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荊の報徳  作者: 卯浪 糸
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薔薇の棘。

薔薇の棘の花言葉:【厳格】

【荊の淑女】。


ドランディード社長、ローズ・ドランディードは巷では揶揄混じりにそう呼ばれていた。


会社経営者の娘として生を受けた彼女は、まだ少女のうちに遠縁を頼り、異国で経営を学んだ。両親が事故死したと同時に帰国し、この国では珍しい女性経営者となったのだ。


ローズは両親が行っていた自国に向けてのみの細々とした商いを一転。取り引き相手を他国に向けた。果たしてそれは成功し、今では規模は決して大きくはないものの、かゆい所に確実に手の届く堅実な商売で国内外問わず信頼を得ている。


未婚の敏腕女性経営者となれば、同業者が放っておかない。ある者は親切ごかして、ある者は商談をたてに。どうにか彼女を自陣に取り込もうとして、取りつく島もなく拒絶されていた。「少しばかり仕事が出来るから、お高く留まっている」と吐き捨てる者もいたが、彼女がそこから降りてくる事は無かった。


誘いは徐々に減っていき、ローズは「オールド・ミス」と呼ばれる年齢になっていた。女性は結婚をして子供をつくる事が当然とされている時代。いつまでも仕事一辺倒で、家庭をつくる様子も無いローズはその事でまた憐憫を張りつけた嘲笑を陰口を叩かれたが、眼鏡の奥の黒い瞳は揺らぎもしない。


もしかして彼女は男嫌いなのではないか。


…いや、人間嫌い・・・・なのだよ。


忍び笑いと共に人々はローズの為人ひととなりを勝手に解釈し、さらには彼女の過去に仮定を与えてはせせら笑い始める始末。


実際ローズの私生活には人間・・はおらず、側近く仕えているのは亜人―――獣人のみだった。


人間と獣人が存在している世界。他国では共存を成し遂げている国もあるが、この国では獣人はいまだ人間の従属だ。金で取り引きされ、奴隷扱いも珍しくない。


ローズが護衛として連れているのは、犬の獣人のなかでも人気の高い狼犬だ。アーサーという名の、灰銀の髪に透き通るような淡水色の瞳を持つ精悍な容姿の青年は、外ではまるで影のようにローズのそばから離れない。鍛え上げた長身に、犬の獣人の特性のひとつ―――主君に絶対の忠誠を捧げる彼を譲って欲しいと破格の値で交渉する者も男女問わずいたが、ローズは彼らの訴えを汚物を見るような目と氷のような口調で拒んだ。


かといってローズが獣人に優しいかといえば、そうでもない。【荊の淑女】の異名がさすように棘を纏った眼差しと声音で、自分に服従するアーサーには最低限以下の接触しか持たず、時には視界に入る事すら不快な表情を閃かせる。


あれは「ふり」だ。寝室では真逆なのだろう、とこれはこれで口さがない者の格好の標的になってしまうのだが、ローズの私生活は謎に包まれたまま。まことしやかな噂は流れど、真実を語れる者はいないのだ。



                               *



冬の雨というのは、どうしてこうも陰鬱な気分になるのだろう。


商談を終え、薄汚れた通りを走る黒塗りの車の窓から外をぼんやりと見ながら、ローズは鈍痛を訴える頭で考える。革張りの後部座席には書類が散らばっていたが、目を通す気にもなれない。


ひとつ溜め息をついたローズの近眼が、曲がり角で蠢く影を拾った。思わず頬杖をついていた顔を浮かすと、車が速度を落とし、路肩に駐車する。


主の一挙手一投足も見逃さない獣人に、しかしローズは苛立ちしか覚えなかった。運転席のアーサーが傘を差して扉を開けるよりはやく、ローズは車から降りると、濡れるのもかまわず歩き始めた。


雨を避ける軒先もなく、濡れるままになっていたのは襤褸をまとった猫の獣人だった。よく似た面差しから、血の繋がりをうかがわせる。


この国では、獣人は獣と人の混ざり具合でが決まる。最も価値があるのが、人間とそう変わらぬ容姿に、獣耳や尻尾を生やしたもの。ちょうどアーサーがそうだ。それから獣の色を濃くしていくごとに扱いは悪くなっていく。


ローズの眼下で身を寄せ合って震える仔猫たちは獣と人がちょうど半々、といったところだ。捨てられたか、逃げてきたのか。どちらにしろ、ろくな扱いを受けていなかったのだろう。ひどく痩せ、怯えていた。


「奥様」


アーサーの声と共に、ローズの頭上に傘が差し出される。振り返りもせず、ローズは色の悪い唇を開いた。


「ここで野垂れ死ぬか、わたしと来るか。今ここで決めなさい」


猫の金色の双眸が見開かれる。言葉は通じるらしい。個体によっては言語から教えねばならないこともある。ならばこの猫たちは、人間に近しい場所にいたのだろう。


髭を震わせ、きょうだいが顔を見合わせる。返事を待たず、ローズは踵を返した。アーサーの声が追いかけてくるが、無視を決め込む。


車の助手席に腰を落ち着けると、ローズは木綿のハンカチで濡れた顔や服を拭き始めた。ちらり、と車外に視線を向けると、アーサーがしゃがみこんで猫の獣人たちと話しこんでいる。


淑女にあるまじき舌打ちをして、ローズは目を閉じた。疲れてはいるが、眠いわけではない。ただ、なにも視界に入れたくなかったのだ。


ほどなくして、後部座席にアーサーの黒いコートにくるまれたきょうだいが乗り込んだ。雨は小雨だった為、ローズはさほど濡れていなかったが、彼らの伸び放題の赤茶の髪からは水が滴っていた。長い時間、雨に打たれていたのだろう。饐えた異臭もする。


「お待たせしてしまい、申し訳ありません。奥様」


軽く滴を払い、アーサーが運転席に座る。表情はいつもの人形じみたものだったが、ふさふさの尻尾が嬉しそうに揺れているのを見てしまい、ローズの鳩尾が苛立ちでやけた。


「はやく出しなさい」


努めて感情を殺した声で、ローズが居丈高に命じると、アーサーは一瞬なにか言いたげに唇を震わせたものの、結局声は無く。短く首肯し、アクセルを踏んだ。




ローズは初めて会社が大きな利益を上げた時に、生家を二束三文で売り払い、現在の屋敷を購入した。屋敷自体はこじんまりとしたものだったが、広々とした前庭、中庭には季節ごとにさまざまな薔薇が咲き乱れ、甘い香りを漂わせていた。


その薔薇を手入れするのも、屋敷の一切を取り仕切るのも、ドランディード邸では獣人が一手に担っていた。


ローズが車から降りると、黒い立ち耳が軍用犬を連想させる壮年の獣人が出迎えた。執事として使えるウィリアムだ。


「おかえりなさいませ、奥様」


ローズは傲慢にもひとつうなずいただけで、彼の前を通り過ぎようとして―――足を止めた。


「…猫を拾ったわ、ふたり」


「さようでございますか」


「食事もろくに摂れていなかったみたいだから、なにか温かい、消化のよいものを。それから風呂にいれてやってちょうだい。猫だから最初は―――」


そこまで早口に告げて、ローズは自らを恥じるように唇を噛んだ。


「教育はアンナに任せるわ。わたしは一切関知しません」


女中のアンナは山羊の獣人だ。横長の瞳孔に、おっとりとした気性の持ち主だが、仕事には並々ならぬ情熱と矜持を持っている。


「かしこまりました」


聡い執事は主人がひとりを好む事を知っている。付き添う事無く、頭を垂れて彼女の長身を見送った。


ドランディード邸の廊下には、絵画も骨董品も飾られていない。かわりにそこここに薔薇の花が活けられていた。


ローズは、自らの名前の由来でもあるこの花が好きではない。華美なかたちも、甘すぎる匂いも、正直気に障って仕方がないのだ。


眉間に皺を寄せた険しい表情のまま、ローズは流行から完全に取り残された暗い色のドレスの裾をさばいて廊下を進む。と、彼女の足が止まった。


大きな硝子窓の向こうで、小雨の降るなか、柑子色の髪の青年が薔薇の手入れをしていた。黒い手袋をした細い手が愛おしむように今年最後になるであろう薔薇の膨れた蕾を愛でる。


柑子色の髪からのぞく、柔らかな毛に覆われた狐の耳がふと震えた。


まずい、と思ったが、ローズの足はそこに縫い止められたまま。振り返った狐の獣人の、大きな琥珀色の双眸が瞠られた。


ふっくらとした彼の唇が上下する―――ローズ、と。確かにそう動いた。


瞬間、ローズを縛っていたものが解ける。眼窩に痛みを覚えるほどきつく彼を睨みつけると、ローズは荒々しくスカートを翻し、その場を後にした。























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