第69章:実戦を経験した者として
沈黙を破ったのは、やや年長の男――パク大尉だった。厳格な顔立ちと落ち着いた声色は、場の空気を引き締めるようだった。
「私も……話しておこうと思います。あれはもう、10年以上前のことになります」
彼は淡々と語り始めた。
「私は皆さんと同じくらいの歳でした。兵役の義務で配属されたのが、延坪島――韓国と北朝鮮の海上国境線、NLL(北方限界線)に最も近い、まさに最前線の島です」
霊夢たちは知らぬ名前に小さく首を傾げながらも、彼の言葉をじっと聞いていた。
「2010年11月23日――あの日、島は突然、北朝鮮の砲撃を受けました。訓練中だった私たちは何が起きたのかもわからず、とにかく、陣地に駆け込んで応戦の準備をしました」
彼の目には、今も焼き付いているようだった。
「北からは100発を超える砲弾が飛んできた。我々は応戦しましたが、島は火の海になり、民間人も巻き込まれました。私の後輩は直撃を受け、即死でした……民家のひとつが燃え落ちたとき、中から出てきたのは母親と、子どもでした。腕に抱えていた子どもは、すでに息をしていませんでした」
魔理沙が声を失い、アリスが静かに目を伏せた。
「私は、兵士として何ができたのか、今でも考えます。北朝鮮とは、今もあのままです。けれど、あの日を境に、私は心に決めました。兵役を終えても、自分の意思で軍に残ると」
彼はしっかりとした目で霊夢たちを見据える。
「軍人として、国家の命令で動くこともある。しかし、私にとって延坪島での出来事は――ただの命令ではありません。人間として、戦争と平和の境目に立たされた瞬間だった」
早苗がそっと呟いた。
「……それが、あなたの覚悟なんですね」
パク大尉は小さくうなずいた。
「はい。戦争は遠い世界の話ではない。ですが、だからこそ……我々がその火種を消す努力を、誰よりも重く受け止めなければならないと、そう思っています」
その場には、再び静寂が訪れた。
だが、それは重苦しさではなかった。
戦場に立った者たちの“本音”が、幻想郷に静かに、確かに染み込んでいく時間だった――。
一同が言葉を失ったまま沈黙していると、場の隅に座っていた若い兵士が、ぽつりと口を開いた。
「……自分も、話します」
霊夢が振り向くと、彼はまだどこか少年の面影を残す顔で、しかし強い目をしていた。
「自分は、北朝鮮の山村に生まれました。貧しい暮らしで、学校もありましたが、まともに授業を受けた記憶はほとんどありません。小さいころから、勉強より仕事。田畑で、家畜の世話で……それが“生きる”ということでした」
彼の声は、静かに――だが明確に場を打つようだった。
「父は、韓国軍との小規模な衝突で戦死したと聞かされていました。“敵を討って名誉の死を遂げた”と、村では讃えられました。私はそれを誇りに思い、“大人になったら父と同じ軍人になる”と心に決めたんです。母もそれを信じて疑わなかった」
魔理沙が小さく息を飲み、霊夢は視線を逸らさず彼を見つめる。
「軍に入って、最初に配属されたのはDMZ――非武装地帯のすぐそばでした。毎日、双眼鏡越しに南を睨む。それが任務でした。時には、訓練中に同僚が南へ向かって脱走したこともありました」
テハン少尉は一瞬、言葉を止める。
「でも……私は逃げなかった。いいえ、“逃げられなかった”んです。捕まればどうなるか、私はよく知っていました。家族がどうなるかも。だからこそ、自分の居場所で“英雄”になろうと思ったんです。誇りを持って、国のために」
彼の目は、一度も逸らさず、霊夢たちをまっすぐに見ていた。
「でも……いまこうして、南の兵士たちと共に行動し、あなたたちと話している自分が、時々、分からなくなります。何が正しいのか、どちらが間違っていたのか……。ただ一つ言えるのは、“生き残ったからこそ”、今ここで話せている。だから、私はもう、自分に嘘はつきたくありません」
その言葉に、一同は静かに耳を傾けていた。幻想郷の少女たちは、誰も口を挟まなかった。
彼の言葉が、世界の“影”から発せられた、確かな“本音”だったからだ。
場に静寂が戻る。
テハン少尉の語りの余韻が残る中、たばこの煙のようにゆっくりと重く、ニコ中佐が口を開いた。
「……自分は、ジョージアの首都トビリシ近郊の町で生まれました。2008年、あなた方と同じような年齢のころ――南オセチア紛争が起きました」
霊夢が軽く目を見開く。
2008年といえば、彼女たちがまだ子供だった頃のことだ。
「ロシア軍が私たちの国境を越え、我々の家や町を破壊していった。……その日、私は父を失い、兄を失いました。軍人だった彼らは、祖国のために戦って、散りました。私は家族を“ロシア”に殺された」
彼の声は淡々としているが、その裏にある怒りと悲しみが、肌を刺すように伝わってくる。
「その時から、私は軍人になると決めた。父と兄と同じ道を選び、復讐のために銃を取りました。ロシアを、ロシア軍を、そしてプーチンやメドヴェージェフを――心底、憎んだ」
魔理沙が口を閉じる。
彼の語る「憎しみ」は、ただの感情ではない。それは、理性にまで染み渡った“存在の一部”だった。
「クリミア危機のとき、自分は義勇兵としてウクライナに向かった。あれは国家命令ではなく、私の意志だった。復讐のためだった」
だが、彼はふと目を伏せ、言葉の色を変える。
「だが……そこで見たのは、“少年兵”たちだった。16、17歳の若者が銃を持ち、戦場で命を落としていた。捕虜になった少年に話を聞くと――こう言われたんです」
「“祖国の英雄になれる”、“ウクライナ軍がロシア人を迫害している”、“これは訓練の一環だと聞かされた”――」
「彼らは“戦場”を知らない。ただ、“国の言葉”を信じて従っただけ。……私はその時、6年前の自分を見たんです。何も知らず、怒りに任せて銃を取った、あの少年の自分を」
彼の目が、幻想郷の少女たちを見つめる。
「敵とは、ただの“兵士”ではない。“正しさ”を刷り込まれた誰かの息子であり、弟であり、仲間なんです。私は、敵の顔に“かつての自分”を見るようになってしまった」
長い沈黙の後、ニコ中佐は静かに言った。
「復讐は、自分を“喰う”。――私はそれを、戦場で学びました」
誰も、すぐには言葉を返さなかった。
霊夢も魔理沙も、ただニコ中佐の言葉を飲み込むように聞き、そして「なぜ彼らは戦ってきたのか」を、ようやく少し理解したようだった
ニコ中佐の語りが終わったあと、場には言葉が出なかった。
その沈黙は、どこか祈りにも似ていた。
華扇は、黙って中佐を見つめていた。
彼女の瞳には、うっすらと涙の膜が張られていた。
それを誰にも見られないように、袖でそっと拭う。
「……あなたたち、本当に……戦ってきたんですね」
絞り出すような声だった。
戦いとは、力の衝突ではなく、
心の痛みと喪失を背負っていく行為なのだと。
傍らで立っていた綿月依姫も、深く目を閉じた。
彼女の妹、豊姫は珍しく静かに佇み、視線を落としていた。
「……月の民として、我々は地上の争いを“愚か”と切り捨ててきた。だが……それは、あまりに想像力の欠けた裁きだったのかもしれません」
依姫の声には揺らぎがあった。
月の民が地上を見下していた理由――それは、「争いからの自由」という理念だった。
だが今、彼女の前には“自由の代償”を背負いながらも、なお誇りを持って立つ人間たちがいた。
「私は――“力”の意味を見誤っていたのかもしれない」
依姫の拳が震えていた。
そのとき――さとりが、ゆっくりと歩み出る。
紫も隣に立ち、二人は一瞬目を合わせ、何も言わずに頷いた。
「……私たちは、“見る”ことができます」
さとりは言った。
「あなたたちが歩んだ道、抱えた苦しみ、失ったもの、全てを」
紫が扇を閉じたまま言葉を継いだ。
「少しだけ――その記憶に、触れさせていただけますか」
マクファーソン准将は黙って頷いた。
そして、その場にいた兵士たちもそれぞれ頷く。
さとりがゆっくりと意識を開き、紫の能力がそれに同調する。
幻想郷の空間が淡く揺れ――
瞬間、記憶の海が解き放たれる。
――瓦礫の下で泣き叫ぶ子供。
朝田二尉『…すまない…君の親を助けれなかった…』
――銃撃戦の中、部下の名前を叫びながら駆ける若者。
スターリング准尉(当時)『ワイアット!!!』
――爆発のあと、静かに崩れ落ちる少女の遺体。
ナイジェル少尉(当時)『ど、どうして…』
――「敵」と教えられた少年兵の、震える声。
少年兵『………』不安気な表情を浮かべながらAK-47を
向けるそしてそれを見つめる、互いに銃を向けながら
シュルツ中尉(当時)『やめろぉぉ!』
――生き残った者の、どうしようもない無力感と後悔。亡くなった同僚達の遺体を見るパク上等兵(当時)
『くっクソおおお!!』周囲には立ち込める黒煙と砲撃でできた穴
それらの「現実」を、幻想郷の少女たちは直接、心で感じ取った。
視界が霞む。胸が苦しくなる。何も言えない。
さとりは、嗚咽した。
紫は、初めて見るように顔を歪めた。
あまりに重く、あまりに痛く――
それでも、それは紛れもない「彼らの真実」だった。
しばらくの沈黙。
そして、紫がそっと息をついた。
「……ありがとう。私たちは、忘れない」
幻想郷の少女たちの視線が、変わっていた。
彼らは“異邦の戦士”ではない。
喪失を知り、涙を流し、それでも立ち続けてきた人間たちだった。
そして、霊夢が小さく呟いた。
「……それでも、あなたたちは、前に進んでるんだね……」
――戦う理由。守る意味。
それを「痛み」と共に語った兵士たちと、
それを「痛み」として受け取った幻想郷の住人たちの間に、
確かな“理解”が、芽生えはじめていた。