1189 君子豹変す
「そんな……このオレの作った無詠唱魔法が負けるなんて……!?」
敗北したカイトくんは、受けた衝撃に呆然として心ここにあらずという風だった。
「いやまだだ! この敗北を糧とし、今以上の行程省略に務めて発動時間を一秒以下に収めれば……!」
「無駄なことはやめるがいい」
それでもまだスピリットを燃やすカイトくんを魔王さんが諫める。
「どれだけ高速効率化に務めようと、魔法が身体動作を越えて速くなることはない。矢を射るには弓を引かねばならぬ。それと同じように求めた効果を発揮するために省略できない段階は必須なのだ」
『極限までの速さを求めるならば、魔法以外の技術に託した方がいいであろうな。だがだからと言って魔法が劣っているわけではない。多くの段階を踏まねばならない分魔法には広く大きな効果を発揮できる。要は使いどころ、というわけよ』
先生も加わって淡々と教え諭す。
それでもカイトくんは納得できない風で。
「それでもオレは……無詠唱魔法が皆の役に立つと思って……!」
『ヒトの助けになろうという、その心持ちは立派じゃ。しかしその気持ちがヒトを害しているとしたら、それに何の意味もない』
「え?」
先生の指摘に、虚を突かれた表情のカイトくん。
「さっきもそんなことを言っていたが……!? どういうことだ! オレは誰かを不幸にしたことなんてない!!」
『魔術魔法の仕組みはわかっているのであろう? そうでなければここまで見事な無詠唱魔法のシステムを構築できん』
「!?」
いまだに要点を飲み込めない様子のカイトくん。
『魔術魔法は、神や精霊からの助けによって発動する。詠唱は、魔法発動のために神や精霊に捧げられる要請の言葉であり、祈りの言葉であり、感謝の言葉じゃ』
「それは……知ってるよ。オレは魔法研究者だぞ」
『知っていてなお詠唱を不要と退けたのか?』
先生が珍しく詰め口調で迫る。
『それは精霊たちの存在を否定しながら、精霊たちの助けを求めているということじゃぞ。それがいかに不義理で虫がよく、甘ったれた行為だということが理解できぬか?』
「ううッ、うぐぐぐぐぐぐぐ……」
『否定される精霊たちの悔しさを推し量れぬか? 今日ぬしは、自慢の無詠唱魔法を打ち破られて、己の努力と実績を否定された。その悔しさ辛さは心に刻まれたはずだ。自己の苦しみを、他者に重ね合わせることはできぬか?』
カイトくんの顔が苦しげだ。
先生との試合を経ぬついさっきではまったく彼の心に響かなかった。
同じことを言い聞かせるにしても、苦い完全敗北を経験することでやっと言葉を実感として受け取ることができたんだ。
敗北もまた、省略できない必要な段階だったのだ。
「オレは……本当に間違ったことをしていたのか?」
絞り出すように言う。
「でも信じてくれ! オレは皆のためを思って! 皆がより便利で、効率的に魔法が使えればと親切心で……!」
『たしかにうぬが作った無詠唱魔法は見事な出来じゃ』
先生が違った切り口を見せてきた。
『無詠唱魔法は、それ自体は以前からあった。詠唱の一部を省略したり、高速で唱えたりの。それでも全部を省略したものは、これまでなかった。カイトくんが作り出したものは常識を覆す快挙と言っていい』
では、なぜ完全無詠唱魔法がそこまで難しかったのか?
『想像してみれば簡単なことじゃ。誰かからお願いされて、何かをすることとなった。その時に……』
――『お前なんかはオレ様に従っていればいいんだよ! つべこべ言わずにさっさとやれ!』
と言われたらどう思う?
ムカつくだろ。
やる気なんか一気に失せるに違いない。
『精霊にとってもそうで、無礼な要請を突っぱねる権利が彼らにもある。よってあまりに乱暴な詠唱省略は、精霊側がキレて魔法不発となるのがオチなんじゃよ』
しかしカイトくんの無詠唱魔法は、本来突っぱねられるはずなのに精霊から力を引き出せている。
それはもう、精霊の意思に関係なく……!?
『そう、これはもはや精霊の意思を無視した力の利用……。精霊からの力の収奪と言い換えてもいいかもしれんの』
「そんなッ!?」
『ぬしがしたことはそれぐらいに非道ということじゃ』
ここまで説明されて、精霊王があれだけ激怒していたのも腑に落ちた。
非礼無礼の問題だけじゃない。
精霊たちは自分たちの意思に関わらず、勝手に力を使われていたんだから、自分たちの権利に関わる問題だ。
『精霊たちももはや不満という域ではとどまらぬ。自分たちの安寧を守るためにも、自分たちの力の無断使用を本気で止めねばならなくなる。そうなれば、どういうことになるか、わかるか?』
「…………」
カイトくんは押し黙ってしまった。
一応頭のいい彼も想像力で察しがついたんだろう。
人と精霊との全面戦争。
ちょうど実際に精霊王が行おうとしていたように。
『ぬしは塾を開いて完全無詠唱魔法を広めようとしていたが、もし人類すべてが同じように精霊への敵対意思を示していたらどうなったか。まだ広まりきっておらぬ初期で対処できて本当によかったわい』
そうだな。
カイトくんが無詠唱魔法を教えまくってたくさんの人が使えるようになっていたら、その全員に教え諭してやめさせるのにどれだけの手間がかかったことか。
そうしている間にも人と精霊の全面戦争が勃発して、世界が核の炎に包まれて世紀末になるかもしれないところだった!!
『うおぉおおおおおーーんッ! そうだ! その通りだ!!』
肝心の精霊王が、これまで空気だったのが感涙咽びながら俺と先生に抱き着いた。
『この精霊王の言いたいことを全部アナタ方が言ってくれた! 嬉しい! アナタたちこそ精霊の代弁者じゃぁあああッッ!!』
いや、言ってくれたのはほぼ先生で、俺は何もしてないですけれども!?
むしろ何のお役にも立てずに不甲斐なさを痛感しております。
『何を言う! この精霊王を現界させ、問題解決の初端を開いてくれた! 先生にも感謝するが、聖者にも大いに感謝するぞ! さすがは大地の精霊から大いに好かれておる人間だ!!』
そうやって精霊王から頬ずりされている俺を周囲の人たちが眺め……。
「精霊からあんなに好かれるなんて……!?」
「あれが聖者……!?」
「本当に偉大な御方なんだ……!?」
と口々に噂し合う。
カイトくんの開いた魔法塾に大勢の入塾希望者が詰めかけていたので野次馬も盛大だった。
「……しかし、完全無詠唱魔法がそれほど危険なモノとは。これは早急に議題にかけて禁呪指定にもっていかなければいかんな……!?」
と一人呟く魔王さん。
『神との契約魔法に使用しなかったのが唯一の救いでしたの。神どもはメンツに拘りますから、こんな舐めたマネをされたら即座に神罰で消し炭にされたことでしょうからな』
「神との契約魔法までは無詠唱化できなかったんだ。そこが次の研究課題だったんだけど……!」
『手がける前でよかったの』
精霊の方が下位存在であった分、怒りを買ってもまだ猶予があったのが皮肉なことだ。
しかし溜め込んで溜め込んで一気に爆発させるタイプが一番ヤバいというのもよくある話。
堪忍袋がはち切れる前にことに気づけて、解決に向ける行動ができてよかった。
本当に、危急を知らせてくれた大地の精霊たちのおかげだな。
冬眠の前にバターをたっぷりご馳走してあげよう。
それはそうと諸悪の根源カイトくんは今度こそ肩を落とし、その場にへたり込んだ。
「無詠唱魔法の研究はやめる。……金輪際使わない。自分の研究がこんなに人の迷惑になっていただなんて」
『悟ってくれただけでも重畳じゃ。若くして、これだけの魔法改良を行うことのできるぬしにはたしかに才能があるのじゃろう。その才能でもって世のためにできることは様々ある。これからは周囲によく相談して、慎重に進めてほしいものじゃ』
優しく肩に手を置き、教え諭す先生。
あの人結局最後は優しいんよね。
「うん……でも……」
『うぬ』
「今思い出すと変なんだ……。完全無詠唱魔法を完成させるアイデアが思い浮かんだ時、オレは世紀の大発明が生まれたと思った。でも同時に、誰かが耳元で囁いたように思えた」
……ん?
どういうこと?
ご家族の方が、ご飯だから呼びに来たのか?
「オレは一人暮らしだ! それなのに、たしかに誰かが耳元で囁いたんだ……!」
――『これで世界を滅ぼすがいい』と。
「今の今まで忘れてた……。先生に叩きのめされた途端、霧が晴れたように頭がスッキリして……忘れたことまでハッキリ思い出して……。いやこれは、意識の外に切り離されていた? 意図的に? でも誰の意思で……?」
カイトくんはそれ以上、何も耳に入らずブツブツと唱えるだけだった。
なんだかモヤモヤが残って不穏な終わり方だったが、これ以上俺たちに追求できることはない。
ひとまずは精霊さんたちの憂さも晴れてこれでよしとするか。






