エピローグ
「あれから大変だったんですよ。Cさんに啖呵切って奨学金をもらったのは良かったけど、英語に慣れないうえに入試が難しすぎて二回も浪人しちゃって。でも、不思議と親父やお袋はなんも文句も言わず応援してくれました」
「ふふ、そうか。大変だったみたいだね。でもあきらめなかったんだろう?」
「もちろん! 今はアルバイトをしながらなんとか大学院進学したところです。あの時もらった奨学金は使い果たしてしまいましたけど、今は大学からの奨励金で学費は免除されているんで、卒業まではどうにかなりそうです」
「哲平君があきらめずにそこまで成長してくれたのなら、私が奨学金を出した甲斐があるというものです。それにしても今日はどうして日本に?」
「ちょうど昨日、日本で国際学会があったんです。帰る前にせっかくだからと思って、Cさんに会うために寄り道しているってわけです。ちなみに学会発表も学費免除の条件なんです」
「なるほどね」
「そうだ、俺結婚することになったんです」
「おお、その年で結婚か。Congratulations! 相手は?」
「研究室の先輩で、クリスっていいます。バチェラー(学部生)のときから付き合っていたんですけど、クリスの卒業に合わせて結婚することにしました。結婚式は来年の夏です。Cさんも是非招待したいんですが、どうですか?」
「もちろん行くさ! 私も年を取ってきていろいろな人の結婚式に招待されてきたけど、人が人生の岐路に笑顔で立っている瞬間に立ち会うのはとてもいい気分になる。哲平君さえ良ければ喜んで行かせてもらうよ」
「そういっていただけて良かった! 恩師としてスピーチを頼みたいと思っていたんです」
「ああ、かまわないよ。でもいいのかい? 私と君がしゃべっていた時間なんてほんの数時間もなかったのに、そんな大役をもらっても」
「ええ、勿論! Cさんほど俺の背中を後押ししてくれる人はいませんでしたし、そのおかげでクリスとも出会えました。俺にとって、いくら感謝しても足りないくらいの恩人です」
「そうか。ふふ、面接官冥利に尽きる、っていうのはまさにこういうことだね」
「そういえば、Cさん。七年前の面接のとき、何か言ってませんでしたっけ? 誓いが果たされたらなんたらって」
「ん?ああ、そんなことも言った気がするね。そうかもう七年も前のことになるのか」
「そうですよ。あの時のCさんの話の続きを教えてくださいよ。今日は俺も時間があるんです。あの時みたいに電話が鳴らないように電源も落としています」
「そんなに楽しみにしていたのかい? まあいいさ。せっかくはるばるアメリカから訪ねてきたんだ。少し長い話になるけど、いいかな?」
「もちろん」
「あれは、たしか高校二年生の夏のことだったか……・」
夜が更けてもなおトリスタンの小さな窓からは明かりが漏れ、中では二人の男たちが楽し気に談笑していた。とっくに閉店時間を過ぎて店のドアには【Close】の札がかかっていたが、初老のマスターはカウンターの椅子に座って二人の声に耳を澄ませている。きっとそれが彼の楽しみなのだろう。
ここは夢の出発点だった。そして途中休憩に羽を休める場所でもあった。夢のような時間ばかりが流れる店内は俗世の喧騒から隔離された空間だった。いつまでも夢が羽ばたく音が聞こえる、不思議な店はいつまでも開いている。まもなく、夜が明ける。
このお話は奨学金に関するものでしたが、物語全体として私が意識していたテーマは教育ではなく「自己実現」でした。
あとがきではこのテーマについて少し筆をとろうかと思います。
奨学金と聞くと、学校で教育を受けるためのお金なので、「教育」がテーマなのかな、とか思う人もいると思います。
しかしながら、お話の中で教育を受けることを目的に面接に来た学生はいませんでした(あえて登場させなかったと言い換えもいいです)。
全員が全員、「***をするために」という実現したい未来の目的のために面接に来ていたと思います。
つまり、教育を受けるために来ましたっていう人はいなかったわけです。
あくまで彼ら、彼女らにとって教育を受けるための奨学金は最終目標を達成するための踏み台であって目的とすべきものではなかったんですね(勉強するためにお金をもらう、というのは最終目標の見えない理由だから。教育は手段であって目的ではないということ)。
多くの人は目先のことばかりに気を取られてしまって根本的で大切なことを忘れがちですが、このお話に出てきた3人の面接者はなかなかに優秀で全員この点は理解していました。
さて、自己実現。
自己実現という言葉は、「自分の夢をかなえること」を意味します。
Case 1では教師として生徒をいい方向に導くこと、Case 2ではサービスを通じて人を感動させることが面接者の自己実現目標でした。
Case 3の子はちょっと特殊で、自分で考えて進んでいった道の上から自己実現目標を探していくというものでした。
自己実現というのは難しいもので、「こうすればできる」というたぐいのものではありません。
それぞれの人間の能力にもよりますし、彼らのおかれている環境や状況にもよります。
この物語では特にお金に難を抱えている学生を中心に描いてみました。
この話で私が描いてみたかったのは「芯」のある人間の人物像でした。
私のイメージ、というか私自身の感覚として、「芯」を持った人間は、目線を常に最終目標に向いていて、そのための努力を惜しまない、そんな人間です(筆者自身、そういう感覚を持って大学院受験をしたり、就職したりしました)。
そこでテーマを自己実現と据え置いて物語のプロットを書き始めて、生まれたのが「あしながビジネスマン」です。(タイトルは十秒で考えたものなので適当ですが。そのうち改題するかもしれません。案を募集中)
自己実現は、往々にして本人の考える理想形であるため、達成のためには莫大な時間と数えきれない努力を要します。
また、お話の中で出てきた面接者が将来的に彼らの自己実現を達成することができるのか、そんなことは誰にも分りません。
自己実現の成就できるかどうか、面接をしたときにそれを判断をする基準はなんだろう?と考えた時に一番確からしく思えた答えが、「芯」のある人間かどうか、ということでした。
最後にこの作品を書き始めたきっかけ、というか着想について少々述べたいと思います。
昔、塾講師をしていたときに、お金の都合で塾をやめて行ったり、授業数を減らして節約する生徒たちが少なからずいました。
私は雇われバイトで、経営者じゃありませんでしたので、頭が良くてこのまま頑張れば将来いろいろなところで活躍できるんじゃないかと思う生徒にはタダでもいいから授業をしたいと思っていました。
やる気の満ち溢れていて未来有望な生徒はそれだけ貴重だと、私は考えていましたし、今でもそう思っています。
仮に、私が裕福な資産家で、そこに未来有望な若者がお金で困っているなら自己実現を助けてあげたい、そんな思いから思い立ってこのお話を書き始めました。
いつの世も人の心を動かすのはまっすぐな芯のある意思です。
それは才能じゃありません。
凡人にも等しく宿りうるものです。
でも、才能と違って常に努力を要します。
それができそうな人間にならお金を与えて成長を願ってみたい、私は物語の面接者を描きながらそんなことを考えていました。
次の面接者はどんな人だろう、と胸を膨らませてくれた読者の方がいれば幸いでが、物語は一旦これで終わりです。
次の面接者は読者の方々自身が出会った素晴らしい人たちを題材に思い描いていただけたらと思います。
以上