1190 魔道の任者
私の名はムシュムフ。
周囲の人たちからは敬意を込めてムッシュ・ムシュムフなどと呼ばれていたりいなかったり。
何故そうまで敬意を払われているかというと、私がその道五十年の経歴を誇る魔法研究の大御所であるからだ。
専攻は魔術魔法。
私自身が魔族であるので当然のことなのだが。
私は魔術魔法の進化と発展のために長い年月をつぎ込んできた。私が駆け出し当初は、人族との戦争真っ盛りの時期でもあったので、魔法の効率化高威力化は急務だった。
私の研究所は凄まじい活気でもって、日夜新しい魔法詠唱の開発に明け暮れていた。
詠唱は、魔術魔法の根源となる精霊もしくは神に捧げられる祈りの言葉だ。
それゆえ祈りの対象にしっかり敬意と礼節が表されるような内容を目指さねばならず、それでいて要請が伝わるように簡潔な文言でなくてはならない。
そのために我ら魔法研究者たちは『ああでもない、こうでもない』と文章をこねくり回し、神霊が気前よく力を貸し与えてくれるようにまとめるのだ。
その作業には細心の注意が求められる。
例えば神々への祈りの文言など特に繊細だ。
大地母神デメテルセポネなどは我ら魔族の祖神の妻でもあるし、もっとも頼る頻度の高い対象でもあるのだが、彼女への詠唱を紡ぐ際に絶対に盛り込んではならない一言がある。
彼女の夫ハデス神は、他の主神と比べれば遥かに高潔でほとんど浮気をしたことがないが、それでもまったくないわけではない。
その唯一といっていい浮気相手の名が“ミント”だったとかなんとか。
なので地母神デメテルセポネは“みんと”という言葉に過剰反応し、『~してみんと……』などという文脈を詠唱に盛り込んだが最後『は?』となる。
そうした神々によって独自のNGワードは存在しており、詠唱を紡ぐ際の注意点として伝わっている。
そうして例として挙げたデメテルセポネ女神ではあるが、これはまだNGワードの少ない方で、逆に天空神の妃ヘラなどは地雷の宝庫。
夫の浮気相手が多すぎて、詠唱を紡ぎあげんとすれば最低一つはどれかに当たる。
あまりの地雷原ぶりに『ヘラの力を借りる魔法は作れない』というのが不文律になっている。
まあ、そもそも魔族と敵対していた人族の祖神だから力なんか借りられないけれど。
ことほど左様に、凄まじいまでの面倒臭さと細心の注意で扱わなければならないのが魔術魔法なのだ。
しかしここ最近、この魔術魔法について不穏な空気が流れ始めた。
巷で無詠唱魔法なるものが流行りだしたという。
詠唱とは、力を借りる対象である神や精霊に、そのための願望や敬意を取り交ぜた必要不可欠なもの。
その詠唱を取り払うなど、家から大黒柱を抜き取るようなものではないか。
そんなふざけた話などあるわけがなく、何かの間違いだろうと最初は聞き流した。
私がいまだに窓研究所に引きこもっていたのも悪かったのだろう。
さらに数ヶ月が過ぎ、そうしてなお無詠唱魔法の話題が絶えないことにいよいよ不審さを感じた私は、本格的に研究所から出て調査を行った。
するとわかったのは悪夢のような現実。
本当に無詠唱魔法が大流行していたのだ。
流行の原因としては、詠唱を唱えずによくなって手間がなくなるのが快適なのだとか。
その意見は私自身もよくわかる。
戦争時代はいかにして詠唱を短く簡潔にまとめ、一秒でも早く魔法発動できるように腐心していたのだから。
戦場では一分一秒が生死を左右するので、もちろん我々とて研究を怠ることはなかった。
なんとか神霊の機嫌を損ねない範囲で、過分な装飾詞を削り、重複できる表現は極力圧縮して、戦場で一秒でも早く詠唱完了できるように努めてきた。
しかし戦争も終わり、火急を要する必要性もなくなったのに何故このタイミングで無詠唱魔法が流行りだすというのか?
私は、無詠唱魔法を提唱する大元を突き止め、直接抗議に乗り込んだ。
普通なら常識外れの迷惑行為であることは承知していたが、そうも言っていられない緊急事態でもある。
それほど詠唱=神霊への敬意と礼節……を取っ払うのは危険なことなのだ、専門家から言わせてもらえば。
問題の無詠唱魔法の提唱者は、意外に思えるほどの若々しい青年だった。
「オレ、また何かやっちゃいました?」
と何も気づいていない風に言ってきてイラッとした。
こんな若造が、魔都を丸ごと巻き込むほどの流行を引き起こしたというのか?
一種の天才ということなのか?
私は言葉を尽くして無詠唱魔法の危険性を説き、発案者として収束させるよう協力を願い出たが……。
「どうして? 無詠唱魔法のお陰で皆が喜んでくれるんだ。変える必要ないじゃないか?」
さも当然のように言ってくるのだ!
目の前のことだけで判断してんじゃねーぞテメエ!
お前の行いがどれだけ精霊と神々の機嫌を傷つけているか! このままでは二兎と神霊の繋がり自体が断たれてしまうかもしれない!
無礼者との付き合いを続けようと思うものは、人類にも神霊にもいるわけがない。
私は再び説得を試みて言葉を尽くしたが、カイトの若造は『え? 今なんか言った?』と聞き流してまったく取り合えない。
しかも始末が悪いことに周囲にカイトの取り巻きどもがいて……。
「カイト様……あのムッシュ・ムシュムフを相手に一歩も引かずに渡り合っている……!?」
「ムッシュ・ムシュムフといえば魔法研究の大家だろう? そんな偉い人と対等に議論できるなんて、さすがはカイト様!」
「カイト様の素晴らしさは、ムッシュ・ムシュムフにも劣らない! むしろムッシュ・ムシュムフ以上ということなんだな!!」
「むっしゅ・むしむひッッ!!」
周りから集中砲火のように言われて、私一人では対抗できない!
私では止めることができない!
無詠唱魔法の流れを!?
* * *
そうして無力感に苛まれたまま時間だけが無為に過ぎていった。
その間に奇跡が起こった。
なんと魔王様みずから、カイトの野郎にお叱りを与えてくださったのだ。
しかしあの朴念仁カイトは魔王様の玉言すらまともに響かない。
仕舞いにはノーライフキングが出てきて一方的にボコボコにされることでようやくアイツは自分の非に気づくことができたのだった。
ノーライフキング?
なんでノーライフキングが街中に!?
世界最恐の脅威。
禁術で永遠の生を手に入れ、無限の魔道追及を許された超越者!
私もそろそろノーライフキング化を検討しているんだぞ!
ノーライフキングは、永遠の研究時間によって得られた知識と研究成果によって人類を遥かに超える魔導を極めている。
だからカイトも私も、人間社会でどれだけ魔法の権威を誇ろうともノーライフキングの前では赤子以下。
知性を得る以前の獣のようなものだ。
私は、カイトをやり込めてくれた喜びも相まってノーライフキングに駆け寄ってしまった。
感動しました! やはりノーライフキングの知恵と魔法は、我々など足元にも及ばない!
今日お会いできて感動です!
興奮のあまり髪の毛が抜けました!
『おおう、感動したとはいえ自分からワシに駆け寄ってくるとは猛者じゃのう』
そ、そうだ。
よく考えたらノーライフキングは、遭遇したら命はないと絶望すべき相手だった。
でもカイトをブチのめしてくれたのがあまりにも爽快で!
詠唱の重要さをあまりにも理解してくれない彼らにフラストレーションが溢れ出す寸前だったんです!
ノーライフキングみずから罰しに現れたということは、やはりあの若造の無詠唱魔法にお怒りに!?
『……まあワシも思うところがあったが、ワシ以上に怒れる御方がおっての。ワシも聖者様も、その御方を鎮めんがためというのが第一の理由じゃ』
えッ? 聖者様?
それはともかくノーライフキングと聖者が両方気を使うような偉大な御方とは一体……!?
『精霊王じゃ』
せぃれぃおぅーーーーーーッッ!?
すべての精霊の頂点に立つこの世界の運行の根源を司りし大いなる存在。
その精霊王が、ノーライフキングと聖者を動かして、カイトの若造に制裁を下したというのか!?
スケールがデカすぎるぅうううううううううううううううううッッ!?
でもたしかにノーライフキング様の言う通りだ。
今回の無詠唱騒動で、もっとも怒り頂点に達しているのは精霊たちに違いあるまい。
精霊たちは、神より下位であり、加えて神より遥かに広範囲で世界の維持に携わっているからこそ、魔法の協力頻度も圧倒的に高い。
魔族が使うほとんどの魔法が精霊魔法だ。
今回、精霊たちはみずからの矜持をどれだけ傷つけられたことか。
その怒りは、人類を滅ぼすことに繋がっても何ら不思議ではない。
そう思ったからこそ私は、必死でカイト始めヤツを持ち上げるアフォどもを諫めようとしてきたというのに。
……それで……?
ノーライフキング様がヤツらを成敗してくださったお陰で精霊王の怒りは解けたのでありましょうか?
『本人に聞いてみるがいいではないか』
え?
本人ですと?
『精霊王なら、ここまでずっとそこにいらっしゃっておるからのう』






