休日は冒険の始まり(前)
女性は俺の手を握りしめると、目を見て言った。
「本当に、ありがとうございます!」
続いて、隣にいる後輩の手を取る。
「こちらの方も——。ありがとうございます!」
後輩は女性に取られた手を振り払い、そっぽを向いた。
何か気に食わないことがあるらしい。
「先輩って、本当にお人好しなんですね」
こっそりと、後輩はつまさきで俺のかかとを蹴り飛ばす。
「『俺たちも手伝いますから』って、わたしは何も言ってないのに、気取っちゃって」
「気取ってるつもりはないんだけどな」
「はいはい、分かってますよ。おっさんにくせに」
まだそれを言うのか。結構根に持つタイプらしい。
一方で、女性は後輩を見ながら、かなり不安な表情を浮かべていた。
目の前でこんな喧騒を繰り広げられたら不安にもなるだろう。
後輩は渋々といった様子で、女性の方を向く。
「わたしだっていくら何でも、ここで断わるような非情さは持ち合わせてませんよ」
「それって、つまり……」
「手伝いますよ。不本意ですが、このおっさんと同じく」
「良かったぁ……」
女性がほっと胸を撫で下ろす。
後輩は相変わらず一言多いのだが、突っ込みを入れられるような空気でもなかった。
女性はもう一度後輩の手を握ったあとに、俺たちの前に立った。
「わたしは神様見習いの伽藍といいます。よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしく」
「わたしも、よろしくお願いします」
お互いに頭を下げた。
顔を上げると、俺は話を進めていく。
「それで伽藍さん、一体何があったんですか?」
俺が訊くと、伽藍さんは答えにくそうな、困ったような顔をする。
「いや、言いにくいなら言わなくてもいいんだけど……」
「ですが……。これから手伝ってもらおうというのに隠し事も野暮でしょう。話します」
そう言うと、伽藍さんは深呼吸のように大きく息を吸い込んで、調子を整える。
それが一通り済むと、俺と後輩に向かって口を開いた。
こうして何かを決意していると、伽藍さんは凛々しい女性に見える。
立ち居振舞いの凛然さと、キリっとした眼鏡や着込なしたスーツだけを見ると、とてもさっきまであたふたしていた人物と同じとは思えなかった。
「お二人方、神様の仕事というものはどの程度ご存知ですか?」
「俺は、何となくは……」
「考えてみれば、あまりよく知らない気がします」
「それでは、少し説明した方が良さそうですね」
と、伽藍さんは少し間を置き、話を続ける。
「まず天界というのは、お二方もご存知の通り、地上で亡くなった方が次の生を享けるまでの——言わば空港の待合室みたいな場所です」
「空港の待合室……」
それは上手い喩えなのだろうか。
「それで、その亡くなった方の行き先——つまり、どのように生まれ変わるかを決定するのが、ここ天界で神様と呼ばれる人々の仕事です」
「なるほど」
後輩が感心したように頷いた。
「それと、待合室に待っている人しか居なかったらそれは待合室とは呼べないように、そこに留まる人もいくらかいます。あなたたちみたいに」
「映画の『ターミナル』みたいなもんか」
「なんですか、それ?」
後輩も伽藍さんも、そのタイトルを観たことはおろか聞いたことも無かったらしい。
世代の乖離を感じたのだった。
「とまあ、そんなことが神様の仕事なわけで、その補佐だったりをするのが神様見習いです」
「補佐っていうと、具体的には?」
「天界にやってきた人の話を聞いたり、次の人生がどんなものになるかを告げたりする役目です。考えてみれば損な役回りですね」
「でも、見習いってことはいつかは神様になれるんですよね」
「それは遠い未来の話です。——もっとも、その未来も危うくなっているわけなんですけど……」
伽藍さんは一歩踏み出し、震える声で言う。
「わたし、その……逃がしてしまったんです。天界にやって来て、次の人生を待つ人を、一人」
「逃がしたって、どういうことなんだ」
「次の人生が始まる前に一度、天界にいるその人をわたしたち神様見習いが迎えに行くことになってるんですけど、待っているはずの場所にいなかったんです。
必死になってその人を探しても、一向に見つからなくて……。
そこでわたし、思い出したんです。この人、次の人生の決定に不満気な表情をしていて——。だから、きっと逃げ出したんじゃないかと、そう思うんです」
「なるほど、な」
「これが上司に知れたらどんなことになるか分かりません。
もしかしたら、天界初の不祥事として取り立てられて追放されてしまうかもしれません」
「そんな……」
後輩が思わず口で手を覆った。
天界を追放されると一体どうなるのか、この後輩は知っているのだろうか。
俺は頭を掻く。自分から首を突っ込んでおいて何だが、面倒なことになった。
「伽藍さん、とりあえずあんたが危機的な状況にあることは分かった」
「は、はい……」
「それで、一体どんな人が逃げ出したんだ? 男なのか、女なのか。それすら分からないと探そうに探せない」
「そ、それもそうですね。それでは説明します」
伽藍さんは眼鏡をくいっと持ち上げる。
彼女なりの気合いの入れ方なんだろうか。
俺たちは伽藍さんの言葉に耳を傾ける。
- - -
「——と、いうような方です」
伽藍さんの話が一通り終わると、俺たち三人は別れてその逃げ出した人物の捜索を始めることにした。
ぼんやりと掴んだそのイメージを忘れないよう、伽藍さんの話したことを反芻する。
そんなことをしていると、後輩との別れ際に、
「先輩、わたしのあとを着いてきても迷惑ですから来ないでくださいよ」
「誰が着いていくか」
つい売り言葉に買い言葉をしてしまう。
後輩との関係はさっきからぎくしゃくし続けていた。
とはいえ、一時的なもので時が経てば修復されるだろう。
俺はそんな風に、比較的楽観的に状況を考えていた。
さて、逃げ出した男について簡単に説明しておこう。
逃げ出した男は三谷といって、二十三歳で就職活動に失敗して大学卒業後無職になり、自暴自棄になって天界にやって来たらしい。
伽藍はオブラートに包んでいたが、要するに自殺したのだろう。
そんな彼が次の人生に望んだのは、就職をしなくても済む世界。
生まれた瞬間に職業が定められる世界で、農民に生まれた自分がしかし成り上がっていくサクセスストーリーを、意気揚々と語ったという。
伽藍と上司はその話を真剣に聞き、彼のこれまでの人生を調査し検討した。
その結果その要求は受け入れられず、せめてものの情けとして人として生まれ直すことを決定する。
彼はその決定に不服だった。
そして、転生させられる前に彼は天界の宿舎から逃げ出したのだ。
その話を聞きながら、こいつの要求が通っていたら仕事が一つ増えていたのかというよく分からない感慨に耽っていた。
彼の望む世界を作ることだけならそう難しいことではないだろうが、その世界で彼が成り上がれるかは何とも言い難い。
もっと望むならもっとイージーモードの人生を思い描けばいいのに。どうしてそこまでして苦労したがるのだろう。
要するに——。
俺はまとまらない考えと見つからないその人物にいらいらしながら、白い町並みを進んでいく。
「見つかりそうなんだけどな……」
あらゆるところが真っ白なので、人がいたらそこそこ目立つ。
そう簡単に見落とすことは無いと思うが、注意しながら道の隅々まで観察する。
しかし、伽藍さんの言うイメージに一致するような人とは一度も擦れ違わなかったし、どこかに隠れているような気配も感じなかった。
逃走に気付いたのは一時間ほど前だと伽藍は言っていたのと、天界には車とか電車みたいな乗り物が無いので、そんなに遠くへと行っていることはないと思うのだが。
そもそも、そんなに遠くに何かがあるわけでもないし。
そんなことを考えながら、複雑に入り組んだ街中をもうかれこれ一時間は捜索し続けていた。
同じ道を既に三回は通っている気がする。
——少し疲れたな。
俺は白い壁に凭れかかって、少し身体を休める。
そんなときだった。
「きゃあああぁっ! だっ、誰かっ、助けてくださいっ!」
どこからか、後輩の叫び声が聞こえてくる。
「ったく。どうしたんだよっ!」
俺は立ち上がり、今度は後輩を探し始める。
いきなり悲鳴を上げるなんて、一体何があったんだ。
もしかして、三谷を発見したのだろうか。
だけど、ところ構わず相手を襲ってきて——。
後輩の姿が中々見つからないので、嫌な妄想ばかり捗ってしまう。
「おい……。お前、何してんだ?」
ようやく、後輩を見つけた。
「だ、だって……、先輩……こいつ……っ。ど、どうして天界にこんなのがいるんですか!」
後輩は尻餅を着いて恐しい顔をしながら、目の前を指差している。
俺は呆れて開いた口が塞がらなかった。
「こいつ、って。ただの犬じゃねーか」
「犬って、普通天界にはいないでしょ! 地獄の番犬って言うじゃないですか! 知らないんですか!」
「おま……っ。今すぐ全国の犬好きに謝れ」
「嫌ですっ。わたしは犬のことが大大大大、だいっ嫌いなんですっ! 知ってますか、先輩。こいつらこんな見た目のくせに噛むんですよ。しっかり歯型を残して」
「それはお前が怯えるからだよ」
そこで後輩はようやく、自分の今現在の様子を自覚したようだった。
「こ、これはっ!」
後輩は立ち上がり、俺の後ろまで駆け寄ってきた。
恥ずかしそうな顔をして、俺の背中に隠れる。
そして、猫撫で声で耳元で囁いた。
「先輩っ、助けてください」
——かわいいところあるじゃねーか。
俺は仕方なく——仕方なくだぞ——後輩を助けることにした。
犬の前に踊り出る。
後輩はああ怯えていたが、実際のところそんなに恐ろしい犬には見えなかった。
というか、世間一般に言うところのかわいい犬に相当するだろう。
大型犬ではあるが、別にどうっっていうことはない。
俺は犬の前で立ち構えた。
「よーし、いい子だ。そう、いい子だぞ」
「ばうっ。わんっ、わんっ——」
予想通り、犬はそんなに凶暴ではなかった。
首輪も付いているし、飼い犬なのだろう。
犬とじゃれつく俺を、後輩は遠くから信じられないような目で見ている。
「お前も来いよ。こいつ、結構かわいいぞ」
「行きません。全然っ、かわいくないです」
後輩の意志は頑なだった。そっぽを向いてしまう。
「くぅん……」
犬も後輩の反応を受けてか寂しげに啼いた。
——しかし、どうしてこんな大型犬が街に放たれているのだろうか。
そう疑問に思ったとき、ちょうど声が聞こえてきた。
「そこの方っ! だ、大丈夫ですか?」
「大丈夫ですよ。この通りです」
俺は犬とじゃれ合ってみせた。
「よかったぁ——」
近寄ってきた人が安心して立ち止まった。
「私、その犬の飼い主なのですけど、突然逃げ出してしまって困っていました。ありがとうございます。
——さとるも、いい人に見つけてもらえてよかったね」
飼い主が手を伸ばすと、さとると言うらしい犬は尻尾を振りながらそちらへと行った。
俺は少し、険しい表情になる。
「突然逃げ出した、というと、何があったんですか?」
「あぁ、えっと。さとるをつないでいた鎖が何者かに切られていたみたいで……。こんなこと、天界では初めてなので正直困っています。一体どなたの仕業なんでしょう」
飼い主はそう言うと、さとるの首輪に新しい鎖をつないで帰っていった。
その様子を見送ると、今度は後輩が近寄ってくる。
「先輩、その……」
後輩は言い辛そうに身体をもじもじとさせる。
俺は面白いのでにやつきを必死に殺しながらそれを眺めていた。
「あ、ありがとうございます。助けて……くださって」
「いいよ、別に。大したことじゃないんだし。あ、でも——」
俺は思い出したように言う。
「できれば、『おっさん』と呼ぶのはやめてくれ。わりと精神に堪える」
後輩は少し考えてから、答えた。
「仕方ないですね。分かりました。今回のことに免じて普通に『先輩』と呼んであげます」
「ははっ。ありがとう」
どうして後輩の方が偉そうにしてるんだか。
「それで先輩、今のって、もしかして——」
「だろうな。恐らく、腹いせでやったんだろう。——高校生かよ」
『十五の夜』の歌詞でも引用しようかと思ったが、伝わらなかったら嫌なのでやめてしまった。
すると、
「盗んだバイクで走り出したい年頃、ってわけでもないと思うんですけどね」
後輩の方から引用してくるのだった。
尾崎くらいは知ってはいるらしい。
「まぁでも、天界にそんな目に見える悪事を働く人はいないだろうから、十中八九犯人は三谷と考えていいだろう」
「天界って本当に性善説で回ってるんですね」
後輩は呆れたように辺りを見回した。
「でも、犬を放つなんてわたしにとってはテロにも等しき行為です。絶対に許せません。
先輩、とっとと見つけちゃいましょう!」
「前半には同意しかねるが、後半は全面的に賛成だ」
こうして、俺はどうにか後輩と仲直りをすることができたのだった。
そして、捜索は続く。
相変らず更新が遅れてごめんなさい。展開に少し悩んでました。土日に書き貯めて、平日に安定して更新できるようにしたいな、と考えています。がんばります。