PLANET EXPLORERS ONLINE
ガガッ、バン!バタン!!ガチンッ。
耳を塞ぎたくなるような、一連のけたたましい音を響かせて扉が開いて、そして閉まる。
「…はぁっ、はぁ…」
息を切らせて玄関先に手をついた桜庭春香は、背中に抱えた大荷物を慎重に、しかし大急ぎで横に置くと、一目散にリビングへと走った。途中、手にしていたペットボトルに残っていたスポーツドリンクを一気に喉の奥へ注ぎ込む。
「ふう!」
先ほどまで練習していた古武術の道場から自分の家まで全力疾走したせいで、シャワーで洗い流したはずの汗がまた噴き出してきていた。一瞬[お風呂]という単語が頭をよぎるが、彼女にとってはそれよりも優先順位の高いものが待っていた。椅子にしては少々というか、かなりゴツイそれに掛けてあったタオルを無造作にむしり取り、額の汗をぬぐうと乱暴に腰かける。背もたれが小さく機械音を鳴らし自動的にリクライニングする。ヘッドレストの後ろからバイザーのようなものがスライドして現れ、目の前にかぶさると同時に彼女は叫んだ。
「PEO コネクト!」
ふっと意識が遠くなる。認識していた周りの世界がすべて違うものによって塗り替えられた。
『ハルカ・396Bさん、プラネットエクスプローラーズオンラインへようこそ』
聞きなれたいつものメッセージが彼女の耳に届いた。
このVRMMORPGPEOは稼働してから1年ほどたつタイトルで、プレイヤーは銀河惑星同盟か銀河帝国のどちらかに所属し、惑星の支配権をめぐって争うというゲームだ。ただし、この対立軸というものはあまり重要視されておらず、加えて直接プレイヤー同士が戦う事は無かった。このゲームの主な目的は各開拓惑星に生存しているエネミーと呼ばれる魔物を狩る事だった。
プレイヤーは各惑星のエネミーを倒し、その倒した総数とレベルによって所属する陣営にポイントが溜まっていく。そのポイントは惑星のエリアごとに集計され、多い方により強力な支配権が設定される。隣り合ったエリア、隣り合った惑星はオセロゲームのように支配権の影響を受ける。
そうした法則に則って決められた各陣営の優勢劣勢はプレイヤー個人にとってはさほど意味が無く、あまり好評とは言えなかった。ただ、所属するクランの順位や個人の成績も発表されるため、自分たちの陣営の成績向上目指して熱心に行動するプレイヤーも決していない訳ではなかったが、少数派である事は間違いなかった。
こうしたゲームのシステムには批判も多かったが、殊にエネミーとの戦闘部分に関してはしては不満らしい不満は殆ど挙がっていなかった。
創り込まれた各惑星の幻想的な風景に多彩なエネミー、戦闘の自由度とバランス、現実の身体技能から影響を受けるプレイヤースキル等々は今までのVRゲームとは一線を画し、短所を補って余りある、魅力的なものとして仕上げられていた。それは発売されるや否や世界中で爆発的に売れた事でもわかるだろう。その人気に一年たった現在でも陰りは見えていなかった。
そんなPEOに先月、大型アップデートの実施が発表された。開発会社からは『色々あるので当日まで楽しみに待っていてほしい』という言葉とともにレベルキャップの引き上げと新たな惑星ステージ追加の二つが明かされた。
情報がほとんど開示されなかったことで、プレイヤー達の間で様々な憶測や噂が独り歩きする事となった。
曰く、『今まで人間と機械生命体だけだったところに他の種族プラス上位種族の追加があるんだってよ』
曰く、『ついに対人戦が解禁されてPKが出来るようになるみたいよ』
曰く、『新ステージの惑星には現地人の街があるらしいぜ』
曰く、『帝国と同盟の間で戦争が始まるみたい、集団戦が実装されるんだってさ』
曰く、『戦艦が人型に変形して惑星を攻撃できるようになるんだよ、あと、乗り込めるロボが…』
といった順当なものから眉唾ものな話まで多くの噂がプレイヤー達を賑わせていたが、結局最後まで詳細の発表も事前リークの類も発生しなかった。プレイヤーには何の情報も与えられず、ついにそのまま当日、その時間を迎えた。
薄暗い視界に光のラインが浮かび上がる。それは自分を囲むように幾何学模様のリングを形成し、いくつかのウインドウがメッセージを表示しはじめる。PEOの設定を行う電脳空間にハルカは浮いていた。
『システムがアップデートされました。詳細を確認しますか?』
柔らかな女性の声でメッセージが流れる。待ち望んでいたセリフにハルカの唇が笑みの形を描いた。
「みせてみせて♪」
『わかりました。アップデート内容を表示します』
彼女の適当な返事にもAIはきちんと対応し、適切な答えが選択された。
-ステージ:惑星テオロニアが実装されました-
-進化体が実装されました-
-上限レベルが200に引き上げられました-
極短いメッセージが3つだけウインドウに表示される。
「え~3つだけ?」
流石に予想外だった。
「なんか、こう…もっとずらずらっと説明されると思ったんだけどな~」
ハルカがぶつぶつと呟くも、AIは何も答えを返さない。
「まぁ、運営の不親切さは今にはじまったことじゃないしね…」
実際にプレイしてみれば色々変った所にも気づくだろうと一人納得する。それに噂の中で一番期待していた新たな種族の追加が進化体という形できちんと実装されていたので、他の事は「まぁいいか」という気分になっていた。
「とりあえず、…私は進化できる?」
ハルカはドキドキしながら尋ねた。
『条件を満たしています。ですが、レベルが引き上げられた上限に達していないため、進化体Lv1のステータスが大幅に下げられます』
どうやら進化するとまたLv1からはじめなくてはならないようだった。それにステータスの下方修正は気になる。
「それってLv200から進化した方が強くなれるってこと?」
『そうではありません。当初のレベル上げに困難が伴うだけで、それもLv50になる頃には解消されます』
まるで準備していたかのようにスラスラとAIが答えた。
「う~ん、迷うなぁ…」
なるほど、現在のハルカはアップデート前のレベル上限の150だ。おそらくLv200から進化してLv50にするのも、今進化してLv50にするのも同じくらいの時間がかかるようにバランスがとられているのだろう。あまりにステータス差があるとパーティーも組みにくい。そのあたりも運営は考慮しているのかもしれなかった。
「でも私は殆どソロだし…いいや。やっぱり進化しよう」
最初の苦労もそれなりに楽しいだろうと、ハルカは進化を決めた。
『わかりました。ハルカ・396Bさんが進化可能な種族は2つです。[カーマインハート]は[クリムゾンフレーム]の正統進化とも言える種族でパワーとスピードのステータスが高くなっています。[メタルブラッド]はEP値が高く、フォースの適性が…』
「カーマインハートで!」
AIの話を最後まで聞かずに決める。刀剣ヲタクな彼女が重要視しているのは、その体が刀を振るうに適しているかどうかだけだった。最初に機械生命体を選んだのもヒューマンよりも身体能力が高かったからにすぎない。彼女にとって何よりも大切なのは刀剣の技術を極める事だった。
『種族を確定すれば二度と変更はできませんが、よろしいですか?』
淡々とAIが告げる。
「刀を使うのに一番適しているのはこの種族なんでしょ?」
『一概には言えませんが、有利であることは間違いありません』
「じゃぁ問題ない」
彼女にとってはその答えだけで十分だった。
『ポッド[MB014-00228657NA]にアクセスします。個体名称[桜庭春香]確認。セキュリティーシステムにコードを要求されました。パスワードをどうぞ』
「え~となんだっけ…あ、無銘獅子王773!」
パスワードを聞かれたのは最初のゲームプレイ以来だったので少し戸惑った。忘れてるプレイヤーもいるんじゃないかと他人事ながら心配になる。こんな事で進化できなかったら笑いものだ。ハルカは仲間内で失敗しそうな人物を思い浮かべてみた。
埒もない想像に頬をゆるませていると思っていたよりも早く処理が完了する。
『コード受理されました。進化を確定します』
『今までのボディー[クリムゾンフレーム]を[カーマインハート]に再構築します。それに伴い装備品、アイテム類は倉庫へ転送されます』
『再構築を完了しました』
次々とメッセージが流れ、進化もあっという間に終わった。
『転送を希望するサーバーをお選びください。なお、新たなステージ[惑星テオロニア]へと降下するためのサーバーはアマテラスとなります』
「なら、アマテラスにお願い」
やっぱり新しいステージがどんな所か興味がある。おそらく込み合っているだろうが、とりあえず見てみるぐらいは問題ないだろう。
『現段階ではハルカ・396Bさんのレベルに見合ったステージが存在しませんがよろしいですか?』
追加ステージだけあってエネミーの強さも引き上げられているようで、AIが忠告してきた。
「いいよ。とりあえず覗いてみたいだけだし」
『わかりました。量子転送ポート起動。戦艦アマテラスへ転送します』
電脳空間に浮かんだハルカの姿が溶けるように掻き消えた。