1105 白無垢の味
かくして始まりました。
サテュロスvsミノタウロスのミルク味比べ合戦!
「まずは我らサテュロス族から行かせてもらうわ! 先手必勝よ!」
勇ましく名乗り上げたのはサテュロス族の代表。
その名は何と言ったっけ?
……そう、パイドラ。
一族の中でも若輩のようで背も小さく細身。パヌの妹分……という紹介がとても腑に落ちる外見だった。
しかし乳一族に属しているせいか特定の一部分は文句なしに大きい。
先手必勝と立ち上がったものの、大抵の料理勝負ならば後出しの方が勝つんだよな。
そんなセオリーに則るのか否か。
問題のミルクが俺たち審査員の前に差し出された。
既にカップに入れてあって。
……あ、その場で搾りたてを出すわけじゃないんですね?
では審査員としての責務を果たすべく見た目、味、香り、すべてを厳しく吟味していこうではないか。
まずは軽くテイスティングして……。
一口流し込む。
「うむ、これはたしかにサテュロスのミルクだ」
毎日農場でパヌたちからミルクを提供されている俺にはわかる。
濃厚な味、深いコク、それでいて喉に引っかからず滑らかに通っていくサラサラ感……。
……すべてが一級!
これこそ業界に燦然と輝くブランド、サテュロスミルクに間違いない。
「うわー、このミルク今まで飲んだのとは全然違うぞ!?」
「ヌルッとした感じが全然ない! ミルクの美味しい部分だけが純然と詰まっている!」
「オラが村の牛から搾った乳とはまったく違うだよ!!」
ご相伴に預かったギャラリー開拓者たちからも大変好評だ。
「フフン! どうかしら!? 世界最高と名高いサテュロスのミルクは、聖者様も大変満足なさることでしょう!」
「はい、満足です」
「あれ!? リアクションうっす!?」
あれ、もっとハイテンションなのを期待していました。
まあもちろんサテュロスのミルクは平静さを失うほどに美味しいし、素で反応しても口からレーザー吐いたり頭から噴火したり、文化部の新聞記者を引き合いに出してカス呼ばわりしてもいいくらいなんだが。
しかし俺は日常からサテュロスのミルクを愛飲しているので。
その素晴らしさに慣れ切って『美味いね』と素直に思うものの、度を超すような感動は湧いてこない。
そんなに毎日感動していたら身が持たないしな。
これが贅沢に慣れてしまうということなのか……?
意識すると大層恐ろしかった。
「はっはっはっは、ヤギ乳なんぞ所詮その程度のものさね! さあ満足したらどきやがれ! 私たちミノタウロス族の出番だぜ!!」
そう言って進み出たのは、女性にしては実にガッシリとした体格と、頭部に備えた牛角が印象的なミノタウロス族の女性だった。
「我が名はイオ! 聖者様より受けた恩情にお応えするためやってきた! ミノタウロス族の義理がたさをしかと見届けるがいい!!」
ミノタウロス族は女性まで体つきが逞しいが、それも獣人的な経緯によるものだろうか?
とりあえず先ほど同様、差し出されたカップに並々注がれた真っ白ミルク。
ただ……。
「デカくねえか、このカップ?」
どのくらい大きいかというと、カップというよりもはやグラス……いやジョッキと呼んだ方が正確だと言いたくなるほどの規模。
しかも大ジョッキだ!?
それほどの器を余すことなく満タンに満たすミノタウロスのミルク。
その量がまず圧倒的だ。
「驚かれましたかな!? 我らミノタウロスミルクの特徴はまず何よりその豊富な量! それをわかりやすくアピールするためにこのような入れ物を用意させていただきました! どうだサテュロス族!『度肝を抜く』とはこういう風にやるものだ!」
「くぅうう! いちいち突っかかってこなくていいのよ!!」
このパフォーマンスには、対戦者であるサテュロスたちも一本取られたようで悔しげだ。
これはミノタウロス有利か!?
そんなことを思わせる流れ。
しかし審査の肝心なところは味。
いつまでも見た目に圧倒されていないで、しっかり味を確かめなければ。
それでは行くぞ!
俺のいいとこ見てみたい!
いっき! いっき! いっき! いっき! いっき! フェニックス!
「ジョッキに注がれてるからって別に一気飲みしなくていいのよ旦那様」
プラティの冷静で的確なツッコミ。
たしかに途中で咽そうになったため一旦グラスを口から離して……、一言。
「……薄い」
「えッ!?」
いや……味が薄く感じたなこのミルク。
実際そんなことはないんだろうけれど、直前でサテュロスのミルクを飲んだからこそそう感じる。
サテュロスのミルクが濃厚で、それでいてコクの深い味わいだったことから対比でますますミノタウロスのミルクが薄味と思えてしまうんだろう。
思えば前の世界でもヤギのミルクは、牛のミルクより栄養価が高いと聞いたことがある。
それが味の差に表れているんだろうか?
「そそそそそそ、そんなそんな!? 我々のミルクがヤギどもに敗けると!?」
「見たか! これが厳然たる事実よ! 大量生産しか能がない牛乳が、最高級品サテュロスのミルクに敵うわけないでしょ! わかったらとっとと尻尾を巻いて逃げるのね! そのハエを追い払うしか使い道のない尻尾をね!」
パイドラちゃんは得意満面に勝ち誇っているが、別に品質の優劣は味だけで決まるものではない。
たとえば栄養価で圧倒的に勝るはずのヤギのミルクが、前の世界では大きく流通せず、代わりに牛乳が席巻していたのは何故か?
それこそ生産量の差だろう。
ご存じの通り、体格で見ても牛の方がヤギより圧倒的に大きく、その分搾り出すミルクの量も多い。
多売すれば薄利でも行ける……ということで市場原理においては牛乳の方に軍配が上がったのだろう。
そりゃ、財を惜しみなく使えば毎日ヤギミルクを飲めて贅沢であろう。
しかし俺はそもそも庶民。
『贅沢は悪』という意識が心のどこかにあるため、納得しがたい気持ちもあった。
そこで……。
「このミルク、もっと出せます?」
「えッ?」
ミノタウロスたちから必要分のミルクを貰うと、その他の材料……ヨッシャモの卵と、農場で育てた麦を挽いて均質に仕上げた特製の小麦粉、そして砂糖を農場から取り寄せる。
ゴブリンたちに頼むと一瞬で届けてくれた。
それらをボウルにぶち込み、泡だて器でもって一生懸命かき混ぜる!
そして均質に仕上がった生地を、あらかじめ薪で熱しておいた鉄板に流し込み、フワフワに焼き上がるのを注意深く見守りながら最高のタイミングでひっくり返す!
そうして出来上がったのが俺特製ふわふわパンケーキ。
「食したまえ」
「うわ、うめぇええええええええええええええッッ!!」
躊躇なく口に入れたな。
『食え』と言ったのは俺なれどここまでノータイムで行くとは思わなかった警戒心ないんか?
「美味しい! こんなフワフワの食感で、しかも甘い! こんな食べ物はこの世にあったの!?」
「聖者様はこんな美味しいものを生み出すことができるんだな! 素晴らしいぃいいいいいいッッ!!」
サテュロスのパイドラも、ミノタウロスのイオもパンケーキの美味しさに我を忘れてがっついておる。
ただただ即興で焼き上げただけのパンケーキでも気に入ってくれたようでよかった。
本当なら生クリームも添えてショートケーキでも焼きたかったがさすがにミルクから乳脂分を分離してクリームにまで仕立て上げるには時間がかかるからな。
さすがに『来月まで待ってください、本物のショートケーキを食べさせてあげますよ』とはいかない。
何故なら……。
「ミルクはただ飲んで美味しいだけじゃない。様々な料理の材料となり、他の素材とよさを引き出しあうことも重要なんだ」
思うにそういうところでも牛乳のクセのなさは有利さを発揮するのではないか。
主張が強すぎなければ、その分他の味とも容易に融和できる。
そして様々な食材と極上のハーモニーを奏でることができる。
それもまた牛乳の有利な点ではないのだろうか?
「ただ味が濃厚であればいいというわけではない。ヤギのミルクにも牛乳にも、それぞれのよさがあり活躍すべきステージがある。それらを尊重すればいいだけのことだ」
「またどの方面にも角が立たないように締めたわね旦那様」
プラティ、静かに。
恨みを避けて何が悪い? 平和を求めて何が悪い?
「でもまあ、これから子どもたちを育てていくためにも今は、質より量が欲しいわねえ。栄養価が低いって言ってもヤギ乳と比べればって話で、充分に栄養はあるんだし。アタシたちのおっぱいの出が悪い時に頼らせてもらいたいわ」
プラティも結局は牛乳の魅力に感じ入っている様子。
そして、当の対戦者たちはというと……。
「うめうめうめうめ! パンケーキうめぇええええええッ!!」
「ああッ、それは私たちの分よ! まったくミノタウロスどもは牛だけあって食い意地張ってるわね! アンタたちも胃が四つあるんじゃないの!?」
「そこは人間仕様だよ! お前らサテュロスこそヤギなんだから草でも食んでろ! 聖者様の料理を食らうなどおこがましい!」
「牛だって草食でしょう!!」
もはや別の理由で争いが始まっていた。
こんな感じでうやむやに終わってくれて、あとはまた農場に新しい食材が追加されてよかったな、と思った。