5. 観察対象の後輩が面白い件について
面白い。
どうやらとても面白い事態になっている。
後輩にあたる2年生の茂杉太郎についてだ。
とは言っても、茂杉は元から少しだけ面白いやつではあった。
私、鐘望深春は日本を代表する鐘望グループの一人娘だ。
所謂お金持ちの家庭に生まれ、幸い生活に困ったこともなく、将来はグループの後を継ぐことが既定路線となっている。
そのため、常に成績トップであり続けることや人望の集め方などは、幼少期から厳しく指導されてきた。
成果として、どう行動すれば人が信用してくれるのか、他人の動かし方、資金の生み出し方等、人を導く立場として必要な能力は同世代よりは備わっているつもりだ。
そして全校生徒の支持、全教師の推薦を持って、現在は校内で生徒会長の役を務めさせてもらっている。
非常にやり甲斐があり、非常につまらない。
家の方針や待遇には不満はない。
他人の生涯では得られない経験をさせてもらっていることに対し、当然感謝の気持ちも抱いている。
だがいつからか、心が動くという感覚が分からなくなってしまっていた。
全ての問題は解決できるものであり、全てにおいて正解は決まっている。
人の感情、心の機微、世の中の風潮、それらは決して不確定要素ではなく、思考、計算、予測をもって私の望むべき結果に導くことは容易である。
何か、心躍らす出会いが降ってこないだろうか。
その時私の前に突如現れたのが、茂杉であった。
当時は私が生徒会長になりたての頃であり、放課後校内を歩いていると、生徒指導室から彼と彼の母親が退室する現場に遭遇した。
全校生徒の顔と名前は把握しており、彼が誰であるかはすぐに思い出せた。
暗い表情の母親とは打って変わり、呼び出しを受けた元凶であろう茂杉の顔には反省の色がなく、呆れるほどに平然とした様子だったのを覚えている。
彼は一体何をしでかしたんだ。
うちの高校は進学校でもあるため、非行に走る生徒は何年も出ていない。
生徒指導室が生徒の指導室として機能していること自体が稀である。
警察沙汰だと既に私の耳に入ってきているはずなので、恐らく遅刻常習犯や未成年喫煙など、その辺りのレベルだろう。
大して興味があるわけではないが、生徒会長として、また鐘望グループの人間として、差し伸べる手が必要な人間を放っておくことは許されない。
母親と別れ、中庭でひとりスマホを弄っている茂杉に声をかける。
「こんにちは」
茂杉はこちらの挨拶にスマホから顔を上げると怪訝な表情を浮かべ、挨拶を返すでもなく再びスマホに視線を戻した。
「無視するのはあんまりではないか?」
「え、俺に話しかけてるんっすか」
「ここには私と君しかいないだろう」
「知らない人には反応しないって小学校で習ったんで」
なんと捻くれた人間だ。
しかも私のことを知らないときた。
「それはそうだね、すまない。初めまして、私の名前は鐘望深春だ」
「ああ、この前生徒会長に選ばれてた」
「知ってくれていたとは、ありがたい。ところで、先程君が生徒指導室から出てきたところを見かけたのだが、一体何かあったのかな?」
「......関係ないですよね」
こちらの問いかけに対し、まるで心を開くつもりのない態度を取られる。まあ良くあることだ。
こういう人間は自分にとってのメリットを提示すれば、大体はこちらの話しに耳を傾ける。
「そんなことはない。生徒会長の権限として、酌量の余地があれば罰を軽くすることはできるよ」
「......本当すか」
ほら、釣れた。生徒会長にそんな権限などあるはずなかろう。
学校に膨大な寄付金を入れている鐘望グループとなれば話は別だが。
「約束する。それで、何をして何がバレて何を言われんだ」
「SNSでムカつく生徒たちの隠し撮りと悪口を上げまくっていたらアカウントがバレて親の呼び出しをくらって2週間の停学とSNSの削除と1ヶ月携帯没収を言われた」
......想定より馬鹿らしい内容だ。
「何だ、君はそのムカつく奴らにイジメでも受けていたのか」
「いや、全員喋ったこともないけど、自分らがカースト上位ですよってリア充臭を撒き散らしている感じが心底癇に障ったので。あいつら自分が喋ってあげることが相手のステータスになるって思ってるんですよ。そして格下とも対等に話してあげる俺優しくて気持ちい〜って、浸ってるんですよ。ああ恥ずかしい恥ずかしい。自意識過剰も甚だしい。」
卑屈もここまでくれば才能だな。品性もクソもない。この子友人いないだろ。
「なるほど。喋ったこともない相手に対し、そこまで妄想ができる君は凄いな。要するに君に無害だったにも関わらず、隠し撮りと晒し上げをしたということか」
「有害だからですよ。こちらの精神を大いに傷つけた。それに、俺にフォロワーなんて誰もいないからバレないと思ってたし。単なる自分の捌け口で使っていただけであって」
「そうだとしても、隠し撮りの段階でダメだろう」
「何なんすかさっきから。罰を軽くするって言ったから話したのに、説教したいならもういいですよ」
おっと、少し正論を言い過ぎたか?
周りの人だけでなく自分の母親にまで迷惑をかけておいて、微塵も反省していないとは。
こうも性格が歪んでいる人間は中々出会えないから、対応の勉強になるな。
「酌量の余地があれば、と事前に伝えていたはずだが」
私の言葉に、茂杉はゴミ溜めのようにドス黒い瞳を細めて睨みつけてくる。
「楽しいですか、生徒会長様は俺みたいな雑魚で暇つぶししたいだけでしょ」
ほう、中々に鋭いところもあるではないか。
確かに反応が面白く遊んでいることは事実だ。
彼の更生を目的に話しかけたつもりが、茂杉という人間の行動原理の観察に移行している。
「凄いな君は、まさか自分ごとぎが私の暇つぶしになれると自分のことを過大評価しているのか」
「生徒会長様ほどではないですよ。生まれてから今までずっとそんな感じで上から目線なんですか。大したご身分と自信ですね。たかだかイチ人間のくせに」
「ありがとう、助言として受け取るよ。たかだかイチ人間にもカウントされない雑魚にご指導いただき誠に光栄だ」
茂杉はどうやら次の矢が出てこないみたいだ。
ぐぬぬ、と言った表情を浮かべ、この場を離れようと荷物を纏め始めた。
「まあ、話を最後まで聞いてくれ。私の方から教師に全ての罰を無くすよう図ってみるよ。但し条件付きだ」
「全ての?......内容によります」
「私と毎日お昼ご飯を一緒に食べろ」
「は? それなら結構です」
私の誘いを断るとは、やはり茂杉は面白い。
「メリットもある。全ての昼食費用はこちらが負担させたいただこう。それならどうだ?」
暇つぶし相手に、というのが9割の理由だが、残りの1割は私が生徒会長に就いている期間に退学者を出したくないというところがある。
このままだといずれ彼が学校から除籍される日が訪れる可能性が大いにある。
そのような事態になってしまえばすぐに父さんの耳に入り、叱責を受けるだろう。
見張りを兼ねての毎日のランチであるが、彼という人間を更生させられるかのゲームにひとり挑戦する心持ちだ。
「結構です。さようなら」
「断るのか、やむを得ないな。君は退学だ」
「......は?」
ぽかん、と口を開く茂杉。
ようやく虚をつくことができたみたいだ。
「断ったら退学だと言っている。君を退学にすることなど簡単だ。いいかい、私に話しかけられた時点で君に選択肢はないんだよ。君は明日から毎日私の話し相手をするんだ。そうしたら私が在籍している間は君が犯す失態を全てカバーしてあげよう」
私も鬼ではない。彼に遺恨を残そうなど1ミリも思っていない。今後グループを牽引する立場として、少しの火種も燻らせる失態など起こしてはならない。
ここはお互いの成長のために、利用させてもらおうではないか。
「決まりだね」
そんなこんなで、いい暇つぶしを見つけた私は、堕落した新種の人間とお昼を共にすることにした。
勿論つまらなくなったら辞めて、他の手を講じる予定だ。
無価値だと充てる時間も勿体無いからな。
そして案の定、茂杉に対しそろそろ飽きてきた頃合いであった。
茂杉がクズとなった原因が過去にあるかと思えば、人として何の深みもなく、ただそれだけの人間であった。
それでも他の人に比べると多少はこちらの予想を外れる反応をしてくれる。
これからは少し距離を置きつつ、このまま自分の管理下に置き続けるとしよう。
そう思った矢先の出来事であった。
その日の茂杉が、明らかに別人格となっていた。