虚構の愛
「たっくん。大好きだよ」
口からスラスラと出てくるようになった嘘。
「俺も、透を愛している。絶対に幸せにするよ」
バカ。お前ごときにこの僕を幸せにできるわけない。調子に乗るな、豚。
「来週も僕と会おうね。もっとたっくんと過ごしたいから」
だって、君はお金を持っているから。
「もちろんだよ」
こんな言葉で騙されるなんてバカな男だ。
甘い言葉を囁き、さらにお金を巻き上げた後、男とは別れた。
かわいいは、正義。僕は、かわいいから何をしても許される。
そんな言い訳を浮かべながら、手にしたお金でキャバクラに向かって歩き出した。
「楓」
ひっそりとした街並みを歩いている時に、懐かしい声が聞こえた。
そこにいたのは、清水 透。
清水 透というのは、日本で一番人気のアイドルである。
ハーフである彼は、銀色の髪にアメジスト色の瞳をしている。あれほど顔立ちが整っている人類も珍しいだろうと驚いてしまうくらいイケメンだ。
僕は、彼と高校生の頃の同級生だ。
……ぶっちゃけ売春相手だった。
彼には、二度と会いたくなかった。
「久しぶりだな」
透は、この世のものとは思えない美しい笑顔を浮かべた。
「ああ」
「よかったら、俺の家で一緒に話さないか」
「いいね」
お金の匂いがする。直観的にそう思った。
僕は、餌につられる犬のように彼についていった。
今の僕もかなりのクズだが、高校生の頃も僕はクズだった。
中学生の頃から、僕は売春をしていた。
2万円もらえれば誰とでも寝た。お金が欲しくてたまらなかった。
航行二年の夏、放課後、誰かに手紙で呼び出されて行ってみると、学校一のイケメンがいたのだ。そしてイケメンこと清水 透からお天気の話でもするように気軽に話しかけられたのだ。
「なあ、吉原君。俺と寝てよ」
「え?」
僕は、とうとう頭までおかしくなったのだろうか。
耳がおかしくなったことは確かだ。耳鼻科に行くべきだろう。
「なあ、いいだろう。2万円払うから」
……どうやら幻聴ではなかったみたいだ。
「それならいいけど……。清水君なら、もっと素敵な子とお金なんて払わなくても寝られるだろう」
「なんとなく、お前がいいと思った」
「ふーん。で、どこでやる?
それから、報酬は前払いだからな」
「わかった。俺の家に来てよ」
僕は、彼からお金を受け取った。
そして、僕は彼に肉体と魂を売った。
しばらくすると飽きるだろうと思っていたが違った。
透は、日に日に僕に対する独占欲を強くしていった。
「なあ、一回十万円やるから他の男とは寝ないでくれる?」
「まあ、それなら僕が損するわけじゃないからいいけど」
そんな大金を捨ててまで僕を求めるなんてこいつはバカじゃないのか。
「どうして楓はお金を欲しがる?何か欲しい物でもあるのか」
「遊びたいからに決まっているだろう」
快楽主義のダメ人間。ビッチ。淫乱。金遣いの荒い男。
2万円払えば誰とでも寝る男。
それが僕に与えられた評価だった。
それは事実だ。
「そうか。なあ、俺のことどう思っている?」
一言で言うと金鶴かな。
「ふふっ、秘密。偽りでもいいと言うなら、愛の言葉を囁いてあげてもいいけれど」
「……囁けよ」
イライラとした声で、透がそう命令されてきた。お金のためじゃ仕方がない。甘ったるい言葉でも言ってやるか。
「大好き。好き好き愛している」
できるだけ感情をこめたつもりなのに、言葉は嘘っぽく聞こえる。
実際に、全部、嘘だ。
「そうやって他の人間にも愛を囁いてきたのか」
「そうだけど」
「このビッチ」
軽蔑するように僕を見てくる透。
「それのどこが悪い?」
そのビッチにお金を払って気持ちよくなっている君だって、僕と同類のクズじゃないか。
……いや、僕の方がクズだろうな。
「どうやったら、お前の心は手に入る?」
「そうだね。一千万円くらいくれたら、もう他の人間と寝ないよ」
「本当か」
「ああ」
もちろん嘘だ。僕の心をお前ごとにあげるつもりは微塵もなかった。
半年ほどたったある日、透こと金鶴からこう告げられた。
「父親の会社が倒産した。もう俺は、お金に払えない」
「ふーん」
何だ。こいつは、もう用済みだ。そろそろ捨てて次の人間に乗り換えよう。
「なあ、楓。
それでも、俺と付き合ってくれないか」
透は、真剣そうな顔でまっすぐと僕を見てきた。
僕の心は、少しも揺らがなかった。
「ふざけるな。僕が透といたのは、お金のためだけに決まっているだろう。何、勘違いして、調子に乗っているんだよ」
「それでも……俺に対して少しは特別だという気持ちくらいないのか?」
「お金を持っていないお前になんて興味がない。僕は、優しくされたくらいで誰かを大切に思えたりしない冷たい人間だよ」
僕という人間に失望していった数々の人間の顔が浮かんだ。
勝手に理想を押し付けて幻滅して……みんな、バカじゃないのか。
「お金を出せないガラクタに用はない。失せろ」
次の日、清水 透は学校を退学した。
やがて、彼はアイドルになった。つまり大金持ちになったということだ。
そうして、偶然、僕と再会した。
「まさか、透がアイドルになるなんて思っていなかったよ」
「捨てた男がお金持ちになって悔しい?」
「ああ、もちろん。こんなことなら、君を捨てないで飼い殺せばよかったって後悔している」
「相変わらずのクズだな。でも、俺も君と切れたことに後悔していた。君とのセックスは気持ちよかったからな。
お金持ちになったし、もう一回君を買ってあげようか」
お金をくれない透は、価値がない。
お金をくれる透には、価値がある。
「一回、十万円ならいいよ」
「この淫乱」
「で、どうするの?」
透は、僕の質問に答える前に噛みつくようなキスをしてきた。
離れていた時間を埋めるような濃厚なキスだった。
キスが終わると、僕は彼に冷めた声で告げる。
「報酬は、前払いで」
「相変わらずクズだな」
「何とでも言え」
透は、人気絶好調のアイドルだけあって気前がよかった。
彼から巻き上げた金で、お気に入りのキャバクラに行き、お金を使い果たす。
廃人のような生活が続いていた。
そんな生活がいつまでも続くと思っていた。
けれども、違った。
僕のお気に入りのキャバ嬢の黒羽 瑠璃が死んだのだ。
脳卒中で死んだらしい。
思っていたよりもあっけなく初恋は終わった。
昔の話をしようか。
幼い頃から、僕は周りで評判になるくらいのかわいい子だった。
男の子からよく告白された。大抵の男は、僕が本当に男だと知ると去って行ったが、中には僕が男であっても好きだと言ってくれる人もいた。
中性的な美貌。男さえも惑わす絶世の美少年。傾国の美妃。深津町の天使。地上に舞い降りた女神。
周囲の人間は、僕をそのように呼び崇めた。
この美貌がもたらしたのは、いいことばかりではなかった。
小学5年生の時に、僕はレイプされた。
学校帰りに、高校生の集団に襲われた。そいつらは、僕のことを女だと勘違いしていたらしい。裸にされ男だとわかったあとも、そいつらの遊びは終わることがなかった。
そして、散々弄ばれた後、ゴミのように捨てられた。自分が汚物にでもなったかのような気がした。心底、消えてしまいたくてたまらなかった。
その時、一人の少女にあった。彼女は、ボロボロになった僕に手を差し伸べて泥沼から救い出してくれた。少女の名前は、黒羽 瑠璃。日本人形みたいに綺麗な子だった。僕は、彼女に恋に落ちた。いや、恋ではなかったのかもしれない。恋よりももっと強烈な感情であった。依存、中毒、執着……そんな感情を抱えながら彼女を見ていた。
中学二年生だった彼女から見れば、きっと僕なんてただのガキだったのだろう。どれほど仲良くなっても、いつも子ども扱いされていた。
瑠璃は、中学を卒業するとキャバ嬢になった。僕は、瑠璃に会うために必死でお金を貯めた。けれども、中学生のお小遣いでは足りなかった。だから、買春を始めた。お金さえあれば、瑠璃に会える。瑠璃に会えないなんて耐えられない。他人を騙して、傷つけて、魂を売って、それでも瑠璃の側にいたかった。次第に彼女は売れていき、僕はさらに高額なお金を用意しなければ瑠璃に会えなくなった。
だから、体を売って瑠璃に貢ぎ続けた。
恋に溺れるバカな男。
それでも、瑠璃なしには僕は生きられない。
麻薬中毒者みたいに瑠璃だけを求めた。
彼女以外は何もいらなかった。
瑠璃の他のどんなものにも、人にも興味を持つことはできなかった。僕の心は、とっくに彼女のものだった。
瑠璃を失った今、何をする気にもなれず、深い絶望に飲み込まれた。
ごめん。
約束の場所に行けなくなった。さようなら。
透に他に言うべき言葉なんて何もない気がした。
彼にはそれだけメールを送り、携帯の電源を切る。
そしてベッドに横になり残酷な真実を否定して、思い出にしがみつき続ける。
しばらくすると玄関のドアを叩く音がした。
僕の名前を呼ぶ透の声も聞こえる。
けれども、僕にはドアを開ける気力すらわいてこなかった。
やがて彼は、諦めて去って行った。
次の日も、透はやってきた。
そうしていつまでもドアの前で僕の名前を呼び続ける。
これ以上騒いだら、近所迷惑になる。
僕は、ドアを開けた。
ドアの向こうには、青ざめた顔の透が立っていた。
「いたのか……」
彼の言葉に頷いた。
「うるさいから、消えてくれない?」
「ちょっと待ってくれ。俺は、楓に話があるんだ」
「また、くだらない愛の言葉でも囁くの?悪いけど、そんなものに興味はない」
「ああ、そうだ。どうしても楓に伝えたいことがある。俺は、お前に惚れている。どれほどお金を積んでも、俺のことを好きになってくれないお前が憎くてたまならかった。誰のことも大切にお前ない透を人として軽蔑していた。それでも、楓が欲しくてたまらなかった」
彼は、袋から札束を取り出す。
一個じゃない。何個もの札束を取り出し積み重ねていく。
一千万くらいあるかもしれない。
「お金をいくらでもやるから、俺を好きになってよ。また俺に抱かれて、快楽に溺れてみせて。一瞬でもいいから俺を欲しがって」
「いらない……」
それを聞いた透は、泣きそうな顔をした。
「そんなものは、もういらない」
お金なんていらなかった。
瑠璃にさえ会えればそれだけでよかった。
「……僕には、好きな人がいた。その人はキャバ嬢だった。僕は、瑠璃に会うために……お金を求めていた。脳卒中で昨日、死んだ。どんなにお金があっても、もう瑠璃には会えない。だから、お金はいらない。透ももういらない」
あの時から、壊れそうな自分を必死で繋ぎ止めるように、ずっと一人の少女に依存していた。
僕の話を聞いた透は痛みに溺れるような顔をした。
「俺は……君を誤解していた」
「誤解?どうせ、僕を女遊びしてばかりいる金遣いの荒い快楽主義者のクズだと認識していたのだろう。そのとおりじゃないか。僕は、嘘つきで最低なクズだ」
誰にも愛される資格のないゴミだ。
「なあ、楓。俺じゃあダメか」
「何バカなことを言っているの?
君が瑠璃の代わりになるわけないだろう」
どんなに肌を合わせたところで、君は、いつだって瑠璃の代用品にすらならなかった。
「そうか。悪かったな」
「え?」
「こうしてお金を積み重ねてお前を侮辱するような真似をして悪かった」
謝るのは、彼の純情を弄び続けた僕の方なのに……バカじゃないのか。
「楓が悲しんでいる時に、現れて無神経なことばかり言って本当にごめん。
しばらく楓の前には現れないよ」
そう言って、彼は僕のものから消えようとする。
どうせ透ごときじゃ僕の心は満たされない。
瑠璃と一緒にいるときのように心が揺さぶられない。
いてもいなくても同じ。
あんな人間僕には必要ない。
そう思っていたのに。
その寂しげな後ろ姿が自分の心を表しているように見えて心が押しつぶされそうだった。
「行かないで」
自分から捨てたくせに。
今更、そんな言葉を吐いてすがりつくなんて。
なんてわがままなのだろうか。
みっともなすぎるだろう。
それでも、彼を求めずにはいられない。
「僕を一人にしないで」
誰にも弱さも本当の自分も見せたことがなかった。
瑠璃にさえも迷惑になることを恐れてすがりつけなかった。
閉じ込め続けてきた本音が零れ落ちた。
驚いたように、透は僕を見てきた。
彼はそんな僕を抱きしめてくれた。
そうして、僕の頭を優しく撫でてくれた。
いつだって君は、僕をただひたすら甘やかしてくれた。
「何で……僕なんかにそんなに優しくしてくれるんだよ。
僕は、人を人として思えず、誰も大事にできない最低な人間なのに」
「それは、俺が楓を好きだから」
透は、初めてあった頃と同じように優しい笑顔を浮かべた。
その言葉に自分の存在がひどくちっぽけに見えた。
僕にとって透はどのような存在なのだろうか。
本当は、興味がないなんて言えないほど、大きな存在だった。
愛と呼ぶにはあまりにも汚れすぎていて、
運命と名付けるにはあまりにもすれ違い続けていて、
恋と呼ぶにはあまりにも傷つけすぎていて、
それでも彼にだけは側に居て欲しかった。
孤独と失恋でバラバラになった心を繋ぎ止めるように泣きながら彼にすがりつく。
その温もりだけが支えだった。




