126 働く王女様
こうして滅びた人間国の王女、レタスレートちゃんの農場生活が始まった。
無論王女様だからと言って、働かずに食っちゃ寝する生活を許すつもりはない。
そんなのヴィールだけで充分だ。
そこで王女様にも何かしらの作業を受け持ってもらうことになったのだが、予想の範疇というべきか、生まれてこの方スプーンより重いものを持ったことのない労働未経験者。
なるだけ簡単な作業からやらせてみようと、畑の草むしりや作物の健康チェックをさせてみることに。
担当者のゴブ吉に引き合わせたが、ゴブリンである彼らの容姿を見て「ヒッ、モンスター!?」と怖がる王女。
キモいので配置換えしてくれと訴えて、またプラティに殴られていた。
「……プラティは、彼女に対して特別厳しいねえ」
畑で働く王女を見守りつつ、俺とプラティは会話中。
王女は、到着時のドレスから生地の厚い作業着に着替えて農作業に従事中。
その作業態度は意外にも良好で、ゴブリンたちからの説明を熱心に聞いて、葉っぱに虫がついていないか真剣に見分けている。
お世辞にも手早い作業とは言えないが、ゆっくり時間を掛けながら着実に進めている。
「王女様って言われているのが皆あんな風に偉ぶってるとか思われたら堪らないもの。そりゃ徹底的にやるわよ」
そう言えばプラティだって人魚国の王女様だった。
祖国に戻ればそれ相応にチヤホヤされるんだろうけれど、プラティ本人が気さくで有能だから全然そんなの想像できない。
「ああいう子のガッチガチに固まったプライドは物理的に粉砕しないと、そこを越えて進めないのよ。妹がそうだったからよくやったわ」
「ん?」
今不穏な発言が……?
まあ、いいか。
「たしかにプラティが力ずくで行ってくれなかったら、ここまでスムーズに打ち解けられなかったのかもなあ」
王女の立場とか当人のプライドが邪魔して、腫れ物扱いが長期間続いていたかも。
でも今の王女……、もといレタスレートちゃんはなんということでしょう。
ゴブリンたちに尊敬の眼差しすら向けています。
ゴブリンたちの農業知識と畑仕事の手際よさに対して。
「一緒に生活するなら打ち解けた方がいいんじゃない? これからの情勢でどうなるかわからないけど。せめてここにいる間は心安らかに過ごさせてあげようじゃないの」
結局、レタスレートちゃんは日暮れまで一度も音を上げることなく働いて、初仕事としてはそれなりに根性を見せた。
もっとも仕事終わりの頃には精魂使い果たして地面に倒れ込んでいたが。
「おつかれー」
農場を代表して主の俺が、労いに参上。
「一日よく頑張ったね。これでも飲んで元気だしな」
と一杯のミルクを差し出す。
今では、ここでの一日の締めに欠かせないサテュロスミルクだ。
レタスレートちゃんも喉が渇いていたのか、ひったくるようにミルクを受け取るとゴクゴク喉を鳴らして一気飲みした。
「……美味しい。何このミルク? 王宮で飲んだものより断然おいしいんだけど?」
ちなみにサテュロスの山羊乳は世界屈指の高級品らしく、この世界の酪農で生産された牛乳など比べ物にならないらしい。
人間国の王宮といえども、供される食の品質は一般とそう変わらないとどこかで聞いた。
「疲れた時に食べる物は何でも美味しいというけど、こういうことだったのね! 下々の暮らしにも多少学ぶことがあるようだわ」
「…………」
俺は左右を向いて、耳に届く範囲にプラティがいないことを確認した。
今のは彼女に聞かれたら確実にぶん殴られる発言だから。
迂闊に口が滑る癖は率先して直していってほしい。
「基本的にはここでの生活に馴染んでくれたようで助かるよ。魔王さんから頼まれた責任もあるしね」
「……そのことだけど、一体ここって何なの?」
凄く基本的なことを今さら聞かれた。
「魔族からは『安全な場所に移す』って言われただけで詳しいことは何も。私自身、虜囚の身で多く教えて貰えないことはわかるけど。魔族の支配地にしては魔族いないし、でもモンスターはたくさんいるし、わけわからないわ」
真っ当な感性で見たらそうなるだろうなあ。
「キミの安全のためにも知らない方がいい」
「そう言われるだろうと思ったわ。安心して。私も余計なことは聞かないし、ここから逃げ出そうとも思わない。働けと言うなら働くわ。それが今の立場だもの」
「意外と素直なんだな……」
初対面のアレッぷりから、王女様でもダメな系統の王女様かと思いきや。
「意外? そうかもね。私は国を奪われ、自由を奪われたわ。自暴自棄になってみずから死を選んだとしても不思議じゃない。でも私は生きる! 何が何でも生きる!! 何故かわかる?」
「さ、さあ……?」
「希望があるからよ! 今日を耐えて生き抜けば、明日には希望があるかもしれない! 失ったすべてを取り戻せる! だから私は頑張れるの!」
「お、おう……!?」
何やら穏やかじゃないな。
失ったすべてを取り戻せるとは、一体?
「……アナタ、優しそうだから特別に教えてあげるわ。私の中にある希望……、それは救世主よ!」
「救世主?」
「その名も聖者キダン!!」
…………。
あっ。
思い出した。
それ俺だ。
聖者キダンって俺のことだ。
異世界に来て名前を変えたのはいいけど、呼ばれる機会が少ないから気を抜くとすぐ忘れてしまう。
農場の皆は「旦那様」とか「ご主人様」とか「我が君」とか敬称で呼んでくるし。
……で、俺が何?
「聖者キダンと言われてもアナタのような田舎者じゃあ心当たりがないわよね?」
「あっ、ハイ」
「だから一から教えてあげるわ。事の始まりは、人族と魔族の戦場にドラゴンが飛来してきたことよ」
それ凄く思い当たる節がある。
ヴィールだろ?
あのドラゴンご乱行が回り回って……!
「そのドラゴンは、みずからを『聖者キダンの下僕』と名乗ったそうよ。ドラゴンすら従える聖者! そんな者が人間国に従えば、魔族など一掃できると、お父様は国中に聖者キダンを探す捜索隊を放ったの!」
「…………」
「でも魔族は、想像以上に迅速に事を進め、我が国は攻め滅ぼされてしまった……。聖者発見は間に合わなかった……。でも、聖者捜索隊の者たちは難を逃れ、今でも捜索を続けているはず!!」
「…………!」
「聖者キダンが、この人族の危機を知れば、必ずや立ち上がり魔族たちを駆逐してくれるわ! そして私をここから助け出し、再び王宮に戻してくれるでしょう!」
…………。
う~ん……!!
「で、でもさ……!」
とりあえず何か言っとかなきゃ、と思って口を挟む。
「聖者キダン? とやらが実在したとして、そう簡単に人族の味方をしてくれるものかな? その人がどういうスタンスなのかまったく知らないんでしょう?」
「何を言っているの? 聖者様は人族の味方に決まっているわ?」
「何故そんな言い切るの!?」
「聖者だからよ! 聖なる者と書いて聖者! 神聖な御方が人族を助けるのは当然のことじゃない!!」
……。
俺、心の中で決めました。
以後、彼女の前で俺のことを『聖者キダン』と呼ぶのは禁止。
彼女が寝ている間に、農場の全住民に周知させて徹底しよう。
「聖者様が助けに来られるまで、私はこの流刑の地で耐え抜いてみせます! 雑草取りでも害虫潰しでも、何でも成し遂げて見せるわ! 生きねば!!」