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夜になる  作者: 近藤近道
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第六話

 もし俺が井上さんだったら、クラスメイトに見つかった場所で煙草は吸おうとは思わない。そう考えるだけの想像力が戻ってきたのはベンチに腰掛けて数分経ってからだった。

 衝動で動きすぎた。二日連続で夜に外出するとは。しかもテスト期間だ。できることなら外に出ず勉強していたい。

 帰った方がいい、と思うのだが足が動かない。もう少し待ってみよう、なんて惰性なのに。

「こんばんは」

 女の人が寄ってきて、言った。顔を上げると井上さんだった。驚いている間に彼女は隣に腰掛ける。

 とりあえず「こんばんは」と返す。彼女は煙草の箱を取り出していた。

「井上さんだよね?」

 答えずにライターで火をつける。手を咳が出る時みたく口元にあてがいながら煙草を吸う。

 ずるい。煙草を吸っていれば無言でいても許される。そんな雰囲気が瞬時に組み立てられていた。煙草を吸わないこっちは真っ当に会話が続くのを待つしかない。

 彼女は手を口から離すと煙を吐き出した。さらに十秒くらい余韻に浸ってから、

「正解」と煙草を持った手を口に戻しながら言った。

「どうして来たの」

 向こうの会話のテンポに不慣れな俺は、

「来たらばれるって思わなかった?」と言葉を付け足すしかない。「それとも煙草ってそんな我慢できなくなるものなのかな」

「正解は」

 そこまで言って彼女はまた煙草を口に付けたが、すぐに離して、

「よくわかんない」と言った。

「何だそりゃ」

「なんとなく、ばれてもいいやって。そういうのってあるでしょ?」

「いや、わからない」

 井上さんはむっとした。

「ほら、あるでしょ、万引きしたのを自慢するみたいな」と説明を試みたのだが「あ、違う。何だろう。そういうのじゃなくてさ」と考え込む。

「万引きしたことあるの」

「無いよ。やってるとしても自慢はしないと思う」

「そう」

 話が途切れると彼女は「何だっけかなあ」とぶつぶつ言いながら、さっきの的確な表現を考える。その間、煙草がおそろかになっていた。しばらくして出た結論は、まあいいや。そして煙草に戻る。

 井上さんが煙草を吸っている間、彼女の顔を見つめているわけにもいかないので、公園の外を眺める。昔は木に囲まれていたと記憶しているのだが、どういうわけか見晴らしが非常によく、公園は近くにあるアパートやマンションなどからも視線を浴びている。無数の目に照らされているせいか、公園内は暗い場所でも足元が見えない程ではないのだった。それらから誰かがこちらを見ているのかもしれないと思うと二人しかいないのにどこか窮屈だ。

「中村君はどうなの」

「え」

 井上さんはポーチから小銭入れのような携帯灰皿を出した。短くなった煙草をそこに突っ込みながら、

「万引き。したことある?」と言う。

「無い。するわけない」

「そっか」

 携帯灰皿をポーチに入れた手が今度は煙草の箱を持って出てくる。その次はライター。二本目を吸い始めて、律儀にライターもポーチにしまう。

 それにしても井上さんは意外と垢抜けているようだ。制服のスカートなんか全然短くしていなくて大人しい地味な人だというイメージがあったのに、今はショートパンツを履いていて、今時の女子という感じがする。とびきりお洒落ではないが、学校での彼女と比べると派手な格好をしている。

「中村君は聖人君子なんだね」とショートパンツの井上さんは言った。

 セージンクンシ。ソウリダイジンみたいだ。

「それ嫌味?」

 彼女は、いやいや、と手を振る。

「ちょっと羨ましいなって」

 そう言いながらも笑みを浮かべて煙草を吸っている。煙草の中毒性のことが頭をよぎった。きっとこの人はもう煙草無しでは生きられないのだ。

「それならさ。ああ、いや、駄目だ」

 中断して頭を叩く。

「どしたの」

「それなら吸うのやめればいいじゃん、って言おうとしてた、今」

「それが、駄目なの?」

「だってさ、テスト勉強しなきゃいけないってわかってる時に親から、テストあるんでしょ勉強しなくていいの、って言われると腹立たない?」

「立つねえ」

「未成年なんだから吸ってはいけないんだとか、タバコは健康に悪いからやめた方がいいとか、そんな当たり前なこと井上さんだってわかってるでしょ。だからそれを言ったらテスト勉強急かす親と一緒になる」

 親の悪いところを受け継いでしまっては情けなくてたまらない。

「なるほど。中村君ってそういうこと考えてるんだ」

 井上さんは二度三度頷いて、

「まあ、煙草をやめたとしても元に戻れないと思うけど」と言う。

「どうしても吸いたくなる?」

「そうじゃない、そうじゃない」

 否定だけしておいて、井上さんはしばらく煙草をくわえていた。彼女が何を言いたいのか想像することもなく、ただぼうっと辺りを見て言葉を待つ。どこかから車が走り去る音が聞こえた。井上さんは考える人の銅像みたいになって煙草を吸っている。目と煙だけが生き物だった。

 置物になっていた体の、手が最初に動いて、次に口から煙を吐き、

「失ったものは戻ってこない。時間と同じ」と井上さんは台詞を読み上げた。そしてまた銅像に戻る。

 吸っている間は何を言っても返ってこない。反射的に何か言っても仕方ない。一息ついて、彼女の言葉を反芻してみる。俺だって井上さんが思っている程綺麗な人間ではないと思う。具体的にどう汚れているのかはわからないが、失ったものくらいあるはずで、苦労を知らない人と思われたくはないのである。

 そろそろ吐き出す頃だろうか。タイミングを見計らって、

「俺、自分が潔癖な人間だなんて思ってないよ。聖人君子の学生が夜遅くに出歩く?」と言ってみる。

 彼女はすぐに口を開いた。予想的中。

「遅くって言ってもまだ九時じゃん。こんくらい塾に通ってる人は出歩いてると思うよ」

「じゃあ何時くらいだったらまずいの」

「そうだね。そこは家庭によりけりだろうけど、でも零時過ぎたらほとんどの家でアウトなんじゃないの」

「日付が変わったら、か」

「そう。そんな時間にふらついてたら立派な不良少年だよ」

「悪いことするのって難しいんだな」

 井上さんはくすくすと笑う。煙草を持つ手が口元を隠しているのが、笑う仕草とマッチしていて、ちょっと変な感じだ。

「だって夜中に外うろついても、やること無いでしょ」

「お仲間がいないとそうかもね」

「いたら、何をするの」

「だべったり、お酒飲んだり、じゃないの」

 井上さんは、はっと思い付いたように、

「お酒飲んだことある?」と聞いてくる。

「そのくらいなら何度かある」

 井上さんの聞き方が年下の少年をからかっているような感じだったので、これ以上馬鹿にされまいと強く頷く。

「あるんだ」と井上さんは意外そうに言う。「それなら飲み屋に行ってみれば」

「それはちょっとなあ」

「駄目なの?」

「自分の顔ってさ、毎日見るでしょ?」

「まあ」

 話が繋がってない、と言いたげに井上さんは頷く。俺はぺたぺたと自分の頬に触れて、言う。

「どう見ても、酒が飲める年齢の顔じゃないように思うんだよね」

「ああ」

 納得してくれたようだ。

「でも大丈夫だよ。意外とばれないもんだよ」

「そうやって調子に乗ってると、ばれて大変なことになる」

「そうね、肝に銘じておきます」

 井上さんはシャボン玉を飛ばすように煙を吹く。ばれて大変なことになるかもしれないのは喫煙もなのだ。言われて気付く。それから話の軸が少しずれていることにも。

「というかさ、俺は別に悪いことしたいわけじゃないんだよ」

 彼女は首を傾げて促してくる。じゃあ何が言いたいのだろう。俺も首を傾げたい。

「俺は絶対に羨ましがられるような人間じゃないと思う。だからさ、煙草を吸ってることはよくないことなんだろうけど、それが致命的なものにはならないというか」

 つまりどういうことだろう。

「要するにさ、井上さんが煙草を吸っていてもいなくても、友達になりたい人ではあると俺は思うんだよ」

 井上さんはポーチから携帯灰皿を出して、二本目の煙草を入れながら、

「煙草は一日二本までって決めてるんだ。最初の頃は一本だけだったんだけどね」と言う。

 どうやら振られてしまったみたいだ、と思っていたらポーチから携帯電話が出てきた。

「今携帯持ってる?」

「持ってる」

 ライトと鍵とは違う方のポケットから出す。

「じゃあ赤外線で」

 アドレスと番号を交換する。携帯電話を近付けることなんて少ない。それも夜に。何やら悪いことをしているみたいに思えた。実際しているのだろう。悪い子と友達になった。

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