168 大浴場・花園編
私はエルフ。
聖者様の農場で働いているエルフの一人で、わざわざ名乗るまでもないでしょう。
私の役目は語り部なのですから。
語り部に自己主張は必要ありません。
今回、聖者様は語り部となることはできませんので、私が代役を務めるということです。
だって、ここから私が進む先は、さすがの聖者様でも踏み込むことができない聖域なんですから。
別に聖者様が踏み込んでも最終的には誰も文句を言わないと思うんですが……。あの方は何と言うか、そう、奥ゆかしいんです。
で。
偉大なる聖者様に代わって、不肖この私が踏み入り語る、この領域こそ……。
そう。
女湯です。
* * *
お風呂……、というものの存在は、出来た瞬間から農場の女たちに轟き渡りました。
気持ちよくて健康にいい。
その上美人になれる。
聖者様がプラティ様に日頃幾度となく熱弁していたと言います。
なので、その温泉が完成したと聞いて、皆大興奮。
今の自分よりさらに綺麗になりたいのです。
私だって綺麗になりたいです。
しかし聖者様が最初に作られたお風呂は小さすぎて、とても農場の女性全員が入ることはできませんでした。
しかしそこは偉大な聖者様。
すぐさまもっと大きなお風呂を作り出して、全員が苦もなく入浴できるようにしてくださりました。
さすが聖者様。
偉大な御方。
さすが聖者様。
皆が崇め讃える。
新しいお風呂は、区域が大きく二つに分かれています。一方が男性だけ入り、もう一方が女性だけが入るエリアだということです。
……まあ、線引きは必要ですよね。
何しろ入浴の時は裸になるわけですし。
だからこそ「なんで聖者様は一緒に入浴してくれないんですか?」とブーイングする女子も何人かいましたが。
……私は、ちょっと残念だったとだけ言っておきます。
語り部は自己を語りませんので。
* * *
仕方なく女性だけのお風呂を観察し、語っていくとしましょう。
エルフ工房での一日の作業が終わった私は、仲間と共に早速大きなお風呂へ向かいました。
入口に入ると、さらに入り口が二つあって、赤色の布を掛けてある方が女湯の出入り口なんだそうです。
潜り抜けると、そこは百花繚乱でした。
エルフ、サテュロス、大地の精霊、魔族に人魚、人族と、様々な種族の美女たちの裸で咲き乱れています。
同性のくせに言い方がいやらしい?
甘いですね。女だからと言って、女の裸に興味がないとは限りません。
私たちエルフは、古い祖先が魔族と同じだったということで、肌の色は魔族同様に濃い目です。
深煎りした豆色とでも言いましょうか。
とにかく濃いです。
ただ最近は、サテュロスの皆さんが加入して白い肌率も上がってます。
サテュロスを含めた獣人は、人族から派生した種族らしいですからね。
魔族系の黒い肌と、人族系の白い肌。ちょうど白黒斑という感じで、女湯の脱衣場も斑っぽいです。
白い尻、黒い尻、白い尻、黒い尻、白い尻、白い尻、黒い尻、白い尻、黒い尻、黒い尻、黒い尻、白い尻、黒い尻、白い尻、白い尻、白い尻、黒い尻、白い尻。
こんな感じです。
その中にもう一つ、黒い尻を加えました。
私のお尻です。
そんな感じで、女湯は和気藹藹としています。
* * *
「ここがお風呂って場所ね!」
そこへ益々賑やかな人が現れました。
人間族の王女レタスレートさんです。あの人はいちいち騒々しいです。
「ここで体を洗い、ゆったりして、疲れを癒すことができるそうだわ! 付いてきなさいホルちゃん! 私が特別に案内してあげるわ!!」
「了解いたしました」
王女様についてきているのは、天使のホルコスフォンさん。
この大風呂を建築した第一功労者と聞きます。
そのホルコスフォンさんに対して何故あの王女様は偉そうなんでしょうか?
「ホルちゃんはお風呂初めてなんでしょう? この私が手本を見せてあげるから、しっかり観察して、お風呂のマナーを学習しなさい!!」
「了解しましたレタスレート」
王女様も初お風呂であるのは疑いないはずなのですが、何故ああも自信たっぷりなのでしょうか?
そうこうしているうちに二人とも服を脱ぎ、さあ浴場に乗り込むぞ、と言ったタイミングなのですが……。
「ねえ、ホルちゃん? アナタのその背中、翼があるんだったわよね? お湯で濡らしても大丈夫なのかしら?」
そうでした。
天使であるホルコスフォンさんの背中からは大きな翼が広がっていて、見るからに入浴には不便そうです。
「天使に翼は付き物なのさ」と聖者様は仰っていましたが、あんなに大きな翼では周囲の入浴者たちにも迷惑がかかりそうです。
このままにしておくのは……。
「意見を採用いたします。レタスレート。翼を持ってくれませんか?」
「え? こう?」
「『イカロスの翼』機能停止。マナ供給遮断。各接続部の閉塞を確認。安全に取り外すことができます」
「え!? 取り外せるのコレ!?」
私もビックリしました。
取り外し可能な翼だったとは。
「外した翼は、その辺に立てかけておいて……。ではレタスレート、入浴しましょう」
「はあ……! はい……!」
翼だけでなく着ている衣服も脱いで素っ裸になった二人は、浴場のある奥へと進んでいました。
……。
ビックリしている場合ではありません。
私も早く服を脱いで入浴しないと。
* * *
私もいよいよ浴場に踏み入れようとしたところ、浴場と脱衣場の出入り口付近で巨大な柔らかさとぶつかりました。
「あっ、ごめんなさい……!?」
サテュロスチームのリーダーのパヌさんでした。
山羊の獣人というサテュロスは、そのせいか四肢が強靭で、体つきもご立派です。
特にパヌさんはその中でもさらにご立派なものをお持ちで……。
何と言うか……。
ばいんばいん……。
「私はもう上がらせてもらうところなんですよー。お風呂って体がフワフワして気持ちいいですねえ。肩凝りが取れました」
ええ。
そりゃ肩凝りもするでしょうよ。こんな立派なものを二つもぶら下げていたら。
「あっ、そうだ。聖者様からのご指示でですね。私たちが生産したミルクを、ここに置いてるんですよー」
とパヌさんが示してくれたのは……。
おお!
たしかに瓶詰にされたミルクが一つならずたくさん並べてあります!
サテュロスさんたちの作るミルクは、人族魔族の偉い人にも供されるという超高級品。
それを普通に飲めるということだけでも、この農場が天国のような場所であることが知れます。
「お湯から上がったら牛乳を飲むことがお風呂のマナーなんですって。聖者様がそう言っておられました」
そうなんですか!
さすが聖者様物知り!
「しかもキンキンに冷えた方がいいそうです。なのでパッファさんが作られた小型冷蔵箱の中に入れられて、氷みたいに冷たいんですよ。上がった時に飲んでくださいね」
そう言ってパヌさんは通り過ぎていきました。
ちなみにミルクを入れてある容器は私たちエルフが作ったガラス瓶です!
私も風呂から上がったら真っ先に飲むことにしましょう!!
* * *
そして私も、ついに浴場に入りました。
湯気でモワッとしますが、服を着ていないので蒸して不快とかはありません。
むしろ温かくて心地いいです。
浴場は既に、多数の女性たちでごった返しています。
「ああ~~、気持ちいいいいいいいい~~……」
その中にプラティ様がいました。
農場で二番目の地位にいる副指導者。聖者様の妻でもある超大物です。
その周りには同族であるパッファさんやランプアイさんやガラ・ルファさんたちがいました。
全員、下半身が魚の姿に戻ってリラックスに緩み切っています。
そんなお湯に浸りきっている人魚さんたちを眺めて……。
……煮魚。
と思ったことは私の胸の中に秘めておきます。
「煮魚……!」
「煮魚よねあれ……!?」
「めっちゃ煮てる……!」
「水煮……!!」
同じことを思っている人たちは割とたくさんいました。
無論当人たちには聞こえない程度の小声でしたが。
「アタシたち、人生の九割以上は水中で過ごしてるはずなんだけど。温度が少し違うだけでこんなに気持ちよくなるとは思わなかったわああああ……! 極楽うううううううう……!」
「緩んでんなあ。いいのかそんなに油断して?」
同じ人魚族のパッファさんが、基本形に戻った下半身で尾びれをパチャパチャ言わせています。
ちょっとマナー悪いです。
地上にある農場で生活するため、魔法薬で地上人の足に変えている彼女たちは、元来の人魚形に戻ることはごく珍しいです。
「いいじゃないの、こんな気持ちいい場所で油断しても……」
「そうじゃねえよ。アタイらのことだよ」
「アナタたち?」
「一応アタイもランプアイたちも人魚族の囚人。労役を課すって建前でここにいるんだろう? それなのに簡単に人魚の姿に戻していいのかよ?」
地上人の姿になった人魚は、それ用の薬を飲まないと元の姿に戻れません。
それを利用して、罪を犯した人魚は無理やり地上人になる薬を飲まされ、人魚本来の領域から追放される刑罰があるのだそうです。
「そんなの建前でしかなくなってるじゃない。それに、人魚の姿に戻ったからって無断で海に帰ったりしないでしょう? アナタもランプアイもガラ・ルファも……」
「この地でプラティ王女にお仕えすることこそ、わたくしの本懐。ここから離れるつもりはありません」
「私も! 細菌の研究が続けられなくなるのは嫌です! 石に齧りついてでも動きません!」
人魚さんたちは人魚さんたちで独特の絆で結ばれているようです。
私たちエルフも同様。
お風呂が完成するにあたって、元頭目のエルロンさんを中心に会議が行われて『お風呂はエルフの誇りを傷つけるものか否か』という議題で散々話し合われました。
エルフは、自然の生活に外れることを恥じますから。
まあ結局、結論が出ないままエルフ族は、ほぼ全員お風呂に入り浸ってますけれど。
仕方ありませんよね。こんなに気持ちいいんだから。
では、早速私もお湯の快感を得ようと湯船に足を突っ込もうとした瞬間。
「こらー、そこー!」
プラティ様に怒られました。何故か。
「お湯に入る前に、掛け湯をして埃を落とすのよー! 旦那様から教わったお風呂のマナー! このアタシが陣頭に立って女湯に徹底させるんだからね!!」
さすが聖者様にもっとも近いと言われる女性。
指導力がハンパではありません。
ここは素直に従って、私もお湯で体を洗い流すことにしましょう。
ですが、この農場にはもう一人。聖者様にもっとも近い位置にいて、プラティ様とまったく真逆な方向性の方がいます。
* * *
「………………ん? 何かしら?」
遠くから、何か音が聞こえます。
浴場にも窓があって、今は湯気を逃がすために開け放っていますが、そこからキイイン……、と空気を切り裂くような音。
それがどんどん高音に、どんどん近づいてきます。
『やったー! 風呂だー!』
音の正体は、ドラゴンのヴィール様が接近してくる飛行音でした。
窓から浴場に直接突入したかと思ったら、即座に人間の姿に変身して浴槽に飛び込みます。
ザブーン。
と大きな水柱が立ちました。
「あたたけー! 気持ちいいー! これが風呂ってヤツか! たしかにいいぞ! ドラゴンのこのおれが認めるよさだ!」
「コラーッ! ヴィール! 浴場にはちゃんと出入り口通って来なさい! 体も洗わずお湯に入るな! 髪の毛をお湯の中に浸すなー!!」
プラティ様がカンカンになって叱り飛ばしますが、農場一自由なヴィール様にはまったく通じないのでした。
農場の秩序プラティ様。
農場の混沌ヴィール様。
この場所は、聖者様のすぐ下のこの二人がいることで成り立っているのです。
まあそれはそうと……。
お湯が気持ちいい。