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星のささやき

作者: 和水


 その夜、星が落ちた。


 それを見ていたのは、砂漠に定住する遊牧民族に、薄暗い洞窟をねぐらとする盗賊たち。

 そして、失われた王国に住まう亡者だった。

 崩れ落ち廃墟と化した王城に住まう亡者以外、夜に瞬いた光を注視する者はいなかった。

 あまり見ることもないが、流れ星自体は決して珍しいものではない。彼らは、すぐに空から地に視線を戻した。

 遊牧民の老婆が常とは違う星の光に目を細めたが、結局彼女もすぐに興味を失った。

 しかし、亡者だけは星が落ちた後も、じっと空を見続けた。

 星々が瞬く夜空を見上げながら、ひたすら待った。彼は理解していた。ついに迎えが来たことを。




◇ ◇ ◇




 かつては、燦々と光り輝くような栄誉と、溢れんばかりの繁栄に身を包んだ王国はもうない。

 街は寂れ、時計台の針は止まり、城は瓦礫と化した。

 たまに、旅人や風変わりな学者が訪れるぐらいだ。そんな彼らもすぐに去っていく。

 あくなき探究心で輝いていた瞳は沈み、その顔からは不敵な笑みが消え去った姿で。

 彼らは、国が滅んでから随分と長い月日が経っているというのに、未だ乾かぬ血の匂いを敏感に感じ取っては震えた。


 ここにはまだ何かいるぞ。


 仲間と来た者は無言の目線を交わし、一人で来た者は静かに目を閉じ、神に祈った。

 たまに無謀な者もいた。

 人っ子ひとりいない路地を歩き、もはや防衛の意味をなさぬ、いくつもの塀と門をくぐりぬけ、王城に忍び入る。

 そして、感じ取るのだ。

 かつては乙女たちの笑い声で溢れていた庭園で、だだっ広い大広間で、主のいない玉座で、何者かの気配を感じ取る。とっくの昔に止まったはずの時計台が鳴らす音に心をざわめかせる。

 ここで、自分の弱さを恥じながら足早に逃げ去る者もいた。

 果敢にも目に見えぬ何かを探り当てようとする者もいたが、最後には何の収穫も得られることなく去って行くのが常だった。


 そして、噂だけが広まった。


 あそこには亡者がいる。それか不死の魔法使いが。近寄る者は呪われるぞ。いや、違う。王家の生き残りがまだ残っているのさ。何を言う。きっと、不届き者がねぐらにしているのさ。どっちにしても近寄るな。捕まって奴隷として売り飛ばされるぞ。

 さまざまな憶測が浮かんでは消え、真実に決着はつかず、結局そのままになった。

 そのまま数年過ぎ、数十年過ぎ、何百年も経った。

 その間、廃墟に立ち寄る者はたまに酔狂な者が現れる程度で、その他の者はわざわざ遠回りまでして近寄ろうとしなかった。

 昔の噂は、今も生きているのだ。

 これまでの間に、色々あった。

 数え切れぬほどの戦が、国の誕生と滅亡があった。王国を囲う緑の絨毯は、東から押し寄せてきた砂漠で覆われた。人々は王国の存在を忘れた。もっと豊かな実りをもたらす土地に移動した。

 そして、親たちは自分たちの親がそうしてくれたように、もう今はない失われた王国の物語を幼子に語って聞かせるのだった。



 今日、その王国に久々の来客があった。



 男の高い背が、夜の街に影を落とす。

 珍しげに周囲を見回しながら、着実に王城へと歩を進めていくのを亡者こと”彼”はじっと見ていた。

 カーゴイルの頭の上に座って、足をぷらぷらと下にぶらさげ、彼はついに男が城へと入るのを見届けると、ほおっと息をついた。

 長かった。いったい、自分はどれだけ待っただろう。

 それに対する答えを瞬時に出すことができたが、彼はあえてしなかった。そんな事に意味がないことを知っていたからだ。

 密やかな音が階下からするのが聞こえ、彼は体の向きを変えてカーゴイルからするりと降りる。

 訪問者を迎える特等席へ行こう。あそここそ、客人を迎えるのに値する。かつて彼の主人がそうしたように。


 ――主人。何人いただろう。


 彼は歩きながら小首をかしげる。小さな頭がすぐさま、かなりの人数をはじきだした。

 何故なら、彼はこの王国のはじまりから見つめ続けてきたからだ。そのうち、玉座に座った主人もいれば、座らなかった者もいる。

 それに、彼はこの国がはじまる前から主人がいた。

 可愛い女の子だった。名前もちゃんと覚えている。それを言うなら歴代の主人の名前を諳んじることができたが、それもやはり意味がないので止めた。

 時に、主人がいないこともあった。

 そういった場合、彼は自由気ままに城を練り歩き、街を出て、たまにもっと遠くの街へ行くこともあった。船にだって乗った。その間、新しい主人ができることもあったが、彼は結局ここに戻ってきた。

 懐かしかったからではない。

 単に、ここが彼の最初の主人のはじまりの地だったからであり、迎えが来るとしたらこの土地以外なかったからだった。そして迎えはついに来た。


 彼はそろりと大広間に入り込み、蜘蛛の巣だらけの天井を頭上にして埃だらけの広間をとことこと横切る。彼の短い脚だと中々労力がいったが、ついに玉座の前まで来た。

 彼は台座におかれた玉座を見上げて、一息つく。

 足元の絨毯には黒い染みが未だ残っている。ここで多くの血が流されたが、最後に流した王の血はその息子によって作られたものだった。

 その頃には、彼は自分の存在をひた隠しにしていた。何度目かの旅に出て帰ってきた時、皆が自分の存在を忘れていたことに気付いたのだ。

 いや、忘れていたというには語弊がある。皆は彼の存在を物語の中に閉じ込めたのだ。

 そんな中に自分がのこのこ出てきては皆、混乱するだろう。もしかしたら、彼自身も疲れていたのかもしれない。

 だから、誰も足を踏み入れぬ屋根裏や小部屋を根城として、時計台の奏でる音を聞きながら、ただひたすら安穏な時をむさぼった。

 ひっそりと気配を押し隠しながら、多くのものを見聞きし、見守った。

 たまに小さな仲間ができたが、誰も子供の戯言に耳を貸すものはいなかった。そうしている内に、いつの間にやら王国は終焉を迎えていた。

 玉座に座り、誰もいない大広間を見回しながら、彼は思う。

 自分のせいだろうか。何か出来たのではないだろうか。否。すぐに思い直す。自分は確かに人より多くのものを見てきたが、ただそれだけだ。

 それに、元々そういったように彼は作られていない。


 その時、密やかでいながら、やけに音を響かせて訪問者が広間に現れた。 


 薄暗い中、訪問者は迷うことなく玉座へと足を進ませてくる。

 ついに彼がいる玉座の前まできてようやく足を止める。その前から、訪問者の顔を彼はとらえていたが、目の前にして少しだけ違和感を持った。


「……やあ、君一人かい?」

「一人だ」


 訪問者は明快に答え、にっと笑う。

 今まで、この城に入り込んできた者達は、彼が気まぐれを起こして声をかけると悲鳴をあげて逃げたものだ。

 しかし、この訪問者は逃げ出さないどころか、興味津津といった感じで黒い瞳を輝かせている。


「君も一人かい?」


 逆に質問された。


「一人さ」


 彼も簡潔に答える。


「他の人たちは?」

「何百年も前に死んだ。他の者達は遠い地へ去って行った」

「すべてを忘れて」

「すべてを忘れて」


 彼はこくんとうなずく。


「待つには長すぎたよ。とても……。とてもね」

「すまないね」


 ちっとも、すまなそうに思えない口ぶりで訪問者は肩をすくめる。


「こちらも色々あったのさ」


 漆黒の闇のような髪をかきあげ、またにやりと笑う。


「信号を拾った。あれは君が?」

「そうだ」


 この王国の宝。その役目をとうの昔に忘れながらも、人々が守り続けた宝。

 彼らは、それがどんなに大切なものか最後には忘れていた。あまりにも長かったから。


「迎えは君だけ?」


 先程からの違和感はそれだ。

 仲間は他にいないのだろうか。それとも、そんなに自分たちは彼らにとって取るに足りない存在になってしまったのか。


「……う~ん」


 訪問者は眉をひそめながら唸る。


「実はね、俺は君が求めていた迎えではないのさ」


 彼は何も言わない。ただ、じっと訪問者を見つめる。


「早い話が盗人なのさ」


 白いを歯を見せて悪びれることなく言う。


「大移民時代のお宝が何かしら残ってないかと思ってね。あの時代、いろんな物が持ち出されたから」

「それで信号を拾って何かがないと」

「訪ねたわけ」


 訪問者がしたり顔でうなずくのを、彼はただ静かに受けいれた。


 では、迎えは来ないのか。いや、今更来られても困る。


 残された人々は遠い記憶を忘れ、今を生きているのだから。

 でも、あの子はどうだろう。一番最初のご主人様。友達。可愛いお姫様。

 彼女は言っていた。すぐにお迎えの船が来て、自分を両親の元へ返してくれると。

 それを聞きながら彼は思ったものだ。迎えは来ない。来たとしても、そこに両親の姿はいないだろうと。

 二人は娘を戦火から逃すと、自分たちは残った。もう生きていないだろう。

 迎えに来るからいい子にして待っていてと娘には言い、彼にはあの子を守ってやってと頼んで、戦の中に戻って行った。

 だから、彼は彼女と一緒に待ち続けたのだ。

 彼女が死んだ後、彼は彼女の子供に受け継がれ、その孫がもう迎えは来ないと諦め、この国に最初の王国を築いた時もずっと傍につきそい、一緒に待ち続けた。その役目を忘れさられた時計台でメッセージを送り続けた。

 でも、来たのはただの盗人。迎えは来ない。

 彼らのほうではもうとっくの昔に、遠い地へと逃げて行った同胞のことなど忘れ去っていたのだ。



「……すまないね」



 物言わぬ彼を見て、訪問者がまた言った。今度は先程のより真心がこもっていた。


「いいや」


 彼は首を振る。


「いいのさ。これで、スッキリした」

「……戦を逃れ、遠い星に新しい住まいを移した地球人は数多い」


 訪問者が彼から目をそらさぬまま語る。


「その半数近くが自分たちの本来の出自を忘れ、中には移住した先の民と同化した者達もいる」


 あまりに遠く逃れ、迎えを待つには長すぎた。


「今、ようやく散り散りになった移民達の行方の捜査が行われている。接触を持った星もあるが、数多くの星は監視下に置かれている。いずれ、この星も政府の保護下に置かれるだろう」

「その前に、君がこの星のささやきを受け取ったわけだね」

「そうだね」


 深く染みいるような笑みを作った後、訪問者は気持ちを切り替えるように顎を上げた。


「俺はもう行くよ。うかうか留まっていると捕まる身の上でね」

「そうかい」

「ああ。では元気で」


 そう言うが早いか、今までも数多くの修羅場においてそうしてきたように足早にその場を去ろうとする。

 その背中がどんどん小さくなっていくのを、彼はつぶらな瞳で最後まで見届けようとする。人と話すのはきっとこれで最後だ。自分の役目は終わった。もう信号を送る必要もない。



「……元気で」



 彼は小さくつぶやいた。

 すると、そのささやきをまるで聞き取ったかのように、訪問者が止まった。


「君、名前は?」


 広間の端で、訪問者は顔だけ振り向いて声を張り上げる。


「俺は、カイドー」


 そこからでは影しか見えないだろう玉座に向かって、更に言う。


「船に娘が待っているんだ」

「……娘の名前は」


 カイドーが暗がりで秘かにほほ笑んだのを、彼の眼は着実にとらえる。


「セリナ。五歳だ」


 小さかったあの娘と同じ年だ。


「近いうちに、政府の者が君を見つけるだろうが」


 カイドーはそこで言葉を切り、少し息をつくと一気に言った。


「俺と一緒に行かないか?」



 返事はなかった。



 カイドーは目を凝らして奥にある玉座を見つめ、しばらく待ったが気配すら感じない。


 もう行ってしまったのだろか。セリナががっかりするだろうが仕方ない。これが彼の望んだ生き方なのだろう。

 これまでも数多くの移民達のなれの果てを見てきたが、今回は初めてのケースだった。だから、こんな事が口に付いたのかもしれない。でも、それもただの気まぐれに過ぎない。

 慣れぬことはしないものだとカイドーは自戒し、踵を返そうとした時、密やかな気配を背後に感じた。

 振り返れば、とことことまるで幼児のようなあどけない歩き方で小さな影が彼に向かって近づいてきていた。

 それは少し距離を置いてカイドーから立ち止まると、多くの子供たちを夢中にさせてきたに違いない無垢な黒い瞳で彼を見上げてきた。

 カイドーは目を細めて、星のささやきにも似たその澄んだ声に聞き入る。




「……ぼくは、製造番号J27500-48号。玩具用のテディベア型AIロボットだ」




 そこには、長年の月日にさらされ、ぼろぼろになった小さなくまのぬいぐるみが、窓から差し込む月光の下、ひだまりのように輝いていた。



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