Case 3 鳥かごの外
今日の面接は珍しく高校生だった。名前は飛田哲平。童顔と落ち着きのない様子から、まだ少年のような印象を受けるが今は高校二年生だという。今日は両親の旅行についてきて、観光するといって途中で別れてきたらしい。C氏が担当する今日の面接者は彼しかいないからゆっくりと話を聞くことができる。とはいえ今回は珍しくタイムリミットは少年のほうにあるようだった。
C氏は珈琲をすすり、少年に今日の面接の説明をいつも以上の時間をかけて説明した。少年の頭を冷やすためだろう。落ち着いた口調と砕けた言葉遣いで少年の緊張を解いていく。少年は運ばれてきたカフェオレを飲んでやっと息をついた様子になった。
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「それじゃあ、そろそろ面接を始めようか。まあさっきも言ったように面接といっても世間一般の採用面接とは違う。君の素直な考えややりたいこと、そのためのお金の使い方を聞きたい。特に君の場合は申込額が結構大きいからね。それだけの奨学金を何に使うつもりなのか、そこらへんもクリアに話してくれるとありがたい」
「はい、大丈夫……だと思います」
「じゃあ、まずは奨学金を何に使うつもりなのかを教えてもらえるかな?」
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俺は高校を卒業したら海外の大学に進学したいと思っています。短期の留学と違って四年制の海外大学に通うことになり、学費に加えて衣食住を自分で調達しなければならないうえ、家族からの仕送りが期待できないため、一番お金をもらえる奨学金に応募しました。
俺が海外の大学に行きたいと思ったのは、別に日本が嫌だとか、両親から離れたいとかいうわけじゃないんです。英語も人並み程度にしかできません。ただ、同級生たちのように普通に高校を卒業して、普通に日本の大学に行く、そんな敷かれたレールを走るような人生っていうのは、俺は何となく【おかしい】って思うんです。自分で選んだつもりになっているだけなんじゃないか、選択肢を与えられているつもりになってるんじゃないかって。だから、一度日本を離れて勉強しようと考えました。
お袋も親父も「おまえは頭がいいんだから東京の大学に行け」って言って俺の話を聞いてくれません。もちろん留学資金を出してくれるつもりもないって言われました。なんだか愚痴みたいですね。すみません。続けます。
これまで俺は地元の田舎町の中では人よりもいろんなことが器用にできるっておだてられて生きてきました。物覚えもそんなに悪いほうじゃありませんでした。だから柄じゃないと思うかもしれませんけど、典型的な優等生みたいに、これまで生きてきました。小学生時代の友達からも「おめーは東京で活躍するんだろ」なんて最近よく言われます。それが優等生にとって一番いい道みたいに。高校一年まではそんなものなのだと思っていました。
高校一年のとき、ニールとの出会いがきっかけで海外の大学進学を考えるようになりました。
ニールと初めて出会ったのは学校主催で行われた講演会でした。俺の学校に日本語が得意なアメリカの教授が講演に来たんです。講演の内容はさっぱり覚えていませんが、ニールはそのとき教授と一緒に日本に来た彼の研究室の院生でした。昼休みにたまたま食堂で一緒になったからごはんを食べたんです。彼は日本語が上手だったので会話には困りませんでした。
ニールはフィリピン人の母親と日本人の父親をもつハーフで、大学からはアメリカに渡って他の学生とシェアハウスしながら生活していると言っていました。高校生まではずっとドイツで暮らしていたらしいです。日本でしか生活したことのない俺は自分の生まれ育った場所とは違う国の大学や企業に行くことについてまるでイメージが持てませんでしたが、楽しそうにしゃべるニールを見るとそれも良い選択の一つなのかもしれないと思いました。
俺はニールに「ニールはなんで生まれ育った国を離れて海外の大学に進学したの?」って聞いたら、彼は何でもないことのように「そりゃあ、哲平、ドイツよりもアメリカのほうが色々でっかいことができそうだからだよ! それにドイツにはいつでも帰れるしね」って言って笑われました。ニールは宇宙物理学を専攻してて、NASAと共同で宇宙の構造を研究をしていると言っていました。ドイツの大学ではできないからとも言っていました。
俺はそれから日本の大学に進学することがいいことなのか考えるようになりました。
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「なるほどね。君とニールとの出会いはすごくいい影響を君に与えたようだね。君の言うように日本の大学に当たり前のように進学することは必ずしもいいことじゃない、と私も思う。そのことに気が付いて在学中に短期留学する学生もいる。でも大多数の学生は特に考えもせず日本で有名な大学を受験していく。学生だけじゃない。親も教師も誰もかれも日本の大学進学しか頭にない。これは何とも不思議なことだね。とは言っても私は日本の大学を卒業しているがね」
「Cさんはどうして日本の大学に行こうと思ったんですか?」
「ふふ。笑わないでくれよ。私はね、高校生のとき好きな女性がいたんだ。そしてその女性を追いかけて同じ大学に入ったんだ。君のように【何か】を悩む暇もなくね。哲平君みたいにいい目的意識がある若者に対してこういう話をするのは心苦しいし、恥ずかしくもあるけれど、紆余曲折を経て今私はここにいる。まあ、そういう人生もあるってことだ」
「はあ…。その女性とは?」
「うん? そうだね……、結婚はできなかった。でも、大学を卒業した今でも一緒に働いているよ。毎日が充実している。これはこれで悪くない道さ」
「なんか素敵でいいですね」
「ありがとう。話を戻そう。君の言うように、選択肢は与えられているようで、隠されている。目の前にあるのは使い古された簡単な選択ばかりだ。ニールとの出会いで君の中に芽生えた疑問は大学進学を控えた君に少なからず焦燥感を与えているようだ。だからこそ、行動を起こして私の奨学金に申し込んだんだろう?」
「はい!」
「君は常識にとらわれない自分なりの道を進みたい、選択肢にない答えを見つけていきたいという意気込みがあるようだ。未知への挑戦心あふれる非常にいい考え方だ。君の意志の力にかかれば多少の苦難や苦境なんてどうとでもなることのように思える。きっと、この面接も君の乗り越えるべき壁の一つなのだろうね」
「壁じゃありません。俺が選んでいく道のここがスタート地点なんです」
「いい答えだね。よし、じゃあ次の質問だ。哲平君が日本特有のおかしなレールから飛び出して海外の大学へ行きたいということはよくわかった。じゃあ次に、海外の大学で何をしたいのか、どんな学問を学んでいきたいのかについて教えてくれ」
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俺は化学工学を学びたいと思っています。化学工学っていう学問は日本ではほとんど知名度はありませんし、教えている大学もほとんどありませんが、実用的で面白い学問だと俺は思います。化学工学のこともニールに教えてもらいました。
俺は化学が好きで化学反応で新しい物質ができるっていう現象が面白くて興味がありました。ニールにその話をしたら「じゃあ哲平は将来ケミカルエンジニア(化学工学者)になるといい」と言われました。簡単に化学工学について説明すると、化学反応を制御したり、効率的な反応装置を作ったり、安全な製造プロセスを計算・設計する学問です。原子炉の設計の際にも使われているそうです。化学というと研究ばかりが目につきますが、研究で開発されたものを量産するために化学工学は欠かせません。手を動かして、トライアンドエラーの中から実現可能な答えを導きだしていく、面白い学問です。
さっきも言いましたが、日本では化学工学を学べる大学はとても少ないです。でも世界全体で見れば、学べる場所はたくさんあります。大きな学会がイギリスとアメリカにあって、どちらかの国の大学に行けば日本のトップ大学よりもいい場所があると考えました。最終的にアメリカに決めたのは、希望の大学がニールの大学だったからです。俺に道を示してくれたニールに会いたいとも思いましたし、彼の言ったようにでっかいことができるような予感を感じたからです。
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「自分にとって一番いい場所を選んだ結果というわけだね。いいことだ。化学工学という学問については私も多少は知識があるよ。化学と付いているけど活躍の場は化学製品にとどまらず食品や医薬品、電子部品から原子力と極めて広い。産業の便利屋さんのような印象を私は持っているね。ここでもまた、ニールとの出会いが君を新しい世界に導いているようね。面白い。哲平君の出会いはうらやましく思うほど恵まれているよ。いい出会いは万金にも値する価値がある。私にもあった。それこそ今私がここに立っている理由といっていいほど、私にとって非常に大きな出会いだった。どんな出会いだったのか、それについてはまた今度話そう」
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では、哲平君に質問だ。質問という言い方は少し不似合かもしれないな。聞きたいことは、例えば君がこの状況ならどうする? というたぐいの問いだ。素直に思うことを答えてほしい。いいかい? そうだな、哲平君の場合、将来的に外国に籍を置くこともあるだろう。そうなったときに直面するかもしれない問題について出題しようか。移民問題についてだ。
知っているかもしれないが、アメリカは人口のおよそ三%が不法残留や不法入国の移民によって占められている。数にすると千二百万人ほどになる。もちろん彼らはアメリカ国籍を持っていない。国籍を持っていない人間がそれだけいる状況というのは何とも不思議なことだね。移民から始まったアメリカの歴史にも関係するところかもしれない。まあいい。
移民の問題の一つには労働賃金の低下がある。移民は安価な労働力になってくれる。そのせいで仕事を追われるアメリカ人もいる。アメリカ国籍を持つ人間にとってみれば、移民は仕事を奪う天敵のようなものでそれが違法なものであるならなおさら許せないというのが自然な感情の流れだろう。
しかし移民対応についてはアメリカ議会もうまく対応できていない、というのが私の印象だね。いろいろな人種がアメリカにはいるけれど、中南米からの移民であるヒスパニック系の人口はアメリカ国民の十五%にもなる。だから議会でもメキシコとかアメリカに国境で接する国から押し寄せてくる移民――最近では特に子供が多いらしいね――に対して「強制追放」とかいう政策はとれなくなってきているんだ。選挙に影響するからね。何とも汚い政治の世界の話だ。
加えて国民感情も複雑だ。というのも不法滞在の移民だったとしても、彼らがアメリカで生んだ子供はアメリカ国籍を得ることになるからだ。不法滞在移民を両親に持つアメリカ人もたくさんいる。いろいろな思惑や事情が渦巻いているのが移民問題というわけだ。
さて、哲平君には移民問題についての君の意見を聞きたいと思う。君は別にアメリカの選挙に出るわけでもないから八方美人なことを言う必要もない。現状の移民問題をどうすべきなのか、どうあるべきなのか、何でもいい。君の思うところを聞かせてほしいと思う。
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「複雑な問題ですね。…少し時間をください」
「もちろんだとも」
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OKです。考えを大体まとめました。
Cさんの話を聞く限り、移民問題についてはいろいろな側面があって対処が難しいことだということも分かりました。じゃあどうするのか? と考えた時に国ができる対応策は現状かなりやりつくされている感があって、それをどうこうしたところであまり大きな改善には繋がらないと俺は考えました。
じゃあ、移民問題の現状改善のためにどうすべきなのかということになりますが…。結論として俺は、国の担っている役割の一部を企業に肩代わりしてもらうことを考えました。
まずこの結論に至ったまでの経緯を説明します。
移民問題というとずいぶん大雑把なくくりになってしまいますが、移民一人ひとりの考えに焦点を当ててみれば問題の本質が分ると俺は考えました。例えば、メキシコから国境を違法に超えてアメリカに渡る不法移民の人たちは治安や賃金の問題から、自分たちの国の環境では生きていけない、今の環境から抜け出していきたいという思いでそういう行為を行っていると俺は考えます。自分たちの力で解決できないことに対して外の世界に活路を求めての行動だと思います。不法だとしても、幸福を求める移民の人たちの行動を俺は批判できません。
次に、彼らが新しい環境に求めるのは国籍というステータスです。例えば、アメリカ国家が守っている治安には価値がありますが、不法滞在ともなればそれは移民の脅威となります。だから彼らは社会的に認められるための国籍を求めていると思います。
もちろん、他国から来た不法移民に国籍を与えることは今は難しいです。アメリカ国籍をすでに持っている人たちからすれば移民は仕事を奪う天敵にもなりますから。
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「確かにね。ステータスとしての国籍を得ることが多くの不法移民にとって非常に難しい状況であるのは間違いないね」
「そうですね。その理由は国籍があることによって保証されることや自由度が極端に変わってしまうこと、つまり国籍の持つ価値がとても大きいことに起因するからだと、俺は思います」
「国籍の持つ価値か……、面白いね。続けて」
「はい。国としては国籍を与えたからには彼らを適切に管理しなければならない義務が生じます。教育や補助金、福祉の提供とかです。大量の移民が押し寄せてくることで、これらの負担が大きくなることから国家としても対応しづらくなっているのではないかと俺は考えています。もちろん本当はそんな単純なことじゃないことはわかっていますが、今は手持ちの知識と情報から考えられることを考えていきます。以上のことを踏まえて、俺は移民問題の解決の手口として国の管理義務を移民の雇用主である民間企業に委託することを考えました。言い換えれば、国籍を与えるという行為の価値を相対的に引き下げることをやるんです」
「つまり、哲平君は民間企業が移民を管理していけばいいと考えるわけだね?」
「そうです。企業は労働力を求めていますし、移民は賃金と安全を求めているからその利害は一致すると考えたんです。この案をやることによる企業の負担がどの程度なのかは俺にはわかりません。でもこの案なら移民受け入れの窓口が分散化して大量の移民に対応できますし、何より移民の待遇改善につながると考えられます」
「待遇改善か。その意図に私は何となく気が付いているけれど、あえて聞こうか。それはどうしてかな?」
「それは競争が起きるからです。アメリカかメキシコのどちらに行きたいか? と問われれば移民の方々はよりいい環境のあるアメリカに行くのと同じで、待遇のいい企業ほど移民からは人気が出る。単純な労働力だけじゃなく、技能を持ったいい人材も入ってくる。企業と移民、どちらもwin-winのいい関係が作れると俺は思います」
「そうだね。企業負担を度外視すれば、確かに君の言うようないい関係を作れることもあるだろう。すべての人が納得できる完璧な答えのない問題だけれど、今の君の答えは一つのアイディアとして価値があると思う」
「ありがとうございます」
「でも、そうだな。一つだけ補足的に質問させてもらっていいかい?」
「はい。俺にわかることなら……」
「うん。今の質問に関して私は数パターンの答えを想定していた。例えば、政治決着で各国に移民受け入れを分担するとかね。私の想定していた答えはどちらかというと国籍を持つ人たち、つまり移民じゃない人たちが移民をどう扱うかについてのものだった。でも君の答えは違った。哲平君は移民側の視点で解決策を提案した。独創的で私は考えもしなかったアイディアだった。こういう聞き方をするとちょっと難しいかもしれないけれど、君はどうして移民の立場で移民問題を考えたんだい?」
「移民の立場で……、ですか。そのことはあんまり意識してませんでしたけど、言われてみればそうですね」
「意図はなかったのかな?」
「うーん、そういうわけじゃないです。理由は言葉にするのは難しいですけど、移民って俺と似てるなあ、と思ったから……」
「似ている?」
「法律とか、国境とか大きな障害があっても、今の場所を捨てて新しい場所に行くってところが。俺もそういう自由とかチャンスがほしいから、なおさらそう思うんです。移民の人も俺も、青い鳥を外の世界に求めたチルチルとミチルなのかもしれません。でも俺は家の中に幸せを見つける前に、冒険したいんです」
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「そういえば、さっき質問の前に続きは今度話そうって言ってましたけど、今度って、Cさんとまた話す機会なんてあるんですか?」
「話す機会なんていくらでもあるさ。私と君が生きている限りね。そして話そうと望む限り。でも哲平君の場合はせっかくだから一つの誓いが果たされたらにしようかな」
「誓い?」
「そう、誓い。哲平君が一つの自己実現を遂げたら、また会おう。その時に私の話を聞かせてあげよう。ついでに君のその後の話も聞きたいな。一つのステージを超えたお祝いにね」
「俺の話はついでですか!?」
「ははは、まあいいじゃないか。要はいろいろな話をしたいってことだよ」
「ふうん?」
「君はきっとこれからすごく苦労するし、たぶん挫折も味わうだろう。でも、今日の誓いを、思いを忘れないで走り続けてほしい。どんな道でもいい。どんな結果でもいい。哲平君自信が満足できる何かを成し遂げてほしい。それが奨学金を与えて夢を後押しすることしかできない私の希望だ」
「希望……」
「私は……いやこの続きは、誓いが果たされた後にしようか」
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C氏は立ち上がると名刺サイズの銀色のプレートを哲平に手渡した。表面には簡素な書体でC氏の本名とプライベート用の連絡先が彫られていた。哲平は何かを言おうとしたが、そのとき思い出したかのように鳴り出した彼の携帯電話のベルにさえぎられた。画面を見て慌てている様子からすると彼の両親からだろう。哲平は簡単に挨拶とお礼を済ませると店を飛び出して行った。
C氏は椅子に深く腰掛けて先ほどまで哲平がいた場所を見つめていた。ほどなくしてマスターが注文もしていないのに白い湯気を漂わせている珈琲をC氏の前に無言で置き、無言で去っていった。