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荊の報徳  作者: 卯浪 糸
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しおれた白薔薇

しおれた白薔薇の花言葉:【穢れるくらいなら、死んだ方がまし】

ローズが物心ついた頃から、獣人はそばにいて当たり前の存在だった。獣人は人間よりも劣る存在だと卑下されていたが、ローズの両親はそれをよしとしなかった。


引っ込み思案だった彼女は学校でなかなか友人をつくる事が出来ず、遊び相手は兄妹同然に育ったアーサーと、狐の獣人のルナールのふたりだけ。その事でローズが仲間外れにされることもあったが、一緒に育ち、自分をお姫様のように大切にしてくれるふたりを遠ざける事など出来るはずも無く。当時、彼女がべそをかきながら帰宅することは珍しくなかった。


その日も涙と鼻水でぐずぐずの顔で帰ってくるなり、「学校に行きたくない」とこぼすローズにアーサーとルナールは眉と尻尾をしょんぼりと垂れた。


「…いやなこと言われたの。…ひどいこと」


―――ぶさいくローズ!頭でっかちの眼鏡ぶす!!


学校で何を言われたのか、とまるで自分が傷付けられたような顔で訊いてくるルナールに答えて、ローズはまた涙をこぼす。


ローズの学級にはもうひとり「ローズ」という名の少女がいた。黒い髪をおさげにし、やはり黒い瞳に眼鏡をかけた、いつも自信無さげにうつむいたローズとは対照的に、もうひとりのローズは金髪に青い瞳の、天真爛漫な美少女だった。


―――おまえなんか薔薇ローズじゃない。そこいらの雑草とおんなじじゃないか!


ローズが真面目で大人しい性格で、教師受けが良かったのも災いした。学級のガキ大将にからかわれ、言い返す勇気も無いローズが泣き出しても誰も助けてくれず、事態は悪化するばかり。


それを聞いたルナールは白皙の顔を真っ赤にした。


「どうしてローズがそんな事言われなきゃいけないんだよ!僕のローズは世界一可愛いのに!!」


ルナールのローズ贔屓は今に始まった事ではない。幼い頃はルナールの絶賛を快く聞いていたものだが、ローズはすでに自分の容色が褒められたものではない事など充分過ぎるほど理解していた。


…ルナールだって、もうひとりのローズを見れば、わたしの事なんか見向きもしなくなるに決まってる。


膝を抱えてみじめさに泣き続けるローズと、彼女を抱きしめながらぷりぷりとひとり怒るルナールをじっと見ていたアーサーは、ひとつ嘆息した。


「…そんなにいやなら学校に行かなくていいだろう」


ローズとルナール、ふたりの視線を真っ向から受けとめながら、年嵩のアーサーはハンカチを取り出した。


「勉強なら俺がして、ローズに教えればいいだけだ。学校が同年代の子供との協調性を養う場だというのなら、いじめが行われている時点で不可能だろ。…俺から旦那様と奥様に話してみよう。学校がなにか言ってきても、俺が言い返してやる」


「ほ、ほんとう…?」


ローズの分厚い眼鏡をはずして、涙をそっと拭きながら、アーサーは微笑んだ。


「ああ。…俺が一緒に学校に行っておまえを守ってやれればいちばんなんだがな。…それはできないから」


冷たい印象のアーサーの淡水色の双眸は、けれどローズを映す時だけ得も言われぬ甘さを宿す。それは兄が妹を見る目とおなじ。


こみあげる嬉しさのままに、ローズはアーサーに飛びついた。とたん、ルナールの尻尾が膨張する。


「ずるいよ、アーサーの良いカッコしぃ!!ローズ、僕も勉強するからね!ローズに似合う、新種の薔薇を咲かせるんだから!」


「そっちかよ…」


げんなりと溜息を吐くアーサーの腕の中で、ローズはくすくすと笑う。


アーサーが両親を説得してくれたおかげで、ローズは無理をしてまでいじめの待つ学校に行かずにすむようになった。だからといって勉強が免除されるわけではない。勤勉なアーサーは、授業においては教師よりも厳しかった。融通のきかないアーサーにげんなりする事はあっても、ローズは一心に勉強に打ち込んだ。遊び好きな狐のルナールは早々に授業をさぼる事をおぼえてしまったけれど、雇いの庭師曰く、彼は非常に筋が良いらしい。


このまま両親の家業を継いで、アーサーに手伝ってもらって、ルナールの咲かせた新種の薔薇を売って。小さくてもいい、3人で暮らしていけるだけの店を持って。


勉強が長引いたから部屋に帰るのが億劫だと、アーサーとルナールの部屋のベッドで3人横になり、窮屈だと笑いながらローズは未来を夢想する。


しかし夢の終焉は、突如としてやってきた。



             *



若芽がしなやかな萌木に成長する時間はあっという間だ。


身体のおおきなアーサーはもとより、華奢なルナールですらも、そのころにはローズとはまったく違う体つきになっていた。丸みを帯びた自身の身体が【女】になろうとしている事、アーサーとルナールが【男】である事は理解していても、それがどうして距離をとらねばならない理由になるのかローズにはわからない。


ローズとアーサー、ルナールは種族が違う、性別が違う。…それがなんだというのか。ずっと一緒にいて―――、それこそ仕事で家を空ける事も多くなった両親よりもながい時間を共に過ごしてきたのだ。家族も同然だというのに、「成長したから」という曖昧な言葉で引き離されるのはおかしい。


それでもローズが夜、ふたりの部屋に忍び込んだとして、怒られるのは彼らなのだ。よそよそしさのなかに、気まずそうな色を刷くようになったふたりを案じつつ、ローズはひとり寝の夜を過ごす。




初夏の夜だった。その日は日中からじめじめと暑くて、どうにも寝苦しい。涼を求めて眠る前に檸檬水を飲んでいたら、夜半になって催してしまったのだ。


湿気を吸って重くなった黒髪が煩わしい。夜着の上にショールを羽織るのも暑くて、母が見れば「はしたない」と眉をひそめられる格好でローズは部屋を出た。


ローズの部屋は家のいちばん奥まった場所にある。トイレに行くには両親の寝室の前を通らねばならない。


一度両親の目を盗んでアーサーとルナールの部屋に行こうと思ったら、足音で気付かれ、こっぴどく叱られた事があった。それから後ろめたい事はなくても、ローズは夜中は足音を消して歩く癖を身につけたのだ。


粘つくような闇にうんざりとするローズの耳が、奇妙な音を拾った。それとも、…声、だろうか。


視線をやれば、両親の寝室の扉が開き、薄明りが漏れている。


まったく何も考えていなかった。闇の中で見つけた光に本能で虫が群がるように、ローズは灯りのもとに目を向けていた。


そこで見たのは、ベッドで絡みあう男女の姿―――両親と、兄同然と思っていたふたりの獣人だった。


状況を理解するまでに時間がかかった。あたたかな薄橙の光のなかでは、闇はいっそう濃いものになる。4人分の剥き出しの肌がぬめぬめと蠢く様は、鱗を持たない白い蛇のような醜悪さと不快さをもってローズの頭を殴りつけた。


胃から苦いものがせりあがる。呼吸すらままならず、両手で口を押さえ、気付かれてはいけない、と後退るローズと母を組敷いていたアーサーの視線がぶつかった。


アーサーの目が大きく見開かれた。しとどに濡れた髪をはりつかせた薄い唇が「ローズ」と動く。


それに気付いたのか、父にのしかかられていたルナールの首がめぐり、やはりローズを見つけた。


ルナールの熱に浮かされた表情が一気に強張る。彼の口が声を発するより早く、弾かれたようにローズはその場から駆け去った。


ルナールの悲鳴が細く追いかけてくるが、ローズはただただおぞましい光景から逃げたかった。




次の日からローズは獣人はもとより、両親すらも拒絶した。部屋に閉じこもり、ろくに食事も摂らない。母の心配する声に金切り声で反発し、しびれを切らした父が鍵を壊し、部屋に乗り込んできた時には、姿を見た瞬間、堪え切れず嘔吐したほどだ。


娘の豹変ともいえる変化に両親は戸惑い、途方に暮れた。しかし彼らの悲しみに打ちひしがれている姿すら、ローズには焼けるような怒りと絶望をもたらした。彼らはまさか、自分たちに非があるなど思ってもいなかったのだ。


美しい獣人が「そういった行為」を強要されている事実はなんとなくローズは知っていたけれど、自分の家は違うと思っていた。両親は獣人を差別しなかったし、ローズにもそうあるように口を酸っぱくして言っていた。種族は違っても、自分たちは家族なのだと信じて疑わなかった。


けれど両親は「実子同然」と周囲に言っていた獣人たちを性の対象にしていた。アーサーとルナールにとって、あれが同意の上だったのかそうでなかったのか、どうでもよかった。


ローズが知らぬうちに、家族だと信じていたものは醜く歪んでいた。いや、最初からこのかたちで、ローズが輪郭に気付いていなかったのだろうか。


―――なんて、汚い。おぞましい。


衝撃と悲しみは、いつしか滾るような怒りを伴っていた。家族への愛情は氷のような侮蔑にとって代わられ、ローズは誰とも接触せず、自分の殻に閉じこもるようになっていた。時折、アーサーが悲しそうな目を、ルナールがなにか言いたそうに見つめている事に気付いたが、ローズは一瞥もくれず、徹底的に無視をした。


ローズにとって幸いだったのが、そんな時間を長く過ごさずに済んだ事だろう。


両親がこぼしたのか、隣国で貿易業を営む遠縁の小父がローズの様子を見に来たのだ。彼は結婚していたが、子供は無く、妻にも先立たれていた。その為なにかにつけ、ローズに気を遣ってくれていた。酒の席で勉強熱心なローズを自分の跡取りに迎えたい、と本気とも冗談ともつかぬ事を言い、父を困らせていたものだ。


すっかり荒み、痩せてしまったローズに小父は呆然としていたが、すぐに穏やかな笑みを浮かべた。


【外】の空気を纏った小父に、ローズのぎりぎり張りつめていたものが決壊した。小父に縋って泣きに泣いて、家から、この国から出たいと懇願した。この国は両親のような人間がやまといるのだ。こんな汚い場所、すぐにでも出て行きたかった。


小父は言葉にならぬローズの絶叫を黙って聞いていたが、ここにいる事が彼女の為にならないと理解したのだろう。その日のうちに、自分が責任を持って預かるから、と両親に直談判してくれた。


ローズを精神病院に入院させることも考えていた両親は、渋々首肯した。


商談でこの国に来ていた小父の出発に合わせ、ローズも出国の手続きをする。ローズの名を呼び、行かないでと泣きわめくルナールに、哀れみどころか苛立ちしか感じない。手紙を書くから、寂しくなったらいつでも帰っておいで、と寄り添って涙ぐむ両親を睨みつけないように努めてうなずき、ローズは足取りも軽やかに船に乗り込んだ。


船が海原に漕ぎ出す瞬間、別れを惜しんだ誰かが放ったのだろう。くたびれた白薔薇が儚く波間に消えていくのが見えた。


しおれた白薔薇の花言葉はたしか―――【穢れるくらいなら、死んだ方がまし】。











































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