1379 ジュニアの冒険:兄弟の喫茶店
いや何とも恥ずかしい。
いたたまれなくなって駆け出したはいいが危うく無銭飲食になりかけるとは。
僕にしては迂闊な行動だった。
「いや、ホント勘弁してくれよ。聖者様のご子息をお上に突き出したくないからな」
さすがにグレイシルバさんも憔悴の表情だった。
「大体なんで兄貴が傷つくんだよ。お前に傷つく資格はねえ」
弟が滅茶苦茶言ってくる。
いくら何でも言い過ぎではあるまいか。
僕だってショックを受けることもあれば慰めてほしいこともあるよ。
「ブラックコーヒーを飲めれば大人という考え自体が子どもなんだよ。まあたしかに、人間の味覚ってのは年取るほど衰えて苦味みたいな刺激に耐えやすくなるって言うけどさ」
「そういう意味では大人向けの味なのだろうな……」
ちょっとした豆知識を披露するな弟。
というかお前はどうしてそんなにコーヒーが得意なんだ?
「どうしてと言われても、自然にそうなっていたというか……」
返答も大人っぽい!
弟のくせに!
「レタスおばちゃんやオフクロから依頼された研究が大変でさあ。疲れた頭をサッパリさせるのにコーヒーはマジで効くんだよなあ。そしてさらなる刺激を求めるうちにエスプレッソまで……、ああ効く」
と言って二杯目を呷るノリト。
「その若さでカフェインに頼るのマジでやめとけ」
グレイシルバさんも満面に心配そうだった。
そうか……確かコイツレタスレートおばさんに出資してもらって何か研究してるんだって?
それでおばさんとこの会社の生産量爆上げしてるって言うんだから大したものだなあ。
さらに母さんとも何か契約しているのか?
「それにオレはブラックばっかり飲んでるわけじゃないぞ。こうやってなあ……」
と砂糖壺を引き寄せると、蓋をカパッと開けて中身の砂糖をすくいとる。
そしてエスプレッソの小さなカップに投入。
一杯、二杯、三杯、四杯……!
「いええええええッ!? ちょっとちょっと!?」
「いいんだよ、エスプレッソは本来そういう風に飲むんだから」
そして砂糖でドロドロになったエルプレッソを一気に呷る。
ちなみにこれで三杯目。
「あぁ~ッ、効く! カフェインと糖分のダブルパンチで死にかけてた脳細胞が活性化する……!」
くッ、これはこれでノリトの方がコーヒー通な感じがして敗北感がッ。
で、でもお前何でグレイシルバさんのお店に来てるんだよ?
お前の活動拠点って、あのウェーゴアジトだろう? 農場国の一角の?
しこたま離れてるのにわざわざ来る必要性なくない!?
農場国にも初のスタシャができたというのに!?
「スタシャダメだー。皆珍しがって連日満員なんだから、アレは半年先まで落ち着かないぞ、きっと」
そ、そうなんだ……!?
「それにオレ、スタシャ独特の呪文詠唱みたいな注文できねえし。キャラメルソースヘーゼルダークサンダーロイヤルホイップコーヒージェリーアンドフェアリーバニラクリムゾンエクスティンクトドラグナーオレとか一息で言えるか!」
言えてるじゃねーか。
「それはそうとグレイシルバさんの店に通ってる理由だけど、当然ここのコーヒーが美味いからさ!」
美味い!?
それってお店によってコーヒーの味が違うってこと!?
「そうだよ、むしろなんでみんな一緒だと思うんだ?」
「コーヒーは豆の品種だったり生産地だったりで微妙な味の違いがある。さらにそれぞれの特徴を見極めて違う種類の豆をブレンドしたりで無限の味を引き出せるのさ」
「豆の種類だけじゃねえぞ。コーヒー豆はローストすることで初めてあのイメージ通りの黒褐色になるんだが、その焙煎具合でもコーヒーの味は随分変わる。深煎り浅煎り、とな。それに加えて豆を粉に引く作業、抽出、それらの過程でもコーヒーの味は変わるし、損なわれもする」
「そうよなあ、そこでどれだけコーヒーの風味を損なわずにお湯へ溶かし出せるか……。それもマスターの腕の見せどころだなあ」
「その点グレイシルバさんは一点の狂いもない測量、計測で。いかなる過程でもコーヒーの味を損なわない。その時々の気候や人々の趣向も考慮して、時流に見合ったコーヒーの味をクリエイトすることもできる。ここ十年、まったく人気を落とさなかった名店のマスターならではよな」
「よせよ……褒めたってお代はいただくぜ」
グレイシルバさんのお店って、そんなに凄かったのか。
そりゃ予約しなきゃ入れないわけだ。
しかも、その辺りを正確に分析把握しているノリト。
まるでコーヒー通のような口ぶりじゃないか!
僕が大人の飲み物だー、と言ってブラックコーヒーに挑戦していた時、弟はさらなる高みにたってコーヒーの微妙な味の違いに着目していた。
こんなに悔しいことがあるだろうか! くそう!
「だから走り去るな! 食い逃げ!」
何とか落ち着きを取り戻しました……。
「もう兄貴と一緒じゃ落ち着いてコーヒーも飲めねえ。アンタが食い逃げチャレンジ成功してもオレは払わねえからな」
そんなチャレンジしないよ!
何度も駆けだしているのは、こう……、いかんともしがたい若き衝動に突き動かされて、だよ!
「だから何だ! 若さを理由にすれば何でも許されると思うなよ!」
コイツこそ若さに押されて秘密組織まで結成しているのに……!?
「フッ……聖者様のところの若君は、二人とも健やかに成長しているようで」
「これ見てそう思う!?」
グレイシルバさんが優しげに笑う。
「なぁご兄弟。そんなに成長の機会が欲しいんだったら、オレの方から提供してやれるが、どうする?」
え?
一体なんのお誘いです?
「元から聖者様には頼まれていてな。お前さんらがウチに来たら、コーヒーの味だけじゃなく別のことも勉強させてやってくれとな」
「なんかきな臭い流れになってきたじゃないか……。別のことって、ここでコーヒーの味の他に何を学べるんだい?」
わかった!
クリームソーダの味かな!?
「兄貴は黙ってろ」
冷たいぞ弟よ!
「実はオレはな、喫茶店のマスターの他に副業を持っている。いわゆる裏の顔ってヤツだな」
裏の顔?
いよいよただならぬ感じになってきたが。
「オレに何か頼みごとを慕いヤツは、まずは喫茶店の客としてやってくる。そしてあるコーヒーを注文するのさ……、この……」
クァンタムロイヤルスペシャルブレンド。
見るからに高そう。
「ゲッ、普通のコーヒーの三倍するじゃん値段。よくこんなの頼むな」
「だからこそサインとして使いやすい。表の意味に秘められた裏の意味としてな」
裏の意味。
それはどういう……?
「よく見てみな、クァンタム、ロイヤル、スペシャル、これら頭文字は……?」
ん?
く、ろ、す?
クロス!
十字?
「違う! Quantum、royal、special。……QRS?」
「そう、アルファベットそのままの並び、それが意味するところは……特にない!」
ないのかよ!?
何だったんだこの時間!?
「はっはっは、おじさんの小粋なトークで緊張はほぐれたかな? ダメだぞお前たちみたいな若者が眉間に皺を寄せてちゃ」
はッ、これはもしや……?
僕ら双方、グレイシルバさんにからかわれていた!?
裏の仕事なんてなかったんや!
くそう、いたいけな若者を騙しやがって!
「いや、裏の仕事があるのは本当だが」
「「あるのかいッ!?」」
何なの、このオジサン!?
若者を振り回して遊ぶのはやめてください!
「そうカリカリするなよ。お前たちにもいい経験になると思うぜ。人の集団を一番根元で支える部分がどういうものかってことが、実地でわかるだろう」






