1214 積み重ねたものを詰め込む
オレはグレイシルバ。
喫茶店のしがないマスターだ。
しかしここ最近何故か前職のことを思い出す。
前職というのは傭兵だ。
金で雇われて戦争するのが仕事。
懐かしむようないい思い出などあるべくもないが、それでも時折ふと思い出すこともあるから不思議だ。
そういう時は、漫然とあの反吐が出るような日々が甦るのではなく、ひとつのスポットの当たった部分が思い出される。
遠い昔のある日、拾い上げたガキのことだ。
名前は……マー、なんだったかな?
固有名詞を思い出せないのは脳の老化だろうか?
しかし出来事というか、エピソードは明確に覚えているから始末が悪い。
そのガキは、こともあろうにオレから財布を盗み取ろうとしやがった。
典型的な浮浪児だな。
親元から棄てられたか、あるいは自分から逃げ出したか。
そうしたガキはある程度の都会に出て、子どもでもできる仕事をするかさもなくば手を汚すしかない。
そのガキは後者を選んだようだ。
真面目に勤める忍耐力を持ち合わせていなかったんだろう。
オレは、そのガキに語り掛けた。
『このままじゃ腐れ外道の重罪人になるか、その前に縛り首になるかだ』と。
実際にオレはそう言ったヤツを何人も見てきたからな。
どちらのケースも数多く見てきた。
人間の性根っていうものは年齢が二桁になる前にある程度か溜まるもの。
それ以降に人格を形成しなおすとなれば並大抵のことではない。
人間が、人間としていっぱしの理性を備えるか、あるいは獣となって人の社会で害悪を尽くすかは生まれてから十年にかかっている。
それは、オレが傭兵として十数年重ねた経験から導き出した結論だった。
その日捕まえたスリのガキは、見たところ十歳は越えているようだった。
それでも十五には達していないようだったが。
しかし歯茎を剥き出しにして拘束から逃れようとする様は猿そのもの。
とても人間であるとは思えなかった。
オレは、人の皮をかぶった猿に出遭ったなら躊躇なく斬ることを自分に定めていた。
先も言った通り、一度定まった人の本質は簡単には改まらない。
更生を期待して情をかけても裏切られることのなんと多いことか。
だから人に戻ることのできない獣は、早々に見切りをつけて処分するに限る。
ここで解放して、後日別のところで知らない人が被害に遭うよりはずっといい。
このガキはどうかと覗き込んでみたが、何とも判断が難しかった。
眉間にしわ寄せ威嚇する表情はたしかに獣であったが、その奥にある瞳には何やら悲しみの色が見え隠れしていた。
あんな世の中だ、子どもでも心の奥底に悲しみを背負うこともある。
オレは一瞬迷ったが、その迷いを無下にはしないことにした。
迷ったまま決断を下すのは後悔の下。
そして語ったのが先のセリフというわけだ。
オレは、小僧をみずからの傭兵団に加えた。
自分の配下に置けば、決定的に間違いを犯しそうになった時にすぐ処分することができる。
つまりは決定保留ということだった。
オレもその当時、独立して傭兵団を立ち上げたばかりだったから人手はいくらでも欲しかったが。
結局は同じようなことを何度か繰り返して数人のガキを団に引き入れた。
それから数年。
あの日雇い入れたガキどもはそれぞれ多様な成長を見せた。
実力を蓄えて重要な立場を任される者もいれば、随分前に姿を消した者もいる。
その中でももっとも頭角を現したのはやはりマー……ダメだ、思い出せん。
意外にもアイツは覚えがよく、さらには機会を嗅ぎ分け走り出すのも早いために成果を出すことが多かった。
オレの率いる傭兵団が大きくなってからは何人かいる部隊長の一人に任ぜられ、ここぞという時の任務で使うことが多かった。
過ぎた年月の分だけ打ち解けるようになったが、その間にアイツの生い立ちも聞き出せた。
なんでも人間国の寒村の生まれで、親元から逃げ出し都会へとやってきたらしい。
ここまでならばよくある話だが、そこから先が振るっていた。
アイツが家出した動機だ。
なんでも幼馴染の幼女が女衒に連れていかれ、それを取り返すために追って行ったという。
十歳に満たぬうちから王子様の真似事とは、振るった男だなと思った。
しかしガキ程度ができることなどあるはずもなく、都会に出ても幼馴染の売られた店も突き止められない。
自分自身も生き残ることに精いっぱいで、コソ泥に堕ちる日々だったという。
あの日、獣の瞳の奥に見え隠れしていた悲しみの正体がわかった気がした。
しかしオレの傭兵団で頭角を現した時期は、余裕も出来ただろうしアイツ自身も実力を伴っている。
幼馴染探しを再開しないのか? と尋ねたところアイツは力ない苦笑を漏らし……。
――『アイツも生きていれば娼婦としてしっかり身を立てているでしょうから。今更オレが現れたところで困るだけでしょう』
アイツもアイツで現実を受け入れてしまったようだった。
それも仕方ない。
生きていく上で、妥協はどこかで必ず必要となる。
そこからさらに時が流れ、戦争は終わった。
傭兵団も解散だ。
活躍の場を失った傭兵が次に食い扶持を求めるとすれば、その手段は野盗。
せっかく戻ってきた平和を乱すわけにはいかないと、オレも可能な限りの手を打って、自団の傭兵たちに次の職場を世話してやった。
その代償として魔王軍占領府に大きな借りができて、裏で暗躍する仕事を引き受けざるを得なくなったが。
最終的には知ってしまった多くの秘密を抱えて墓穴に押し込められると思ったが、意表をついて今、よりにもよって魔都の片隅で喫茶店のマスターなどをやらせてもらっている。
傭兵だった頃など忘れそうなほど穏やかな日々だが、それなのにアイツの顔を思い出してしまった。
アイツも今頃何をしているのだろうか。
まあ戦乱の時代を傭兵として生き延びた男だから、どんな目に遭っていようとそう簡単には死ぬまい。
どこでだって生き抜いていけるのが傭兵の強さだ。
そして生きていればどこかで会うこともあろう。ひょっとして客としてこの喫茶店を訪れることもあるかもしれない。
そんな日が来ることを夢想しつつ、オレはコーヒーカップを磨いて開店準備を進めるのだった。
* * *
しかしやってくる客はしょっぱいもので、今日もシャクスの旦那だ。
「よく見てください、実によい出来なのですよ……!」
そう言ってシャクスの旦那は何を持ってきた?
コーヒーカップ?
それならウチの棚に腐るほど並んでいるんだが?
「それがそんじょそこらのカップとは違うのです! なんとこれは農場からもたらされた最新作なのですよ!!」
農場?
だったらエルフの拵えたカップってことですかい?
そんなのいいお値段すぎてウチじゃ手が届きませんよ。
「いやいや! それが意外とお手頃価格! その理由はエルフ作品ではなく、人族の手によるものなのです! 農場国の噂は聞き及びでしょう! 何やらそちらの開拓者が手掛けたものとか!」
……。
ほう。
「もちろん素人の作ゆえ大半は売り物になりませんが、その中でもある特定の一人が手掛けたものだけが異彩を放ちまして。特別に我が紹介で預からせてもらったんです! いかがです? 何とも言えない凄味を感じませんか?」
と見せられたカップに、オレは懐かしさを感じてしまった。
とてもお客さんには出せない歪んだカップ。
しかしその歪みは、昔どこかで見たような、眉間にしわ寄せ威嚇する獣の表情を連想させた。
それでいてカップの奥底に潜んだ悲しい色、それと同時に、そこか満ち足りた雰囲気もカップの底には沈んでいる。
「……シャクスさん、このカップ一つ貰いましょう」
「お買い上げ、ありがとうございます!……え? でも一つだけですか? お店で使うなら数を揃えては?」
「冗談はよしてください。癖は強いがそれだけにお客さんの心をかき乱しそうなカップを、一服の安らぎを求める喫茶店で使えませんや」
「うぐッ!?」
痛いところを突かれたのか押し黙るシャクスの旦那。
「……で、では、何故一つだけの購入を? そうか、価値が出ると見越して投機的に……!?」
「そんな器用なマネ、オレにはできませんよ。この一つは……自分で使う用です」
コイツでコーヒーを淹れたら、旧知の友と久々に再会する気分になれそうなんでね。
……農場国の開拓者、人族側からは冒険者が多く投入されたと聞いた。
まあ、アイツがどんな数奇な人生を送っているかは知らんが、元気でやっているならそれ以上にいいことはない。






