異世界を作る、ということ
森の中は薄暗く、奇妙な雰囲気が漂っていた。
お化けのように枝をぶら下げる木々や、ところどころに張られたクモの巣なんかはいかにもって感じだ。
僕はホラーとかあまり得意ではないので、こういう状況はあまり心地よくない。
今にも魔物が横から飛び出してきそうだ。
「大丈夫ですか、勇者様?」
「ひゃっ。な、なんだよっ!」
自分の後ろを歩いていた魔法使い、ルイに肩を触れられて僕は心底驚いた。
何事かと思ったのだ。
それだけだ。それだけだからな!
決して、ルイの指先がひんやりしててビビったとか、そういうのじゃないからだからな!
って、この反応誰得だよ……。
「勇者様……、さっきから震えていますよ」
「そ……っ、そんなことは無いぞ。そんなことは無いっ!」
僕は後ろを向いて、ルイに対して反論を試みた。
しかし、ルイは何がおかしいのか、微笑んで僕の様子を眺めている。
そんなやり取りを続けていると、パーティーの一番後ろで盾を構えていたダンキもこちらを向いて、
「勇者よ、そんなに気取る必要はないんだぞ」
「別に、気取ってはいないよ……」
なんだか、この世界に転生してからの数日感、こんなやり取りばかりしている気がする。
忘れもしない。
あの日、僕はトラックに轢かれたのだ。
どうして? よく覚えている。
僕はあの日、体育の授業でやったバスケの試合中に、ゴールボードから跳ね返ってきたバスケットボールに掛けていた眼鏡を粉砕された。
しかも、そのシュートを放ったのも僕自信だった。
ここでシュートを決めたら最高にかっこいいだろうな、と思って打ったシュートで眼鏡を壊すなんて、最高にかっこ悪い眼鏡の壊し方だと思う。
その上、眼鏡が無いせいでよく見えなくて不注意になりトラックに轢かれてしまうなんて、ダサいにもほどがある。
本当に、死にたくなる……。実際に死んだんだけど。
そんなわけで、未練たらたらの僕は異世界に転生することになった。
一応、勇者ということになったのだけど——。
パーティーの先頭に立っているだけで、今一勇者になったのだという自覚がない。
もっと、勇者になったらこう、上手く活躍できると思っていたのだが、なかなかそうはいかない。
結局、ただのちやほやされるだけの存在になってしまっているような気がする。
そんな自分がどうしても許せなかった。
僕は別に、そんな勇者になりたいわけじゃない。
もっと、かっこよく、勇者をやりたいのに……。
「ち……っ」
僕は路上——と言ってもこの森に道らしきものはないので、進行方向という意味だが——に転がっていた石をつま先で力を込めて蹴り飛ばす。
その石は、思ったよりもずっと遠くまで転がっていく。僕はそれを目で追った。
切り株にぶつかって、石は止まった。
「いや……」
あれは切り株なんかじゃない!
僕はそれに気付いたものの、咄嗟には行動できなかった。
代わりに、
「勇者様っ!」
ルイが僕の頭を押さえて、強引にしゃがませた。
「がるっ。ぐるるるぅ……っ!」
咆哮が聞こえる。
切り株が——、切り株のように身体を丸めていたオークが立ち上がり、僕達の方へと突進してくる。
ごわごわとした茶色の毛を生やした魔人とでもいうようなその生き物が、こちらに向かってくるのは、想像以上に恐怖があった。
「寝起きのオークは厄介だぜ。やり過ごしたいところだが——」
同じように腰を屈めたダンキが、こちらへと突っ込んでくるオークに注視していた。
ルイも普段の穏やかなものとは異なる、真剣な目付きをしていた。
そんな二人を他所に僕は考える。
——ここで颯爽と立ち上がって、このオークを倒すのが『勇者』ってやつじゃないのか?
浅慮が過ぎるというものだろう。しかし、このときの僕にそんなことを判断している余裕は無かった。
思ったときには、身体が動き出していた。
「こっちだ!」
僕は立ち上がり、オークへと向かって叫ぶ。
「勇者、何をしてる!」
「勇者様、危険ですっ!」
二人は大慌てで立ち上がり、僕を止めようとする。
僕は二人の手が迫るよりも早く、剣を構えた。
「大丈夫だっ。僕がこいつを倒す。——来いっ!」
なんて虚勢を張ってみたけれど、やはり剣を持つ手は震えていたし、全体的に逃げ腰だ。
「大丈夫……」
僕は深呼吸をする。
この森へと入る前に、散々練習したじゃないか。
やれる。僕はやれるはずだ。
オークを見据えて、心を奮い立たせる。
水平に剣を構える。
オークの進んでくる速さを目測して……。
三、二、一、ここだ!
僕は全身全霊を込めて、剣を振る。
「え——っ」
しかし、全く手応えがない。
「うぅっ……。ぐっ……!」
僕の剣はオークに当たらず、代わりにオークの強烈な一撃が僕の腹部を殴打していた。
これまでに感じたことの無いほどの衝撃。
痛いなんてもんじゃない。あばら骨をまとめて折られたんじゃないかと思う。
「どうした勇者よ! 空振りだぞ」
煽るように、ダンキがそんなことを言う。
——ふざけんなよ。こっちは初心者なんだぞ。
——もっとチュートリアルっぽい敵がいてもいいじゃないか。いきなりこいつはガチすぎる。
「クソッ!」
僕は血嘔吐を零しながら、物の見事にオークに吹っ飛ばされた。
飛ばされた先にあった木の幹に、全身が叩き付けられる。
これもすごい衝撃だった。
泣き面に蜂というか、嫌になる。
こんなことになるなら勇者になりたいなんて、そんなこと言ってみるんじゃなかった。
オークはまだ暴れ足りないのか、こちらに向かってさらに突進を続ける。
多分——あれを喰らったら、僕は死ぬ。
視界が赤く点滅しているような気がした。
これはあれだ。RPGとかでよくある、体力が底を突こうとしているときの演出だろう
——また、僕は死ぬのか……。
——もう一度転生できるなら……。いや、もうしなくてもいいかな。
僕は生涯の終わりを覚悟した。
こんな短期間に二回も死んだアホは、僕くらいのものだろう。
そんな絶望的な気持ちで、目を瞑る。
もうすぐ、オークが僕を殺すだろう。
そう思っていたのに——。
「勇者、お前は馬鹿か。初撃からとどめを刺せるわけが無いだろうに!」
間一髪。ダンキがその大きな盾を構えて、僕の前に立ち塞がった。
今度は、オークがその盾に弾き飛ばされる。
さらに続いて、少し離れた場所にいるルイが、年季の入った杖を掲げる。
「オーク如きにこの魔法を使うのは少々勿体ない気がしますが、勿体ぶる状況でもないでしょう。見せてさしあげます」
ルイの周りに円形の文様が広がる。魔方陣だった。
そして、掲げた杖をオークへと向けた。
「最大凍結——キュールシュランク!」
オークを恐ろしいほどの冷気が包み込む。
それは、瞬時にオークを氷の塊にしてしまった。
「す、すごい……」
僕は驚愕して尻餅を着いた。
腰が抜けてしまう。この二人がこんなに強かったなんて、知らなかった。
——こんなに強いなら、尚更僕なんて必要ないんじゃないのか。
そんな考えが一瞬頭を過ったが、
「勇者、何をしている!」
「そうです。勇者様っ、早く立ち上がってください!」
ダンキとルイが僕に何か言っている。
「僕が……、どうしてだよ」
ルイが叫ぶ。
こころなしか、冷気が弱まりつつあるような気がした。
「勇者様の一撃でしか、魔物にとどめを刺すことはできないのです!」
「そんな……」
「お前は勇者だろう。その自覚を持て!」
「勇者の自覚——?」
そんなもの分かりっこない。
けれど——。
ただ一つ、確かなことがあった。
「僕がここでやらなきゃいけないんだろっ!」
僕は立ち上がり、剣を構える。
そのままオークへと向かって駆け出す。
全力で、これまでに無いくらい全力で疾走した。
しかし、さっきと違って今度は落ち着いていた。
——大丈夫。いざとなれば、ダンキとルイがバックアップしてくれるはずだ。
別に勇者だからって、仲間に頼っちゃいけないってことはないだろう。
むしろ、勇者なら仲間を信頼してしかるべきだ。
どうして、こんな単純なことに気付かなかったんだろう。
——やっぱ僕って、アホだな。
オークのところまで到達する。
冷気はもう随分と弱まってきていた。
オークの眼が、こちらをぎろりと向いた気がする。
——やるしかない!
僕は剣を大きく振りかぶり、渾身の一撃をオークに浴びせる。
「うおおおおおぉぉ——っ!」
剣は閃光を放ち、オークを一刀両断した。
オークは最後の悲鳴を上げると、そのまま消滅した。
「す、すごい……」
オークを斬った感触が手に染み付いていた。
そんな掌を何度も握り締める。
重く、深い一太刀の衝撃は生半可なものではなかった。
それは、確かな実感としてここにある。
「勇者様っ、さすがです!」
「まったく。冷や冷やさせやがって」
二人が拍手をしながら、僕に近付いてくる。
「た、大したことじゃないさ」
「また強がりやがって。さっきは死にそうな顔してたくせに」
「し、してないからなっ」
「そういえば勇者様、その怪我——」
「あ、いや……」
「私の回復魔法で、治癒してさしあげましょう」
ルイが杖をかざすと、僕の傷はたちまち良くなった。
「あ、ありがとう……」
「いえいえ」
ルイの笑顔を、やっと直視できた。
ようやく、自分が勇者になれたような気がした。
僕達はそれから数日間森の中をさまよい、どうにかそこを抜けた。
そして、次の街へと向かう道——今度はちゃんと舗装された道だ——の途中のこと。
僕はふと、こんなことを尋ねていた。
「僕は本当に、世界を救えるかな」
ルイは相変わらずの聖母の如き微笑みで言う。
「救えますよ。それが勇者様の使命なのですから」
「使命、か——」
確かに、それは僕が僕自身に向け誓った使命のようなものなのかもしれない。
まったく、大変なものを誓ってくれたものだ。
それでも、まぁ、こんな世界も——。
「せめて、勇者にはとどめの一撃まで自分の身は自分で守ってもらえるようになってほしいところだけどな」
「そ、そういうこと言うなよっ!」
ダンキがからかうので、せっかくの感傷的な気分が台無しになってしまった。
こんな風に、僕の……僕達の世界を救う旅は続いていく——。
- - -
『To Be Continued…』という文字列と共に、動画は終了した。
「うぅ……っ。じゅるっ。わ、わたし……、わたし、感動しました!」
後輩はなぜかハンカチを顔に当てて、泣いていた。
鼻水まで垂らして、みっともない。
予想していたことだが、やはりこいつは涙もろい。
そういう奴なのだろう。
しかし——。
「今の話、そんなに泣ける要素あったか?」
どうにも俺には、クソガキが多少まともなガキになった程度の話のように思えた。
感想できる要素なんて欠片もない。
あくまで個人的な意見なのだが。
「少年の成長——王道じゃないですか!」
ともすれば、こいつの意見も一個人の意見に過ぎないのだろう。
俺は後輩の言葉を、適当に聞き流すことにした。
ここは俺と、暫定的にこの後輩の仕事部屋となっている異世界製造局の一室だ。
普段ならば俺が向いている方には巨大な、異世界生成プログラムの起動しているディスプレイが展開されているはずなのだが、今日は違った。
代わりに空中にあるのは、動画再生ウィンドウだ。
動画が終わってしまっているからもう黒い画面しか見せていないが。
先程まで再生していたのは、仕事を終えると必ずと言っていいほど神様側から確実に送られてくる、俺達の作った異世界に送り込まれた人がその後どうしているか、をダイジェストにした映像だった。
毎度あんな感じの、似たり寄ったりな評価に困る内容のビデオが送られてくるので、ほとんど場合は目を通すことなく『どうでもいい』フォルダに突っ込まれてしまう。
実際どうでもいいのだ。
しかし、そういう動画を見るのも新人教育の一環だろう。
そう思って、後輩と一緒に、送られてきた映像を見てみることにしたのだ。
「にしても、実際に出来た世界ってあんな感じだったんですね。まさに剣と魔法のファンタジーでした」
「まぁ、悪くはないよな」
例えばオークの存在感とかルイとかいう女の放った魔法のエフェクトは、とてもじゃないがCGなどでは模倣できないだろう。
まるで実在するような質感なのだ。——もちろん、それは実在するから、という分かりやすい理由があるのだけど。
後輩が、部屋を暗くするために閉じていたカーテンを開く。
一気に部屋に陽の光が射し込んできた。
「眩しい——」
俺は光を減らすように、目の上に手で傘を作る。
「先輩は吸血鬼か何かなんですか?」
そんな呑気なことを言いながら、後輩は光を全身で受け止めるように背伸びをした。
肩甲骨が薄手の白いシャツにくっきりと浮き出るのを、俺はぼんやりと眺めていた。
後輩が急にこちらを振り返る。そして、思い出したように言う。
「この仕事、案外悪くないかもしれないですね」
「そうか」
「『異世界を作る』って最初はなんか大変そうだな、難しそうだなって考えてたんです。
でもやってみたら意外にもそんなに難しくなくて、ちょっと拍子抜けしちゃって。
となると、どうしてこんなことやるんだろうって疑問だったんですけど、さっきの動画を見たら、結構やりがいのあることやってるんだな、って——」
「ほう」
俺はふっと口元を緩めた。
「そりゃよかった」
俺は動画を再生していたウィンドウを消去して、いつもの異世界生成プログラムを起動する。
他にもいくつか部屋の中に散逸しているウィンドウやらを整理していると、後輩が後ろの方で何かしていた。
「先輩っ。見てくださいっ! すごいですよ!」
後輩が何やらはしゃいでいる。
いつものことのような気がしなくもないが。
俺は後ろを向いて整理整頓を続けながら、後輩の言葉を聞いていた。
「わたしのプロフィールなんですけど、『スキル』の項目に『異世界クリエイション』が追加されてます!」
「へぇ。すごいじゃないか」
俺は小さな拍手を後輩に贈った。
——そういや、自分の最初の頃にそんなことがあったかもしれない。
が、今は一応、仕事中なのだ。
一喜一憂していたら、終わるタスクも終わらなくなる。
俺は無慈悲にも言い放った。
「喜んでるところ悪いが、こっからはいつもの仕事に戻るぞ」
「はい!」
後輩の声が響き渡る。
これなら今日の仕事も安心して終わらせることができそうだ。