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Case 2 Quality of life

 喫茶店トリスタンで面接者を待っていると、定刻の少し前、慌ただしく店のドアが開かれる音が響いた。C氏が振り返ると控えめに染められた黒に近いブラウンの長髪の女性が見えた。彼女が今日の面接者、林だ。過度にきめられたメイクは最近街中でよく見かける女学生のトレンドなのだろう。派手すぎないがお洒落に気をつかったひらひらとした服をなびかせながら彼女はC氏のもとに来た。動作に伴って過度に清潔感をPRしようとするような香水の匂いが店内のほのかなコーヒーの香りを侵食する。

「林理沙です!」元気のいい声で彼女は言った。

 C氏は人を見かけで判断することはないが、これまで幾人の面接を行ってきた経験から一目見ただけである程度、その人がどんな人間なのか、どんな思想の持ち主なのかわかるようになっていた。そして彼女は自分とは真逆の思想の持主であると、C氏は確信していた。

 もちろん、だからと言って合否が決まるわけではないし、決まってしまっていいわけもない。最終的な結論は論理的帰着によって決められなければならないからだ。これまでも彼女に似た人間は何人もいたし、そのうち数人は非常に有望だと判断して奨学金も給付した。

 どんなに面接前の先入観を排除しようとしても、それはやはり出会った瞬間から生まれる。そうなれば、気を付けて面接しなければ可能性を見過ごして誤った判断をしてしまうかもしれない。C氏は気を引き締めて面接に思考を切り替えた。


「私は、人生っていうのは仕事や社会貢献だけじゃないと思っています。最大の目的は自己実現であるべきだし、またQuality of lifeをいかに高めるかだと、私は思っています」

「つまり、林さんは自己実現、つまり夢を叶えるための足掛かりに奨学金がほしい、ということかな?」

「そうです!」

「じゃあ、具体的にはどんな夢を、どういう風に叶えるつもりなのか教えてください」


 はい! 私の夢は航空会社に就職して、広い意味で多くの人を出会いと感動の旅に導くことです。きっかけは私は旅行先で出会いが大好きで、その中で自分の感じた感動を他の人にも味わってほしい、感じてほしいと思うようになったからです。

 今回、奨学金に応募したのはフランスに留学するためです。私は大学3年生で来年には就職活動が控えていますが、その前に一年間かけて海外経験を積みたいと考えています。理由は二つあって、一つはグローバルで日本の常識が通じない場所でも生きていく力をつけること、もう一つは得意な語学を実践で使えるレベルまで伸ばすためです。後者に関しては、実は私が今考えている就職先の会社ではフランスでの事業が進められていて、現地で働ける語学堪能な人材が求められているのですが、これに応募したいという気持ちもあります。

 就職が人生のゴールじゃないことは分かっています。でも私の場合は夢を叶える場として航空会社があり、そこに就職することは夢を叶えるための手段として必要不可欠だと考えています。また、より多くの人を出会いと感動に導ける人間になるためには、やはり海外経験が不可欠だと考えています。日本人だけではなく海外の方々も私の自己実現の対象だからです。

 加えて、自分の夢を叶えるのに最適な企業に就職することは自分自身のQuality of lifeを向上させるために必須だと考えています。人生のうち何割も占める労働の時間を自分の大好きなことに充てることができる、仕事を通じて自分の人生の質を高め、それが他者の感動や幸せにつながる。私は自分の夢を叶えることが自分にとっても社会にとっても最大多数の最大幸福につながることだと考えています。

 先ほども言いましたが、就職がすべてではありませんが、意味のないものとも思いません。しかし、人生の質を高め、私自身の夢を叶える場として、航空会社は不可欠なプラットホームだと私は考えています。そのために、フランス留学が必要だから、奨学金に応募しました。


「なるほど、良い意気込みだね。君の言いたいことも伝わってきた。つまり君としては、夢=出会いの導き手になることであり、その夢を叶える手段として航空会社への就職を希望している。さらにそのチケットを手に入れるために得意な語学を高めたく、フランスに留学したい、そういうことだね?」

「はい!」

「君も言ったように海外は日本の常識の通じない場所ばかりだ。先進国でさえ例外じゃない。私も仕事上、多くの国に行った。南北のアメリカ大陸、ユーラシア大陸、オーストラリア大陸、アフリカ大陸。南極大陸以外のすべての大陸に行った。気候も風土も風習も言語も違う。何時行っても戦争をしている国もあれば、陽気な音楽が絶えない国もある。千差万別だ。君の言うように肌の色の違う多くの友人たちとの出会いもあったし、今でも思い出して余韻に浸ることのできる感動もあった。林さんは自身のQuality of lifeを強調していたけれど、君のやりたい仕事は他者のQuality of lifeの向上にも大いに貢献できると、私は思うよ」

「あ、ありがとうございます! そういっていただけると私も張り切り甲斐があります」

「うん。是非頑張ってほしいと思う。じゃあ君にここで一つだけ質問しよう。たった一つだけだ。或いは君は知っているかもしれないけれど、私は面接において普通の就職活動ではあまり聞かれない類の、言ってしまえばかなり突っ込んだ質問をする。でもこの質問にはただ一つの真実なんてないから、林さんが考える答えを素直に聞かせてくれればいい。お利口さんな答えは求めていない。その答えに至った論理を私は知りたいし、評価したいと思っている」

「あ、はい……。あまり難しいことを聞かれてもうまく答えられないかもしれませんが……」

「はは、警戒しなくていい。学問的なことを聞くわけじゃない。ケーススタディのようなもので、こんな状況を君はどう考えるか、どうすべきと思うかを尋ねるものだ。思ったように言えばいい。今判断つかないことは、素直にそういえばいい」

「……はい! 頑張ってみます」

「よろしい。では少しイントロをしよう。君はヨーロッパ圏の国への留学を考えているようだけど、今の国際情勢では少なからず危険があるのは知っているね。紛争の結果、多くの難民がヨーロッパに押し寄せて、治安が悪化しているという状況だ。留学中、もしかしたら君は、難民に紛れて国境を越えてきたテロリスト集団に捕まってしまうかもしれない。そうなってしまえば、林さんはどこかの国の救出部隊を待つしか生きて帰る手はない。ここまではいいかな?」

「はい、大丈夫です」

「ここからが質問だ。こういった状況に対応する目的で最近、日本政府は自衛隊の外国における邦人救出を可能にするため、憲法解釈を変え、新たな法を作ったけれど、これに関して、君はどう考える? 賛成、反対、或いは両方、なんでもいい。この法案の成立についての君の考えを聞かせてほしい。もちろん、この法律を作った目的はそれだけじゃないだろうけれど、議論を簡単にするために邦人救出について限定して考えてほしい。補足すると、この法律の制定によって自衛隊は他国での軍事的な参戦が可能になるから、自国民を戦地に送ることへの反発も出ている。でも、もしかしたら君はテロリストに囚われてしまうかもしれない。君は新たな法律をどう思う?」

「そう、ですね……。難しい問題だと思います。自分がトラブルに巻き込まれたときに助かるためには確かに必要な法律だとは思います。でも、日本人が戦地に行かなければならない、というのもいけないことだと思います……」

「そうだね。もっともだ。君には賛成か、反対か、或いは第三の選択肢を考えて、どれかの立場に立って君の考えを述べてほしい。難しい問いだ。答えもない。少しシンキングタイムを取ろうか」

「はい……」


 はい! 決めました。私はこの法律に関しては反対の立場を取ります。確かに自分が拉致されたとしたら怖いことですが、それでもこれまで一度も変わったことのない憲法を変えて、国民である自衛隊員を戦地に送れるようにする、言い換えれば戦争できるようにするような法律は受け入れられません。

反対理由は大きく二つあります。

 一つ目は、私自身を例にとったとしても海外での活動に関して、自分の身を守るのは自分自身であり、自己責任だと思うからです。日本の領土を離れて別の法律が支配する地域に行ったのなら身の安全は国じゃなく個人が自己責任で守らなければならないと私は考えています。確かに日本に身代金を要求したテロリストによって国民が運悪く殺害されてしまった例もありますが、例えば日本が新しい法律にしたがって軍事で対抗してしまった場合、問題は個人の救助だけにとどまらず武力による戦闘状態につながる可能性があるため、私は危険だと思います。

 二つ目に、日本は第二次世界大戦以降、平和国家として歩んできた今までの歴史を変えるべきではないと思うからです。私は世界を見渡してみても平和であり戦争がない日本という国は珍しく、そして素晴らしい国だと考えています。その戦後つい上げてきた歴史は憲法9条のおかげですし、戦闘行為を可能にする法律がなかったことが大きい要因だと考えています。

 大目的として邦人救出があるとしても、結果として戦闘行為を可能にしてしまうような法律を作ってしまえば、日本は後々いくらでも戦争できる国になってしまいます。つい最近起きたテロリストによる誘拐事件で必要性が叫ばれてはいますが、一時的に高まった気運に便乗してこういった法律を作ることには反対です。

 戦争ができること、それ自体が良くない、日本のこれまでの平和を損なうことは、よくわからない政治的駆け引きに関係なく、一般の国民が普通に考えて導ける結論だと思います。国民の意思に反する法律であり、平和を損なう。社会全体のためを思えば、この法律に賛成できない、というのが私の意見です。


「以上です!」

「ふうん……」

「……」

「なるほど。まず、いくつか補足しておくと、この法案に関しては憲法を変えたのではなく解釈の変更を行ったんだ。憲法を変えるのは手間だからね。それと、日本は別にその法律がない状態でも戦争はできた。新しい法律ができたから戦争できるようになる、という認識は間違いだよ」

「あー、そうだったんですかっ! すみません……」

「まあ、細かいところはいろいろあるけれど、全体の主張は分かった。一時的なインシデントに対応するために平和を害し、自衛隊員を危険にさらす法律は看過できないという林さんの主張は非常に正義感があっていいことだと思う。思想としてはベンサムの最大多数の最大幸福の考えに近いね。知ってるかな?」

「はい。高校の教科書で読んだ程度ですが、おっしゃる通りです」

「……よしわかった。ありがとう。追加で海外留学についていくつか質問したいんだけど、まだ時間あるかな?」

「はい!」

「そうだね。じゃあまず……」


 それから三十分ほど面接を行ったのち、林理沙は満面の笑みでお辞儀をして帰っていった。C氏は煙草を吸って一息ついた後、モバイルPCをビジネスバッグから取り出して面接の講評作成に取り掛かった。心なしかC氏の指は重そうだ。


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