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【短編】第四の勇者は、パン屋になった

作者: ozoo39
掲載日:2026/05/10


 第四勇者アトラスが、パン屋を開業した。


 魔王城へ向かう途中、山間の村で。


「……パン屋?」


 わしは、玉座の肘掛けを握りしめた。

 最近、玉座より胃薬のほうが身近である。


「はい。石窯を導入し、現在は行列のできる人気店に」


「魔王は?」


「健在です」


「勇者は?」


「小麦粉の仕入れで多忙とのことです」


 財務官が、帳簿から顔を上げた。


「なお、周辺村落の税収は微増しております」


「そこを成功扱いするな」


 また、勇者が帰ってこなかった。


 いや、正確には――一度も、たどり着いていない。


 大臣が続けて報告した。


「本人いわく、剣を握っていた頃より、パン生地をこねている時の方が、自分を取り戻せるそうです」


「魔王を倒して取り戻せ。小麦粉で取り戻すな」


「ですが、村では長年、硬い黒パンしか食べられなかったとのことでして。アトラス殿の店ができてから、村人たちは毎朝温かいパンを食べられるようになり、宿屋、馬車屋、粉挽き小屋の売上も改善しております」


「で、魔王は?」


「健在です」


「そこだけ何一つ改善されておらぬではないか」


 大臣は気まずそうに目を伏せた。


 宮廷魔術師は、天井の染みを数えている。あやつは困るといつも天井を見る。たぶん染みの数なら、魔王軍の兵数より正確に把握している。


 財務官だけが、冷静に帳簿をめくっていた。


「陛下、補足いたしますと、勇者関連消費は地方経済に好影響を与えております」


「魔王を倒せと言ったのだ。景気を回せとは言っておらん」


「結果としては成功です」


「勇者としては失敗じゃろうが」


「行政としては成功です」


「その顔をするな」


 財務官は表情を変えなかった。


 魔王より怖いものは財務官である。魔王はまだ城にこもっているだけだが、財務官は黙って予算を削る。火を吹かない分だけ、質が悪い。


 わしは深く息を吐いた。


「なぜじゃ。なぜ勇者どもは、魔王城に着く前に人生を見つけてしまうのだ」


 大臣は少し考えた。


「人間だからではないでしょうか」

「……勇者も人間です」


 返す言葉がなかった。


 思えば、最初からおかしかった。


    ♢


 第一勇者カイサル。


 聖剣に選ばれ、神託を受け、民衆に見送られた若者だった。剣の才があり、魔力もあり、何より正義感が強かった。


 わしは思った。


 魔王は終わりだ、と。


 だが、カイサルは魔王城へ向かう途中で、深淵の魔女たちと出会った。


 深淵の魔女。


 魔術の中でも、特に危険で、特に理解されず、特に会議で嫌な顔をされる分野を扱う者たちである。


 王都では扱いづらい。

 研究費はかかる。

 成果は不気味。

 発言は難解。

 おまけに、上層部に媚びない。


 結果、彼女たちは魔王領に近い辺境の塔へ送られていた。


 名目上は、前線監視。


 要は、体のいい左遷である。


 カイサルは、そこで一泊するだけの予定だった。


 ところが、深淵の魔女たちは彼を囲んで、夜通し愚痴をこぼしたらしい。


「王都の連中は、禁術の危険性より、会議で発言する女の方を恐れるのです」


「深淵を覗ける者に、なぜ備品台帳の整理までやらせるのですか」


「魔王より先に、人事評価制度を滅ぼしてほしい」


 カイサルは、相談に乗った。


 つい、乗ってしまった。


 正義感が強すぎたのである。


 一週間後、王宮に報告が届いた。


 第一勇者カイサル、深淵の魔女たちと共同で、ユウシャハウスを設立。


 わしは書状を二度読んだ。


 意味は分からなかった。


「ユウシャハウスとは何だ」


 大臣が答えた。


「深淵の魔女たちの相談所兼共同研究所兼生活支援施設とのことです」


「なぜ勇者が魔女の駆け込み寺を開いておる」


「本人いわく、魔王を倒す前に、倒れそうな人を放っておけなかったそうです」


「いい話にするな」


「なお、魔女たちからは非常に慕われており、現在は辺境最大の知的共同体に発展しているとのことです」


「魔王は?」


「健在です」


 第一勇者は、魔王を倒さなかった。


 だが、深淵の魔女たちは救われた。


    ♢


 第二勇者エミリア。


 彼女は女性だった。


 それ自体は、何の問題もない。剣も魔法も優秀で、判断力もある。むしろ、歴代候補の中でも上位の逸材だった。


 問題は、王国の方だった。


 王国は彼女を勇者として送り出す前から、妙に飾りたがった。


 細い剣。

 白い鎧。

 祝福を受けた絹のマント。

 太ももの覗くスリット。


 教会は彼女を「聖なる乙女」と呼び、広報官は「民の希望にふさわしい可憐さ」を求めた。


 エミリアは何度も言った。


「実戦用の鎧をください」


 しかし担当官は答えた。


「民衆の期待も重要です」


 期待で矢は防げぬ。


 旅立って二月後、エミリアは魔王軍に捕まった。


 そして、しばらくしてから王宮に手紙を送ってきた。


 魔王軍に転職します。


 わしは玉座で叫んだ。


「裏切り者ではないか」


 大臣は、続きの文面を読んだ。


「理由。魔王軍では、剣を振るう者を剣士と呼びます。女剣士とは呼びません。部隊長は能力で決まり、装備は実用性で選ばれ、会議中に笑顔を求められません」


 玉座の間が静まり返った。


 わしは、少し気まずくなった。


「……そこは、王国が先にやるべきだったのではないか」


 財務官は帳簿をめくった。


「制度改革には予算が必要です」


「すぐ予算の話をするな」


「また、魔王軍は種族構成が多様であるため、人間的な男女差を前提にした制度が成立しにくいようです。角の有無、羽の枚数、脱皮周期などの方が実務上は重要とのこと」


「脱皮周期で評価される職場もどうかと思うが」


「少なくとも、エミリア殿は満足しているようです」


 第二勇者は、魔王を倒さなかった。


 だが、自分を女勇者ではなく、勇者として扱う場所を見つけた。


    ♢


 第三勇者ガルバ。


 彼は、まったく違う意味で優秀だった。


 数字に強く、交渉に強く、計画書が書けた。議事録も正確で、費用対効果という言葉を一日に三度は使った。


 わしは少し不安だった。


 勇者に必要なのは、剣と勇気ではないのか。


 しかし財務官は強く推した。


「これからの勇者は、現場対応力だけでなく、管理能力が必要です」


 大臣も頷いた。


「魔王討伐も大規模事業ですから」


 その言葉を、わしは止めるべきだった。


 ガルバは旅立った。


 一月後、報告が届いた。


 第三勇者ガルバ、魔王討伐業務の一部を外部委託。


 わしは嫌な予感がした。


 二月後、続報が来た。


 委託先、討伐業務を専門業者へ再委託。


 三月後、さらに続報。


 専門業者、現地下請けへ業務移管。


 四月後、魔王城前にたどり着いた者がいた。


 日当銅貨三枚のトロル駆除業者だった。


 契約書には、こう書かれていたらしい。


 魔王城周辺清掃および危険生物対処業務。


 魔王を倒すとは、どこにも書いていなかった。


「ガルド本人は何をしておる」


 わしは震える声で尋ねた。


 大臣が答えた。


「進捗管理会議に出席中です」


「お前が行け」


「本人いわく、現場は専門家に任せるべきだと」


「勇者本人が現場に出ない勇者派遣とは何だ」


 財務官は、少しだけ感心したように言った。


「予算消化は極めて順調です」


「そこだけ順調にするな」


 第三勇者は、魔王を倒さなかった。


 だが、勇者派遣制度に新たな中間業者を生んだ。


 そして第四勇者は、パン屋になった。


 わしは玉座で頭を抱えた。


「わしは、魔王討伐を命じておるのだぞ。なぜ救済施設、転職、外注、パン屋になる」


 大臣は静かに言った。


「陛下。ある意味では、皆、自分なりの魔王と戦っております」


「うまいことを言うな。わしが倒してほしい魔王は一人だけじゃ」


 その時だった。


 伝令が玉座の間に駆け込んできた。


「陛下。魔王城より書状が届いております」


 玉座の間がざわめいた。


「魔王からか」


「はい。封蝋には魔王軍の印章が」


 大臣が慎重に封を切る。


 そこに書かれていたのは、宣戦布告ではなかった。


 苦情だった。


『親愛なる王へ。


 貴国はこれまで四名の勇者を当城へ向けて送り出したと発表している。


 しかしながら、現在までに当城へ到達した勇者本人は一名もいない。


 一人は深淵の魔女たちと相談所を作り、


 一人は我が軍に転職し、


 一人は討伐を外注し、


 一人はパンを焼いている。


 なお、外注業者の末端が先日、当城前に到着したが、契約書には「魔王城周辺清掃業務」と記されていた。こちらとしても扱いに困る。


 勇者を送るなら、最後まで来る者を選んでほしい。


 追伸。


 貴国では、我が名を用いた税が増えていると聞く。


 もはや魔王とは、私ではなく、貴国の予算項目なのではないか』


 わしは手紙を読み終え、長く沈黙した。


「……魔王に同情したのは初めてだ」


 財務官は眉ひとつ動かさなかった。


「不当な評価です」


「どの口で言う」


 大臣が咳払いをした。


「陛下。ちょうどよい機会です。次年度の魔王危機対策予算について、ご説明を」


「今か」


「今です。魔王から苦情が来た今こそ、魔王危機への国民意識を高める好機です」


「苦情を利用するな」


 しかし財務官は、すでに分厚い書類を広げていた。


 そこには見慣れない項目が並んでいた。


 魔王討伐特別税。


 勇者支援基金。


 希望債。


 魔王危機対策庁庁舎増築費。


 勇者選定式典運営費。


 国民団結推進広報費。


 聖剣保守管理費。


 記念像建立準備調査費。


「待て」


 わしは書類を一つ一つ指で追った。


「この、記念像建立準備調査費とは何だ」


「勇者の功績を後世に伝えるための記念像建立に関する準備調査のための費用です」


「勇者は魔王を倒しておらぬ」


「倒した後では遅いので」


「なぜ準備の準備に金が要る」


「準備を怠れば、いざという時に準備不足となります」


「何を言っておるのだ、お前は」


 財務官は平然としていた。


 わしは次の項目を指した。


「勇者選定式典運営費。去年より増えておるぞ」


「民の関心が高まっておりますので」


「勇者が四人連続で失敗しているからではないのか」


「だからこそ、次の勇者への期待が高まっております」


「失敗が予算増の理由になるのか」


「成功すれば記念事業、失敗すれば再挑戦事業です。どちらにせよ予算は必要です」


 わしは胃を押さえた。


「魔王より手強い……」


 大臣が静かに言った。


「陛下。魔王がいる限り、国はまとまります」


 その言葉に、玉座の間の空気が少し変わった。


「何?」


「民は不安を抱えています。収穫の不安、仕事の不安、身分の不満、税への不満。そうしたものは、本来であれば王宮へ向かいます」


 大臣は淡々と続けた。


「ですが、魔王がいる限り、苦しみの理由を外へ置くことができます」


 わしは黙った。


 財務官が書類を一枚差し出した。


「魔王討伐特別税の納付率は九割を超えています。通常税より高い。民は、ただ取られる税には怒りますが、大義のある税には財布を開きます」


「財布を開かされているのではないか」


「言い方の違いです」


「大違いじゃ」


「さらに、希望債の売れ行きも好調です。購入者には愛国証書が配布されます」


「買わぬ者は?」


「非国民とは申しません。ただ、魔王への危機意識が低いと見なされることはあります」


「それを非国民と言うのだ」


 わしは玉座から立ち上がり、窓の外を見た。


 王都の広場には、勇者の旗が掲げられている。


 第四勇者アトラスの肖像画が売られ、子どもたちは木剣を振り回し、商人は「討魔まんじゅう」を売っていた。


 魔王は倒れていない。


 勇者はパンを焼いている。


 それでも民は笑っていた。


 いや。


 笑わされていたのかもしれない。


「魔王が倒れたら、どうなる」


 わしは小さく尋ねた。


 大臣も財務官も、すぐには答えなかった。


 やがて財務官が言った。


「魔王討伐特別税は、廃止を求められるでしょう」


 大臣が続ける。


「勇者支援基金には監査が入ります」


「希望債の償還も問題になります」


「魔王危機対策庁は縮小を迫られます」


「勇者関連産業は反発するでしょう」


「教会も寄付の減少を恐れます」


「武具商人、薬草商、吟遊詩人、式典業者。影響は広範です」


 わしは振り返った。


「つまり、魔王が倒れると困る者が多いのか」


 大臣は頭を下げた。


「申し上げにくいことですが」


 財務官は、まったく申し上げにくそうではなかった。


「多いです」


 わしは笑いそうになった。


 もちろん、楽しいからではない。


 世の中は、あまりに馬鹿げていると笑うしかないことがある。


「では、わしらは何のために勇者を送ってきたのだ」


 誰も答えなかった。


 その沈黙こそが、答えだった。


 宮廷魔術師は、また天井を数えていた。

 今日の染みは、いつもより多く見えるらしい。


    ♢


 数日後、第五勇者の選定会議が開かれた。


 今回ばかりは、失敗できない。


 いや。


 失敗できないはずだった。


 候補者の名は、ロムルス。


 剣術、魔術、知略、信仰、忠誠。すべてにおいて高い評価を受けていた。


 欲がなく、賄賂を受け取らず、酒にも溺れず、名声にも浮かれない。


 深淵の魔女たちの愚痴を聞いても、まず魔王を倒してから制度改革をすると答えた。


 魔王軍から好待遇を提示されても、使命を優先すると答えた。


 討伐の外注案を見せても、自分が行くと言った。


 焼きたてのパンを差し出しても、礼を言って包みにしまった。


 わしは感動した。


「おお……勇者だ」


 大臣も頷いた。


「勇者ですな」


 財務官だけが青ざめていた。


「これは……危険です」


「何が危険なのだ。理想の勇者ではないか」


「理想すぎます。本当に魔王を倒す恐れがあります」


「勇者なのだから当然であろう」


 財務官は小声で言った。


「当然が最も危険な場合もございます」


 わしは無視した。


 王都の広場で、勇者出立の式典が行われた。


 民衆が集まり、旗が揺れ、教会の鐘が鳴る。


 ロムルスは白い外套をまとい、聖剣を腰に下げていた。


 わしは壇上に立ち、声を張った。


「勇者ロムルスよ。魔王を倒し、この国に平和をもたらせ」


 ロムルスは片膝をついた。


「承知しました、陛下」


 その声には迷いがなかった。


 わしは胸を打たれた。


 だが、彼は顔を上げ、静かに尋ねた。


「陛下。一つだけ、お聞きしてもよろしいでしょうか」


「何だ」


「魔王を倒せば、平和になりますか」


 広場のざわめきが遠のいた気がした。


 わしはすぐに答えようとした。


 もちろんだ、と。


 だが、声が出なかった。


 魔王を倒せば、税はなくなるのか。


 魔王を倒せば、不満は消えるのか。


 魔王を倒せば、誰も苦しまないのか。


 魔王を倒せば、王国は王国でいられるのか。


 ロムルスは、さらに尋ねた。


「平和になれば、勇者は不要になりますか」


 わしは沈黙した。


 勇者は微笑んだ。


 責める笑みではなかった。


 まるで、すでに答えを知っている者の笑みだった。


「分かりました。私は勇者として、正しく役目を果たします」


 そう言って、彼は旅立った。


 王都は歓声に包まれた。


 わしだけが、その歓声を少し怖いと思った。


 ロムルスは順調だった。


 第一の砦を越え、毒沼を抜け、黒い森の魔獣を退け、四天王の一人を倒した。


 報告が届くたび、民衆は熱狂した。


 酒場では勇者の歌が流れ、教会では祈りが捧げられ、希望債はさらに売れた。


 しかし王宮の空気は逆だった。


 大臣は日に日に無口になり、財務官は帳簿を抱えて震えるようになった。


「陛下、勇者が魔王城に近づいております」


「よいことではないか」


「よいことです。建前上は」


「またそれか」


「希望債が急落しました」


「なぜだ」


「魔王が倒れると、次年度以降の魔王危機対策予算が縮小されるとの見通しが広がり、関連事業者が不安を」


「魔王が倒れるのは朗報ではないのか」


「市場は朗報を嫌うことがあります」


「市場とは何なのだ」


「民の欲と不安を数字にしたものです」


 わしは頭を抱えた。


 さらに悪い報告が続いた。


 魔王危機対策庁の職員が、庁の存続を求めて嘆願書を提出した。


 武具商組合は、魔王討伐後の需要減少に対する補償を求めた。


 教会は、祈願寄付の減少が孤児院運営に影響すると訴えた。


 吟遊詩人組合は、勇者譚の完結に伴う雇用不安を表明した。


 第三勇者ガルドからも書状が届いた。


『魔王討伐業務完了に伴う契約終了について、下請け各社との調整期間が必要です。急な討伐は現場に混乱を招きます』


 わしは書状を握りつぶした。


「お前が混乱を作ったのだ」


 第四勇者アトラスからも手紙が届いた。


『魔王が倒れると、討魔パンの売れ行きが落ちる可能性があります。できれば段階的な討伐を希望します』


「お前は小麦だけ見ておれ」


 そして、ついにその日が来た。


 伝令が玉座の間に駆け込んできた。


「陛下。勇者ロムルス、魔王城に到達」


 玉座の間が凍りついた。


 わしは立ち上がった。


「戦況は」


「魔王と対峙。交戦開始とのこと」


 大臣が目を閉じた。


 財務官は帳簿を落とした。


 わしは窓の外を見た。


 王都の広場では、民衆が歓声を上げている。


 誰もが勝利を待っていた。


 だが、本当に待っているのは勝利なのか。


 勝利という名の続きを待っているだけではないのか。


 しばらくして、魔王城から一通の書状が届いた。


 差出人は、勇者ロムルスだった。


『陛下。


 魔王は倒せます。


 剣は届きます。力も足りています。魔王自身も、敗北を覚悟しています。


 ですが、私はここで剣を止めました。


 魔王を倒せば、民は一日だけ歓喜するでしょう。


 翌日から、彼らは気づきます。


 なぜ税は重かったのか。


 なぜ我慢を強いられたのか。


 なぜ貧しさの理由が、いつも遠くの魔王だったのか。


 魔王が消えれば、彼らは王宮を見るでしょう。


 役所を見るでしょう。


 教会を見るでしょう。


 そして、自分たちが信じていた希望の値段を知るでしょう。


 ゆえに私は、魔王城に残ります。


 民が絶望しない程度に希望を与え、怒り出さない程度に危機を残します。


 これが、私の考える勇者の役目です』


 わしは手紙を読み終えた。


 長い間、何も言えなかった。


 大臣が尋ねた。


「陛下。勇者ロムルスは、成功でしょうか。失敗でしょうか」


 わしは手紙を見つめた。


 魔王は倒せる。


 だが、倒さない。


 勇者は逃げていない。


 寄り道もしていない。


 外注もしていない。


 パンも焼いていない。


 ただ、あまりにも正しく、役目を理解してしまっただけだ。


「国家としては成功だ」


 わしは言った。


「人間としては、知らん」


 財務官が、そっと一枚の布告文を差し出した。


 すでに文面は整っていた。


『勇者ロムルス、魔王城に到達。


 現在も魔王と激戦中。


 国民よ、今こそ団結せよ。


 魔王討伐特別税を三年延長する』


 わしは財務官を見た。


「用意がよいな」


「危機管理でございます」


「危機を管理しているのか、危機で管理しているのか、分からんな」


「どちらも国政です」


 わしは笑った。


 今度は、少しだけ本当に笑った。


 そして羽根ペンを取った。


 翌朝、王都には号外が撒かれた。


『勇者、魔王城にて奮戦中!』


 民は歓声を上げた。


 酒場では杯が掲げられ、教会では祈りが捧げられ、武具屋は記念の短剣を売り出した。


 討魔税延長の知らせにも、大きな暴動は起きなかった。


 むしろ多くの者が、仕方ないとうなずいた。


 魔王はまだいる。


 勇者はまだ戦っている。


 ならば、税にも意味がある。


 貧しさにも理由がある。


 我慢にも物語がある。


 わしは布告に署名した。


 羽根ペンを置いた音が、思いのほか大きく響いた。


 玉座の間は、静かだった。


 窓の外で、民が、勇者の名を呼んでいた。


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