第1章
それから、何年も月日が経ち、ルシェットは16歳になっていた。
後ろで結った金髪の軽い癖毛に紫紺の瞳、そしてブカブカのローブとサンダルが
少女の服装だった。
そして、少女は何度も倒れこみそうになりながらも必死でフラフラと歩いていた。
調合を繰り返し金を貯め物を買い、苦しくなったら天然石を頼りに握り締める。
そんな生活を続けていたある日のこと、調合とは違う依頼を受けた。
「今お前が作っているものをある人物に届けてほしい」とのことだった。
「その、ある人物とは?」
「銀髪で髪の長い青年だ。名前は…エリュニスといったか」
「……」
「そんな心配そうな顔をするな。あいつは街の中でも優しい人物だと評判だし、
差別をするようなやつでもない」
「……でも、……怖いです……」
「本当に怖かったならすぐ済ませて帰ってしまえばいい」
「……分かりました……行って来ます」
「エリュニスは今図書館で待っているとの事だ」
しばらく歩き、図書館の前までたどり着いてしまった。深呼吸をし、こっそり
と中を窺うように見回した後ゆっくりと入った。
図書館の中歩きながら探すとすぐに見つかった。後ろで結んだ長い銀髪の後姿。
身長はルシェットより10センチ以上ある。
「…あ、あの……」
緊張のあまり小さな声しか出せなかった。エリュニスは本を選んでいてルシフ
ァーには気づかない。
どうにも声が出せなくてルシェットはついエリュニスの左手の服の裾を掴んで
くいくいとやってしまった。
「え?」
その次の瞬間エリュニスが振り向き、ルシェットは裾を掴んでしまった事を思
い出しとっさに図書館の中を出ようと走り出した。
だがそれも少しの間だけで急に走り出したために着ていたローブの裾をとっさ
に踏んづけてしまい前のめりに倒れた。
「急に走ると危ないですよ」
いや、倒れたのではなく倒れる瞬間の前にエリュニスに後方から支えられていた。
「……」
「あの、依頼の方ですよね?」
「……はい…」
羞恥のあまりにそれしか答えられなかった。
「ええっと、僕があなたに依頼したエリュニスです」
後ろで結った長い銀髪にサファイアのような瞳。中性的で綺麗な顔立ちと優しげ
だがどこか冷たい顔。それがエリュニスの印象だった。
「あ、あ、私は…」
初対面の相手であることと緊張と先ほどの羞恥で言葉がうまく出てこない。ふ
と顔を見上げると優しげな表情をしたエリュニスがこちらの返事を待っている。
「大丈夫です。ゆっくりでいいですから」
「わ、わたしはルシェットです……。あなたに、その、い、依頼の品を届けに…」
「はい、ご苦労様です。」
依頼を終え、エリュニスから金を受け取り、ふとあることに気づいて、質問してみた。
「……あの、どうして図書館で…?」
「え?あぁ、ちょっと気になったんですよ。あなたが良くここに来ると聞いて」
「…………帰ります…」
「あ、いえ本当は違います。僕はあなたの保護と監視を頼まれているんです」
「……その、適合者として?」
「名目上はそうですね。とはいってもそんなに酷いことはしないと思いますよ」
「…………」
「ごめんなさい。どうしても断ることができない役目なんです」
「……私を監禁でもするの?」
「そんな事はしないですよ。ただ僕と一緒に生活をして、一緒に依頼をこなし
たりするだけです」
「……分かりました…」
ただ逆らってはいけないような雰囲気がそこにはあって従うしかなかった。
「とりあえず依頼を受けた場所に戻りましょうか」
2人は調合店の方へと戻った。中には店の主人がやや緊張した面持ちで出迎える。
「依頼、終わらせました…」
「……その、すまなかったな」
「…………」
「ではルシェットさん、行きましょうか」
「…………」
エリュニスの後を着いていく。ただそれだけのことなのにひどくルシファーの足
取りは重かった。
「着きましたよ」
そこは借し住宅のようなものだった。前払いで金を払い中へ入ると2つのベッドと
やや横に長いテーブル、椅子、ちいさなキッチン、奥の2つの扉はシャワールーム
とトイレへと続いていた。
「同室になってしまいますが…」
「……別に…どうでもいい……」
ひどく落ち込んだ様子のルシェットはベッドに横たわり、そっぽを向いたまま寝た
ふりを決め込もうとした。
「…………」
泣きたくても泣くことすら分からない。ずっと寝たふりをしようとしているうちに
発作のように後から後から咳が止まらなくなる。
「……えほっ……うえっ…………かはっ……」
とうとう発作に混じって苦しみからか涙までうっすらと出はじめた。その時、エリ
ュニスがベッドのそばまで行き、ゆっくりとルシェットの手を包み込むようにして
握った。
まるで泣いている子供をあやすようだ。ルシェットは身体的には成長していても、
心は純真なままであった。
それでもまだルシェットの咳はおさまらない。エリュニスはルシファーの横たわっ
ているベッドの中に入り、ゆっくりとルシェットを抱きしめた。
ルシェットは驚いて逃げようとしたが、優しく抱きしめられたままやり場のない感
情のままにエリュニスの肩口にきつく歯を立てたまま必死にやり過ごそうとしてい
る。
エリュニスは何も言わずに肩口に歯を立てられたまま何の抵抗もしなければ言い訳
もしなかった。しばらくたち少しづつ肩の痛みが薄くなり、ルシェットはぼんやり
とした表情のままエリュニスの顔を覗き見た。
彼はずっと痛みを感じていたのにも関わらずやや苦しげな表情を少し見せただけで
出合った時の優しい表情のままルシェットを見つめていた。
「もう苦しくないですか?」
そう言ってエリュニスが優しく笑いかけた。ルシェットはぼんやりとしたままつい
頷いてしまった。
「よかった」
そう言われ、ルシェットは動揺した。罵倒をされることは慣れていても、優しくさ
れることには全くといっていいほど免疫がない。本気なのかそれともただのルシェットの心を落ち着けるために仕方なく行ったのか判断に困った。
食事の前にルシェットの身長と体重を測った。……その結果にエリュニスは驚愕した。
身長が161センチなのに対し、体重がたったの38キロしかなかったのである。
この時エリュニスはルシェットを健康的な身体にするよう誓ったのであった。
「食事を作るので、しばらく待っていてください」
ほどなくして、暖かいスープとパン、温野菜と卵のサラダと林檎を切ったものが皿
に載せられ、夕方なのに朝食のようなメニューが出された。
「……こんなに食べられない……」
「多かったら残してもいいですよ。残りは僕が食べますから」
言葉通り、ルシェットは出された食事の半分を食べきるのに精一杯でかなりの量を
残した。無理に口の中に詰め込めば入るかもしれないがそれこそ吐きそうになるた
めそれもやめておいた。
一方のエリュニスは全て完食した。
「少し作りすぎたみたいですね」
そう言って苦笑いをした。優しいけれどどこか作り笑いのような笑顔がルシファー
をひどく不安にさせる。
「……どうして……」
「え?」
「……どうして私に優しくしてくれるの……?」
意を決して聞いてみた。役目だからというのだろうか。
「ルシェットさんにだけ優しくしていると多少は思っています」
「それが、……役目だから?」
「それもあるかもしれません。けれど、あなたがつらそうだったからです」
「…………私は平気……いつものことだから……」
「役目としてなら、見守るだけです。けれど僕は、ルシェットさんを守ります」
「……分からない…………どうして、あったばかりなのに守るとか言うの?」
「………どうしてでしょう……あなたを見ているとそう思ってしまうんです。これ
では理由にはならないですね」
そう言ってエリュニスは少し悲しそうな顔をした。正直、こんなにも優しくされて嬉
しくないといえば違う。ただあったばかりの人間にいきなり親しい態度を取られてル
シェットは酷く戸惑っていた。
「嫌だ…優しくされるのも……どうしていいかわからなくなる……」
「あなたを混乱させてしまいましたね……。僕の落ち度です」
ルシェットの頭の中はエリュニスの優しい態度とそれに共遭わない事実とで苦しんで
いた。けれどその間にも時間は過ぎて行き、シャワーを浴び、寝る前の時間まで来て
しまった。
また。
またあの発作が起こるのか。
そう思うと寝ようにも寝付けなくなる。
ベッドに入って眠るだけのことを恐ろしく感じた。
エリュニスはまだ眠りにはつかずに暖かい紅茶を飲みながら書き物をしていた。
ルシェットはティーポットにまだ入っている紅茶を自分のカップに注ぎ、砂糖も何も
入れずに口をつけた。
「……何かの香りがする…」
「ああ、アールグレイですね。紅茶は飲んだことないんでしたっけ?」
「……うん……」
とはいってもルシェットは水くらいしか飲んだことがないので飲み物に種類があると
いうことさえ分からない。
「ルシェットさんがもう少し落ち着くまで待って、依頼をこなすのはそれからにしま
しょうか」
「……もう寝ます」
ルシェットはベッドに入り頭から布団を被りきつく目を閉じた。
翌朝。
ルシェットは朝早くに目が覚めた。もう1つのベッドではエリュニスがまだ眠っている。
ベッドから起き上がったのはいいものの、そこからほとんど動けずにベッドの端により
かかりぼうっとしたまま座り続けている。
結局ほとんど眠ることができずに寝返りも何回かうった。
「……あ、おはようございます。ルシェットさん」
エリュニスが起きだした。
「……おはよう……ございます……」
やっとそれだけいうとまた端によりかかりずっと座ったままだ。
「今朝食用意しますね」
しばらく経ちシリアルにヨーグルトと蜂蜜をかけたものと昨日の温野菜サラダの残りと
カフェオレというシンプルな朝食が出された。ルシェットの分は昨日のことを考慮して
か飲み物以外の量が調節されている。
2人共席に着き、黙々と食べ始めた。
一見味気ないように見えるシリアルだがヨーグルトと蜂蜜のおかげで意外と癖になるよ
うでボリボリと食べ進める。気づけば2人とも静かに食べることに集中していた。
10時頃2人は街に出た。大通りから外れて専門店外が立ち並ぶショップに来てそのう
ちの1つに入る。
そこは洋服屋だった。ルシェットが着ているローブがボロボロなので採寸をエリュニス
が頼む。後は下着などを買っていた。
「……それでは1週間経ってから来てください。」
「分かりました。」
次に入ったのはアクセサリー屋だった。
「この水晶石をペンダントに加工してください」
「おう、ちょっと待ってな」
20分後店主がペンダント化された水晶石を持ってきた。代金を支払い、ペンダントを
ルシェットの首にかけた。
その後武器屋に入っていった。
「よう、久しぶりだなエリュニス。なにか探し物か?」
「ええ、ルシェットさんの武器を探しに来まして」
「それならいいものがあるぞ。」
そう言うと店主は奥から2枚の紙を持ってきていた。
「この紙はな、魔力があるやつにしか反応しない。ちょっとしたテストだな」
1枚に手をかざしてみると赤黒い色の紋様が紙いっぱいに広がり紙が浮きはじめた。
「……へぇ、すごい魔力だな。なら武器はロッドで決まりだな。」
「僕もやってもいいですか?」
エリュニスが紙に手をかざすとミントグリーンの色をした紋様が浮かびだした。
「……どうやら、色によって得意な属性が決まるみたいですね」
「……察しがいいな。」
そう言いながら店主は何本もの杖を机の上に置いた。
ルシェットが杖の山に手をかざすと、そのうちの1本がスーっと手に馴染むように
机の上から浮き出した。
その杖はかなり長く、ルシェットの身長程の長さに白金色の金属の棒状の上に赤ワ
イン色をした宝石がつけられていた。
「……これが私の武器……?」
「魔法は後から教えてあげますよ」
「……いいの?こんなに買ってもらって」
「ああ、それも僕の仕事のうちですし、事前にお金は貰ってますよ」
「そうなんだ……」
そう言うとルシェットのお腹がなりだした。
「何処か食べられるお店に行きましょうか」
何気なく入った店でトマトソースのパスタと紅茶を注文した。
「美味しそうですね。いただきます」
「……いただきます」
パスタは山盛りがどんっと出されて横に取り分ける様の子皿がついていた。
パスタを子皿によそい食べる。トマトの酸味が効いて美味しかった。
食後に紅茶を飲む。ほっと一息付けた感じだ。
食事を終えたところで貸し住宅へと戻った。
戻ったところで気疲れしたのか、ルシェットはベッドに横になって寝てしまった。
エリュニスは本を読み始めた。初めて出会ったその時に借りた本だ。
本を読んでるうちに時間は進み、後は寝るだけとなった。
翌朝。
エリュニスは起き出して、パンにバターを塗りハムとレタスの挟んだサンドイッチ
を作っていた。
「あ、おはようございます」
「……おはようございます……」
ルシェットも起き出してエリュニスの手伝いをする。
サンドイッチの半分をバスケットにつめる。残りの分は朝食として食べることに
した。コーヒーを入れるといい香りが部屋中に広がった。
「いただきます」
「……いただきます……」
口にサンドイッチをほうばるとレタスのシャキシャキとした食感とハムの塩気が
して美味しかった。
そこにコーヒーを流し込むように飲む。苦味がまだ眠気が残る頭をしゃきっと
させてくれる。
「今日は魔法を教えてあげますよ」
「……うまくできるかな……?」
「それはやってみるしかわかりませんよ」
食事のあとは着替えをした。ルシェットが着替えをしている間にエリュニスは後
ろを向いてくれる。
着替えの後エリュニスはバスケットと昨日読んでいた本を手にして
「出かけますよ」
「……うん」
今日は店廻りではなく、街の外に出かけた。道は人が歩いた形跡がある。
1時間ほど歩いてエリュニスが歩くのをやめた。
そこは大きな木があるのが印象的だった。エリュニスが本を手にパラパラと目的
のページを探る。
「今日はファイアーの魔法を教えますよ」
「……はい!」
エリュニスが本を読むと同時に詠唱が始まる。黒い煙がした次の瞬間に小さな
炎が手の指先に宿った。
ついでルシェットも詠唱を開始する。小さな炎が手の指先に出てきた。
次にエリュニスが腰に結わえていた銀のロッドを取り出しロッドがある状態で
詠唱をするとピンポン玉程度の炎がロッドの先に出現出来ていた。
ルシェットがエリュニスのロッドを見ている。それほど長くはなく、ロッドの
先には青い宝石を籠のように銀で囲っているデザインのものだった。
「なるべく杖を使ったほうがいいですね。魔力が増幅されるので持っておいた
ほうが良いと思いますよ」
「……杖があるとないとだとこんなに違うんだ」
「ルシェットさんも試してみてください」
ルシェットがスタッフを両手に持ち詠唱する。握りこぶし程度の炎が生まれでた。
「……杖があっているようですね。威力が段違いです……」
何度もやって練習することにした。
10回ほど詠唱したところで終わりにする。10回中7回成功したようだ。
「……あれ……?」
くらりとめまいがして地べたにへたりと座り込む。
「……どうやら魔力切れのようですね。休憩しましょうか」
大きな木に寄りかかるように身を預けるようにして休憩する。
エリュニスがバスケットの蓋を開ける。サンドイッチを口中にほうばった。
「……美味しい」
「今日はここまでにして、明日また練習しましょう」
翌朝
また昨日の場所に来てファイアーの魔法の練習をした。
10回中9回成功したようだ。
「明日はまた違う魔法の練習をしますよ」
「……はい」
その次の日
また昨日の場所に来ていた。
「今日はコールドの魔法の練習をしますよ」
「はい!」
エリュニスが本をパラパラとめくり、詠唱を開始する。
ロッドの先に大きな氷のつぶてが出来ていた。
ルシェットもエリュニスに続き、詠唱するとスタッフの先に氷のつぶてが出来ていた。
10回練習して5回成功したようだ。
次の日もここにやってきて練習をした。ファイアーに比べて成功数が少ないためか
時間がかかったようだ。
ついでにヒールの魔法を教えてもらったが詠唱を始めた途端にバチバチとした強い静電気
のようなものが出てきてしまい、ものの見事に失敗ばかりしてしまった。