めてもいるようだし……。
「どうするバティ?」
俺は、我が農場の被服担当に聞いてみた。
結局のところ、業界トップの暴走にウチはまったく関係ない。
知らんぷりを決め込んだところで非難されるいわれはないかもしれないが……。
「何とかしましょう」
バティはかなり威厳をもって言った。
「そもそもの原因は私にもありますし。魔族ファッション界の明るい未来のために、一肌脱ごうではありませんか!!」