生きるって、悪夢。
夢――明晰夢とか予知夢とか、何だか色々な種類があるらしいが、一般的な夢は眠っている時に見る、差し当たりのないものだろう。
繰り返し繰り返し見る同じ夢が、悪夢なのかどうかも、私と貴方では捉え方が違うでしょう。
つまりは、そういうこと。
「いや、どういうことだよ」
目を閉じて氷水に漬けて絞ったタオルを乗せている私に掛けられた言葉がこれ。
困惑しているような、眉間にシワを寄せている姿を思い浮かべながら、何がぁ?と言葉の真意を問い掛けた。
「つまりはどういうことだって」
聞いてんだよ、と冷やしたタオルを叩かれる。
目にも刺激が来るので止めて頂きたいが、ズレたタオルを直すだけにして、つまりはそういうことの説明を考えてみた。
つまりはどういうこともなく、そういうことだからそういうことなんだけど。
「うーんっとねぇ、私の夢は明晰夢でもなければ予知夢でもないけど、私にとっては悪夢みたいなものなんだよってこと。周りがそんな風に思わなくても」
「まぁ、それは一理あるな」
ちゃんと説明をすれば、それを真摯に受け止めて、自分の中で処理をして納得したりもしてくれる。
流石ですなぁ、なんて言いながら私の後頭部を支えている太ももを叩く。
筋肉質で硬いけれど固定はされるし、叩き心地も良くて良い音がする。
「それで?今日はどんな夢、見たんだよ」
上から落ちてくる言葉に、うーん、と小さく唸る。
説明するのは簡単で、簡単だからこそ説明していいものなのか、説明したいのか迷うのだ。
基本的に私自身思うことだが、他人の夢の話ほどつまらないものはないだろう。
夢の話ほど容量を得ない、非現実的なものはないのだから、分かりにくくて聞き苦しいのも仕方がない。
それでも急かすようにタオルを叩かれる。
冷たいのがなくなってしまうので、本当に止めて頂きたいのだが。
「遅刻する夢だよ」
「……はぁ?」
妙な間を挟んで、怪訝そうな声が聞こえた。
怪訝そうなのは声だけじゃなくて、顔もそんな顔をしているのだろうけれど、タオルを避ける気にはなれないので真っ暗闇。
タオルの上に置かれた手を握り、もう一度、遅刻する夢、と告げる。
何度告げようとも見た夢は変わらない。
見終わってしまったのだから、変わるはずもなく、ただただぼんやりと記憶に残る。
その記憶を手繰り寄せながら、ぽつりぽつりと話出せば、隙間に混ざる相槌。
何度も何度も見る夢。
細部は変わるだろうけれど、基本的な内容は変わらずに、仕事に遅刻するだけの夢。
今日はそれに合わせて、電車を乗り過ごす夢を見た。
別に仕事に行く時は歩きだから、電車なんて乗らないのに……。
仕事に遅れて小言を言われ続ける夢、仕事に遅れて電話がかかってくる夢、仕事に遅れると電話をしたら小言を言われ続ける夢、仕事の時間丁度に目が覚めた夢、レパートリーは様々あるが、どれも同じ。
飛び起きるように目が覚めて、慌てて時計を確認して、ホッとして、うるさい心臓を落ち着かせる。
最悪な目覚め。
「……ふーん」
「ほらほら。そういう声を出すから、話すのに迷いが生じるんですよ」
分かるぅ?と冗談交じりに言えば、鼻で笑われて一蹴された後に、でもさぁ、と続く言葉。
掴んでいた手を抜き取られ、その手が目の上に置いてあったタオルを取り上げる。
蛍光灯だけなのに嫌に眩しい。
眩しさで目を細めていると、そんな私を覗き込む影。
意地悪そうに口元を歪めているので、趣味悪いなぁ、と思ってしまう。
その手にはしっかりと濡れタオルが握られていた。
「別に面白くないとか言ってないだろ」
「態度的には言ってたよ」
「たださぁ、そういう夢って割と意味あるんじゃないかなって思っただけ」
返せ返せ、と濡れタオルに手を伸ばしている私に投げられた言葉は、その手を止めるのには十分だった。
別に知らんぷりしてたわけじゃないし、何度も見るってことはそれなりに何かあるんじゃないかな、とは思っていた。
ちなみに、仕事に遅刻はしたことないので、予知夢とかそんなもんではない。
膝枕から起き上がり睨めば、くすり、小さな笑い声。
ジットリと睨んでいると、無言の隙間に入り込むアップテンポな曲。
アラームを掛けていたことを忘れていた私は、緩く肩を揺らして、自分の携帯を見た。
あぁ、はいはい、一息置いてから携帯を操作して止める。
画面の電気を落とした携帯には、疲れた顔をしている私が映っていた。
うわ、ブッサイク、なんて自然と漏れた言葉に対して、え、今更?と聞こえた気がするが、無視。
もう仕事に行く時間だ。
世の中の人が休日だろうと何だろうと、仕事が残っているなら休日なんてない。
仕事仕事、一番の優先順位は仕事らしい。
夢のようには遅刻しないから大丈夫、と溜息を吐いて立ち上がれば、辞めちゃえば、の声。
見下ろしたその顔には笑顔。
私はその笑顔を真顔で見つめ返す。
それでもその笑顔が消えることはなく、そのまま口元に笑みを乗せたまま、声にも笑みを乗せて言葉を紡ぐ。
「予知夢や明晰夢なんかよりも、もっと身近にあるじゃん。将来の夢とかそういうの。夢ってさ、つまりは願望なんだよ。そんなに不安ならさ、辞めちゃえばいいんだよ。辞めたいんだよ」
胡座をかいたまま、濡れタオルを握りしめて言われた言葉を、ゆっくりと咀嚼して飲み下す。
それから返すべき言葉を選んで、吐き出す。
「辞められたら、苦労ないよ」
「潜在意識みたいなのにまで、限界だって言われてるのにね」
「ご心配有難う」
笑顔と真顔。
微妙に噛み合っていないような言葉を返して、部屋から鞄と上着を持ち出す私。
仕事があるの、そう吐き出せば、そっか、とやっぱり笑顔は消えない。
「行ってらっしゃい」
「……行ってきます」
予知夢でも明晰夢でもないただの夢。
逃げ出したい願望を詰め込んだ、限界だよって警告の夢。
眠っても悪夢、起きても悪夢、舌打ちを一つして、やっぱり仕事のために走り出す。