1457 ジュニアの冒険:愛
『アイ……じゃと?』
「そう、愛よ」
愛か……。
愛だな。
『アッ、アホか! そんな曖昧模糊としたものが聖唱魔法を上回るわけがない! 寝言は寝てからほざけ!』
「事実よ。アナタが死んでいた頃の出来事だから知らないのも無理はないけれど。アナタの最高傑作たる聖唱魔法の使い手は、愛の前に敗北し、すべての怒りと復讐心を放棄せざるを得なくなった。大量の幸福によって塗り替えられたの」
それが愛。
「老姫アナタを殺し、復讐の一環として海のノーライフキングを根絶やしにしたアタシには空虚さしか残らなかった。その空虚を、どうやれば消せる? そもそも何もないから“空虚”であるモノを消し去ることができるの? 思い悩んだ末にアタシは、世界すべてを消し去ることにした」
『何をバカな……!?』
「そこまでドン引きするものかしら。世界すべてが消え去ればアタシもまた消える。アタシの胸の中にある空虚さも消える。あの頃は本気でそう考えていたの。そしてその辺りからアタシは『暗黒の魔女』と呼ばれるようになった。世界を、光なき暗黒に包み込む魔女」
恐るべき過去。
光なき無明。すべてが無に消え去ったあとには闇しか残らない。
「アタシは優秀な手下二人を使って世界消滅の計画を立て、着々と進行していったわ。何事もなく進めば確実に世界は滅んでいたでしょうね。でもそうはならなかった。世界は依然として健在であり今も在る。……何故だと思う?」
『し、知るかそんなもの!』
想像を超えた話に、捨て鉢となっている様子の老姫。
しかしシーラおばあちゃんは、まったくかまわず語り進める。
「もちろん現れたからよ。アタシの世界消滅計画を阻む者が」
『まさか、ソイツがお前を止めたというのか!? 聖唱魔法を操り無敵となったお前を!? ノーライフキングを皆殺しにするほどの力を当てお前を止められる人間などいるものか!』
「いるから、まだ世界が続いているのでしょう。理解力のない死体ね」
嘲笑交じりにシーラおばあちゃんは言う。
「アタシを止めたのは、人魚の王子様。そりゃあ世界が滅べば国だって滅ぶんだもの。人魚国の未来を守るために戦うのは、貴種に生まれた運命でしょうね」
人魚の王子?
すぐさま脳裏に、モリモリの筋肉体が浮かんだ。
「最初は鼻持ちならなくてたまらなかったわ。何しろ生まれながらにすべてを手にした王子様ですもの。孤児で、実験体にされて、すべてを踏みにじられたアタシとは正反対。そんな王子様が正論振りかざして止めにくるんだから不快でしかなかったわ」
――『世界を壊しても何も得るものはないぞ』とか。
――『復讐は何も生み出さないぞ』とか。
――『死んだ友だちが喜ぶのか』とか。
絶望を知らない人間が、絶望を味わった人間に正論を説いても顰蹙を買うだけ。
当時のシーラおばあちゃんも、正論はまったく胸に響かず来るたび蹴散らしたそうな。
「聖唱魔法を使えば一瞬で殺せる相手だったけれど、そうしなかった。今まで苦労知らずだった王子様が屈辱に塗れるのを見て楽しむ、歪んだ嗜虐心が働いたのかもね」
『いや、普通に顔がよかったんで手加減してたんじゃろ。なんやかんや言って一目惚れじゃって』。
僕の心の中のゾス・サイラさんが囁いている!?
「それでも彼は、何度も何度も立ち向かってきた。最後には己の言葉を引き換えにして神々から、聖唱魔法を無力化する秘術を得てアタシに肉薄してきた。でもそれはアタシを倒すためじゃない、自分の想いをアタシに届けるため」
――『言葉がキミに届かないなら、言葉など不用』
――『本当の想いをキミに届けるために引き換えとしても惜しくない』
……いや、言葉を引き換えにしたんでは?
「結局アタシは、彼の想いの前に屈した。アタシの空虚さは、彼の想いに埋め尽くされた。聖唱魔法による万能さでは決して埋まらなかった空虚さが。力は、愛の前に敗れ去ったのよ」
『……違う、違う! お前がほだされただけじゃ! 聖唱魔法は究極! 何者にも勝る! 人の心などに劣るわけが……!!』
「劣るのよ。力とは、それ自体はどこまで行っても無意味なもの。無意味な力に意味を与えるのは、心以外にない」
シーラおばあちゃんは、老姫に対して言う。
「意味を知ることなく力を求めた老姫、アナタもまた無意味。その存在も、人生も、努力も、目指す目標も、すべてが無意味」
そう言って薄く笑うシーラおばあちゃん。
その微笑は凄惨なまでに残酷だった。
そうか、これもまたシーラおばあちゃんによる復讐なのだ。
かつては力で押し潰し、破壊することしか復讐の方法を知らなかったシーラおばあちゃん。
そんな彼女が、愛し合う男性を得て、家族を得て、人生の意味と心を知った。
そんな今のシーラおばあちゃんだからこそできる。相手のすべてを全否定するタイプの復讐。
ここまで、老姫が滅びていた期間の話をしたことには、そんな壮絶な意味があったのか。
怖い。
齢十何歳の若僧の僕から見たらマジで怖い。
「さあ、これで長い話は終わりよ。ここで今度こそアナタの無意味な人生に終止符を打つとしましょう。そんなに何度も復活されては煩わしくて仕方ないわ。ここで今度こそ、二度とその骸骨顔を見ないで済むよう徹底消滅させるとしましょう」
『ぐぬぅ……!?』
「わかるわよ、アナタが復活してからやたらと迂遠な方法で人魚国を脅かしてきた理由。ノーライフキングたるアナタならチマチマ搦め手を使わずとも正面から叩き潰せばいい。なのにそうしなかった理由は?」
答え。
シーラおばあちゃんが怖かったから。
ガチビビりしたから。
「アタシと直接ぶつかりたくなかったんでしょう? アタシにかかればアンタなんて一瞬で消し去れることは既に証明済みだものね」
シーラおばあちゃんに見つかれば確実に入ると死ぬ。だからこそ老姫は徹底して表に出ず、ある時はモンスターの陰に隠れ、またある時は地方の無関係な人々を巻き込んで、黒幕に徹してきた。
すべてはシーラおばあちゃんを“死”と同義化している老姫の、恐れからくる逃避行動だった。
「哀れなプライドね。そんなにアタシを恐れるなら復活したと同時に世界の果てにでも逃げて、そこで静かに怯え暮らしていればよかったのよ。それなのにアタシへの報復へ駆り立てた理由は何かしら? 不死王としてのプライド? そんなくだらないもののためにアナタは今度こそ消滅することになる」
『くぅ……、ふぬぅ……!?』
「薄々アナタだってことは察していたのよ。ここ最近の異常は人魚国……もしくは人魚王族に敵意を向けたものだってことはわかるし、何よりアナタの身体から漂ってくる死臭。隠れていても誤魔化しようがないわよ」
だからこそシーラおばあちゃんはここに現れた。
長年の決着をつけるために。
「ウチの子には、モノ作りに得意な子もいてね。その子に作ってもらったの。使用対象の身を守りながら周囲を探知できる魔法薬をね。それを事前にエンゼルちゃんに振りかけておいたわ」
「ええ!? そうなの!?」
知らない事実が浮かび上がって困惑するエンゼルおばさん。
「老姫が現れるとしたら反乱勢力との折衝で最前線に立つエンゼルちゃんでしょうからね。身の守りも兼ねてだったけれど、エンゼルちゃんももう大人だし余計な気遣いだったかしら?」
実際エンゼルおばさんは、老姫の精神支配を受けた人々に捕虜とされながらも口八丁で生き延びていたんだからな。
「もちろんよ! このタフネゴシエーター・エンゼルはちょっとやそっとじゃへこたれないのよ!」
「その通りね、アナタも立派に育ってママ嬉しいわ」
エンゼルおばさんには慈母の眼差しを。老姫には屠殺場のブタを見る視線を向けるシーラおばあちゃん。
「セコい搦め手がいくつも失敗に終わって、アナタも焦れてくる頃だと思っていたわ。案の定、無理な強硬策を押し出し、それすら失敗してアナタは表に出てきた。ハッキリ言ってあげましょうか、アナタは釣られたのよ」
『何ぃッ!?』
「飢えた魚のようにね」
変化は俄かに起こった。
ノーライフキングの老姫の周りに、泡が発生し始めた。
『ぎゃああああああああああああッ!? これはッ!?』
恐慌し、慌てふためく老姫。
違う。老姫の回りに泡が発生していると思ったが違う。
老姫そのものが泡と化しているのだ。
「The flowing river never stops and yet the water never stays the same. Foam floats upon the pools, scattering, re-forming, never lingering long. So it is with man and all his dwelling places here on earth.……」
軽やかなリズムで歌を口ずさむシーラおばあちゃん。
その歌声は神秘的でありながら、どこか冷たい。
「覚えがあるでしょう? かつてアナタを消滅させた泡沫の聖唱魔法よ。細胞一つ一つが泡になって消える恐怖を再び味わうために甦ってくるなんて。奇特な人ね」
『うぎゃあああああああああッッ!! 嫌じゃ! 消える! 消える消える!? このわらわが! ノーライフキングとなり永遠の生を得たわらわが何故また消えねばならぬのじゃ! 理不尽じゃ! 不条理じゃああああああッ!?』
叫びつつも老姫は、手足の先から泡と化して少しずつ消えていく。
その様子は、いつだったか父さんが『バ○作ったぞ、○ブー』と言って湯船に投げ込んだラムネみたいな固形物を連想させた。
「理不尽なのは、アナタの行いでしょう? 一度死んで反省できなかったのならもう一度死んでみることね。何度でも死の恐怖と苦痛を味わうことができる。それがアナタがアンデッド化した意味かしら?」
『嫌ぁああああああッ!? わ、わらわは聖唱魔法を極め、人魚族一の賢人として頂点に立つために……! なのになんで……! なんでわらわはぁああああああッッ!?』
身体の泡化は、思った以上のスピードで進み、気づいた時には老姫の手足はすべて泡となって消滅していた。
……いや老姫は元々人魚だから足じゃなくて尾びれなんだが。
まあ、どっちでも消え去ったら同じか。
「そう同じ、かつて聖唱魔法を会得したばかりのアタシがアナタを消し去った時と。何度甦ろうとも結果は同じね」
『グ……ハハ、そうじゃのう。何度繰り返そうと同じじゃ。わらわは消滅しようと甦る、一度目がそうであったように。今ここでこの身すべてが泡と消えても、この大海に満ちるマナを糧として、何度でもわらわは復活する! それこそ世界が消滅せぬ限りはな!』
胴体までもが泡と消え、残り頭部だけとなっても狂気じみた勝鬨を上げる老姫。
『そしてまた報復の殺戮を行おうぞ! 今度復活する時にはお前も寿命で死に絶えておるやもの! その時こそわらわの天下! お前の遺し育んだものをすべて磨り潰し、絶やしてくれよう! その最期を想像し、絶望しながら天寿を全うするがいい』
「そうさせないために、準備はしてあるわ」
老姫、最後の悪あがきにもひるまず、シーラおばあちゃんは言い返す。
「言ったでしょう、アナタの暗躍に薄々感づいていたって。だからアタシは今日を決着とするために準備を整えおいた。もう二度とアナタを復活させないために」
『なん……じゃと……!?』
「かつてのアタシと今のアタシで決定的に違うところ、それは喜び苦しみを分かち合う人々がいるということよ。アナタを永遠に封じて身動きできなくする方法を、既にある知人から授かっている」
『バカな……バカな……!』
「同じノーライフキングでも、話せる相手はいるものね。アナタとは気高さが違うわ」
絶望の表情をまといながら、髑髏までもが泡に消えていった。







