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3章・『オールジャパン・ドラッグオープン』3-4

 陽が高くなってきた会場内に、レースのスタートを告げるアナウンスが高らかに響く。


「じゃあ、行ってくる」


 一通りの点検を終え、MR2の運転席に収まった俺は、緊張した面持ちで見つめる仲間たちに手を振った。

 今回エントリーするのは、この大会ではもっとも下のカテゴリーとなるCクラス。

 いずれ上のクラスにステップアップするためにも、ここである程度のタイムは残しておきたかった。初陣とはいえ、ただ楽しむだけでこのレースを終わらせたくはない。

 誘導員の指示に従い、コース内へと続く通路までMR2を動かす。スタートの順番はCクラスが一番先だ。


「……にしても、まさかトップバッターとは」


 車内で一人ごちる。気合いの入りようだけなら誰にも負けない自信はあるが、まったく緊張していないかと云えばそんなことはない。だけど、胸のざわつきは、はじめてテストコースを走ったあのときと比べれば微々たるものだった。

 ほんの一月前のことなのに、あのとき抱いていた感覚がどこか遠かった。きっと、あの瞬間とまったく同じ想いを再び味わうことはもう出来ないのだろう。

 すぎ去ってからわかる。だからこそ特別なのだと。

 ならば俺は、今ここにある特別な瞬間を精一杯楽しむとしよう。俺たちがはじめて自分たちの手で作ったチューニングカーで臨む、はじめてのレースを。

 MR2の脇に立った誘導員が、窓をノックしてコース内に入るよう指示を出す。


 ――行こう。ベストを尽くすのだ。


 俺はゲートをくぐりコース上へとMR2を移動させた。

 コース上をタイヤが転がるたびに、ニチャニチャという粘着質な音が聞こえてくる。

 音の原因は、VHTという路面のグリップ状態を良くするために撒かれる特殊な薬剤だ。

 こいつがスタート地点に大量に撒かれていることは、知識としては知っていた。だが、その粘着力は想像していた以上だ。気をつけなければ、今の仕様のMR2ではパワーが路面に負けて失速するかもしれない。

 視線を路面から剥がし、左側に位置する隣のレーンに目をやる。隣に並んだのはシルバーのランサーエボリューション。派手なエアロを組んでいて判別しにくいがⅦ型だろう。中々速そうだ。


「ランエボなんかに負けるなよ」


 云い聞かせるように、MR2に向かって声をかける。計測していないから正確にはわからないが、山さんの見立てでは、現在の馬力は目標を超えて350ps以上は出ているだろうとのことだった。これは信のがんばりの賜物だ。

 隣のレーンのランサーが早々にスタート位置に着く。

 俺は、スタート位置の数メートル手前にマシンを停め、インナーパネルにあるボタンに手を伸ばした。ラインロックと呼ばれる前輪のブレーキだけを作動させる装置。これを作動させたまま、エンジンを目一杯高回転まで回してクラッチを繋ぐ。すると、車が静止した状態で、後輪だけがホイールスピンをはじめる。

 バーンナウトと呼ばれる駆動輪を温めるための作業だ。タイヤが白煙を上げるので少々煙たいが、こうしてある程度熱を加えてやらなければ、ドラッグレース用のスポーツタイヤは本領を発揮出来ない。

 そろそろいいなと思ったところでラインロックを解除。勢いで前に出たMR2をそのままスタート位置に着ける。

 それにしても、閉鎖空間でフルフェイスのヘルメットを被るのは意外なほど息苦しい。四輪用フルフェイス特有の視界の狭さも相まっているのだろう。

 目だけを動かしていると、観客席からカメラを向ける正樹の姿に気づいた。他のみんなもいる。

「まぁ、見ときなって」と俺はアイツらに目線を送り、ジリジリとMR2をスタート位置に近づける。

 やがて、マシンがスタート位置に着いたことを知らせる黄色いランプがツリーに点灯。俺はスタートの瞬間に備えて、アクセルペダルに乗せた右足に力を加えて回転数を高めた。

 VHTが撒かれた路面のグリップ力は相当なものだ。それに、このMR2に装着されたタイヤは、後々の仕様にも対応することを考慮しているだけあって、今の仕様には正直オーバースペックである。ここは、当初のシミュレーションよりも、高めの回転数でクラッチを繋いだほうがいいだろう。

 アクセルをいくらか深く踏み込む。隣のレーンからも、こちらと同じく回転数を高めるランサーのエンジン音が響いてきた。


 ――――ぞわり。


 鳥肌が立つ。


 ――――この相手より速く走りたい。


 闘争本能が沸きあがる。

 これは一対一の競争ではなく、あくまでもタイムアタックだ。どちらが先にゴールしようと、良いタイムを出したほうに勝ち星がつく。ヨーイドンで飛び出す必要はない。

 だが、匂い、音、目に入った光景。隣レーンの車と横一線になった瞬間に感じたすべてが、細々した理屈を頭の中からはじき出す。相手だって同じはずだ。

 三段階のスタートランプが点灯。


 ――ひとつ。鼓動が一気に高鳴る。

 ――ふたつ。コースの先と回転計。どちらともなく一瞬だけ目をやる。

 ――みっつ。さあ、行けッ!。


 若干のホイールスピンと共に、MR2が勢いよくスタート位置から飛び出す。

 少し回転数が高すぎたか? いや、失速するよりはずっといい。

 スタートは同時だったが、こちらが先行した。隣を見て確認する余裕はないが、感触でわかる。

 正面のダッシュボードに取り付けられたドラッグ用の回転計が、ブザー音と共に合図となるシフトランプをパッと点灯させ、シフトアップを促す。

 クラッチを勢いよく蹴飛ばし、出来る限りの速さでギヤを変える。

 二速。

 三速。

 景色は吹き飛ぶように流れてゆくが、まだゴールには届かない。

 睨みつけたゴールラインの先には、透き通った五月の青空が広がっていた。


 俺のゴールラインは――――あの先にあるッ!


 俺は床が抜ける勢いでアクセルを踏み込み、ゴールライン目指してMR2を矢のように走らせた。

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