第7話 機械の手、人の記憶
好きな時間に目を覚まし。腹が減ったときにデリバリーを注文し。風呂は適当に。これといった趣味をする活力も無いので、基本的には寝て、起きてを繰り返す。
体力が十分にあった頃はこれでも良かったのだが、1年、5年、10年、20年と時が経っていくうちに身体もどんどんと衰えていく。ミメッドについては国からの提供を断り続けていたのだが、30年が経った頃には簡単な日常生活も満足に行えないようになり、嫌でもミメッドの手を借りねばならないようになっていた。
「入浴の時間になりましたので、準備をいたしますね」
「…………」
ミメッドに遥の影を見るのはもうやめていた。
ミメッドはミメッド。どこまでいっても、人の道具だった。
だからこそ、そこには遠慮もなにも無かった。
「風呂の温度が高すぎる!! 火傷させる気か!!」
テーブルの上にあったコップで殴りつける。ガツンと硬い感触がした。
パネル上の温度計では39℃と表示されていた。これぐらいで人間が火傷をするわけもないが、今日の気分はもう少し低めだったのだ。
気に入らない部分は叩いて矯正することにしていた。
罵声も、気にせず吐きつけていた。
遥にはもちろん、そんなことはしたことがない。
“ミメッドだから”できることなのだ。
ただ、外でこんなことをすれば、数分も経たずに警察の世話になる。
他人のミメッドを傷つけるのは、もちろん器物損壊にあたる。
万が一にもミメッドと間違えて、普通の人を傷つければ傷害罪だ。
自分ももう60歳を越え、世間から見れば実に嫌な老人であることだろう。しかし、こんな形になってしまった世界にも問題があるのではないだろうか。少なくとも、自分は認めた覚えなんてない。
いったい誰が、こんな世界にしてしまったのだろう。
人間に代わり、機械が何でもやってくれる、便利で夢のような世界。
「余計な……お世話だ……!」
そうやって外にも出なくなって、家でミメッドを道具として乱暴に扱う日々。いつしか、それすらも満足に出来なくなってしまった。とうとうミメッドが壊れてしまったのだ。
部屋の隅にうなだれた姿勢で座っているミメッドは、もう動く様子も見せない。目は開かれているが、そこに光などは宿っていなかった。
加減も何もなかったのは自業自得だが、もう自分の身の回りのことをする体力なんて残っていなかった。身体の衰えは、若い頃には考えられない程に急速に進んでいたのである。
ミメッドによって一時期ある程度は抑えられていた健康リスクも、今となっては完全にたがが外れた状態へと代わり、デリバリーで頼んだ適当な食事を酒で流し込むとなれば、老いた身体に悪影響が出るのも目と鼻の先なのは自明の理。
結論から言ってしまえば、一年も保たなかった。
「ぐあっ……あ、頭が……!」
突然の耳鳴りと頭痛。手先の痺れ。そして目眩が起こる。
慌てて椅子から立ち上がろうとしたが、バランスを崩して倒れてしまう。
医者を呼ばなければ、と思考はするも、声もうまく出せない。
(これはまずい……身体が……動かん……!)
最悪、このまま死んでしまうのか、と血走った目であたりを見回すも、壊れて動かなくなり放置されたミメッドが座り込んでいるのが見えるだけだった。
(誰か……誰か……)
視界が、意識が黒く塗りつぶされていく。
その暗闇の中で――小さい、点のような光が2つ、灯った気がした。
「仙東さん、声が聞こえますかー? この光を見てください」
……どこだ、ここは。
目が覚めた先にあったのは、白い天井。首がうまく動かせないため、周囲の状況を知ることは難しいかったが――自分が寝かされているベッドの脇に白衣を着た初老の医師がいたことから、ここが病院であることをぼんやりと理解した。
「仙東さん、返事はできますか?」
「は……い……」
喉が半分痺れている感覚がして、声がうまく出なかったが、医師はそれで満足したようだった。自身の所々から伸びるチューブ。普段まず見ることのない状態により、自身の溶体があまり良くないことは火を見るより明らかだった。
「残念ながら、身体の至る所がボロボロになっています。……恐らくは、退院することは難しいでしょう」
そう医師から告げられたのは、数日後のこと。
余命宣告のようなものだったが、どこか落ち着いている自分がいた。
もう自分が長くない、ということは薄々とわかっていたからだ。
この先のことを説明されても、上の空で返事を返すだけだった。どうせ大した人生の目的もなく、漠然として生きていただけ。自死を選ぶつもりはなかったが、このまま行くとこまで行って死ぬのならば後悔はない。
「――最後に、あなたの生前の記憶をデータとして提供していただくかどうかについてですが……」
話を最後まで聞くことなく、首を横に降った。
「仙東さん、点滴の交換の時間です」
入院している以上は、延命治療が続けられている。一日三食、栄養管理がされた食事を毎日と、定期的な投薬。安静にしていれば、数ヶ月は生きられるということだった。数週間で、ベッドから出て歩き回れる程度には回復していた。
しばらくすれば、看護師たちの顔も覚え始め、軽い挨拶程度は交わすようになっていた。ただ、余裕が生まれたことで、気になる部分も出てくる。
「……世話に来ている看護師たちは……ミメッドか?」
ある日、状態を確認に来た医師に尋ねてみた。
医師はまったく気にする様子も見せず、淡々と答える。
「えぇ。深夜でも対応できますし、力もありますから。人が人の世話をするにも限界があるので、私もたいへん助かっています」
「やめてくれ。人間の看護師はいないのか?」
ここまできて、ミメッドの世話になるなんて以ての外だった。
仮にも人の命を預かる現場だろう。なにかあったときの責任はどうするつもりなのか、と医師を責めるも向こうの姿勢は変わらない。
「いますが、緊急時以外は対応には出ません。もう今の時代、わざわざ他人の世話をしようという献身的な人も少ないのですよ。医師の中にも、そういった意識で仕事をしている者と、少なくない報酬を目的に仕事をしている者とに分かれているぐらいですから」
『あんたはどうなんだ?』と問いかけると、『さぁ……』と返ってくる。誤魔化しによるものか、本当にどちらか掴みかねているのか、そのどちらにもとれる表情だった。
仕事をするにしても、過度なストレスは避けたい、というのが現代における常識となっていた。カスタマークレームは必ずと言っていいほど、AIbotが間に挟まって意見を抽出・要約を行っている。
人の気分を害するのは、決まって人なのだ、と。
病院でも、世話をされることに慣れすぎて、入院中に横暴に振る舞う患者も多いのだとか。
『ミメッドなら一度見聞きしたことは覚えてくれますし、人間を働かせるよりもずっと便利ですよ』と医師は言う。患者に寄り添う気のない言葉に、『くそっ……』と悪態をつくも、医師は涼しい顔をしていた。
「人的資源には限界があります。本来ならば受け入れることのできなかった患者さんも、ミメッドが働いているおかげで受け入れることができていますので。これが患者さんに寄り添うベストなやり方だと私は思っています」
ミメッドがいることで、助からなかった命も助かる場合がある。それは正しい。しかし、それを認めるには、自分は歳をとりすぎていた。『そうか』と頷けない自分を見つめながら、医師は深く椅子に座り直す。
こちらに向けられた視線は、真剣なものだった。
「仙東さん。一番最初にAIが普及した分野はどこか知っていますか? 医療の現場なんですね。人間だと、どうしてもどこかでミスをしてしまうから、優秀な医者のデータや、貴重な患者さんのデータを蓄積して、そのミスを出来る限り無くそうって。私たちは、そういった先人の残してきたデータの重要性をよく知っています。それが、後に生きる人間たちのために集められてきたことも。何よりも大事なのは、人の命だから。AIに仕事が奪われるなんてこと、考える暇すらなかった」
――現実として、AIやそのまわりの技術によって仕事を奪われる医師はいた。
技術の発展によりスーパードクターなんて存在も無くなり、また、新薬の登場によって病気で病院に来る者も十分の一にまで減っていたらしい。
「……それにね、病気にかかったり、怪我をしたりして病院に来るのは、人間だけなんですよ。ここにいる限り、僕は人間の患者さんと向き合うことができる。だからこうして、医師を続けているのかなと、思いますね。他の人間との繋がりを求めることも、効率を求めて機械を活用したいと望むことも、それぞれがバランスを見ながら選んでいくしかないんです」
今となっては、それらの技術の発展でも治療しきれない病気の患者や、入院しなければならない程の大怪我を負った患者ぐらい。そういった人たちは大きな不安も抱えている場合が多いが、だからこそある程度の距離感を持って接することが大事なのだという。
「人っていうのは面白い生き物でね。仮に一番大事なものである命が助かったとしても、なにか嫌なことや不満なことがあると、そのときに周りにいた人を恨み続けるものなんですよ。そういった恨みつらみを、どこかで人が受け止める必要がある。少なくとも、この病院では私だけで十分です。“責任をとる”という、人間に許された仕事を私はまっとうし続けていきますよ」
今の社会に対して、どう生きていくのが正解なのか。
それに対しての明確な答えは存在せず、ただ適応していくしかないのだと。
医師は口にはしなかったが、視線からそう言われたような気がした。
――ふと、夢を見た。
はるか遠い昔、幼少期の記憶から始まり、学生時代を順番に振り返っている。これが走馬灯か、と気づいても覚めることのない不思議な夢だった。 遥と出会い、そして死別した。そこからは色彩を失い、急速に風景が流れていく。
あぁ、もうすぐ死ぬのだな、とぼんやりした思考で悟り始める。
重たい瞼。呼吸をするのも難しく、鼻孔に取り付けられたチューブを煩わしく感じることさえないぐらいに、思考がぼやけている。心電図から鳴り響く電子音が、どこか遠いもののように感じられた。
入院からきっちり半年だろうか。
通告されていた死期が、終わろうとしていた。
「…………」
ちらりと視線だけを横へと動かすと、人影があった。
これまで自分の世話をしていたミメッドが、じっとこちらを見ていた。
あの医師、緊急時には人間の看護師が出てくると言っていたのに嘘を吐いたな。
己の死に際を機械なんかに看取られるのが、どうにも腹立たしくあったが、呼吸も困難になり、苦しいと感じるよりも先に意識が薄れていく。
「仙東さん……」
ミメッドがこちらに歩み寄り、手を伸ばした。
その手が自分の命を摘み取る死神のもののように見え、恐怖が駆り立てられる。
やめろ、と声を上げることもできなかった。
「…………」
その伸ばされた手が、首元――ではなく、額へと伸びた。
ゆっくりと、親指が額を撫でた。
下から上へ、前髪を上げるようにして。
――不意に蘇る、遥との記憶。
これは――彼女が自分によくしてくれた癖だった。
仕事で失敗して落ち込んだときも、体調を崩して寝込んだときも、こうやって自分を慰めてくれた。
彼女が息を引き取るその直前にも、涙を流す自分にこうしてくれた。
「遥……!」
視界が滲む。意識も何もかもが溶けていく。
自分の視界に映る人影も、ぼんやりとして判別できなくなっていた。
遥は死んだ。ミメッドは彼女の代わりにはなれなかった。
それでも、ほんの僅かだが、自分は彼女の存在を感じていた。
「ごめんな――」
それは、誰に向けての謝罪だったのだろう。
いままで辛く当たっていたミメッドたちに対してのものか。
それとも、最期まで忘れることができずにいた、遥に対してのものか。
心に溜まり溜まっていたものが、溶けていく気がして。
背負うものが無くなって死ねることが、幸せなことのように感じて。
最期に、遥が自分を救ってくれた気がした。
大海に落とされた、たった一滴の雫だったとしても。
遥は確かに存在していた。機械に宿る人間らしさとして。
誰かに向ける、“やさしさ”として。
――妻は、溶けて。確かに広がっていた。
(了)