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第73章:軍歌にある大切な想い


夜が訪れ、星々が空に瞬きはじめる。静まり返った仮設基地のテント群では、わずかな灯りと機械の作動音だけが夜の静寂を破っていた。


兵士たちは順に休息に入り、銃を磨く者、手紙を書く者、ただ疲れた体を横たえる者、それぞれが束の間の“平穏”に身を委ねていた。その中にいたアレン少佐もまた、ふと歩みを止め、空を見上げる。


満点の星空——それは、かつてアラスカで見たものとよく似ていた。

母に抱かれながら見上げた夜空。雪原に凍えた風が吹いていた日も、星は変わらずそこにあった。


アレンは深く息を吐くと、自然と口をついて出るように、ある軍歌を口ずさむ。


「Over hill, over dale, as we hit the dusty trail…」


アメリカ陸軍の行進歌——『The Army Goes Rolling Along(陸軍は進んでいく)』。

その旋律は決して派手ではない。だが、歌詞のひとつひとつに込められた「守る者としての誇り」と「前に進み続ける意志」が、アレンの心に染みわたる。


「…For wherever we go, you will always know / That the Army goes rolling along」


彼は自らに問いかけるように歌う。


なぜ自分はここにいるのか。

なぜこの幻想郷という不可思議な地で、銃を構え、仲間とともに歩み続けるのか。

答えはひとつだった。「守るため」。

仲間を、民を、理不尽に脅かされる命を。


その歌声は風に乗り、仮設基地の片隅まで届く。

少し離れた木陰で座っていた魔理沙は、ふと耳を澄ました。


「……歌?」


彼女は目を閉じ、その旋律に耳を傾けた。意味までは分からない。けれど、心には何かが響いた。


それはまるで、戦場に咲く一輪の花のように、静かで、力強く、そして儚い歌。


魔理沙は呟く。


「……かっこいいな。ああいうの、あたしは嫌いじゃないぜ」


夜空の下、歌声と星々が交差し、幻想郷の夜がまた一つ深く刻まれていく。

それは、「戦うこと」に意味を与える、兵士たちの静かな祈りの時間だった。



夜の仮設基地。風はやや冷たく、空は澄みきっていた。


ラミレス大尉は歩哨の一角に立ち、暗視スコープ越しに周囲の様子を確認する。

どこか退屈そうに見える任務。しかし、彼にとってはその“退屈”こそが、いかに尊く貴重なものであるかを痛感していた。


——誰かが見張っている。

ただそれだけで守られる命がある。

眠る仲間たちが安らげるのも、安心して背を預けられる“誰か”がいるからだ。


それは戦場という非日常のなかで得た、静かで揺るがぬ確信だった。


かつてラミレスは軍人ではなかった。

ボストンマラソン爆弾テロ。

街が恐怖に包まれ、父と慕う警察官が必死に市民を守っていた姿を青年だった彼は目の当たりにした。

「守る者」の覚悟が、彼の原点だった。


今は軍人として、世界のどこかの平和を維持する任務に就いている。

だが心に宿る思いはあの時と変わらない。制服が違っても、持つべき覚悟と信念は同じだった。


束の間の休憩。

ラミレスは背を壁に預け、空を仰ぐ。

星がまたたく幻想郷の夜空。そこには、あの日のボストンの空と重なる何かがあった。



そして彼は、静かに口ずさむ。


「When Johnny comes marching home again, hurrah, hurrah...」


——『ジョーニーが凱旋する時』

戦地から無事に帰る兵士の姿を祝うアメリカの伝統的な歌だ。

だがラミレスはただの凱旋ではないと知っている。

真に意味があるのは、「生きて帰ること」。

勝利や名誉より、何よりもまず命を持って帰ることだ。


「…We'll give him a hearty welcome then, hurrah, hurrah…」


彼の小さな歌声が夜風に乗って届いたその時、空の上からそれを聞いていた者がいた。

比那名居 天子。天の民である彼女は、地上の様子を見下ろしていた。


戦いを好むわけではないが、強さというものには敏感な天子は、その静かな歌に不思議な力を感じた。

兵士の歌とは、ただ勇ましいだけのものではないのだと。


「……良い曲だな」


彼女はそう呟き、星の海を背に、再び空を翔ける。

そこには、戦いではなく、想いを抱いて立ち続ける兵士の姿が映っていた。


夜は深まる。だが、その静けさを守る者が確かにそこにいた。




夜の幻想郷に、凛とした歌声が響き渡っていた。

それはただの音ではない。軍人たちの誇り、想い、そして遠く離れた故郷への祈りが込められた声だった。


ドイツ連邦軍の仮キャンプ。

その中心で、シュルツ中佐が高らかに歌い上げていたのは、あの**『エーリカ行進曲』**。

かつての時代から受け継がれてきたこの曲は、ドイツ兵の士気を鼓舞するために幾度となく歌われてきた名曲であり、戦う者たちの心の拠り所だった。


きっかけは、1人の若い将校のつぶやきだった。


「中佐…私、心配で……。故郷に恋人を残してきたんです」


その声に、シュルツは一拍置き、やがて静かにうなずいた。


「我々は兵士である前に、人間だ。

そして、誰かを愛しているということは、お前の“戦う理由”になる。

だからこそ――この歌を、共に歌おう。彼女に届くようにな」


そうして始まった熱唱は、決して歌手のように美しいものではなかった。

しかしそれは、本物の声だった。

何度も戦地をくぐり抜けた中佐と、彼を信頼する部下たちが、声を合わせる。


「Auf der Heide blüht ein kleines Blümelein…」


迷いの竹林に近い仮設キャンプにまで、その歌声は夜風に乗って届いた。

うさぎたちがそっと耳を立て、鈴仙やてゐたちが顔を上げる。

静寂の中で、懐かしさと不思議な暖かさを感じる。


遠く、妹紅も空を見上げていた。

竹林にこだまするその声に、彼女は珍しく口元に微笑を浮かべる。


「……バカみたいに真っ直ぐなやつらだな。でも、悪くない」


そう呟き、焚き火の火をくべながら、静かにその歌を聞いていた。


夜はまだ続く。

だが、あの行進曲が――

まるで帰る場所のように、全ての兵士たちの心に灯をともしていた。


それは道標。

どんなに遠くても、どれだけ厳しい現場でも。

彼らの歩む道に、確かな“想い”という光を照らしていた。



夜の紅魔館は静寂に包まれていた。

広大な石造りの廊下に靴音がわずかに響き、そのたびにランプの光が微かに揺れる。

警備の任に就くナイジェル中佐とスターリング少佐。2人のイギリス軍人は、紅魔館の夜間パトロールを淡々と続けていた。


だが、静かな夜というものは、時として心の奥底にある記憶を呼び覚ます。

ナイジェル中佐はふと、ロンドンのピカデリー広場の光景を思い出していた。

学生時代、終戦記念日に祖父とともに訪れたその場所。人々の笑顔と、街角で誰かが歌っていた――あの歌が、今も心に残っている。


「It's a long way to Tipperary…」


彼は口ずさむように歌い出した。

第一次世界大戦の兵士たちが前線で歌った名曲――『ティペラリーへの長い道』。

望郷の思いを抱えながら、それでも前を向いて進もうとした兵士たちの歌だった。


その歌声に、隣を歩くスターリング少佐が振り返る。

彼の瞳にも懐かしき故郷――フォーミダブルの海辺の街並みが映っていた。

「懐かしいな…その歌、父がよく歌っていた」

彼もまた、声を重ねる。2人の兵士が、夜の館に奏でる追憶のメロディ。


決して澄んだ声ではない。

軍人らしい、力強くも不器用な歌唱。

しかし、その声には確かな魂が宿っていた。


やがて、紅魔館のとある一室――

ふと窓の外を眺めていたレミリア・スカーレットの耳に、その歌が届いた。

彼女は目を細めて、静かにその旋律に耳を澄ませる。


「ティペラリー、か……。人間の歌とは、時に妙に心を打つものね」


隣にいた咲夜も、どこか懐かしさを感じるようにそっと微笑む。

フランは窓枠に顔を乗せて、「この歌…ちょっと寂しくて、でも好きかも」と呟いた。


紅魔館の夜に響く、2人の兵士の歌声。

それは、ただの任務の時間ではなかった。

彼らが歩んできた人生と、今ここに立つ理由を静かに語る時間だった。


――“長い道”の途中、

幻想郷という不思議な地で、彼らは確かに故郷と繋がっていた。




その頃――紅魔館の外、闇夜に静かに佇む護衛艦「きりさめ」。


艦橋には微かに灯りが灯り、夜間勤務の自衛官たちが交代を終え、艦内の一部区画では束の間の休息が始まっていた。


そんな中、艦内から突如として力強い歌声が夜空に響き渡る。


「♪守るも攻むるも黒鉄くろがねの〜浮かべる城ぞ頼みなる〜…」


それは――『軍艦行進曲』。

日本の軍歌として知られる、重厚で誇り高い旋律。


「ナイジェル中佐たちが歌っているだと? よし、負けていられるか!」

誰かのそんな声を皮切りに、海上自衛官たちが次々と声を合わせる。

それは決して誰かに聞かせるための歌ではない。

己の士気を高めるための、そして誇りを胸に刻むための歌だった。


艦内に満ちるその歌声は、夜の静寂を打ち破るように響き、

甲板上では一部の隊員たちが気をつけの姿勢で立ち、遠くを見つめながら歌っていた。


――その表情には、笑みも誇りも混じっていた。


「…にしても、我々らしいな」

鬼頭二佐が呟く。

「音程は少し外れているが、気持ちは一等賞だな」と続けるのは副長。


幻想郷の夜に、日本の自衛官たちの**「誇りの声」**が響き渡る。


それは競い合うものではなく、

それぞれの国の兵士たちが自分たちの矜持を胸に歌っていた、そんな夜だった。


そして、その声は遠く紅魔館の石造りの廊下にも届いていた。


スターリング少佐がふっと笑う。

「…どうやら、我々だけではないようだな」


ナイジェル中佐もまた、ゆっくりと目を閉じて言った。

「いいことだ。こうして皆が、故郷と心で繋がっている」


幻想郷の夜は静かだった。

だが、その静けさの中に、各国の兵士たちが奏でる魂の歌声が確かに生きていた。




幻想郷の夜、無数の星々が天を覆い、風がわずかに仮設テントの幕を揺らす。

その中で、大韓民国陸軍のパク大尉はテントの外に出て、一人腰を下ろしていた。


耳を澄ませば――遠くから、各国の兵士たちの歌声がかすかに聞こえてくる。

イギリスのティペラーリ、ドイツのエーリカ、そして日本の軍艦行進曲。


そんな夜に、彼もまた、祖国の歌を口ずさんでいた。


「…공산당은 적이다…(共産党は敵だ)

조국을 지키리라, 우리는 불타는 횃불…(祖国を守る、我らは燃える松明)」


それは**『멸공의 횃불(滅共の松明)』**――

韓国軍の心に刻まれた軍歌。

北朝鮮の共産主義に立ち向かう、覚悟の象徴ともいえる歌だった。


パク大尉は、兵役時代の若き日に延坪島砲撃事件に巻き込まれ、

仲間を失った。血まみれで倒れた同期の顔が、今でも瞼に浮かぶ。

あの時、何もできなかった――それが、彼の胸に深く残る傷となっている。


「もし今度、祖国が攻撃されるなら、俺は必ず立ち上がる。

 同僚だけじゃない。部下も…俺の責任で守る」


静かに、しかし力強く歌い続ける声に、仲間たちが目を向ける。

彼が口ずさむその歌には、亡き戦友への誓い、そして

今、幻想郷という新たな地を守るという意志が込められていた。


パク大尉の目には、かつてDMZで睨みつけていた北の兵士たちの顔が浮かぶ。

脱北者チェ・テハンの存在――

彼の過去、そして地獄のような体験を思い出すたび、

北朝鮮の政権に対する怒りと哀しみが胸に湧き上がる。


「ここは、第二の故郷になるかもしれない。

 ならば、俺はまた立つ。今度は、この幻想郷を守るために」


彼の視線は、月明かりの下に広がる幻想郷の地平線へと向けられた。


燃えるような信念が、夜空の静寂に微かに揺れる。

そしてその歌声は、確かにどこかで聞いていた――

幻想郷という新たな地で、「守る者たち」の魂が、また一つ繋がった夜だった。




幻想郷の夜は深く静かで、空には満点の星が瞬いていた。

仮設基地の一角――その隅で、一人の男がゆっくりと歩哨に立っていた。


チェ・テハン少尉。


彼の顔には、どこか影が差していた。

それは過去に抱えてきたもの、そして今もなお消えぬ葛藤によるものだ。


「僕は、何を信じてきたんだ…?」


かつては朝鮮人民軍の青年将校として、忠誠を誓い、

「南朝鮮は敵だ。アメリカは悪だ。共和国こそが正義だ」と

教え込まれ、疑いもせず信じていた。いや――信じるしかなかった。


教官の言葉を疑えば、報告され、

仲間を庇えば、自分も罰せられ、

そして家族に累が及ぶ――そんな社会だった。


彼の心に芽生えた「疑念」は、最初は小さな種だった。

だが、仲間たちが命がけで脱北していく姿を見て、

その種は育ち、いつしか――自らの中に答えを求める叫びに変わっていった。


「自分は…逃げたんじゃない。見つけたんだ。本当の“守るべきもの”を」


今、彼が口ずさんでいる歌は、かつての祖国・北朝鮮で密かに語り継がれた歌、

【그날의 병사를 보라(その日の兵士を見よ)】。


「이 땅에 평화로운 날들이 흐르고〜(この地に平和な日々が流れ)

환한 창가에 미소가 넘쳐도〜(明るい窓辺に笑みが溢れても)

참호의 병사 가슴 속에〜(塹壕の兵士の胸のうちに)

마지막 결전의 그날이 있다〜(最後の決戦のその日がある)」

その旋律は、プロパガンダのようでいて、実は兵士の心の奥底を静かに揺さぶる詩だった。

そしてテハンにとって、“守るべきもの”とは何かを教えてくれた一節だった。


それは国家のメンツでも、体制でもない。

塹壕の兵士が、ただ願う日常――笑顔があふれる窓辺。

子どもたちの笑い声。誰もが明日を疑わず眠れる夜。


「自分は、それを守りたかったんだ。共和国じゃなくて、“あの日常”を」


CIAの保護下で、今こうして幻想郷に立ち、かつての敵と共に過ごす。

パク大尉――かつての“敵”が今、共に守る戦友であるという現実。


そのことが、何よりも彼にとって、今の道が正しいと教えてくれていた。


遠くで微かに、軍艦行進曲やエーリカの歌声が夜風に乗って聞こえる。


彼の歌声もまた、それに重なるように静かに幻想郷の夜を包んでいた。

かつての“敵”も“味方”もない――守るべきものは、変わらない。


「その日の兵士を見よ…きっと、そこに答えがある」


チェ・テハン少尉の胸に、今確かに灯るものがあった。

それは過去への悔いではなく、未来への願いだった。



夜の幻想郷――月明かりのもと、

仮設キャンプの一角に、陸上自衛隊の山森一佐は静かに佇んでいた。


その姿からは、幾度もの災害派遣や現場での経験を積んできた実直な自衛官としての重みが滲み出ていた。

遠くで響く各国の軍歌。それぞれの歌に込められた兵士たちの想いが、夜空を渡って彼の耳に届いていた。


ふと、足音が近づいてくる。

振り返ると、早苗が落ち着いた表情で立っていた。


「こんばんは、山森さん。……夜の見回り中でしょうか?」


「こんばんは、早苗さん。ええ、見回りというより……風にあたりに来ただけですよ」


早苗は少し笑い、彼の隣に立つ。


「……いろんな方の歌が聞こえてきますね。

 戦いの歌……だけど、どこか優しさもあって」


山森は小さく頷いた。


「そうですね。

 歌というのは、不思議なもので――過酷な環境の中でも、人の心をつなげてくれる。

 戦場であっても、人が人であるために必要なものかもしれません」


「……自衛隊の方々も、やっぱり“戦う人”なんですか?」


早苗の問いに、山森は少しだけ間を置いてから、静かに答えた。


「我々は、“戦わないために備える”存在です。

 戦うことが本望ではありません。ですが、いざという時に備え、立ち止まることはできない。

 それが、国と人々を守るという責任を負った者の役目です」


その言葉には、虚飾も演出もなかった。

ただ、現場で生きてきた者としての重みと真実があった。


「……私、小さい頃、テレビでヒーローを見てました。

 悪を倒して正義を守る姿に、憧れて……

 でも、現実の“ヒーロー”って、あんなに強くて完璧じゃないですよね?」


山森は少し目を細めて笑った。


「そうですね。現実の私たちは、ただの人間です。

 疲れるし、迷うし、怖いときもある。

 けれど、それでも――誰かのために立ち上がることを選ぶ。

 それが“守る者”の覚悟だと思っています」


そして、彼はポケットから小さなメモを取り出し、静かに口ずさみ始めた。


【平和の誓い】


「緑の大地を熱く

抱きしめて 作らん 明日への

道しるべ 泥にまみれた

銀のあせ ひとつ すべてを伝えよう

この土に 忘れないで いてくれれば

良い 愛する 心 平和の誓い 」

歌詞の一つひとつに、彼自身の歩んできた年月と責任感が滲んでいた。


それを聴いていた早苗は、

幼い頃に見たヒーロー番組と、それに重ねていた理想の姿を思い出す。


でも――今、隣にいるこの人もまた、

何かを守るために立つ、確かに“ヒーロー”と呼べる存在なのだと、心から思った。


「……すごいです。言葉も、歌も……重くて、でもあたたかい」


山森は静かに頷いた。


「……誇りは、胸に秘めるものです。

 声高に語らずとも、行動で示す。

 それが私たち自衛官の在り方なんです」


風が再び吹き、二人の前を通り抜けていく。

その風は、遠く離れた“現実”の世界と、この幻想郷を静かに結びつけているようだった。


そして――歌と想いに満ちた夜は、ゆっくりと更けていった。



仮設基地の夜は静かだった。

どこからともなく兵たちの歌声が聞こえてくる。

ラミレス大尉やアレン少佐が、故郷を思い浮かべながら歌っているのだろう。

その声に、マクファーソン准将はふと足を止めた。


少し空を見上げると、星がいくつか瞬いていた。

この幻想郷という異質な世界においても、兵たちは変わらぬ誇りと任務を胸に抱いている。


「……いい歌だな」


准将はそう呟くと、自らも歌を口ずさむ。

その旋律は古びたものだったが、彼の胸に深く刻まれているものだった。


【弾薬輸送車の歌】


「弾が尽きれば戦は終わる

だがその時、タイヤは回る

泥と血を越えて進め

後ろから支える者がいる」

低く、落ち着いた声で、歌をつなぐ。

歌詞の一つ一つに、彼の経験が染み込んでいた。


「私は前線に立ったこともある。だが本当に尊敬すべきは、補給部隊だ。

 どれだけ砲火が飛び交おうとも、彼らは必ず来る。

 弾薬、医療品、食糧、何より――希望を運んでくれる」


傍らにいたラミレス大尉が頷く。


「補給が途切れれば、前線は崩れます。何度も見てきました」


マクファーソンは少し笑みを浮かべた。


「私たちが戦えるのは、彼らがいてこそだ。

 名は知られずとも、彼らが命を繋いでいる。

 それを忘れた指揮官に、部下を率いる資格はない」


その声は、厳しさではなく深い誠意と誇りに満ちていた。

補給こそ戦の命綱――それを知る者だけが、この歌を口ずさむ。


歌い終えた准将は、夜風を胸に吸い込み、再び歩き出す。

その背には、部下を守る将の覚悟が滲んでいた



仮設基地に静かに響く歌声の数々――

英語、ドイツ語、日本語、そして韓国語。

それぞれの国の兵士たちが、自分の信念と故郷を胸に歌っていた。


ニコ中佐は、テントの外に出て空を見上げていた。

夜の幻想郷は静かで、どこか不思議な安らぎがある。

しかし彼の心の奥には、消えることのない憤りがあった。


遠くから聞こえる歌に耳を傾けながら、彼もまた口を開いた。

低く、そして重く――その歌は、【聖なる戦い】(Священная война)。


「立て、祖国のために

暴虐の闇に抗い

憤怒の火を燃やせ

正義のために戦え」

その旋律は、かつてナチス・ドイツに侵略されたソビエトの民衆が

怒りと決意を胸に立ち上がったあの時代を思わせる。

しかし、ニコにとってその歌は、もっと切実で個人的な意味を持っていた。


「……ジョージア。私の祖国は、再び侵された。ロシアによって。

 父も、兄も、撃たれた。……軍服を着たロシア兵に」


彼の声は静かだったが、決して冷めてはいない。

燃えるような怒りと、深い哀しみが、声の裏に滲んでいた。


「私は……あの時、守れなかった。何もできなかった。

 だから私は兵士になった。復讐のためでもあるが……それ以上に、

 二度と、あのような踏みにじられ方をさせないために」


彼の手は固く拳を握っていた。


「この歌は、怒りの歌ではない。ただの復讐の歌でもない。

 祖国を愛するすべての者が、立ち上がるための歌だ。

 私は兵士として――この幻想郷においても――

 守る。今度こそ、奪わせない」


夜風に乗って、彼の歌は遠くへ流れていく。

ジョージアの山々を超え、かつての戦場を駆け抜けたあの旋律は、

今この幻想の地でも、新たな「戦う意味」を灯していた。



仮設基地の静けさの中、いくつもの軍歌が夜の空気を震わせていた。各国の兵たちがそれぞれの想いと誇りを胸に、故郷の歌を口ずさんでいる。


その一角で、マクファーレン中将は焚き火のそばに立ち、隣のマクファーソン准将が口ずさむ歌に耳を傾けながら、静かに自らの声を重ねる。


「From the Halls of Montezuma, to the shores of Tripoli…」


その声は低く、重みがあり、戦場をくぐり抜けてきた者にしか出せぬ響きがあった。


「……私にとって、この歌はただの軍歌ではない。」

中将はふと遠くを見つめ、語り始める。


「イラク、アフガニスタン、リビア、シリア、スーダン、ソマリア……この胸に刻まれた地名の数は多い。だが、それ以上に覚えているのは、そこにいた若き海兵たちの顔だ。」


彼は一息ついて続ける。


「彼らはみな、命を賭して任務にあたった。ある者は母国の未来のために、ある者は隣の仲間のために。帰還できなかった者も多い。……私は、彼らの名を決して忘れない。」


火の粉が静かに舞い上がる中、中将の声には確固たる意志が宿っていた。


「我々海兵隊は、**祖国が求めれば、最前線に立つ覚悟を持って生きている。**それは単に命令に従うだけではなく、国の名誉、仲間の命、守るべき民のために、自ら進んで赴くということだ。」


そして、少しだけ顔を伏せ、目を閉じながら語った。


「私の部下に、まだ二十歳にもならぬ若者がいた。彼はよく、帰ったら何を食べたいかと皆に聞いて回っていた。……だが、彼は二度と母国の土を踏むことはなかった。」


重い沈黙が一瞬だけ流れる。


「……だからこそ私は、この歌を歌い続ける。彼らの想いと共に、我々が守るべきものを、決して見失わぬように。」


再び、中将の声が静かに夜空に響く。


「We are proud to claim the title of United States Marines...」


それは、命を賭けた仲間たちへの誓いと、

歴戦の将としての変わらぬ覚悟を宿した声だった。


魔法の森の夜は静寂に包まれていた。木々のざわめきがかすかに耳に届く中、遠くから他国部隊の軍歌が点々と聞こえてくる。

そしてその音に応えるように、マルク大尉もまた、静かに口ずさんでいた。


「J’aime l’oignon, fricassé, j’aime l’oignon quand il est bon…」


それは一見、滑稽とも取れる歌詞だった。だが、その旋律には深い意味と歴史が込められていた。

**ナポレオンの兵士たちが塹壕で玉葱を分け合いながら、故郷と家族を想って歌った歌。**それは飢えと戦いの中でも、兵士たちを支えてきたフランスの伝統だった。


マルクは目を閉じながら、かつての記憶を呼び起こしていた。

――パリ同時多発テロ。


あの夜、彼はまだ若く、軍に入って間もない頃だった。休暇で立ち寄ったカフェの近くで、銃声が響いた。悲鳴。血の匂い。目の前で命が消えていった――彼はただ立ち尽くすことしかできなかった。


「……あの時、私は何もできなかった。」

小さく、誰にともなく呟いた。


救えなかった命。悔しさ。無力さ。

その後、彼は前線へと志願し、紛争地帯での任務に身を投じた。アフリカ、中東、バルカン……どの地でも、戦火に晒された民の苦しみがあった。


だが、いま彼が立つこの幻想郷は――あの頃とは少し違う。

混乱の中にあっても、希望や日常がまだここにはある。

「守りたい」と思える場所。そして、守る理由がある。


マルクは再び歌い始めた。今度は、わずかに声を張って。


「…On n’a jamais vu, on n’verra jamais, la queue d’un oignon marcher devant…」


それは奇妙な歌詞だったが、歌声には確かな温もりと信念が宿っていた。


遠く、木々の影からこちらを見つめる一人の少女がいた。魔法の森に住む魔法使い――彼女には、歌の意味は分からなかったかもしれない。

だが、その歌に込められた哀しみと誇り、そして優しさは、確かに彼女の胸にも届いていた。


マルク大尉の胸には、今もなお熱い想いがあった。

テロや戦争の悲劇を、もう誰にも味わわせたくない。

だからこそ、彼は立ち続けるのだ。あの夜、守れなかった命のために。今、ここにいる者たちのために。

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