1205 魔王の魔球
ワシは大魔王バアル。
皆からバカだと言われている。
どうしてバカ呼ばわりされているかと言うと、かつてワシが魔国を滅ぼしかけたボンクラ魔王だからだ。
でもさすがに『滅ぼしかけた』というのは大袈裟だと思う。
ワシ程度で滅ぼせるぐらいなら、過去に何回も滅ぼされておるわい。
愚かさで言えばワシよりも遥かに上の魔王は何人もいたのだから。
……いたよな?
歴代暗君の中では大分マシな方だと自分で思ってるんだが?
過去にはそれこそ人間国との戦争に敗退して領土の半分以上を奪われた魔王とか。
臣下を重用しすぎて国を乗っ取られた魔王とか。
極めつけには怪しげな儀式のために首都(当時)を崩壊させた魔王とか。
歴史に名を遺す大バカな魔王が何人もいたもので、それに比べればワシの愚かさなど小バカと評していいぐらいだろう。
具体的にどんな小バカなことをしたかと言うと、ワシは文化をこよなく愛して推奨したに過ぎない。
それは見方を変えれば英君の振る舞いに相応しい知性ある振る舞いとも言えよう。
芸術、文学、音楽、それらが大きく発展するように奨励し、大きく予算をつぎ込み、大々的に誉めそやした。
あちこちで開かれる美術展、コンクール、ステップの足音が響き渡るカーニバルに夜ごとの舞踏会。
本当に華やかで、今目を瞑ってもあの頃の景色が甦ってくる、極彩色の光を伴いながら。
しかしながら、それこそがワシのバカたる由縁だ。
そうした文化活動に注ぎ込まれる予算が国を圧迫し、ついに人間国との戦争を支えるための戦費にまで影響をし始めた。
これ以上文化費を増額したら戦費まで削らざるを得ない。さすれば我が軍は不利となって最悪負けるかもしれない。
そう当時の財務大臣から報告を受けたが信じていなかった。
我が軍は、それはもう数百年前から戦い続けて、人族に勝ち続けてきたのだから。
それでも完全勝利に至らないのは国境に張り巡らされた神聖障壁のせい。
あれさえなければ今頃魔族が人族を滅ぼしていただろうに。
それくらい強さを信じている魔王軍なのだから、多少金がないと言って負けるなどあるはずがない。
それよりも、そうした長年の戦乱で疲弊した心を癒すためにも益々文化を発展させ、臣民の活力へと変えよう。
その力が戦場にまで伝われば、勝利にも近づけるはずだ。
……と思っていたワシがバカだという。
我が目論見はある日、一朝にして崩れ去ることになった。
突如として起こったクーデターによって。
クーデターの首謀者は、数十人といる我が息子の一人ゼダンであった。
ワシは子宝に恵まれて、それはもうたくさんの息子や娘がいたので、『魔王子ゼダン様の御謀反です!!』などと報告されても『そんなヤツいたっけ?』となってしまった。
ワシの印象に残っている息子や娘は、それこそ数いる妃の中で賢く美しく、長く時を過ごした相手との間に生まれた子どもらだ。
今思えば、ゼダンの母親となった妃は特に印象の残らぬ面白みのない女だった。
ワシと対面してもニコリともせず、周囲の者たちが『新妃は真面目な御方なのですよ』とフォローしていたが、その日からワシの辞書に“真面目”とは『つまらない女のオブラートに包んだ呼び方』と記された。
当人に面白みはなかったが、身分は高かったので拒むわけにもいかず結局はゼダン一人を儲けてそれきりとなった
ゼダン自身も母親に似て“真面目な”性格に生まれたため、ワシと性格も合わず他の子どもたちほど注意を向けることもなかった。
謀反の知らせを受けた時は真っ先に、そうした扱いを不遇と受け取り、その報復のために剣を掲げたのかと思った。
しかし真相は違った。
ゼダンは、日々不利となる戦況に魔王軍を救わんがため、このワシを元凶とみなし排除を企てたのだった。
あとで聞いた話だがゼダンは我が息子たちの中で唯一戦場へと赴き、将兵を指揮して人族軍の侵攻をみずからの手で食い止めていたという。
魔都で文化発展に心を尽くしてきたワシとは正反対に。
そして民の人気や希望はひたすらゼダン一人に集中していった。
ワシもワシなりに国に尽くしてきたつもりであったが、その国に住む民が選んだのはゼダンの方であった。
その証拠に、当初は単なるテロ行為として鎮圧されるかと思われていたのが逆にどんどん反乱の規模が大きくなり、軍や内政府など魔国の重要な機関もゼダンの側についてクーデターを容認しだした。
民すらゼダンを歓迎し、ワシの魔王廃位を喜んで受け入れた。
中でももっともワシの心を粉砕したのは、長年我が右腕と頼りにし、もっとも信用してきた重臣ルキフ・フォカレまでもがゼダンに味方したということだ。
それどころかクーデターの計画立案から関わっていた中核メンバーであったらしい。
当時のワシは、裏切りを成し遂げたゼダンを大いに恨み、反逆の罪を詰ったが、それを遮るようにしてルキフ・フォカレが言った。
――『むしろゼダン王子は救ったのですぞ。アナタの命と、アナタの名誉を』
何を言っているのだあのバカは?
恩知らずめと罵ってやりたかったがルキフ・フォカレの発言の意味は、のちに身に染みて理解できる時が来た。
実はあの頃、魔国の財政は本当にひっ迫していて財政破綻寸前だったという。
魔王たるものが何で自国の財政状況を把握していないんだ、という話でもあるがワシは本当にマジで、文化のこと以外に興味を持っていなかった。
歴代魔王ならば先陣を切って魔王軍を率い、人族と戦うべきところを、ワシが戦場へ出たことなど通算でも数度。
だから戦局もわかるわけがなく、ゼダンが最前線まで赴いて人族の兵士と直接戦わねばならないほど魔王軍は押され気味だったらしい。
もしあの時、ゼダンが踏ん張ってくれていなければ戦線は瓦解し、魔国の奥深くまで人族軍は攻め込み多くの領土が切り取られてしまっていただろう。
その責任はもちろん魔王であったワシに降りかかり、ワシはクーデターで引きずり下ろされたよりもっと悲惨な形で魔王の座から退いていただろう。
かつて戦争で失敗し、魔国の領土を奪われた魔王がいたと言ったが、その魔王も責任を取るために退位。
それだけでは足りず、歴代魔王の墓前でみずから喉を裂いて、自決という形で罪を雪いだ。
ワシももう少しでそうなるところだったのだ。
退位後も大魔王の称号を名乗り、呑気に隠居暮らしができているのも、すべてはゼダンがいち早く処断を下してくれたおかげ。
さもなくばワシは、魔王退位と同時に命を失い、その上で“バカ”どころか“大うつけ”“暗愚”とあらゆる罵倒語と共に歴史に名を刻まれたことだろう。
ワシはゼダンによって命と名誉を救われた。
ゼダンの魔王としての才覚はワシを遥かに上回っている。
ワシを追い落としてみずから魔王となったゼダンは、その権力を余すことなく使って魔王軍を立て直し、不利だった戦局をあっという間に五分にまで戻した。
非常の手段によって王位に就いたため、臣下の統制には手間取ったものの硬軟あらゆる手立てを駆使して人事改革を果たした。
挙句にはあの執拗なる人間国を攻め落とし、魔族数百年の悲願であった終戦すらも果たし、「歴代最高の魔王」と呼ばれるまでになった。
ワシはゼダンを冷遇し、息子でありながら気に掛けることもなかった。
ワシには多くの息子や娘がおり、その幾人かにも惜しみなく愛情を注いできたつもりであったから、自分がゼダンに対してどれほど非情なことをしてきたか自覚している。
そんなワシを、ゼダンは必要あって排除はしたが必要最低限の処断だけにとどめ、ワシに大魔王の名誉と、老後を過ごすに問題ないだけの資産も許してくれた。
それもゼダンの性状である真面目さから来ているのであろう。本当であればワシの首を城下にさらして己が正義を示すこともできたであろうに。
真面目なゼダンは、道義を重んじる。
それゆえにワシは生かされているのだと日々自覚を忘れぬようにしなければ。
……んん? なんだ?
城から使いとは珍しい。
何ゼダンが?
ワシを招きたいとは珍しい。
さすがにクーデターで地位を追われた立場からすれば意地も張りたくなるものだが、向こうから歩み寄ってくるものを拒むわけにはいかぬ。
何しろワシは、あやつの情けによって生かされているようなものだからな。
さて、楽隠居の数少ない義務を果たしに行くとしようかの。
* * *
そうしてワシが向かった先に待っていたのは……。
まるで戦場に立つかのような覇気をまき散らすゼダンだった。
しかも場所は……いつぞや訪れた農場ではないか。
こんなところでゼダンは何を?
「父上……お待ちしておりました。御足労いただき感謝いたします」
お、おう……!?
なんでそんな声低く震えてんの?
「こちらから訪問すべきところを呼び出す無礼を犯したのは、どうしてもここでなければできぬことを果たすため」
できないことって、何?
「父上にこれを受けていただく」
ゼダン、手に何か持っているのを全力で振りかぶり……。
「魔王炎殺黒流弾!!」
なんかゼダンから放たれた漆黒の魔力があら方向へ飛び、その先にあった大岩を木っ端みじんに吹き飛ばしたんだけども?
何あれ?
必殺技?
「これぞ我が編み出せし最強の魔球! これを父上に受けていただき、我はキャッチボールの極意を掴む!!」
この宣言を聞いてワシは悟った。
いよいよワシ、ここでゼダンに殺されるんだなあ、と。
この日のためにワシを生かしておいたのか! 息子よ!?






