148 守護者の衣
私は魔王軍の正規軍人、オルバ。
レッサードラゴンの悪名は魔王軍の中でも轟き渡っている。
堕ちた竜、劣等竜、竜が竜でなくなったもの、竜の残りカス。
本来のドラゴンは、魔族の太刀打ちできる相手ではなく敵対したら滅びるしかない。
しかしドラゴンには圧倒的な強さと共に叡智も備わっていて、理由なく敵対することもないし、場合によっては話し合いに応じてくれることもある。
しかしレッサードラゴンは、そのドラゴンから知性を取り去った獣。
何故そうなってしまうのかは永年の謎だが、ドラゴンは何かのきっかけで魔力と知性を失い、粗暴なレッサードラゴンと化す。
そうなったら、本来のドラゴンよりタチが悪い。
たとえ魔力と知性は失っても、その強靭な巨体は残っているのだからどんなモンスターより厄介だ。
しかも理性がないのだから理由なく暴れ、出没が確認されたら戦って討伐するしかない。
放っておけば放っておくだけ被害が拡大するのみだからだ。
堕ちたと言えどもドラゴン。その討伐は困難を極める。
理性のくびきから外れた災害暴力。
それがレッサードラゴンだった。
* * *
私とバラムの二人は、轡を並べて馬を走らせていた。
最大速度で、馬が疲れて潰れようともかまわず。
それも当然で、後方から形ある脅威が迫ってくる。それこそ猛然としたスピードで。
「あのバカドラゴン……! まだ追ってきやがるな……!」
「仕方ないさ。確認したと同時に向こうにも気づかれたのが運の尽きだ」
痕跡や気配だけしか報告されていなかったが、実際にたしかめに来てみてレッサードラゴンとは。
これは私やバラムの率いる部隊程度で何とかなる相手ではない。魔都から魔王軍本隊を出撃させなくては。
まともにぶつかっても皆殺しにされるだけだと、バラムは咄嗟に撤退を命じた。
バラバラに散開して逃げれば、レッサードラゴンもすべてを追えるわけではなく全滅は免れるという判断だったが……。
「何故一緒に走っている!? 散って逃げなきゃ意味ないだろうが……!?」
「アンタの考えはわかっている! 自分が囮になって一人でも多くの兵を逃がすつもりだろう!?」
そうでなければ、わざと蛇行したり、追ってくる竜を煽って挑発する必要などない。
四天王副官バラム、彼もまた平民から叩き上げの古強者なのだ。
彼女と同じ……!
「……こんな時のために偉そうに騎乗しているものさ。歩兵の足じゃあの脳なし竜から逃げきれない。片っ端から食われるだけだ」
「ならば私も付き合う! 私も副官として騎乗を許された身分だ! ただ逃げ惑うだけでは面目が……!!」
「危ない!!」
バラムから怒鳴られ、咄嗟に馬体を翻す。
竜の爪がギリギリのところを掠めていった。
「もうこんな近くまで……!?」
馬も疲れているのだ。
これ以上最高速度を維持できない。
「兵を損なってもいけないが、指揮官は最後まで生き残らなきゃならんのだ! なのにみずから危険に飛び込んでどうする!?」
「しかし、それなら貴公も……!?」
「こういう時のため二人で来たんだろう! どちらかが生き残って、ベルフェガミリア様に危急を報せねばいかんのだ! 貴族のお前の方が生き残ってやるべきことが多い! いいから行け!!」
「でも……!?」
逡巡したのがいけなかった。
背後から凄まじい勢いで跳ね飛ばされ、乗っている馬ごと宙を舞った。
「オルバ!?」
レッサードラゴンの腕で薙ぎ払われたのだと、直撃を受けてからわかった。
空中をぐるぐる回っているうちに馬とも離れる。
そして落下する先に、大きく開いた竜の口が待っていた。
「オルバアアアアアーーーーーーッッ!?」
我が名を呼ぶ、同僚の逼迫した声。
バクンッ!
という衝撃が体中に響いた。
レッサードラゴンは、我が身を半分キャッチし損ねて、私の上半身がドラゴンの口より外側にこぼれた。
それはつまり、胴から噛み千切られるという形で、腹と背の両側から竜の牙の鋭い感覚が伝わる。
しかしそれも一瞬のことで、私はこのまま真っ二つに噛み切られるのだなと悟った。
すみません母上。私は家督を継ぐことが叶わぬようです。
それに彼女と再び会うことも、もう二度と……。
『ヴャアアアアアアアアアアアアアアッッ!?』
レッサードラゴンの苦しげな悲鳴が、我が鼓膜を震わせた。
と同時に全身を叩きつける衝撃。
地面に落ちた、その衝撃か?
まだ生きている?
竜の牙に噛みつかれたのに!?
ある?
私の下半身、まだ上半身と繋がっている。
噛み千切られて泣き別れ……、とかになってない!
「おい大丈夫か!? 生きてるか!?」
慌てて駆け寄ってきたバラムと共に、問題のレッサードラゴンの頭部を見上げる。
「牙が……、折れている!?」
その痛みで苦しんでいるのか?
「ボサッとするな! 痛みでのたうち回っている今がチャンスだ! 少しでも遠くに逃げるぞ!!」
* * *
命からがらレッサードラゴンから逃げ延びた私たちは、逃げ散った兵士たちをすぐさま呼び集めて再編成。
魔都へと急使を送り、魔王様率いる本隊の到着を待った。
レッサードラゴン退治には、然るべき順序がある。
まず充分距離を取ってから遠距離魔法を一斉斉射。
しかも一人二人ではない。何千人と一斉に。しかも何度も交代しながらの魔法攻撃なので全体的には万人規模の大攻勢になる。
レッサードラゴンは知性なく判断力もないので、正面から抗しようとして抑えられ、無駄に体力を消耗する。
これが本物のドラゴンなら、そうなる前に策を講じられるか、そもそも魔族の魔術魔法より遥かに強力な竜魔法で一掃されるだろう。
しかしレッサードラゴンは頭を使わない。
無策のまま体力が尽きたところを、魔王様の怒聖剣アインロートでとどめを刺す。
いかなる武具も通さない竜の鱗でも聖剣の斬撃には耐えられず、すべてが手順通りに進んで、一人の犠牲も出すことなく亜竜の首は落ちた。
* * *
「見事な働きであった」
レッサードラゴンの死骸を前に、魔王ゼダン様より直々のお褒めの言葉を頂く。
何と言う栄誉。
これこそ魔族軍人至高の誉れとして、総身が震える。
「副官オルバ、並びにバラム。レッサードラゴン発見から報告までの機転、見事。無駄な戦いを避け、一兵も損ねることなく撤退を果たした判断力は、さすがベルフェガミリアの副官というべきよ」
「いえいえ、この子たち自身が優秀なんですよ」
魔王様と共に出兵しながら、結局何もせぬまま見守るだけだったベルフェガミリア様は言う。
「オルバは熱心だし、バラムは酸いも甘いも噛み分けている。いっそのこと僕をクビにして、彼らを四天王にしちゃえばどうです? そしたら僕も気兼ねなく、夢の年金生活に入れますよ」
「なんの、卿にはまだまだ現役でいて貰わなければ困る」
魔王様意外にもベルフェガミリア様に高評価。
「卿は、我が不在を安心して預けられる唯一の将。これからも頼ることが多いゆえ、まだまだ引退などしてくれるなよ」
「やれやれ、人使いが荒いなあ」
とベルフェガミリア様は大あくびを一発。
魔王様の御前で凄い度胸だなこの人。
「……にしても、報告にあったがオルバ。本当に大事ないのか?」
「は……!?」
魔王様に気遣っていただけるとは!
という感動は置いておいて、まずは正確かつ迅速な報告を!
「は、はい。この身、一度はドラゴンの牙に囚われたのですが、不思議なことに傷一つもなく……!」
「不思議なこともあるものだよねえ。僕も報告を聞いた時は心臓が飛び出しそうになったけどさ」
またベルフェガミリア様は柄にもないことを。
レッサー化したとはいえ、ドラゴンの牙に魔族の肉体が一秒たりとも耐えきれるはずはない。
私自身が、ドラゴンの上顎と下顎に挟まれた時には完全に死を覚悟したが、一体何故今も生き延びられているのか。
「心当たりがあるとしたら……」
私は、今も我が身を包んでいる鎧下を見下ろした。
戦闘に赴くにはあまりにも綺麗な、仄かな輝きすら発する生地。
これが私を守ってくれたのか?
「ドラゴンの牙から逃れた直後、鎧は貫通して大きな穴が開いておりました。しかしこちらの鎧下には鍵裂き一つできておりませんでした」
「金属鎧をやすやす貫通するドラゴンの牙が、そんな布一枚に防がれたというのか? そんなバカな……!?」
横からバラムが呆れて言うが、私もまったく同意見だ。
しかしそれ以外に考えようがない。
母上は、こんな不思議な衣服を一体どこから買い入れてきたのか?
「……金剛絹の生地は、竜魔法すら弾き返すと聞いていたが。牙も同様らしい」
「!?」
魔王様の表情が、すべてを見通したかのような優し気なものに変わっていた。
「魔王様、もしや魔王様には心当たりがあるのでは!? この鎧下がいかなる来歴か……!?」
「いや知らぬ。知っていても言えぬ」
この人知っている!
物凄く嘘が下手だ!!
「ただ一つだけ言えることがあるとしたら……。そう、愛は偉大ということだな」