いつか、きっと
私の好きな人には付き合っている人がいる。
薬指の指輪がいつもそれを私に教えてくれる。
私の好きな人は優しい人だ。一緒にいると誰だって彼のことを好きになる。
やめとけば、良かった。彼を好きになるのは。
彼は自分の彼女を酷く大切にしていたし、私はその彼の想いを聞くのが好きだった。
デート話、普段の何気ない会話、二人の記念日、今までの思い出などなど。
胸が痛まないはずはなかったけれど、彼が好きだったから、彼を知りたいと思ったから、
私はそれを聞いてしまう。
そして何より、
いつもより少し声が大きくなること、笑顔になること。
きっと彼自身が知らない彼の変化を見るのも大好きだった。
笑って、頷いて、笑って。私がする事といえばそれだけだけれど、
それでも私は彼の良き「友達」でいるためにはそれが一番の最善策だと思う。
今の私にとって一番の大切なことは、
彼が私に振り向くことを望んではいけない事と、
傍にいれる理由を失ってはいけない事だ。
「始業式かと思ってたらもうテストかよ」
「やばいんじゃないの?授業寝てばっかりで」
「自分もだろ?」
「私は大丈夫だもん」
がたごと体が揺れる。さっきまでの暑さがこの中では違う世界に思える。
私は電車に乗っていた。隣には彼がいる。
私と彼の下車駅は同じ。駅からの方向は反対だ。
目的の駅まで急行で十六分、普通で三十五分。
つまり私たちが一緒にいられる時間でもある。
いつもより彼が近かった。でも、私は何も感じない。今の私は彼の「友達」だから。
「どうせ、勉強しないんでしょ?」
「良く分かってるじゃん」
彼はにっこり笑う。大好きな笑顔。その笑顔を見られるなら、
私は何も望まない。それで十分。
「これが終われば夏休みだし。あー早く終わんないかな」
「予定は補習とか?」
「・・・笑えないな」
いや、違う。何もかも望んでる。欲張りだけれど、
隣で笑っているのを見てるだけじゃ、もう物足りない。
がたん、と電車がゆれる。いつもと同じ風景が窓の外で流れていく。
隣には彼。電車のスピードが少し速く感じる。何故かは分からない。
冷房が体に効いていく。最初は心地よかったその冷たさもだんだん寒さに変わっていった。
「・・寒い」
「え?」
「いや、ちょっとクーラー寒いかなって」
「そうだな、・・・ほら」
彼が自分の上着を脱いで、私に渡した。それが当然の行為のように。
彼は、馬鹿みたいに、優しいから。
「・・いいよ、あと少しだし」
「いいから。寒いんだろ?」
「・・・・ありがと」
彼の上着を羽織る。冷たかった空気が、優しくなった。
少し大きい。当たり前だけど。
彼のほうを少しだけ見た。いつもと同じ横顔。私は心の中で問い掛けてみた。
―彼女にも、同じようなこと、するの?
馬鹿みたいな質問だって分かってる。だから口にしない。でも聞いてみたかった。
彼は優しい。でもその優しさが、一番に注がれるのは、私じゃない。
電車の線路が、どこまでもどこまでも続けばいいのに、本気でそう思った。
少し大きい袖をぎゅっと掴む。
それだけじゃ世界は変わらないのに。
がたん、きーっと、音がした。電車が止まった。
目的地に到着。いつもと同じ所要時間で。
「じゃ、またな」
「うん・・、上着ありがと」
「ああ、どういたしまして」
「じゃ、ばいばい」
私は手を振って、彼から早く離れた。
彼も手を振り返すのが視界の隅に映った。でも振り向かない。
だってご丁寧に、私が見えなくなるまで彼は立っているから。
なんで、彼はあんなに優しいんだろう。
誰に対しても優しいんだろう。
―何で、あんな人好きになっちゃったんだろう?
駅からでると、凄い暑さが襲ってきた。
さっきまでの冷房は瞬間的に体から消えていった。
じりじりと暑さが体に侵食していくのが分かる。
濃いコンクリートの匂いが鼻を掠める。家までの道のりが遠く感じた。
平坦な道のりが続く。少し退屈なほど。
まるで、私の生活みたいに。
明日は、今日の延長。だから、何も変わらない。
私は彼がきっと明日も好きだろう。彼はきっと明日も優しいだろう。
そして、彼は彼女のことをきっと明日も好きだろう。
沸騰しきったコンクリートの匂いを吸い込む。相変わらず、暑い。
―変わっちゃ、いけない。
彼の世界に存在する私は友達という色で塗られている。
その色を失う事は、世界で一番怖いこと。
いつか、きっと。そう思ってみたい。
けれど、それはない事なんだと自分が一番わかっている。
家まで、後もう少し。私は歩調を速めた。




