第二話
似ている。クラスメイトの井上桐さん。彼女は俺の二つ右の席に座っているのだが、その横顔が昨日の煙草の女性に似ているのだった。それどころか俺は同一人物だと思い始めている。
井上さんは頭がよかったはずだ。だって眼鏡を掛けている。少なくとも俺よりか英単語を覚えるのは上手いだろう。何の教科は忘れたが、いい点を取って褒められたこともあるような人だった。煙草を吸うような人だとは思っていなかったが、きっと彼女が昨日の煙草の女性だったのだ。落差は納得の材料。大人しい人がストレスを溜め込んだ結果だと思えばおかしいことではない。
そういうことだったのか。
一度も話したことのない井上さんが近くに思えた。心象風景の地平線に立っていたクラスメイトが今では五十メートル程の距離にいる。勇気を出して走ればすぐに届く距離。
「おい、武明、聞いてるか?」
別に相槌を打たなくてもいいだろう、と思っていた友人たちの会話が俺を呼んだ。きちんと聞いていた時には釣りの話だった。俺たちの中で一番背の高い将太が「なあ、釣りって面白そうじゃね」と話題を降らしてきて、熱されやすい智成が「夏休みに皆で釣り行こうぜ」と言っていたところまでは覚えている。それ以降は全く記憶していないようだった。
「ごめん、どうでもよさそうだったから全然聞いてなかった」
「死ねよ」
「お断る。俺は自分のテストのことで頭がいっぱい」
そう言えば二人は「ああ」と憂鬱な声を出す。そして智成が、
「テスト勉強やってる?」と聞いてきた。答えは見えていた。将太も智成も全くやっていない。
「昨日やるつもりだったんだけどな、ゲームをしてたら寝る時間になってた」
「お前もか。俺もそんな感じだったわ」
いつもなら「俺も」と言うところだったが、俺は「そうやって似たやつを探して自分が勉強をしていないことの言い訳にしているんだな、お前らは」という感じに鼻で笑ってやった。
「くず共め」と吐き捨てる。
「そう言うお前は何かやったのか?」
どうせお前もやってないんだろ、という笑顔。鞄から単語帳を出してその顔に突きつける。
「これ作ってた」
機械のように書き写して、英語と古文と家庭科の分は終わらせた。それだけで何一つ覚えていないのだが、そうと言わなければ二人の顔色は変わったまま。
「ちょっと見せてくれ」
「あいどうぞ」
将太に渡すと彼は書き込まれていることを確認して「マジだ」と漏らした。
「これ俺にくれ」
「ふざけんな」
腕にチョップしたら単語帳が落ちた。座っていた俺の手の方が先に拾う。すぐに鞄の中に入れてしまう。
「じゃああれだ。印刷してくれ」
「どうやってだよ」
「わかんねえけど、どうにかしてさ」
「自分で作れよ」
お前も何か言ってやれ。そう智成に視線で促す。
「次何か作る時は印刷しやすいように、プリント形式にした方がいいんじゃないかな」
期待外れ。こいつも努力はしたくない派か。
「俺はお前らの家庭教師じゃないんだが」
「あほか。家庭教師なら女の子の方がいいに決まってるだろ」
将太のずれた返し。これだから真面目にならないやつは。そう思いながらも、
「それは、俺もそう思う」と俺は言う。
こんな会話、井上さんに聞かれてなければいいのだが。