第3話『小さな気持ちと長い一日』
昼休み。
「なんか、今日の午前はあっという間だったな」
「お前さー、まともに授業受けてなかっただろー……」
「お前もだろ」
「へへっ。まあな」
俺と田原はもともと不真面目な生徒で、頻繁に生徒指導室に呼ばれるほどだ。
だが今日は秘密裏にかぐやの世話をしていたので、あまりサボっている感覚は無かった。
「それで昼飯、どうする?」
田原が尋ねてくるが、俺の答えは決まっている。
「俺は今日はパンを食べる」
「って言うと、中庭か?」
「ああ」
俺がパンを食べるときはだいたい中庭と決まっている。
学食もいいが、外へは持ち出せないからな。
中庭には穴場スポットがあり、俺はいつもそこで食べているのだが、そこならばかぐやと一緒にいても誰の目にもつかないだろう。
「そんじゃ、俺はD定食を食うとするか」
D定食……それは別名デラックス定食と呼ばれるものだが、その名の通り、デラックスな内容になっている。
そのぶん値が張るので一部の生徒しか頼まないのだが。
「お前、そんな金あるのか?」
「下級生におごってもらう」
そんな方法で食べられて美味いのだろうか。
まあ、こいつは筋金入りのバカだから気にならないんだろうけど。
「ほどほどにしとけよ?」
「大丈夫大丈夫、一人百円ずつ出してもらえば九人で足りるし、十人に頼めば余った金で飲み物も買えるぜ!」
そう言ってグッと親指を立てる田原。
いや、余るほど金を取るんじゃねえよ……。
◇
「かぐや、何のパンがいい?」
俺は学食に並び、ワイシャツの胸ポケットに入っているかぐやに尋ねる。
「そうですね……。わからないです」
かぐやはポケットから頭を出し、メニューを一通り見たが、一つも味が想像できないのか首を傾げた。
「じゃあ甘いのとしょっぱいの、どっちがいい?」
「甘いのがいいです」
……ここで一瞬、俺の顔が引きつる。
かぐやがパンを食べても、そのうちほとんどの部分は余ることになるので俺が食べなくてはならない。
しかし昼飯として甘いパンを食べるのは、正直言って嫌だ。
「かぐや、お前……頑張ったら全部食べられるか?」
「えっと……み、三日くらい掛ければ食べられると思います」
無理そうだった。
そりゃそうだよ。自分の身体よりも遥かに大きいんだし。
ここは俺が我慢するしかなさそうだ。
パンを買ったあと中庭に移動し、俺の特等席である巨大な常葉樹の下に座った。
木の名前は知らないが、常葉樹であることだけは知っている。
その土の周りは石で枠組みがしてあり、そこに座ると、木陰なのでひんやりしている。
かぐやをその上に降ろし、パンの袋を開ける。
「ここは涼しいですね!」
「そうだな。結構風も通るしな」
ただしこの場所、冬はとても寒くなるんだよな……。
そんなことを考えつつ、先ほど買ったジャムパンを千切り、かぐやに与え、俺は俺でコロッケパンをかじる。
「どうだ、美味いか?」
「はいっ、とても美味しいです」
そう言って微笑むかぐやの口元に、ジャムが付いている。
俺はそれを指で拭ってやり、かぐやに渡した残りのジャムパンをかじった。
甘いものとしょっぱいものを交互に食べると、なんか気持ち悪くなりそうだな……。
「あ、ありがとうございます……」
かぐやはなぜか顔を赤くしている。
「ん? ああ……」
相手が女の子とは言え、小動物よりも小さいからか全然気を遣うこともなく、妙な居心地の良さを感じながら昼休みを過ごした。
その後、午後の授業も無事にこなし、(と言ってもほとんど授業は聞いてなかったが)あっという間に放課後となった。
朝はかぐやをカバンに入れてきたが、そのせいで暗闇を怖がるようになってしまったので、昼休みと同じく、胸ポケットに入れて持ち帰ることにした。
かぐやは外の風景が気になるのか、ずっと顔を出していたが……案外バレないものだ。
「今日はなんとかなったけどさ、毎日お前を連れて行ったら、いつかバレそうだよな……」
自宅で着替えながら言う。
かぐやは机の上に座っている。
「それに、居なくなった時だって、なかなか見つからなかったわけだし」
「はい……。幸平にたくさん心配させてしまいました……」
「まあサイズがこれなんだから仕方ないけどさ」
「私……しばらくはここに居ます」
着替えが終わり、机と一緒に置いてあるキャスター付きの椅子に座る。
「ここって、家にずっといるってことか?」
「はい……その方がご迷惑が掛からないかと……」
「でもそれはそれで心配なんだが……」
目の届く範囲にいてくれれば安心できるが、しかし、学校に連れて行くのはリスクが伴う。
家の中にいてもらえばそのリスクは大幅に減るが、何かがあった時に俺は気づくことができない。
(って、俺が心配しすぎなのか……)
親心というか何というか……とにかく心配な点が多いが、案外小さくてもちゃんとしているっぽいし、それほど気に掛けなくても平気なのかもしれないな。
「……わかった。明日から家で留守番、頼んだぞ」
「はいっ!」
元気よく返事した後、かぐやは何かを思い出したように、ハッとなった。
「あ……そうでした、あの……着物の修繕をしたいのですが……何か道具はございませんか?」
修繕……その言葉からパッと思いついたものがガムテープくらいしかない辺り、俺には女子力が無いな……と思った。
だが数秒かけて考えた結果、裁縫道具という答えに行き着いた。
「それなら小学校の時に家庭科の授業で使ってたのが押し入れにあると思う。ちょっと待ってろ」
その後数十分かけて裁縫道具を探し出し、かぐやに渡してみた。
「……?」
首をかしげている。
それもそのはず、中に裁縫道具一式が入っているとはいえ、見た目は子供向けの可愛らしいキャラクターがプリントされた筆箱のようなものだ。
というか、どう見てもかぐやがファスナーを開けられるようには見えない。
両腕で抱えるのが関の山だ。
しかしそうなると、中の道具を扱うことも難しいのではないだろうか。
疑問ではあるが、とりあえずファスナーを開け、中身を披露した。
「わぁ色々なものがありますね!」
なぜかはわかないが、興奮しているようだ。
その様子はさながら、親に新しいゲーム機をプレゼントしてもらった子供のようだ。
「それで直せるのか?」
「はい、恐らく。早速やってみますね!」
かぐやは針と糸を取り出し、着物を脱ぎ始めた。
「……なあかぐや。俺、見ないほうがいいか?」
わくわくした様子で作業に取り掛かろうとしていたかぐやが、その一言で固まった。
そして顔を真っ赤に染めた。
かぐやの格好は、着物を完全に脱ぎ捨て、襦袢(着物用の下着)姿になっている。
スケール的には人形よりも小さいため、こちらとしてはあまり興奮するものではないが、見られる側はまた違った感覚なのかもしれない。
「だ、ダメですっ……見ないでください! このような姿……殿方にお見せするつもりは無くてですね……」
慌てて脱いだ着物で自身の身体を隠して言う。
「じゃあ俺は夕飯でも買いに行ってくるから安心して裁縫をしていてくれ」
「…………はい」
何やら俺の態度に不満があるのか、すんなりと返事はしなかったが、俺はすぐにコンビニへ向かった。
◆
「考えてみると、当然なんですよね……」
幸平が買い物に出掛けた後、かぐやは着物の修繕を行っていた。
針は自分の背丈とほとんど変わりないが、昼間に幸平のシャーペンを使って文字やイラストを書いていたので、その大きさのものを使うことはもはや難しくなくなっていた。
しかしかぐやは一人、ため息をついていた。
「幸平は私の事、小さな生き物としてしか、見ていないかもしれないです……」
かぐやは竹の暮らしを卒業してから今に至るまで、ずっと幸平の世話になっていた。
食べ物も移動も幸平に助けられ、自分が居なくなった時にも見つけ出してくれたのだ。
しかし逆に、かぐやが幸平にしてあげられることは無く、ただ心配をかけるのみ。
このままではいけない、とかぐやは思っていた。
「家のお片づけ……はできないですし、お料理も……できたとしても幸平には小さすぎます……」
やはり大きさの違いという壁は大きく、幸平が喜ぶことは何一つ浮かばなかった。
小ささを生かして、役に立てれば……。そう思いながらせっせと針を動かす。
「……うんしょ……。……できました!」
着物を修繕し終え、喜ぶかぐや。
小さいとはいえ、やはり女の子なので見た目には気に掛けたいもの。
ボロボロの服を着ていたのでは幸平に嫌われてしまう。
そう思っている所に、幸平が帰ってきた。
「ただいまー」
「おかえりなさいませ、こうへ……いっ……!?」
帰ってきた幸平に気を取られたかぐやは着物に足を引っ掛け、机から落ちかけてしまう。
針を掴んで必死に這い上がろうとするが、直後、針ごと転落してしまった。
──トンッ
かぐやは温かいものの上に落ちた。
それは幸平の手のひらだった。
「イツッ……」
その声に驚き、かぐやが横を見ると、針が幸平の手に刺さっているのが目に入った。
幸平はすぐに針を抜き、机の上に置いた。
「幸平……ごめんなさい……私のせいで……」
かぐやは涙を流し始めた。
自分が針を掴まなければ、幸平にケガをさせることもなかったと思うと悲しくなったのだ。
「大丈夫だよこんなもの」
言葉は悪いものの、どこか温かみのある声がかぐやの耳に届く。
「でも……血が……」
縫い針が刺さった程度なのでほんの少しの出血なのだが、かぐやにはそれが大きく見えた。
「平気だって。ほっとけば治るっての。それよりお前が落ちなくてよかったよ」
実際かぐやが机から落下することの方が大事なのだが、かぐや自身にはそうは思えず、涙を流しながら傷口に歩み寄った。
「幸平……ごめんなさい」
かぐやは傷口に口を付け、ペロペロと舐め始めた。
「かぐや……お前、優しいやつだな」
幸平は照れくさくなったのか、かぐやから目を逸らし、窓の外を見ていた。
夕日が沈み、夜が訪れる頃だった。
◆
俺がコンビニで買ってきたのは、冷やし中華。
レジに立っていたのは慣れて無さそうな店員だったので、温めますか?と訊かれたら、お願いしますといってやろうと思っていたのだが、訊かれなかった。
それもそのはず、このあいだ田原が同じコンビニに行った時に冷やし中華を買ったらしいのだが、そいつはその時に温めるかどうか訪ねてしまい、店長に怒られていたというのだ。
そう……一度犯した過ちは、二度と犯さない。それが真面目な人間というものだ。
ちなみに田原はその後、家についた時点で買ったものが冷やし中華だということを忘れ、レンジでチンして食べた結果、案外美味いけど、でもやっぱり夏は冷たいやつのほうが良いってことに気づいたらしい。
さすが田原だ。
アイツがコンビニでバイトを始めようものなら、アイスクリームを買う客にも、温めますか?と訊くに違いないだろう。
それはともかく、俺は買ってきた冷やし中華をテーブルに置き、麺にスープやら具材やらを混ぜ合わせ、かぐやとともに食べ始めた。
「どうだかぐや、美味いか?」
両手で一本の麺を持ち、はむはむはむと口の中に入れていくかぐやに感想を尋ねてみた。
「不思議な味ですね……。酸っぱくてしょっぱくて……美味しいです!」
喜んでもらえたようで、良かった。
かぐやサイズだと、千切りのきゅうりやハムでさえ両手でギリギリ持つことができる大きさとなるみたいで、なんか、エサ代が安く済むペットを飼っているような気分だった。
食後、のんびりと時間を過ごしていると、やがて問題が発生する。
「風呂……どうするか」
「……?」
聞き慣れない言葉を聞いているような様子のかぐやを見て、俺は頭を抱えた。
「口で説明はするけど、俺は手伝ってやれないからな?」
「えっと、頑張りますっ!」
何を頑張るのかはわからないが、とりあえず俺は一通り説明してやった。
「そ、それは確かに……手伝ってもらうわけにはいきません……」
かぐやは顔を真っ赤にしているが……問題はこれからだ。
かぐやを風呂場に連れて行った所で浴槽で溺れておしまいだろう。
かぐやのサイズに合わせたものを用意しなければ、溺死してしまう。
とりあえず、コップを用意する。体温よりちょっと高めのお湯入りだ。
次にペットボトルのキャップを用意する。これが風呂桶だ。
最後に石鹸の欠片を渡して、俺は念のために近くに待機しておく。
「あの……お風呂の入り口、高いです……」
残念なことに、コップでは浴槽の代わりにならなそうだった。
だが一応手は届く高さだ。他に丁度いいものが無いので我慢してもらおう。
そう思ったが、コップの高さを変えることが出来なくても、足場の高さは変えられることに気づき、消しゴムを並べて置いてやった。
「これでいいか?」
「はいっ。ありがとうございます!」
俺は後ろを向いて、テレビを見始めた。
恐らくその間にかぐやは衣服を脱いでいるのだろうが、その大きさのせいか、布の擦れる音が全くしない。
ふとした拍子に見てしまわないように気をつけなくてはいけないな。
──チャプン
音から察するに、かぐやは湯船に浸かったらしい。
というか気になってテレビに集中できないのだが……、このドキドキ感は異性に対するものなのだろうか。はたまた、何が起きるかわからないという危機感から来るものなのだろうか。
「どうだ……かぐや」
「ぽかぽかして、気持ちいいです……♪」
「そりゃあ良かったな」
その後、実際どういう流れで行ったかは見ていないのでわからないが、かぐやは髪の毛も身体も洗うことができたようだった。
「あの……」
「ん、どうした?」
「えっと……着るものはどうしたらいいのでしょうか……?」
そういえば、着ていた着物は洗うからまとめて置いてくれと言ったのだが、かぐやは替えの服を一着も持っていないんだよな……。
一日中歩き回ったせいで着物には汚れも結構ついてるし……せっかく身体を綺麗にしたのに汚れた服を着させるのは可哀想だ。
「お前のサイズに合う服は他にあるわけないもんな……、どうしようか……」
二人してうーんうーんと悩む。
「とりあえず、ティッシュでいいか。持っていくから身体隠しておけ」
俺はティッシュを一枚取り、現在かぐやの風呂場になっているテーブルの上に置いた。
「着ることはできないが、身体を隠すことは出来ると思う」
「ありがとうございます! あっ、でもこれ……」
「ん? 何か問題があったか?」
「お湯がかかると切れてしまうようです……」
しまった。かぐやの状態をちゃんと把握していなかった。
着るものの前に、まず身体を拭かなくてはならない。
しかしティッシュで拭くと、紙の破片が身体中にくっついて仕方がないだろう。
すると……タオルか。
「ちょっと待っててくれ」
「は、はい」
戸惑った様子で返事をしてきた。
俺は浴室に行き、タオルを持って戻ってくる。
「よし、これで拭け」
「……あの……」
「…………そうだな」
もう流石にわかっていた。
ずっとこのちっこいのといると、こいつのスケールに合わせて思考することができるようになるらしい。
かぐやの大きさだと、タオルを持ち上げることはできない。
「じゃあ、俺が持ってるから、お前が来い」
「えっ……わ、わかりました……」
俺としてはほとんど性的な目で見ていないのだが、かぐやはかなり気にしているみたいなので、何もまとっていない身体に触れるわけにはいかないだろう。
俺はかぐやから目を逸らし、タオルをかぐやの前で持ち上げておく。
「ではいきます……えいっ」
ふにゅり……と、タオル越しに柔らかい感触がする。
いくら性的に見ていないと言えども、それが女の子の身体だと思うと、少しドキリとしてしまう。
そして、かぐやがティッシュに着替えた所で、俺はかぐやの着物を拾い上げ、洗濯機に入れるわけにもいかないと思い、手洗いした。
服のサイズが小さいのでそこまで手間はかからなかったものの……先ほどまで自分が身に着けていたものを俺が洗っているのが恥ずかしいのか、かぐやは顔を真っ赤にして見ていた。
かぐやの着物を洗濯ばさみの先っちょで挟んで干している間に、俺は風呂に入ることにした。
その間かぐやはテレビに夢中になっていた。
寝る際にはかぐやが俺の所にやってきて、一緒にベッドに寝転がった。
女の子と一緒に寝るというのは、考えようによってはとんでもないことをしている気もしないでもないが、飼い猫のようなものだと思えばなんてことはない。
「おやすみなさいです……」
「ああ、おやすみ」
こうやって誰かに声をかけて寝るなんてのは子供の時以来だった。
なんだか少し、くすぐったい感覚だ。
かぐやは疲れていたのか、あっという間に眠りについた。
「俺も……寝るか……」
一言呟いて目を瞑った。