第5話 記憶の残響に囚われて
ぽっかりと胸に穴が開いてしまったようだった。
一度開いた穴を無理矢理に埋めようとして、そのせいでより深く広がってしまった感覚。まったくもって馬鹿なことをした、そう後悔してももう手遅れだ。
遥が自分のもとに戻ってくるかもと、そんな淡い期待を抱いた自分が馬鹿だったのだ。大事な人と死別することは誰の身にも起こり得る。葬式をしたり、墓を立てたり、古臭い風習がずっと残っているものだと、内心で馬鹿にしていた時期もあった。しかし、人はそういった過程を経て、少しずつ忘れていく形で悲しみを消化していくものなのだと気付いた。
ミメッドが人の形をしているからといって、そこに思い出を着せて幻想を追い続けるべきではなかったのだ。
そうして、自分の“ミメッド絶ち”が始まった。
といっても、元の生活に逆戻りしただけなのだが。
遥と別れ、ミメッドが来るまでの間に続けていた、独りでの生活。
胸に開いた穴のせいで半分無気力な状態だったが、人としての最低限の生活だけはなんとか続けた。孤独死や不意の事故による意識不明などに対処するために、ミメッドはいなくとも居住者のバイタルなどは家電などを通してチェックされている。
ミメッドに世話をされるのは半強制のようなものなので、あまり長期間起動すらしていなかったら様子を見に来られるかもしれない。そのときはその時だ。
家のことを一人で何もかもをする気力も起きないが、かといって誰かを雇ったりすることにも、外へ出て店で済ますことにも抵抗があった。外にはたくさんの人々が行き交っている。その中には、ミメッドも一定数混じっているだろうから。
あの人形たちを動かすAIの中には、遥のデータも混じっている。それは――遥との思い出を、遥自身を細切れにされているようで、不快感が込み上げてこないはずがない。
一度気になってしまったが最後、人のように振る舞うミメッドを見るたびに、それが呪いのようにまとわりついて来て仕方がなかった。
遥と同じような歩き方をしているように見える。
あの服装は、遥が好きでいつもしていたような気がする。
どこにいても、遥の残影が視界の端々に入ってくる気がした。
呪いで頭を悩まされるだけならマシだったが、ある日とうとう実害が出てくるようになった。外に出たくはないという気持ちは消えることはないが、適当な食事を続けていれば意を決して外で食事を済ませたいと考えることだってある。
ジャンクフードの類は健康に与える影響が大きいため推奨はされないが、濃い味を求める者に対しての嗜好品としての意味合いが強く廃れることはない。とはいえ、人の作った料理というにはあまりに工程が機械化されているので、自分はそこまで好きではなくなっていた。
「“たそがれ亭”……? こんなところに定食屋なんてあったのか」
外から様子を覗いてみると、店員は男女一人ずつ。雰囲気からして、家族経営のようにも見える。外見からすると年齢は自分と同じか少し上ぐらいで、夫婦なのだろうか。男性の方が厨房で料理を作り、女性の方がそれを客に提供している形だった。
「ハイ、いらっしゃい! お好きな席にどうぞォ!」
厨房の方から、店主と思わしき男の声がした。昔に格闘技をしていたのではないかというガタイの良さと、それに納得のいく声の太さだった。
店内はそこまで広くはなく、テーブル席が5つとカウンター席が6つ。それぞれ2つずつ埋まっている様子。好きなところに座っていいと言われたので、店の入口に近いテーブル席を選んだ。
テーブルに用意されていたメニュー表を見ると、これといって目立ったものがあるわけでもなく、定食屋のお手本のような料理が並んでいた。
今の時代、食材は野菜は言わずもがな、肉も魚もどれでも人工的に養殖が行われているため、産地という概念がとても薄くなっている。極端なことを言えばどこでもどんな料理でも作れるというわけだ。
それは家でオンラインから食材を注文するのでも同じなのだが、調理の技術についてはやはり人によって大きく影響してしまう。自分が作る普通かそれ以下の料理よりも、店を経営するほどの技術をもった料理人が作ったものを食べたいというのは当然のことだ。
この“いたって普通のメニュー”が逆に店主のこだわりなのかもしれない。
「……ハンバーグ定食をお願いします」
「はい! ハンバーグ定食ひとつですね!」
「――っ」
注文を受けた女性の声が、どことなく遥に似ていた気がした。
動揺して思わず顔を上げたが、外見は遥とは似ても似つかない。
不意打ちに、心が大きく揺さぶられてしまう。
料理が来るまでの間、不自然に跳ねる心臓を抑えるのに必死だった。
それから程なくして、注文したハンバーグ定食が来た。焼き上がったばかりの手捏ねハンバーグはジュウジュウと音を立てている。慎重に冷ましながら、切り分けた一欠片を口に運ぶと、肉汁の旨味が口の中いっぱいに広がっていく。
しかしながら――心ここにあらず、といった状況に精神が陥っており、味は確かに美味しいのだが、その情報が脳の髄まで伝わっているかは怪しかった。舌が、食道が、胃が喜んでいるのだが、それによる快感が薄い。
頭の中では、注文をしたときや料理を持ってきたときに聞いた女性店員の声のことばかり考えていて。その間にも食はしっかりと進んでおり、気がついたら腹だけがいつのまにか膨れていた。人とは、ここまで心と体が離れることがあるのかと驚くほどだった。
食事を終えた以上は、ただ席を占領し続けるわけにもいかない。店はいまどき珍しく、レジスターでの会計を行っていた。とはいえ現金だけではなく、電子マネーもしっかりと対応していたため、端末に情報を入れるだけで支払いは完了する。
「ありがとうございましたー」
もしや。いや、そんなことがあるわけが。
店から出るときに、不意に口から言葉が漏れ出ていた。
「あの……もしかして、ミメッドですか……?」
「えっ!?」
女性店員のショックを受けた表情を目にして、しまった、と思った。
昨今、ミメッドを働き手として使っている店も少なくはない。それが当たり前のことであり、わざわざ聞くようなことをする者は今やゼロに等しい。何もかもが機械化された現代において、『機械風情からサービスを受けるなんて』という古臭い考えを持っている方がおかしい、という風潮に完全に変わってしまったのだ。
「テメェ、今なんて言った!?」
「ひっ――」
激昂した店主が厨房から飛び出して、胸ぐらを掴んできた。
そのまま殴られてしまうか身体を固くしていたが、拳は飛んでこず。
「今すぐ出て行きやがれ――!」
そのまま店の軒先に投げ飛ばされてしまう。
『二度と来るんじゃねぇ』と唾を吐きかけられただけに済んだのは、まだ優しい方だったのだろうか。
「ミメッドなんてものがあるから……」
そう呟きながら、なんとか立ち上がる。
投げ飛ばされたときにぶつけた部分が、ジンジンと痛んでいた。