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Case 1 苦学生

 播磨雄平と彼は名乗った。男としては少し長めの黒髪に細身の長身がつながっている。ひょろりとしたという表現が似合うそんな若者だった。彼は今どきの学生としては珍しくファッションにあまりお金をかけていない様子だった。必要最低限、身だしなみと清潔感を確保しているが、アクセサリーやブランドには無頓着なのかもしれない。とはいえ、C氏にとってはそんなことは非常に些細なことであり、もっと言ってしまえばC氏にとっても非常にどうでもいいことだった。見た目で人を選ぶのはアパレル業界や旅行業界の就職くらいでいいとC氏は考えている。

 初老のマスターがブレンドコーヒーを持ってきたところで面接が始まった。

「さて、播磨くん、まずは奨学金をどう使っていこうと思ってるか教えてください。……ああ、そんな身構えなくともいい。これは世に言う採用面接でもなんでもないからね。君の喋り方、感性に従って素直に答えてくれればそれで良いんだ。なんだったら敬語でなくとも構わない。募集要項にも書いたように私は、いや我がNPOは将来この国を牽引する気質にある人間に奨学金を出したいと思っている。方向性はなんでも良い。だから君の考え、目的、やりたい事を自由に話してくれれば良いんだ」C氏が言うと播磨は少し緊張が緩んだのか頭を掻きながら言った。

「なんだか気を使わせてしまってすみません。僕の方が奨学金をお願いする立場なのに」

「良いんだ。続けて」

「はい。結論から言うと今在籍している社会学部から転学して専門を変えようと思っているんです。教育学部に。親には反対されていて、転学のための資金としてCさんの奨学金に応募しました」

「転学か。今時珍しいね。如何してかな?」

「簡単に言えばずっと続けていたアルバイト、塾講師をしていたんですが、これの影響で教育者として仕事していきたいと思うようになったから、です。正直こんな事は一貫性が無いとか思われてしまうと思って言うつもりはなかったんですが……」

「いや、そういう正直な話を期待していたから、very goodだよ。続けてくれ」


 はい、有難うございます。そもそもなんでそう思ったのかというところですが、まず塾という教育現場は学年によって教育特性が違います。公立学校に通う普通の中学生を例に取ると、概ね一二年生は学校の宿題処理やフォローと言った学校の下請け的な教育。三年生になると受験に向けた講習とか、主に塾から積極的に教育をする。そんな様に二つに分けられます。僕はここ二年間は前者のタイプの中学生や高校生を教えていました。科目は社会とか国語とかがメインでした。

 さっきも言った様に学校の下請けみたいな仕事ですから、学校から出された宿題とか板書した授業内容の解説を主にやっていました。だから色々な学校の授業を、生徒たちを通じて見てきました。良いところも、悪いところも。

 自作の教材を持ってきて教科書に足りない解説を補ってウィットに富んだ授業をする国語教師もいれば、逆にひどく偏った歴史見解をあたかも事実の様に語る社会教師もいました。授業の質は教師によって千差万別、学校というのはなんというか、良薬も毒薬もないまぜにした薬瓶のような場所だと、僕は思うようになりました。

 アルバイトを通じて僕は教育は巡り会う先生によって素晴らしいものにも、歪なものにもなることを知りました。生徒を教える立場になって初めてそれを実感したんです。

 巡り合った先生によって生徒たちの思想や行く末が少なからず影響されてしまう、僕は学校教育と言うのはそういうものであることは分かっていますが、そんな偶然に左右される生徒たちのことを考えると胸が痛みます。

 僕が教育学部に行きたい、そして教師になりたいのは自分が教えた子供達だけでも、まともな教育を受けて欲しいと考えたからです。自分が教師になることでまともな教師の母数を少しでも増やせれば、それだけまともな教育を受ける生徒が増えると、そう考えたんです。


「なるほど。君の思想、そして動機がよく伝わってくる話だった。Excellentだ。君は見た目に反して人に訴えかける力があるね。おっと、失礼な言い方だったね。許してくれ。たぶん君の教えている塾生たちは君からいい影響を受けているだろう。そしてその塾生たちから、君自身もいろいろなものを学んできたようだ。さてここでちょっと質問だ。……ちょっとと言ってしまったがこれは語弊だな。私はごちゃごちゃと回りくどい面接はしたくないから、これから一つだけ質問をする。それに対する君の考えを聞かせてほしい。この問いに関しては君の独断と偏見が混じっていても一向にかまわない。何を正しいと考え、それ故にある問題をどう考えるのか、それを答えてほしい。答えなんかない問いかけだから、思うように答えてくれ」

「はい!」

「では聞こう。君は少し前に教育現場で問題になった愛国心についてどう考える?」

「……、それは……どちらかの立場に立って言え、ということですか?」

「聡いね。その通り。この質問の意図は君の【愛国心と教育】に関する立場を明確にしたうえで、君の考えを聞くためにある。質問の答え自体は難しくはない、でも答えはどちらかの立場で主張しなければならないがゆえに、必ず敵も生む。きっと就職活動とかじゃ、絶対に聞かれない類の質問だ。でも、君は信念をもって教育現場に行きたいと言っている。だから私は君の立ち位置、目の見つめる先を知りたい。これは奨学金の面接だ。気にすることはない。君の信念が揺らがないなら君がどちらの立場に立ったとしても私の結論は変わらない。君の本音を聞きたい」

「……ありがとうございます。政治的主張を聞くような質問だったので躊躇してしまいましたが、Cさんなら偏見なく聞いてくれると信じて答えたいと思います」

「ありがとう」


 結論から言えば、僕は愛国心を教育の中に取り入れることは賛成です。僕の立場は愛国主義者となるわけです。こんな話、友達同士でもしませんが……それは自分の立場を明らかにすることへの恐怖からだったのかもしれませんね。

 脱線しました。すみません。Cさんが言っていたのは公立学校の音楽教師が日本の国歌が書かれた教科書のページに紙を貼って見えなくしたり、教員が国歌斉唱を歌わなかったり、といった事件のことですよね?僕は彼らの主張について詳しくニュースを見たわけではないので、そこに関する意見は残念ながら持ち合わせていません。なので質問対しては僕の愛国心と教育に関する考え方を述べたいと思います。

 まず、教育とは国民を文明人たらしめるための、そして国民一人ひとりが様々な可能性に向かって羽ばたくために必要不可欠なものだと考えています。教養を身に着け、歴史を学び、今の世界を形作るものを知る。そのうえで、学生が自分の将来を考える。教育とはそんな場であるべきだと思います。

 では愛国心はというと、これも教育において重要なことだと思います。教育というのは芯がないといけません。芯という言い方を、立場という言葉に置き換えてもいい。どちらもあやふやではだめなのです。

 話が少し抽象的になってしまいました。例えば、歴史教育。言うまでもありませんが第一次世界大戦から第二次世界大戦にかけての近代史ではいろいろな国の思惑がひしめき合っています。例えば、日本から見れば(一般的な歴史資料によれば)、満州占領後の統治は結果的に地域を安定化させ、反映させることとなって日本は他国に対して貢献して、日本さまさまであると言えます。一方、中国から見れば満州は日本によって不法占拠された上に大虐殺が行われてひどい有様になった、となります。立場が違えば歴史の教え方も変わってくる可能性があるということです。事実は見方によって、立場によって見える側面が違うわけです。

 タイムリーなニュースだと、歴史認識をめぐって日本は、どこの国とは言いませんが、近隣アジアの国と対立してますね。歴史的事実を調査して明らかにすればどちらの主張が正しいかどうかなんて断定できるはずですが、未だに解決の兆しは見られません。これも立場の違いだと思います。これだけ科学が発展しても、論理で話し合えないことを、世界中の頭脳の粋が集まった国際社会が証明しているのは何とも皮肉なものだと思います。人類の限界だとも思えます。

 さて、話の流れから分かるかもしれませんが、僕は日本の教育は日本という国の立場でまず教えるべきだと思います。自分の国がどんなものなのか、自分の国から見た世界はどうなのか。僕は自分の立ち位置をしっかり教えることが学校教育の使命だと考えています。その第一歩が日本の立場に立った教育、言い換えれば愛国心の教育だと考えています。

 世の中には愛国心と聞くとすぐに戦争に結び付けたがる人間もいますが、彼らの立場がどういうものなのか僕にはよくわかりません。正直なところ彼らの主張の論理的根拠もあやふやで、あれこそ教育の敵だと僕は思いますね。すみません、少し愚痴みたいになってしまいました。

 さておき、生徒には日本の立場に立った教育を受けたうえで、他国から見た日本とのギャップを知り、その意味を考えてほしいと思っています。無知なまま自国を非難するような偏見に満ちた人間に育たないように。

 僕の結論としては、教育は生徒たちの未来の可能性を広げるためのものであるべきであり、愛国心というか日本の立場に立った教育が望ましい。だから愛国心は教育において不可欠である、僕はそう考えています。

 あ、最後に、話が少しというかかなり歴史寄りになってしまいましたが、僕の思いつく例がそっちに寄ってしまっただけで他意はありませんから、ご了承ください。


「なるほど、良い話が聞けてよかった。是非君には君なりの信念を持って頑張ってもらいたいと思う。君の主張の中には多少視野の狭い見解も含まれていたが、それは君がこれからもっと成長していく過程で改められていくと思う。正しいこと、参考になることをうまく自分の中に取り込んでいける素質が君には備わっている、私は面接の中でそう感じた。君も言ったように、立場は人の思考を縛る。立場が否定されることを嫌う。君には今のように強い偏見を持たない、柔軟な思考を大切にして頑張っていってもらいたい」

「ありがとうございます。僕も今日Cさんから話を聞けて楽しかったです。面接の感想が楽しい、っていうのもおかしいかもしれませんが。正直なところ、Cさんがいる会社に入りたい、という気持ちが出てきたことは否定できません。でも僕はそれでも教育者になりたいので、Cさんの会社は受けません。すみません」

「はは、うれしいことを言うじゃないか。まあ、私の会社は今いろいろなビジネスに展開しているから、そのうち教育現場にも進出していくことになると思う。その時は君からもいろいろ意見を聞きたいかな」

「……えっ?じゃあ……」

「なに、先の話さ。面接の結果はすぐに送る。君は君の、私は私の道を歩んでいけばいい。それで行く先が重なれば、協力すればいい。ビジネスとはそういう繋がりのあるものなのさ。じゃあね、播磨くん」

そう言ってC氏は席を立って、流れるように会計をして去っていった。あっけなくもあったが、完結した濃密な時間だった。播磨はその場で充実した時間の余韻に浸るようにしばらく放心としていた。


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