Break time
あるときC氏の奨学金の選定基準が話題になった。落とされた学生たちがインターネットやSNSで一段となってC氏の面接選考には非常に偏りがあって、その結果我々は落とされたのだ、云々。彼らの主張では特定の政治思想を持っていると選考に不利だということだった。その話はゴシップ好きのマスコミにも取り上げられ、大手新聞社の一面に【右翼主義者のNPO法人に若者が怒りの声】なんていう不名誉な言葉が踊った。C氏にとって実に不愉快なことこの上ないことだった。
「こいつらほんとバカだねぇ。いろいろ足りてないやつのひがみじゃん、こんなの」同僚がデスクで苦笑いを浮かべながら言った。
「まあね」C氏はため息をついた。
「まあよくいるよね。募集要項ちゃんと読まないやつとか、物事の意味を考えられないやつ」
「僕としてはちゃんと考えられる子にお金を使ってほしいから面接してるんだけどね。なかなかうまくいかないもんだ」
「そらそうよ! 自分勝手でクソな人間が声をあげて抗議するんだから、その対応が悩ましいのは当然というもんさ」
「まったく面倒なことだね」
「でも、このままじゃいかんから、C、どうにかしておくよーに」そう言ってC氏の役員室から陽気で世話好きの同僚は戻っていった。C氏は苦笑いを浮かべてどこかに電話をかけた。
C氏は記者会見を開いた。C氏が会見場に入場すると無数のフラッシュがたかれた。会見場はカメラマンや記者でいっぱいだ。これまで沈黙を保っていたC氏がどんな発言をするのか、記者たちは自分の記事が全国紙の一面を飾ることを夢見て意気込んでいる様子だった。加えてC氏は知り合いのテレビ局に掛け合って生中継で放映するよう番組を組んでもらっていた。面倒は一回で終わらせたいからだろう。
会見は当たり障りのない質疑から始まった。しばらく質疑をした後、いやな感じのテカりを額に張り付けた記者が言った
「ところで、Cさんの奨学金の面接の件なんですがね、どういった感じで選考されているんでしょうか? 最近話題にもなっていますが政治思想の右左で結果が大きく左右されているという話もありますが、その辺どうなんでしょうか?」
「あなたが言っているのは面接での評価の仕方ということでいいですか? ん? そうか。私は面接において、個人の思想、理念、物事のとらえ方、考え方を総合的に評価し、奨学金を支給することで彼または彼女の発展性が期待できるかどうかを判断しています。そのために、政治的なトピックについての質問をするようにしています。あなたの言っているのはこのことでしょう。選考の基準は通常の面接試験と大きな相違はないと思います。トピックに関する論述の的確さ、妥当性、発想の根拠が納得しうるものかどうか等を評価する。特にトピックに関しては学生一人ひとりの奨学金が欲しい理由を聞き、それに沿った質問を行う。だから主張の一貫性も見ることにしています。これは奨学金を使って築いていく自分のキャリアイメージにズレがないか、或いはどんなズレがあるかを見ていくものです。もちろん、こういった面接をするのには訳があります。思いがけない問いかけに対して、相手を納得させるだけの論理を構築できるかどうかを見るためです。面接で政治的なトピックを使うのは学生が今後の社会で必ずかかわってくる、それでいて表向き他人にあまり聞かれることのないトピックに対してきちんとした論理をもって答えることができるかを見るためです。私は論理を一番大切にしています。感情とか気持ちとかは私には判断できないし、公平性に欠くことになりますから」
「なるほど。面接に関してのポリシーや政治的な質問をなされる意図は分かりました。しかし、面接に受かった学生の調査を行ったところ、えー、ほとんどの方が、なんて言いましょう…、政治的に言って右翼に当たる思想を持った学生ばかりだったという調査結果があります。この点についてはどうでしょうか? これは政治的な思想によって左右されるような奨学金なのですか?」記者は情報量の少ないグラフのプラカードを出していやらしい口調で言った
「最後の質問に関する答えはNOです。理由は先ほど述べた選定基準に寄ります。論理と信念のある主張を私は信じて無償の奨学金を給付します。なんだか、政治家にするみたいな質問ですね? では、あなた。逆に質問させていただきますが、右翼とはなんですか?」
「え……?」
「その定義は何ですか? と聞いているんです。定義も分からず聞いているわけじゃないでしょう? それに定義も分からず調査もできるわけでもないでしょう?」
「えっと……、その……、右翼というのは、政治思想として保守的な考えを持っている人間のことだと理解しています」
「つまり君は、政治思想に関して保守的な考えをもつ学生ばかりが奨学金の面接に受かっているということを言いたいのかな?」
「そうなります」
「じゃあ、もう一つ質問です。政治的思想としての保守的な考えとはどんなもののことかな?具体的に答えてほしい」
「あ……、それは……」
「答えなさい」
少しざわめき始めた会見場が静かになった。
「安定した……社会を目指すための社会制度を支持する……そういった思想を指します」
「なるほど。では、保守の反対は革新、つまり左翼になるのかな」
「……」
「私の言いたいことを言おうか。例えば新しい国際的な貿易協定に賛成する人間は右翼なのかね? 憲法解釈を変える安全保障法案に賛成の人間は右翼なのかね? 或いは、教育における愛国心について肯定的な意見を持つ人間は右翼なのかね? そして、それに反対する人は左翼なのかね? 違うだろう? 右翼左翼というのは古い時代のフランス議会から生まれたものに過ぎないし、今ではただのレッテル張りの材料になっている言葉だ。大昔のフランス議会の状況と、今の政治は全く違うものにもかかわらずこの言葉はそこら中にあふれているのは、内容にかかわらず政治的主張を右左に分けて対立関係を作りたいからだと私は思っている。レッテル張りをしている連中の意図としてね。そんなものに合理的意味はない。政治家のやる選挙対策の印象操作と変わらない。人間の発展性を見ることに右翼左翼といったレッテル張りはあまりにも無意味だ。君は最初の質問で、右翼思想のある学生ばかりが奨学金を取得している、そんな調査結果があると言ったね? その調査はどんな質問をして、どんな集計をしたのかな? 質問方法や集計方法において君の言う調査では右翼と左翼に面接応募者を振り分けたようだけれど、その恣意的な調査に何の意味があるんだね?」
「いや、恣意的だなんてそんなことは……・」
「じゃあ、君は何が言いたくてその調査をしたんだね」よく響く声がテレビスタジオのマイクを抜け全国に発信された。
「政治的な話題を避ける、という風潮は日本によくあるね。どの党がよくて、どの党が悪い。その党の政策はすべて悪いから否定しなければならない。確かにそういう全肯定、全否定ばかりの国会答弁の切り抜きやマスコミの報道を見ていると政治的話題は危険なことのように思えてくるね。政治的思想の対立が表面化して国民同士で争うようになるかもしれないからね。国民はどんどん政治的な主張をしなくなるし、主張できなくなる。でもよく考えてほしい。今何がどういった理由で必要で、どんな優先順位付けをしてやっていかねばならないのか? 政治が担っていくのは零か一かの話じゃない。国の未来をどうにかするためのものだ。論理と論理のぶつかり合いの場だ。君たちの言う右翼の政治家も左翼の政治家も答弁している以上、人間が理解できる論理を言っているはずだね? ならその論理がすべて間違っているということはそんな多くあることじゃない。子供と教師の話し合いじゃない、大人同士の話し合いなんだから、双方の主張の正しいところは必ずあるはずだ。その折り合いを協議し、双方が納得でき、結果として日本の未来のためになる決定を行う、それが政治だと私は考えている。
さて、政治的な話に偏ってしまいましたけど、結論として何が言いたいかというと、私の行っている奨学金の選考において個人の思想の偏りがあることは全く構わないということです。政治に限らず日本を支えている企業や公共機関の中は論理と論理のぶつかり合いの場所であり、ある命題に対してどんな立場でもいいから人を納得させ、議論できるだけの根拠を考え出せる思考力、そして話し合って決めようとする姿勢が一番重要となってくる。そして私の面接はまさにこれを見ています。それは我々NPOが将来日本を牽引していく人材への投資を目的としているからです。政治的思想の右左なんて関係なくね。変な派閥づくり、レッテル張りに私の社会貢献活動を巻き込まないでほしい。以上だ」
その後、いくつかの質問を受けたところで会見時間が迫ってきたためC氏は質問を打ち切った。最初の方にひたすら打ち負かされて論破された記者の姿は見えなくなっていた。会見場を後にしようと席を立ったとき、C氏は思い出したように言った。
「ああ。言うのを忘れていました。面接結果に不服な方への対応として考えていたことですが、これまでの全面接について録画データと面接結果の講評を文書化したものがあるから、これを公開したいと思います。断っておきますが、奨学金の申し込み時に書いていただいた誓約書第四十二項にあるように面接時の録画データの取り扱いに関してはすべての権利は私に帰属することになっています。法律上問題ありません。しかしながら、個人情報やプライベートな話題も含まれますので基本的に面接を受けて結果に不服な希望者のみに提供いたします。きっと不服のある方々は自分自身の面接時の雄姿を見たくて仕方ないことだろうですしね。それを見てまだ不服のある方はその情報を自己責任で一般公開したうえで私に不服を言ってもらうことにしてもらいましょう。どういうところが不平だと思ったのか、録画データを再生しながら、皆に説明しながら不服を申し立ててくれれば分かりやすくていいですしね。大体は講評で指摘してあると思うけど、まあお好きにどうぞ」
C氏は会見場を後にした。タクシーを捕まえて会社の方に向かわせた。目的地はトリスタンだ。次の面接の予定が入っていた。