177 海の論客
私は、名をヘンドラーという。
はばかりながら生まれは人魚国有数の名家。先祖代々人魚王にお仕えし、名将名官吏を何人も輩出してきた家系だ。
私はそこの四人兄弟の次男坊として生を受けた。
もっとも私は、そうした名家に馴染まず野に下り、軍人になることも官吏になることもなく、書物を編纂したり時流を批評するなどして生計を立てている。
学者先生などと呼ばれてはいるが、要するに流浪の根無し草だった。
ただし最近、世が不穏になりつつあって、私の周囲も慌ただしくなっている。
今、人魚国にとって最大の不安は、我らの住む海ではなく、陸。
地上に住む別種族たちの動静だった。
人間国滅亡。
そのニュースが舞い込んできた時、人魚国は大いに揺れた。
数千年に渡って争い続け、そしてこれからも争い続けるだろうと誰もが信じて疑わなかった陸の戦争が、唐突に終わったのだ。
これに際して、人魚たちの興味がもっとも集まるのが、未来の展開だった。
つまり長き争いの勝者となった連中は、次にどうするか? ということだ。
人族が敗北し。
魔族が勝った。
勝者となった魔族の、次なる行動は?
獲得した地位に安堵し、以後平穏に浴するか?
それとも覇道の打ち切りをよしとせず新たな戦いを求めるか?
前者ならば、それでいい。
我が人魚国は過去と変わらず平和を享受し続けるだろう。
しかし後者ならば?
魔族たちが、敵たる人間族を滅ぼしてなお争いを求めるならば、次の敵と見定めるのは三大種族などと呼ばれる中の一つ、我が人魚族である可能性がもっとも高い。
ということで現在我が人魚国における論客や評論家は、一つの議題に喧々諤々として、一瞬たりとも静まることがなかった。
魔族たちが人魚国に攻め込んでくるか? ということだ。
その議題について、触れずにはおけない最近の事件がある。
我らが敬愛する人魚王ナーガス陛下。
その第一王女にあらせられるプラティ王女の結婚騒動だ。
プラティ王女は、血統自体がやんごとない上に眉目秀麗、加えて魔法技術も国内屈指ということで『彼女を妻に』と求める声が引く手あまたであった。
その花婿立候補者に、国外の者である人族や魔族までもが手を挙げた。
これは選んだ方と自動的に軍事同盟が成立するということで、当時も様々な場所で議論したものだった。
プラティ王女は魔族に嫁ぐべきか?
それとも人族に嫁ぐべきか?
という議論だ。
人魚国の命運を分ける選択として、あの頃は本当に深刻な議論が交わされていたが、結局プラティ王女はどちらとも結婚することはなかった。
伝え聞く噂によれば、聖者とかいう人族でも魔族でもない何者かに嫁ぐことで、地上の戦争に巻き込まれぬよう凌いだという。
その顛末を聞いた時、私は『良策だ』と自分なりの分析をしたものだった。
実際、私は一人の論客として、あの騒動が決着する前から『どちらも選ぶべきではない』と主張してきた。
実家の権力に頼って人魚王に直談判したぐらいだ。
私も軽率な男だと、今思い出して面映ゆい。
だが問題はそこではない。
あれから一年もしないうちに状況が変わった。
魔族が人族を滅ぼし、地上の覇者となってしまった。
これによって、過去の嫁入り騒動議論が再燃。
当時『プラティ王女は魔族に嫁ぐべきだ』と主張していた派閥は鬼の首を取ったように喚きたてる。
「あの時、プラティ王女を魔族と結婚させていれば、人魚国は安泰だったのだ!!」
と。
プラティ王女が魔族と結婚していれば、魔族と人魚は姻戚による同盟関係。
魔族が陸の覇者になったとしても、敵対関係になることはない。
もし逆に人間国と姻戚関係を結んでいたら、それこそ最悪の選択で目も当てられなかっただろう。
でも少なくとも現実は『どちらも選ばなかった』という一手で最良も最悪も避けられている。
しかしだからこそ、これからの舵取りに人魚国の命運がかかっているということで、慎重な政治的判断が要求される。
かつて『プラティ王女を魔族に嫁がせるべき』と主張した論客層は、得意上段となって喚き散らし……。
「今からでも遅くはない! プラティ王女がいないならば、妹君であるエンゼル第二王女を魔王の側室にして、魔国との関係強化を図るのだ!!」
などと主張している。
しかし私は、それが良策とは思えない。
プラティ様の結婚話が持ち上がっていた頃と今とでは、状況がガラリと変わっている。
かつて人族との睨みあいで微妙なパワーバランスを保っていた魔族は、今や陸の覇者なのだ。
その覇者を相手に、こちらから結婚話を申し込みなどすれば、下手をすれば臣従の証と受け取られかねない。
戦わずして負けることになってしまうのだ。
人魚国の首脳部も、それを気にして迂闊に使者を出すこともできず、陸の情報を思うように収集できないでいる。
明日にも魔族の軍隊が海底に攻め込んでくる、などという無責任な噂話で、人魚たちの不安は極度に達していた。
このままでは人魚国は、魔族の軍勢に攻撃されるまでもなく自壊してしまう。
どうにかしなければ……!
* * *
……そこで私が駆け込んだのは、人魚王のご子息、つまり次代の人魚王たるアロワナ王子の下。
またしても生家の権力に頼るのは慚愧に堪えないが、人魚国の有力貴族の次男坊に生まれた私は、アロワナ王子と幼い頃からの親交があった。
彼と話し合い、人魚国が独立を保つため手段を模索しようとしたのだが……。
「おお、ヘンドラーか。私は修行の旅に出るぞ」
などと開口一番言ってきたのである。
「は!?」
としか言いようがなかった。
この人魚国始まって以来の危機が目前に迫ろうというこの時に、人魚国の未来を担う次の王が、呑気に国を離れるというのですか!?
「巷で煩く喚かれている噂なら気にすることはない。それよりちょうどよいところに来た。お前に頼みたいことがある」
「頼み……、ですか?」
「そうだ。どうせお前は誰かに雇われているわけでもないから暇だろう。国を離れる私に代わって、妹に届け物をしてほしいのだ」
* * *
ということで。
私がアロワナ王子から引き受けた用事というのは、陸に嫁いだプラティ王女へ届け物をする、というものだった。
王女が魔法薬を作り出すために、陸では入手できない薬草や器具があるということで、王子が定期的に届けに通っていたのを、修行の旅に出るので私が代わって届けに行け、というものだった。
つまりそれは、結婚騒動以来一度として公の場に出ることがなくなったプラティ王女にお目にかかる機会を得たということ?
こんな形で謁見が叶うことになるとは……。
プラティ王女は、聖者なる御方に嫁いだため魔族人族のどちらにも所属せず、またどちらの敵にも回ることがなくなったという妙手で、過去の難局を回避なされた。
これは私の推測だが、聖者なる人物は、本当は実在しないのではないか?
と思っている。
プラティ王女は聡明で、下々から『王冠の魔女』とまであだ名される女傑。
そんな彼女が、敵対する二勢力の一方に肩入れする愚を理解できないはずもない。
聖者、という架空人物を設定することで、魔族人族の双方に言いわけの立つ形でことを収め、ついでに自身は騒がしい俗世から遠ざかったのではないか?
私はそう考えている。
自由奔放なあの人ならやりかねないことだ。
しかしこれはチャンスでもある。
アロワナ王子が呑気に旅に出てしまったからには、今こそプラティ王女にお戻りいただき、ナーガス王に働きかけて覇者魔族との交渉に当たっていただく。
この千載一遇の機会に直談判するのだ!!
私とて在野の隠士といえど、国のために命を捨てる覚悟はできている。
どうせ一度は人魚王への直談判で死にかけた我が身。
今再び、人魚国のために無礼をかまわず貴人を説得してみせる。
それが論客の命の捨て方だ!!