1144 同郷は話が弾む
トミア。
……という名前で呼ばれたのは、本当に何十年ぶりかしら?
私が故郷に住んでいた頃、私はそう呼ばれていた。
そして娼館で働くようになって『リターシエラ』という源氏名をもらって以来、その名前をすっかり忘れていた。
「…………」
「あれッ? もしかして違ってた?」
「!? 違うわ! いや、違わないわ!!」
つまり私が言いたいのはトミアが私だということが違わないというわけで……。
「……本当に久しぶりね、また会えるなんて思いもしなかったわ」
そう。
目の前にいる彼は、私がほんの子どもだった頃に一緒に遊んだ友だち。
マーくんは……本名何だったっけ?
あだ名しか覚えていない。それだけで事足りるほど単純な人間関係だった、そんな子どもの時だけの思い出。
「……そうだよなあ、トミアはオレのこと“マーくん”としか呼んだことなかったよなあ」
「ご、ごめんなさい……!?」
「いいよ、子どもの時のことなんだし。それにオレも謝らないといけないことがある……」
え?
何だったかしら?
「キミが大切にしてた手作りの人形を、悪戯して壊しただろう。それで思った以上に泣き出してオレもビビッて……明日になったら謝ろうと思ってたけど、親父に言われて薪拾いに連れ出されてさ……しかも山に入るついでに狩りの手伝いまでさせられて、何日もこもることになって……やっと戻った時には」
私はいなくなっていた。
その間に私の家には娼館の仲介業者がやってきて、私は連れ出されていた。
思い出したわ。
私は最後にマーくんに挨拶がしたいといったのに、家の人から『山に入っていていない』と言われたんだっけ。
「すっかり忘れていたわ人形のことなんて。どんぐりや木の枝で作った本当にお粗末な人形だったけれど、私の唯一のオモチャで、宝物だった……」
「本当に申し訳なかった……!」
「いいのよ、それに謝れなかったこともマーくんのせいじゃないだろうし」
今にして思うに、仲介者が村を訪れるのとマーくんが山にこもったのが同じタイミングだったのは、偶然じゃなかったと思う。
マーくんの親御さんたちだって、その日誰が来るのか事前に知っていただろう。
仲のよい友だちが見知らぬ大人に連れていかれるのを見れば、道理のわからぬ子どもはわけもわからず混乱するに違いない。
それだけならばいいが最悪、仲介者のことを人さらいと言って抵抗でもしたら。万が一にもケガさせようものなら新しい問題になってしまう。
「マーくんの親御さんたちは危険を避けるために……、そして我が子に辛い現実に直面させないためにもあえて村から不在にさせたんじゃないのかしら? こじつけめいた理由をつけてでも」
「そうか……そうかもしれない。思えばあの日、不自然に外に出されなかった子は他にもいたようだから」
親から厳しく言われて家から出してもらわなかったか、あるいはマーくんのように村自体から離れさせたか。
口減らしのために子を手放すという決断をした親たちにもそれなりの葛藤があった……自分たちが大人になってこそ推し量れることでしょうね。
「でもあれ以来オレも親とは折り合いが悪くなってね。結局トミアがいなくなった翌年にはオレも自分から村を飛び出した。あれ以来帰っていないよ」
「そう……」
私が送り出されてからも人間国全体で不作は続いていたから、結局更なる口減らしは必要になっていたでしょうからね。
村としてもちょうどよかったんじゃないかしら?
……さすがにそれは皮肉が過ぎるか。
「それで、飛び出してからどうしたの?」
「色々やったよ。荷運びとか使い走りとか靴磨きとか、でもオレはコツコツ真面目にやるってのができないタチみたくてね。全部途中でダメになって挙句にはスリなんぞやって、その日を凌いだよ」
「まあ」
「でも……ある日ある人から言われてね。『このままじゃ腐れ外道の重罪人になるか、その前に縛り首になるかだ』って。それが嫌なら最後に一つだけ道があるって、傭兵に勧誘されたんだ」
傭兵?
冒険者じゃなくて?
「その時オレを拾い上げてくれたのが冒険者だったら、冒険者になってたかもな。でもその人は自分の傭兵部隊に人を補充したくてスラムを見回ってたらしい。オレ以外にも何人か採用されたヤツがいたよ」
マーくんが傭兵なんて……。
でもなんだか納得するわ。彼、故郷ではガキ大将だったから。
「ゴロツキも傭兵も大して変わるものじゃなかったけれど、でも一番の違いは『法的に認められてる』ってことだ。だから傭兵でいれば最低限胸を張って生きることができる。それが最後の救いになるってヤツは仲間内でも案外多かったな」
「わかるわ。ウチにくるお客さんにも傭兵はいたから、寝物語にそんな話をしてたし」
「寝物語?」
「あッ、いや……!?」
何を狼狽えているのリターシエラ。
どう誤魔化したところで真実は変わらないでしょう。
「……私、娼婦なのよ。あの時私を連れて行ったのが仲介者でね。王都の娼館である程度修業を積まされたあとに水揚げされて。それから今日までずっと……」
「そうか……トミアも大変だったんだな」
「幻滅しない? 一緒に遊んでいた女の子が成長して、春をひさぐ職に就いてるなんて」
「何言ってるんだ。オレたちは傭兵団で毎日こう歌ってたぜ」
――『オレたちゃ世界で二番目に古い職業、娼婦以外はオレたちの後輩、敬いやがれ』
「……ってね」
「娼婦は世界最古の職業、傭兵はその次に古い。結局己自身が最初の商品ってことよね」
たしかに聞いたことがあるわ。
娼婦であることをバカにされたときは、そう言い返してやれって。
「おッ、なんかあそこの二人、話が弾んでいるぞ?」
「ダメよ旦那様、そっとしておくのよ」
何やら傍で声がした気もするけれど……。
気にせずマーくんと話しましょう。
「まあ、それで傭兵稼業で長いこと食ってきたんだけど、戦争が終わっただろう? それでオレも食いっぱぐれてさ」
人魔戦争終結後、当然ながら傭兵の需要は急落した。
それでも一部の人は、地方領の予備兵力として雇ってもらえたけれど、そうでない人たちは職替えを余儀なくされた。
「その中でも一番多いのが冒険者への転職だって聞いているわ。それでマーくんも……」
「そうだな、それで冒険者としてあくせくしてた時に開拓の話を聞いて、オレも乗っかったんだよ」
そうだったの……なんだかビックリね。
子どもの頃に分かれた私たち二人が、こんなところで思わぬ再会を果たすなんて。
「……あッ、でも大丈夫なの?」
「何が?」
だってマーくん、さっき『真面目にコツコツやるのが苦手』だって言ってたじゃない。
開拓作業なんてそれこそ真面目にコツコツ……というか黙々とやらなきゃならない仕事なんじゃないの?
せっかく職替えしたのに合わないのは……。
そう危惧するとマーくんは
「オレだってもう子どもじゃないんだ。性根を叩き直す機会はいくらでもあったさ。オレのことを拾ってくれた傭兵団長がさ、傭兵としての戦い方だけじゃなく礼儀作法とか、仁義の通し方とか、行き詰った時に前向きになる方法とか、色々叩き込んでくれたんだ」
そのおかげで今も自分は生きている、とマーくんは言う。
「だからさ、昔はできなかったコツコツ真面目にやることも今は何とかできてるさ。木を切り倒して、地面を平らにして……。たしかに地味な作業だが、成果があれぐらい如実に出ると楽しものだよ」
「そう……ひたむきなのね」
あの日、デリカシーの欠片もないクソガキだったマーくんが今、輝いて見えた。
彼も彼で苦難の人生を乗り越えてきた。その積み重ねがあるのよね。
「オレのことはこれぐらいとして、トミアはどうなんだ?」
「え?」
「娼婦としてやってきたんだろう? きっと苦労も多かったんだろうなぁ。でもオレ、まったくトミアのことは聞かなかったぞ? オレもまあ何回かは使わせてもらったけれど……!?」
……。
そりゃあそうよね。
傭兵が一度たりとも娼婦のお世話にならないなんてあるはずがないわ。
「本名で客を取ってるわけないでしょう。娼婦は皆、水揚げの時に娼婦としての源氏名を与えられるの。今まで生きてきた世界と切り離すためにもね」
「なるほど、そういうことか……!?」
「それに私、王都ではナンバーワンだったのよ。私を買いたかったら千金万金積まなきゃいけなかったけれど、アナタそんなに羽振りよかったの?」
「納得したよ……道理で縁がないわけだ……!」
マーくんは気恥ずかしそうに鼻先を掻いた。
そんなに恥じることじゃないわ。傭兵という死と隣り合わせの職業は、生き延びてこそ誉れ。
景気よく私を抱いていった花形傭兵も突然来なくなる日があった。
どうなったか調べることはしなかったわ。
何も知らなければ、単に『私に飽きた』という可能性も残るから。
「アナタは傭兵っていう過酷な職業を全うしたのよ。それは誰に対しても誇れること。胸を張っていいわ」
「トミアにそう言われると照れるな……。そういえば、キミはどうなんだ?」
私?
「キミは、娼婦をまだ続けているのか? だからこの土地に来て……?」
そう言うマーくんは何とも複雑そうな表情をしていた。
鉛を飲んだような……というか。自分でも言いしれない得体のしれない感情を飲み込んだ。そんな表情。
「……娼婦は引退したわ」
「えッ?」
「この職業、全盛期を過ぎるのは早いのよ。なんとなくわかるでしょう。そうじゃなきゃこんな辺鄙な場所に飛ばされないわ」
「そうか……まあ、たしはにそうだよな? たはっ、はは……」
「何? 私を買えなくて残念だった?」
「いや違ッ……、違わないというか……!?」
ふふッ、さっきの私みたいになってる。
不思議なものね。
土地主が言った、ここで求めているのは娼婦ではなく結婚相手という言葉。
聞いた直後はバカなのかと思ったけれど、今になって逆にありがたくなってくるなんて。
私にこんなセンチメンタルな感情が残っていたなんて、幼い頃の名前と一緒に幼い頃の感情まで甦ってしまったのかしら?
「よし、なんだか盛り上がってきたな! ここでいよいよ王様ゲームの開催を……!」
「大人しくしておきなさい旦那様」






