184 常識の隔たり
パッファの方は、新人の子と和気藹藹しているのを確認できた。
安心した俺は、次のところへ確認に行くことにした。
* * *
「助手ですか? 私に?」
人魚チームの一人、故国では『疫病の魔女』という称号で呼ばれたガラ・ルファは医務室にいた。
いつの間にか母屋の一画が医務室になっていた。
我が農場も、エルフにサテュロスに大地の精霊にレタスレートちゃんと住人がどんどん増えていって、増えるからにはトラブルも起きる。
事故などでけが人が出ると、どうしてもそれ専門に対処する人材が必要になる。そこで人魚国にて医師をしていたガラ・ルファほど打ってつけの人材はいなかった。
なのでガラ・ルファは、急ごしらえの医務室に随時待機で、人魚チーム本来の発酵食品や肥料作りにも関われない。
それどころか、現在メインとしている医務すら人手が足りずに作業が滞るぐらいだった。
こちらに優先して人手を回そうとするパッファの配慮は、未来の人魚王の妻に相応しい細やかさであろう。
で。
こちらに配属された少女人魚たち。
名前は『風の魔女』ヘッケリィに『地の魔女』バトラクスだったっけ?
魔女は自称なんだろうけど。
パッファのところでも起こったように、この二人も初対面のガラ・ルファへ感動をもって詰め寄る。
「アナタがガラ・ルファ様!」
「『疫病の魔女』ガラ・ルファ様!!」
若い学女たちの興奮に、気が弱いガラ・ルファは圧倒され気味。
「その狂気の逸話はかねがね聞き及んでいます!!」
「私たちの学校でも広く伝わっています!!」
…………。
狂気の逸話?
「曰く、狂乱六魔女傑の中で『最強』は誰かという議論は、様々な説に分れるが……!」
「こと『最狂』に関しては満場一致、誰もがガラ・ルファ様の名を挙げると!!」
……。
「それもそのはず! 人魚国最高峰の魔法薬学会に籍を置きながら、その理論は独創! 実践は暴走!!」
「聞くもおぞましい魔法理論の珍説奇説に血道を上げて、ついに学会を追放されながらも研究をやめない妄執ぶり!」
「その偏執質を恐れられ、『疫病の魔女』のあだ名の他に『六魔女最狂』『狂気の中の狂気』『彼女の前では誰もが狂気を演じているだけ』などと様々な称号を得たという伝説的人物!!」
「そんなガラ・ルファ様に直接お目に掛かれるなんて光栄です!」
雨霰のごとくまくしたてる少女たちの賞賛(?)を真っ向から受けるガラ・ルファ。
そんな彼女は、椅子から立ったと思えばスタスタと歩き、医務室なだけに当然のように備えられたベッドへ顔面から突っ伏して……。
シクシク泣いた。
「酷いですぅ~~~ッッ!! あんまりですぅ~~ッ!!」
「「あれッ!?」」
『疫病の魔女』を泣かせた女。
ヘッケリィとバトラクスの少女二人は、我が農場について早々その称号をゲットした。
* * *
ガラ・ルファが立ち直るまでに俺の手で五百回頭を撫でなければならなかった。
「アナタたちは勘違いをしています!!」
そして立ち直ると早々に、無垢な少女たちに反論した。
「私は、アナタたちが言うようなマッド・オブ・マッドな人魚じゃありません! ごくごく普通の一般民です!!」
「「ええ~?」」
「すべては六魔女なんかに並び称されたのが悪いんです! そのおかげで、他の凄い人たちの噂に引きずられて、あたかも私まで世紀の変人みたいな不当な評価を受けるんです!!」
違うというんですか?
「私は、ランプアイさんやパッファさんみたいに強いわけでもないし、プラティ王女みたいに高貴でもありません! 普通! あくまで普通なんですよ!」
日頃の鬱憤をぶちまけるように喚きたてるガラ・ルファ。
「いわば私は、六魔女における最凡人! 才能乏しく能力もない! ただ直向きなだけが取り柄の女なんです! だからアナタたちの言ってるのは過大評価なんです! いや、過大ですらない不当評価です! 私は狂ってなんかいません!!」
「「はあ……!?」」
ガラ・ルファ必死の弁明に、新人の学女二人は圧倒されるのみだった。
ここは俺によるフォローで場を鎮めるべきだな。
「まあまあ、ガラ・ルファ。あまり興奮すると彼女らも怖がるよ?」
「あ、はい。そうでした聖者様……!」
「最初にも言ったけど、この子たちにはキミの仕事を手伝ってもらおうと思うんだ。キミの普段の仕事ぶりを見せてあげれば間違った風評も自然と消え去るんじゃないかな?」
「はい? ……はい! たしかに聖者様の言う通りです!! さすが聖者様は言うことが違います!」
喉まで出かかった、あとに続く言葉を何とか飲み込めた。
「本当に間違っていなければ」と。
「では二人とも、こっちに来てください! 私のここでの仕事をご説明しましょう!!」
「「はい!」」
ガラ・ルファは、二人の前にドシンと、ある器具を置いた。
それは、いつだったか俺がプレゼントした顕微鏡だった。
ただしあれから随分形が変わっている。
「これは、聖者様から贈られた顕微鏡を、独自に改造して精度と解像度を上げたものです!! エルフのガラス細工班に頼んでより強力なレンズを作ってもらって! 私も薬学魔法を駆使しました!!」
ガラ・ルファの注文が厳しい上に執拗すぎて、他の作業が滞る!
……ってガラス細工班のポーエルから苦情が来てたよ?
「これで、充分に観察できるようになりました! 細菌を!!」
ここまでの説明でヘッケリィ、バトラクスの二人の表情に浮かぶのは……。
『?』『??』『!?』『!?!?』『……?』『??????????』
という感じだった。
ガラ・ルファが何を言っているか自体、理解できない様子。
だってしょうがないじゃない。
この世界には、まだ細菌という概念自体、存在していないのだから。
「……あの、質問よろしいでしょうか?」
「ハイなんでしょう!?」
「その、……サイキン? というのは?」
「いい質問です! 細菌とは、小さな小さな小さな生物のことです! 細菌はどこにでもいます!! 空気中にも漂っていますし、私たちの体の中にもいます!!」
「「はあ!?」」
二人の、ガラ・ルファを見る目の色がどんどん変わっていく。
「細菌を観察できるようになるとどうなるか!? 色々できますよ! 何しろ多くの病気の原因は細菌ですからね! 患者の体内を調べ、普段いない細菌を見つけ出せば、何の病気にかかっているか即わかります!」
「体内を調べる? どうやって?」
「血を抜き取るんです」
「「血を!?」」
どんどん変わっていく。
「今までの診察は、表層に現れる症状を観察するしか手段がなく、誤診のリスクを回避できませんでした。が! 血液検査の導入によって精度は段違いに上がりました!! あとは判明した病気に即した治療法を施せばいいだけ! しかも!!」
「「しかも!?」」
「治療についても、細菌を利用した画期的な方法があるのです! たとえば! 詳しい説明は省きますが、ある病気が完治した人から血を抜き取って……!」
「「抜き取って……?」」
「同じ病気の患者に注入する!!」
「「どええええーーーーーーーーーーッ!?」」
かなり多くの段階を端折ったけど、血清は、俺の元いた世界では普通にあり得る治療法だった。
あくまで、俺の元いた世界での話である。
我々の住む世界での常識が、他の世界でも常識であり続けるとは限らない。
「が、が、ガラ・ルファ様……!」
「やっぱりアナタ狂ってます!!」
彼女らの反応はもっともなものだと思う。
「えええええええええーーーーッッ!?」
だからガラ・ルファ。
そんな意外そうにしない。
「アナタの言っていることは全然わかりませんけれど、なんだか凄いということだけはわかりました!!」
「狂気です!! 狂気以外にありえません! こんなブッ飛んだ発想をする御方は六魔女の中でもアナタ以外にありえません!!」
「まさに『狂気の中の狂気』! 六魔女最狂ガラ・ルファ!!」
「やっぱりアナタは本物でした! 改めてアナタのことを尊敬します、素敵です!!」
狂気だなんだと言いながら、なお尊敬するんかい。
彼女らも相当だな。
「聖者様あああああッッ! あの子たち、私のことをしっかり理解してくれません! 酷いです、酷すぎますうううううううッッ!!」
と俺に泣きついてくるガラ・ルファであった。
仕方ないよ、キミは先に進みすぎただけなんだよ。
彼女の常識が世界の常識となるまでは、まだまだ時間がかかりそうだ。