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同調(おもてなし)ころりん

作者: 白瀬 湊
掲載日:2026/07/18

この度は数ある作品の中からこの作品を選んでいただきありがとうございます。疲れて現実逃避して書いたので大目に見てもらえると嬉しいです。

新入社員のまことは、毎日すっかりすり減っていた。

「和を乱すな」「空気を読め」。上司の口癖が呪いのように頭にこびりついている。定時を過ぎても誰も帰らないオフィス、行きたくもない強制参加の飲み会。誠は周囲の顔色を伺い、話を合わせ、作り笑いを浮かべるだけのマシーンになっていた。

 ある金曜日の夜、疲れ果てた誠は、歩きスマホをしながら夜道を歩いていた。画面に映るのは、職場のグループLINE。明日の休日出勤の打診に、同僚たちが次々と「喜んで!」とスタンプを押していく。誠もため息をつきながら、同じスタンプを押そうとした、その時だった。

 靴の先が何かに引っかかり、体がつんのめる。


「あ、」


 手から滑り落ちたスマホは、街灯の届かない路地裏の、奇妙にぽっかりと開いたマンホールの隙間へと吸い込まれていった。

 カラン、コロン……。

 おかしな残響音を残して、スマホは深い闇の底へ落ちていく。液晶の明かりが遠ざかるのを見て、誠は青ざめた。あれがなければ、月曜日の出社すら許されない。誠は這いつくばり、スマホを回収しようと穴の中へ手を伸ばした。しかし、バランスを崩し、そのまま頭から真っ逆さまに穴へと落ちてしまった。


「うわあああ!」


 暗闇を転がり落ちた誠が目を覚ますと、そこは信じられない光景だった。

 頭上には穏やかな夕暮れの空が広がり、足元には赤絨毯が敷かれている。まるで高級ホテルのロビーのような、豪奢な地下世界。


「ようこそおいでくださいました、神様!」


 一斉に響いた声に心臓が跳ね上がる。見ると、仕立ての良いスーツを着た、ウサギのお面をかぶった住人たちが、何十人もずらりと並んで深くお辞儀をしていた。その角度は全員寸分の狂いもない。

 一人のウサギが、銀のお盆に乗った誠のスマホを差し出した。画面はバキバキだが、なぜかピカピカに磨かれている。


「お荷物、確かにお預かりいたしました。さあ、こちらへ」


 誠が呆然としている間に、極上の料理が運ばれ、ふかふかの椅子が差し出された。誠が一口肉を口に運ぶと、周囲のウサギたちが一斉に


「「「美味しいですよねぇ!」」」


と満面の笑み(お面だが、確かにそんな気配がした)でハモりながら、同じ角度でお辞儀をしてくる。

 至れり尽くせり。完璧なおもてなし。しかし、誠の背中には冷たい汗が流れていた。

 隣のテーブルで、一人のウサギがお給仕の皿をガシャリと落とした。

 その瞬間、周囲のウサギたちの動きがピタリと止まる。何十というお面が、無言でそのウサギをギロリと睨みつけた。


「空気を乱す者は、いりませんね?」


 リーダー格のウサギが微笑むような声で言うと、ミスをしたウサギは他の住人たちに笑顔のまま無言で引きずられ、奥の暗闇へと連れて行かれた。二度と戻ってこなかった。

(ここは異常だ。合わせないと、殺される……!)

 誠のセンサーが警報を鳴らす。ウサギたちは


「さあ、神様もご一緒に!」


「みんなで楽しく踊りましょう!」


と、誠の周りを囲んで手拍子を始めた。

 誠は必死で空気を読んだ。彼らの手拍子に完璧にリズムを合わせ、引きつる顔で満面の笑みを作り、彼らと同じ角度でお辞儀を繰り返した。


「素晴らしい! 完璧なお客様だ!」


 ウサギたちは大歓声をあげた。


「これ以上、このお客様に提供できるサービスは我が国にはございません。チェックアウトでございます!」


 気がつくと、誠は元の薄暗い路地裏に転がり出ていた。手にはバキバキのスマホと、なぜか金塊の入った小さな箱が握られていた。

 翌週、誠は憑き物が落ちたような、すっきりと垢抜けた表情で出社した。

 あの穴の底で「一歩間違えれば消される」という極限の同調圧力を生き延びた誠にとって、地上のぬるいプレッシャーなど、もはやどうでもよくなっていたのだ。上司の小言も、グループLINEの強制お祭り騒ぎも、あのウサギたちの狂気に比べれば可愛いものである。その上、手元には「いつでも会社を辞められる」だけの大金がある。誠の心は完全に無敵になり、自然と堂々とした余裕のある顔つきに変わっていた。

 それを見て、面白くなさそうに鼻で笑ったのは、同僚の金子かねこだった。金子は仕事もサボりがちで、周囲への愚痴ばかり、職場の空気をいつも最悪にするクラッシャータイプの男だった。


「おい誠、なんかいいことあっただろ。隠すなよ」


 金子に執拗に問い詰められ、誠は断りきれず、あの路地裏の穴と、おもてなしの国の話を教えてしまった。金子は目をギラつかせた。


「へえ、スマホを落とせば大金持ちか。ちょろいな」


 その夜、金子は自分の最新型のスマホを手に、教えられた路地裏へ向かった。そして、わざとスマホをマンホールへ投げ込み、自らも穴へと飛び込んだ。


「うわっとっと!」


 着地した金子の前に、ウサギたちがずらりと並ぶ。


「ようこそおいでくださいました、神様!」


「おう、待たせやがって。ほら、早く酒と美味いもん持ってこい!」


 金子はふんぞり返り、偉そうに命令した。ウサギたちは完璧なおもてなしで料理を運ぶ。しかし、金子は一口食べると、皿を床に投げ捨てた。


「マズい! こんな安物の料理で俺が満足すると思ってんのか? もっと高い酒を出せ!」


 金子は、地上の職場と同じように、自分のワガママが通ると思っていた。

 だが、その瞬間。

 ウサギたちの動きが完全に止まった。

 彼らはお面をゆっくりと外す。その下に現れたのは、一切の感情を失った、凍りついたような「真顔」の人間たちの顔だった。

 何十、何百という冷ややかな目が、全方位から金子だけをじっと見つめる。一言も喋らない。ただ、凄まじい密度の「お前は空気を乱す異物だ」という同調圧力が、重力のように金子の体にのしかかっていく。


「な、なんだよ……文句あんのかよ……」


 金子の声が震える。住人たちは無言のまま、じりじりと距離を詰めてくる。全員が全く同じ歩幅、全く同じ速度。視線は、金子の眉間に突き刺さったままだ。


「ヒッ……!」


 あまりのプレッシャーに、金子の呼吸が浅くなる。周囲の空気が凝固し、自分の存在そのものが否定されているかのような底知れない恐怖。


「す、すみませんでしたぁぁぁ!」


 耐えきれなくなった金子は、スマホも上着も放り出し、泣き叫びながら穴の壁をがむしゃらに登って逃げ帰った。

 翌月曜日。

 誠が出社すると、オフィスの隅で、金子がガタガタと震えながらパソコンに向かっていた。


「金子、おはよう」


 誠が声をかけると、金子はビクゥッと肩を跳ね上げ、怯えた目で誠を見た。


「あ、ああ……おはよう、ございます……。今日の髪型、すごく素敵ですね……あの、僕、変なこと言ってないですよね? 大丈夫ですよね?」


 金子の顔は、常に他人の顔色を伺うビクビクとした表情に完全に固定され、周囲の目を恐れて呼吸すら合わせようとしていた。

 誠はそんな金子を見つめ、バキバキのスマホの画面をそっとスリープにした。今日もグループLINEには、全員が同じタイミングで押した「賛成」のスタンプが並んでいる。

ご視聴いただきありがとうございました。

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