1006 聖女と処女神
地面が燃え上がって、炎から出てきた女性は神だった。
何を言っているのかわからないと思うが……いや、わかるか。
農場ならこれぐらいの出来事は理解の範疇。
フェニックスが炎の中から甦ってくるならば、女性だって火中から飛び出そう。
そういうことが常識的にあり得る世の中だ。
あ、念のために言っておくと燃え盛っているのは農場外れの開墾予定の野原なので火災とかの心配は大丈夫だ。
むしろ焼き畑になっていいぐらい。
……で。
肝心の炎から出てきた妙齢の女性は何者ぞ?
『……ゴホン、呼ばれて思わず飛び出てしまったわ。私の名はウェスタ。竈より家庭と家族を見守りし女神、ヘスティアとも呼ばれているわね』
ああ、やっぱり神様であらせられましたか。
マラドナさんが祈りを捧げていたからタイミング的にそうかな? と思っていました。
しかし、一体女神様が何用で?
『……はッ? そうよこの期に及んでゼウス風情に祈りを捧げるアホ・オブザ・アホはどいつだ!? せっかくアホ弟が封印されて影響も弱まっているところに、少しはパワーが流れ込んでしまうじゃないの!!』
とのことらしい。
ゼウス神に祈られて怒り心頭とは、この女神はゼウスの敵対者か何かであらせられるのでしょうか?
『いや、家護神ウェスタは、天神ゼウスの姉弟神であらせられたはずですのう』
すかさず解説に回るノーライフキングの先生。
さすがこの方がいてくれれば、大体のことが引っ掛かりなく流れていく!
「ウェスタことヘスティアは、オリュンポス神族の開祖となる六兄弟神の一神。クロノス神の娘として生まれ、父と弟が敵対してよりは弟ゼウス側に付き、神々の戦争に尽力したと聞きます」
へー、兄弟仲よしなんだ。
『ホホホホホ……、人の子よ、アナタたちの世にも通ずる一つの真理を教えて差し上げましょう』
なんです女神?
そんな達観した顔つきで?
『一つの敵の前に団結した者たちは、その敵が倒されれば分裂して争う合うものです。それはもう絶対に』
……そ、そっすか。
表情に実感がにじみ出ていて相槌を打つので精一杯だった。
『我らオリュンポスの兄弟も……お父様を倒した直後まず真っ先に動いたのがゼウスでした。天界の支配権を侵食されたくないゼウスは、別領域を支配させると言って男兄弟のハデスとポセイドスを追い出しました。そうして残った姉妹をすべて自分の妻に娶ることで自身の支配を完璧なものにしようとしたのです』
『この短い文章の中にクズと思える点が複数ありますのう』
一ヶ所に留まらないのがクズのクズらしさというか。
『結局ゼウスの求婚に応じたのは末妹のヘラのみで、次女デメテルセポネはハデスに嫁ぐことで難を逃れました。私は誰の下にも嫁ぎたくはなかったので永遠処女の誓いを立てることで何とか結婚を回避したのです』
過激。
弟と結婚するのが嫌だから一生バージンでいますとか『お前と結婚するなら死んだ方がマシ』と言ってるのも同じじゃないか。
ウェスタ女神のキレっぷりを窺い知れる。
『……あらいやだ、降臨してすぐさま身の上話だなんて不躾すぎましたわね。あまりにムカつきすぎて今思い出しても腸煮えくりかえるものですから、きっかけがあるとすぐに吐き出して歯止めが利かなくなるんですの。何千年経とうともこの癖治りませんわねえ……!』
ということで登場するなり兄弟の愚痴が止まらないウェスタ女神らしい。
ここまで彼女の設定紹介で留まり、肝心の登場理由も明かされないほどだ。
『そうです! ここまでの説明で、私がどれだけバカ弟のゼウスを忌み嫌っているかがわかったでしょう! そんなゼウスに今さら祈りを捧げているお阿呆さんを探知したら、文句を言いに降臨ぐらい致しますわ!』
「ウェスタ様!!」
当の祈りを捧げた当人……つまり聖女マラドナさんがおもむろに五体投地していた。
天上より降りし突撃型クレーマーに向かって。
「我ら神が身を信奉する者たちにとって、神との対面こそ至上の喜び! 己が信仰の証明! 奇跡よ、神にありがとうございますぅううううーーッ!!」
と感激雨あられ。
あまりの勢いに怒鳴り込んできたウェスタ女神の方がビビッて引いた。
『おおうッ?……そ、そう? そこまで信奉してくれるなんて神としては嬉しい限りだけど……あら? そういやなんで私、下界に降臨しているのかしら? ここ最近は神々の取り決めで神は自由に降臨できなくなっているはずだけど?』
「それは、私の祈りが通じたからでは!?」
あくまで自分の信仰心に一点の疑いもないマラドナ。
しかし信仰が厚いだけで神を呼ばれたら堪ったものではない。他に何か理由がぜひとも欲しいものだ。
『そりゃー、あれではないかの?』
ノーライフキングの先生がまたもいいタイミングで情報投下してくれる。
『マラドナの祈りが意図せず召喚魔法を形成したということなんじゃろう。それによって信仰対象であるウェスタ女神を呼び出したんではないか?』
「私が召喚を!? 私の信仰心はそこまで極まったということなのですか!?」
『おぬしも成り立ちが珍奇とはいえノーライフキングなんじゃから召喚術ぐらいは使えよう。しかしいきなり神を召喚できるまでとは、さすが我が直弟子よ!』
いまいち噛み合ってない会話だが、各々成功を喜んで手に手を取って小躍りしている。
ああ、そっか。
マラドナさんは一旦死亡してから白骨状態で、ダンジョンのマナを吸い込み『至高の担い手』に触れることをトリガーとして復活した特殊なノーライフキングなのだった。
そりゃなんかの拍子で神を召喚するわ……ってことでいいのか?
『……すると私って、本当にただの偶然で呼び出されたの? それはそれで神としてのプライドが傷付くというか』
そして一気に困惑気味に傾くウェスタ女神。
すみませんね、お忙しいでしょうにただの偶然みたいに呼び出されて。
『あんなにバカみたいにゼウスへ祈りを捧げていたんですから、本来ならゼウスが呼び出されるのがまっとうなんでしょうけれどあのアホ弟は厳重に幽閉されてますからねえ。代わりに私が引っ張られたってこと? あのゴミ弟の代役なんてそれこそプライドが木っ端みじんこなんですが……!!』
「それなら、理由に心当たりがあります!!」
挙手するマラドナ。
「私、教会に所属していた時に誓いを立て、『ウェスタの処女』になっておりますので。その関係で、もっとも関わり深い神として召喚されたのではないでしょうか!?」
『「ウェスタの処女」? ああ……!』
聞いた途端ウェスタ女神はしかめ面になり。
『あったわねそんな風習が……、処女神である私に倣って生涯不犯の誓いを立て、死ぬまで清らかでいよう意図でしたっけ。別に私から発起したわけじゃないんですが……』
ウェスタ女神はどこか遠い目をしている。
『でもね、そうして誓いを立てた「ウェスタの女神」が普通に恋人を作ったり、結婚して子どもを生んだりしてたってこと、私は知ってるのよ。神の目が届かないことなんてないというのにね……!』
ウェスタ様は見ている。
『一時期、清らかブームが到来して女性は処女でいることが尊いなんて風潮になったけれど、だったらだったでちゃんと処女を貫きなさいよ!! 生物的本能に抗えないからってどいつもこいつもすぐ盛りやがって! あまつさえ私を引き合いに出すのがムカつく! 私だって好きで処女神の誓いを立てたんじゃないわ! 変態弟が追い回してくるので仕方なく緊急回避としてね……!!』
どうどう女神、……落ち着いて?
なんだかよくわからんが、処女神であるウェスタに倣って『私一生清らかでいます!』と誓うのが一時期流行りまくったらしい。
「今はそんなにないですけどね。一~二百年ほど前に大流行したそうです」
ヤーテレンスさんの解説。
そしてそれはマラドナが生きていた時代にピタリと重なる。
「ご安心くださいウェスタ様! 私はそんじょそこらの俄か処女とは違います!」
俄かを見下すのはジャンル衰退の兆し!
「たしかに当時の教会では、誓いを立て『ウェスタの処女』になってもフツーにかげでの恋愛を楽しむ輩が多くいました! なんでも『禁止になってるのに隠れてする方が刺激が強いから』とか!」
『恋愛のスパイスに神を利用しないでくれるかしら!?』
「しかし私は違いますわ! 私はかねてより身も心も清らかであろうと進んで『ウェスタの処女』準一級をとりました!」
級あるの?
「そして立てた誓いを守り抜き、死ぬまで清らかな身でありましたわ! これもウェスタ様を信奉するが故! この信仰心は誰にも負けぬものと自負しております!!」
さすが聖女マラドナというか。
このどこまでも突き抜けちゃうぶりが、ならではと思う。
『えぇ……、でもアナタ、それ……』
対するウェスタ女神は、感動薄。
『私へ信仰厚くしてくれるのはいいけど……結婚はした方がいいわよ? 子を生み育ててこそ人類も繁栄するというものだし』
「ええー」
『私は変態弟のせいでやむなく処女の誓いを立てたけど、家族を見守るという神としての役割から結婚出産は限りなく推奨しているのよ。アナタも適当なところで還俗して、結婚して立派な赤ちゃんを生み育ててね』
「でももう私、死んでるんですが」
『それにほら? 女ってやっぱり恋してなんぼのところがあるじゃない? 私も最近になってやっと気が付いたの、恋をすることの大切さを』
えッ?
何その唐突な甘酸っぱい展開?
まさかウェスタ女神、処女の誓いを立ててより数千年ついに春が来た?
『その方はとっても真面目で、私が置かれている大変な状況を憂いて、我がことのように怒ってくださったの。そして今、ヘラやらアテナやらの問題児をフン捕まえて教育中なの。ヤツらが不真面目なのは学問をしてないからだと言って……!』
学問?
それってまさか……!?
『菅原道真様って言うの。お父様の友だちらしいんだけど、あの父から立派な御方を紹介してもらうなんて意外なこともあるものよね。でもおかげで毎日が充実しているわ……!!』
道真公、俺の知らないところで何やってるんですか……!?
春爛漫は地上の人界だけでなく、神界にも吹き荒れているようだ。