124 憂いの種
こうして冥神ハデスへの報告も終わり、魔王ゼダンさんの地上征服は完遂を得たと言っていい。
「大変なのはここからだ」
しかし魔王さんは毛ほども油断していなかった。
殊勝なことしか言えんのか、この魔王。
「征服は入り口に過ぎん。攻め落とし、支配下に組み込んだ民たちを、いかにして無理なく幸わえさせるか。そこに支配者の真価が問われる。魔王の本当の仕事はここからだ」
隙のない魔王って、ある意味最高のチートなんじゃないかな。
レベル一の勇者相手でも絶対舐めプしなさそう。
「実際、ここからが本当に大変だと思われます」
魔王妃として右脇に控えるアスタレスさんが言った。
「何よりこれから新たに治めていくのは人族。今まで支配してきた魔族とは別の種なのですから、それだけでも様々な困難が予想されます」
「旧体制である人間国も、まだ完全に崩壊しきったわけではないからな。小さくとも放置しておくわけにはいかない問題が、いくつも燻っている」
同じく魔王妃として左脇に控えるグラシャラさんが言った。
「おい……、聖者殿の前であまり政治向きの話は……!」
魔王さんが窘めるように言うけれど。
「でも王様が投降したんだから、人間の国は完全になくなったんじゃないの?」
俺が食いついてしまったので、どうしようもない。
「それがそうもならないのです。人間国には、王家の他にもう一つ、国家機構を支える重要なファクターがあるので」
「教団だ」
教団は、三界神の一角、天神ゼウスを主神として崇める教団で、いわば人族の第一宗派ということらしい。
この世界では、各種族は自分たちを生み出した神を強く崇拝しているので、その神を奉じる宗教団体も自然強い影響力を持つ。
特に人族の教会は、それ自体が独自の組織体をもって教団と言っていい実態を持っている。
王都から離れたところに本部を築き、そこが繁栄して第二首都化し、国政にも大きく絡んで自分の意向を通し、巨万の利益を得ていたらしい。
「教団の連中は、天神ゼウスより与えられた法術魔法を一括管理して、その恩恵も独占していたようだから、教団の存在は重要だ。ある意味王家と勝るとも劣らぬほどに」
「王家だけでなく、教団も完全に潰さなければ人族制圧は真の完成を見ません」
とアスタレスさん。
「アタシたちは王家だけでなく、教団のトップに対しても投降勧告を行った。その結果王の方は素直に下ってくれたけど、教団の偉い連中……、教主や枢機卿たちは……」
とグラシャラさん。
まさか……。
「逃げたのだ、一目散に」
以後、教団トップの行方は杳として知れないらしい。
「我々も全力を挙げているが、やはり慣れない侵略地で捜索は難航している」
「『従わなければ一般市民を含め人族を皆殺しにする』と脅しをかけたのに、一瞬の躊躇もなしだ。まさか本当に虐殺するわけにもいかず、脅しが脅しとバレてしまった」
本当に殺さない辺りが優しい……。
「というわけで、旧人間国の占領体制にはいまだ不安要素が残った状態にある。まだ気を抜くことができず、そうそう気軽に聖者殿の元を訪問できないが……」
「いやいやお気になさらず」
仕事が大変な時は仕事を優先してください。
それが一番大事。
「実を言うと……、残っている問題はそれだけではなく……!」
「?」
なんか話が変な方向に向かいだした。
しかもそこはかとなくキナ臭い感じがし出してくる。
「投降した王家サイドの方なのですが、無論というべきでしょうが、捕えたのは国家の長、王だけではありません」
何やら言いづらそうな魔王さんを差し置き、アスタレスさんが続ける。
「王の兄弟や子ども、それら全部をひっくるめて王族です。それらすべてを捕えなければ意味はありません」
「そりゃたしかに……」
特に王子様なんかは、王の正統な後継者だからな。
王様を殺しても、たとえば逃れた王子がどこかで「今度は俺が王になる!!」などと宣言したら元の木阿弥だ。
「幸い我々は、王の親族全員を速やかに拘束できました。ですが、その扱いをどうするか、が問題になっていまして……」
「問題?」
「魔王軍上層部では、『王族悉く処刑せよ』という意見が大勢です」
「ああ……」
それは、まあ、当然だろうな……。
当然じゃないとしても。
「ですが肝心の魔王様が、気が進まぬご様子で……」
「我は、できるだけ流血を避けたいのだ。何より人族の王があそこまで潔くみずからを決した以上、彼の国にこれ以上の苦痛を強いたくないのだ」
「……と、会議でゴリ押しされまして。結局、齢九十歳でまだまだ矍鑠としている国王の父親兼先代国王。王の弟妹その妻子などひっくるめて魔国領内に配流することになりました」
「手が届かないところに置いておけば安心だろう」
「ただ、それでも安心できない人物が一人だけおりまして……」
いよいよ本当にキナ臭くなってきた。
面倒事に発展するのはわかっていても、続きを促さないわけにはいかないんだよなあ……!
「……その人物とは?」
「王女です」
王女様ですか。
アスタレスさんは淡々と続ける。
「現在確認されている時点で、国王の子女は御年十七歳になるレタスレート王女ただ一人だけです。人間国は男系で女に王位継承権がありませんから、ゆくゆくは彼女の夫が次の王になる、という予定だったそうです」
「その予定が、今の状況において大きな意味を持ってしまった……!」
魔王さんが弱り切った声で言う。
「人族の中で、野心ある者が魔族から国を奪おうとするなら、王女は格好の口実になりますからね」
「王女を奪って結婚すれば、誰でも正統な王を名乗れるわけか……!」
「王族の中でも飛びきり危険ということで、他は助命しても王女だけは処分を……、という意見が大勢を占めました」
アスタレスさんやグラシャラさんも、魔王妃として王族助命の件は魔王さんに賛同したらしいのだが、さすがに王女様のことまで同調できなかったとのこと。
「それだけ魔族にとって、人族王女は危険な存在なのです」
「魔王様が優しいのはわかるが、魔族の安全より優先される問題はあっちゃいけねえ」
魔王妃二人の主張は実に真っ当で、魔王さんも反論できないからこそ弱り切っているのだろう。
「我は、人族の王と約束したのだ……!」
苦汁を滲ませて、魔王さんは言った。
「彼の命と引き換えに、人族全員の安全を保障すると。それには彼の家族も含まれる。特に自分の娘を殺されるなど、親にとってそれに勝る苦痛があろうか……!?」
「いや、それでも……!」
それは王様一家に生まれた運命というか……。
「アスタレスが……!」
「?」
「既に我が子を身籠っている。夏か秋ごろの出産になるとのことだ」
おお!
そうなんですか、おめでとうございます!!
「我も親になるからこそ、なおさらわかるのだ……! 子を傷つけられる親の苦しみが! 見事な覚悟を示した王に鞭打つ真似は出来ぬし、我自身、そんなことをしたくない。どうしたものかと方法を模索していたのだが……!」
…………。
仕方ないな。
魔王さんの言いたいことはわかった。というより頼みたいことか。
彼は奥ゆかしくてなかなか言い出せないから、こっちから切り出すことにしよう。
「わかりました」
俺は言った。
「その王女様、ウチの農場で預かりましょう」