1139 孤独を慰める職業
……ふぅ。
私の名はリターシエラ。
人間国一の娼婦よ。
まあ『○○一』を自称する娼婦はどこにでもいるものだけれど。
私も長いことこの業界で暮らしてきたわ。
まだ戦争が喧しかった頃、人間国は今からじゃ想像もできないくらい荒れていた。
地は枯れ、やせ細った作物しか採れず当然人々は飢えた。
親は子を食べさせられず、せめて一家総飢え死にを避けるために何人かいる子どものうちから一人を女衒に売り渡す。
そうなった時、売り払うのは大抵女の方。
男子は強いだけ畑作業の戦力になる。それに比べれば女は力が弱いし、それに見目がよければ売られた先で歓迎され、栄達する可能性だってあるから。
私がそうだったように。
――『アンタは可愛いから、都会でたくさん可愛がってくれるでしょうね』
というのが親と交わした最後の言葉。
それ以来一度たりとも会っていないし、向こうが生きているかどうかも定かじゃない。
私は私でこれまでの前半生、他人がそうであるよりも遥かに必死で生きてきたから。
他人なんて気遣う余裕もなかった。
私が親から離され連れていかれた先は娼館。
男が、その欲望を満たすために女を買うための場所だった。
田舎育ちで、その辺の家畜の交尾とかよく見かける私だったから可憐な夢を引き裂かれたなんてなかったけれど。
それでも幼い少女が生きていくためには過酷すぎる環境だった。
娼館に送られてきた少女たちは、その日から男に抱かれるわけでもない。
どこのお店でもそうであるように、まず修行から始まる。
現役で娼婦を務める先輩について、身の回りの雑用をしながら教えを受け、技を盗む。
遊女だってサービス業なんだから、お客さんを満足させるだけの振舞いができない限り現場には立てない。
遊女として一人前の仕事が出来なければお給金も雀の涙ほどしか出ないし待遇だってネズミ以下。
だから私も、私と同じ時期に娼館入りした田舎娘も必死になって学んだ。
男を誘惑し、手のひらの上で転がす術。
別に進んで体を差し出したいわけじゃない。それでも他に生き方を知らない私たちは必至で学び、修行した。
すべてが不幸かと思われていた私の人生にも幸運があって、それが私を受け持ってくれた姉さんだった。
姉さんは、指折りの高級娼婦で多くの上客を抱え、ちょっとやそっとでは揺るがぬ存在感を持っていた。
それだけでなく妹分に教育熱心で、私も随分目を懸けてもらった。
娼婦としてのイロハを叩き込まれ、この体が大人の成熟を迎えるころには一人前の娼婦として花開いた。
それからどれだけの月日が流れていっただろう。
私の体を何十……何百人もの男たちが通り抜けていった。
明日、戦場で死ぬかもしれない兵士たち。コツコツ貯めたなけなしのお金で一生の思い出を作ろうとする農夫。
民衆から吸い上げた税金でやりたい放題する貴族様……。
何度も通ってくる太客もいれば、一夜限りの客もいた。
しかしそんな、一回体を重ねただけの男ほど強く記憶に残るのは何故だろう?
そうこうしているうちに時間も過ぎた。
私ももう花として売り出せる期限も終わりに近い。
正確な年齢は覚えていないけれど、三十近いのは間違いない。
娼婦としても薹がたち、一部のマニアにしか受けがなくなってきた。
見習いとして娼館に入ったのが十歳頃、随分長くここで過ごしたわねえ。
「ねえリターシエラ。アンタ自分の本当の名前覚えている?」
ある日、娼館の主から呼び出されていきなりそんなことを聞かれた。
「覚えているわけないじゃない。私はここで水揚げされてからずっとリターシエラなんですから」
娼婦の名前は当然源氏名で、生まれた時に着けられた名とは違う。
大抵の場合は初めて娼館でデビューした客を取る時……いわゆる水揚げの時に娼婦としての名を貰うのだが……。
その時に付けられた名がリターシエラ。
それ以降ずっとリターシエラと呼ばれてきたんだから、もう私はそれ以外の名など知らない。昔なんてとっくに忘れたわ。
「いかにもどうでもいい話ね。そんなことより本題を話してくれないかしら?」
「あら率直ねえ、アナタそんな身も蓋もない話し方、お客の前でもしてるんじゃないでしょうね?」
するわけないでしょう。
本音を隠して、客の期待を煽るようなどうとでも取れる話し方。それが娼婦の手管と叩き込まれたわ。
「業務連絡まで腹の探り合いをしてちゃ面倒くさいだけよ。ホウレンソウは簡潔に、アンタもその方がいいでしょう?」
「娼館主の私に対してそれだけ物怖じせずに言えるのは、いまやナンバーワンのアナタだけでしょうね」
「それもいつまでもつことやら……」
娼館主はキセルから吸った煙をプイと吐き出す。
彼女自身、引退した娼婦で苦界の辛酸をなめ尽くした人だ。
年も四十に近いがそれなのに若娘と見間違う妖しい魅力を備えていて、娼館主に繰り上がった今でも彼女を求める客がいるという。
まさに娼館という異界が生んだ妖怪。
「お上からお達しが来てねえ」
「?」
「アナタが求めた本題よ。サクッと済ませたいんでしょう?」
お上ねえ。
お城でふんぞり返る貴族や王族のことだけど、アイツらが関わってくるとロクなことがないわ。
それでも一時期魔族が占領して、その間私たち娼婦の待遇も大部マシになったのはよかったけれど。
最近はまた主権が人族側に戻ってどうなるかわかったものじゃない。
新しく王様……いや大統領だっけ?
民衆主権で選出された一代君主が二十歳そこそこの若僧だってこの先どうなるかわからないからねえ。
政の世界で二十代なんて、まだハイハイ歩きもできない子どもも同然だわ。
こんな子供にかじ取りさせてこの国はまた破滅に向かうかも……。
「ちゃんと情勢を読み取ってるじゃない。さすがウチのナンバーワン娼婦ね」
「金持ちの上客を捕まえておくには、相手と話が合うように知識を蓄えておかなきゃいけない。……アナタの教えでしょう?」
娼館主はおかしそうにキセルの煙を吹く。
「じゃあ、その新しい人間国が魔族さんたちと一緒にやってる新しいことも知ってる?」
「開拓でしょう。二国の中間あたりにある手つかずの土地を拓いて、新しく人の住めるような場所にするんだとか」
しかも何やらそこに聖者様だなんて人が現れて、新しい国を建てるんだとか。
もう訳がわからないわ。
人魔人魚の三ヶ国でも微妙な均衡で先が読みづらくなるのに。
そこに新しい国が入ってきてどんな混乱になることやら。
「噂には上っていても、実際に国が出来上がるにはまだかかるわよ。現地は今も草木ぼうぼうの手つかずで、これから長い時間をかけて人の住める土地にしていくんでしょうから」
気の遠くなる作業ね。
「そうした作業のために人魔の両国から人足たちが投入された。その数は数百ってところよ。もちろん開拓作業は力仕事だから、集められたのは全員男……」
「開拓作業ってもう何ヶ月になるんだっけ? それだけ男所帯で暮らしていくっていうなら……。大変なことになっているでしょうね?」
「ええ、気もおかしくなくなりかけているでしょう」
私も娼館主もクスクス笑う。
男たちの限界まで膨らんだ獣欲を手に取るかのようだった。
「なるほど、それでここに話が来たわけね?」
「娼婦をできるだけたくさん、かの地に送ってくれとのことよ。ウチは周辺の娼館も取り仕切っているからねえ。近いうちに各店主と打ち合わせて、総計五十人ほどを出張させるつもりよ」
「また大盤振る舞いね。ただでさえ人手不足だっていうのに……」
そう、昨年のことだけど唐突に、まとまった数の娼婦が辞めるという事件が起こった。
とある雪の日、客を取った娼婦の何割かが妊娠した。しかも多数同時に。
奇しくも同じ日にカタギの夫婦や恋人たちも子を授かってちょっとしたベビーブームが到来したけれど。
一体何だったんだろう、アレは?
「今もって謎の日だったわね。ウチだってプロだ、避妊体制は完璧なのにさ」
「さらに不思議なのはそのあとの顛末よね。身籠った娼婦は例外もなく身請けされて、孕ませた当人と一緒になった。まるで心から愛し合ってる二人だけを狙いすましたかのように」
「悪戯好きな神様がいたのかもしれないわねえ」
そしてその謎のベビーブームが開拓作業の遠因ともなった。
世の流れがどんな影響をもたらすかわからない。こんな娼婦業界まで波及してくるんだから。
「そんな中で五十人も出向させなきゃいけないってのはさすがに痛いわね。ただでさえ世の中豊かになって、子どもを売り飛ばす親もいなくなったっていうのに」
「それでも娼婦という職はなくならないさ。孤独な男たちがいる限りね」
フン、わかったような口をきいて。
でも余計な雑談交じりだったけれど大体わかったわ。
開拓地で働く男たちのために送られる五十人程度の娼婦。
お国の達しだからこっちに拒否権はない。
そのことを呼び出されて告げられた私。
すると次の流れは……。
「リターシエラ、アナタに五十人の娼婦を率いて開拓地に向かってほしいのよ。私たち人族の娼婦たちを代表してね」






