第67章:過去と向き合う覚悟
仮設基地の一角、薄明かりの灯る作戦室に、緊張と静寂が交錯していた。
マクファーソン准将は地図を前にしながらも、視線は虚空を彷徨っていた。彼の目は、過去のどこかを見つめているようだった。
「……ここを守る理由、ですか?」
博麗霊夢の問いに、彼は一瞬だけ目を閉じた。その声音には、揺るがぬ意志と同時に、どこか深い悲しみが滲んでいた。
「私は……かつて9・11で恋人を失いました。軍に入って、まだ4年目でした。君たちとそう変わらぬ年齢で……私は、ただの兵士にすぎなかった」
霊夢たちは、黙って耳を傾けていた。魔理沙も早苗も、彼の言葉の重みに息を潜める。
「祖国を守るために軍に入りました。けれど……未然に防げなかった。テロは起きて、多くの人が命を落とした。そして始まった対テロ戦争……アフガニスタンでは、私は自分の未熟さゆえに、親友を……部下を……死なせてしまった」
その言葉は、痛みそのものだった。しかし、彼は語ることをやめなかった。
「だからこそ、私は知っている。戦うことの意味と、守ることの覚悟を。ここが幻想郷であろうと、人が生き、何かを守ろうとしているのなら、私は背を向けられない。それが、兵士として生きると決めた者の義務だと、私は信じている」
霊夢は静かにうなずいた。彼女もまた、何度となく幻想郷を守ってきた者だ。その信念のあり方に、共鳴するものがあった。
「……ありがとうございます、准将。その覚悟、確かに受け取りました」
仮設基地の空気が、少しだけ温かくなったように感じられた。そこにいた誰もが、戦うことの意味を、それぞれの形で再確認していた。
マクファーソン准将の言葉が静かに空間に染み込んでいく中、アレン少佐が前へ出た。若き士官でありながら、その瞳は戦場を知る者のそれだった。
「……私も、少しだけ話させてください」
霊夢たちはその視線を受け止め、無言でうなずいた。
「7年前のことです。場所はシリア東部――PKO(国連平和維持活動)に参加していた時の話です」
彼の声は静かで、それでいて凛としていた。目を閉じると、かすかに過去の痛みが浮かぶ。
「IED……即席爆発装置の探査任務中に、私のすぐ近くで劣化した爆弾が暴発しました。破片が左脇腹に突き刺さり、あの時は正直……助からないかもしれないと思いました。26歳、中尉でした」
沈黙。誰も言葉を挟まなかった。アレンは続けた。
「我々の任務は、イスラム国が設置したIEDによる被害から民間人を守ることでした。既に多くの犠牲者が出ていた。……それでも、我々が現場に出向かなければ、もっと多くの命が失われる。だから私は……危険を承知で任務に当たりました」
彼の口調には後悔ではなく、確かな決意が込められていた。
「回復には長い時間がかかりました。でも、今もこうしてここに立っていられるのは、あの時、"守るために戦った"という確かな理由があるからです。……そして、今もその理由は変わっていない」
早苗が、小さくつぶやいた。「……命を懸ける理由が、そこにあるんですね」
アレンは静かに微笑み、それに応えるようにうなずいた。
一瞬の沈黙ののち、ラミレス大尉が口を開いた。その声には、迷いと誇りが交錯していた。
「……私の血筋はアイルランド系です。生まれはボストン、昔から活気のある街です。父は地元の警察官でした……私は、ずっと父の背中を見て育った。将来は、自分も同じ制服を着るんだって、そう思っていました」
霊夢たちは静かに頷き、耳を傾けていた。
「でも……あの日、全てが変わりました。2013年、ボストンマラソンの爆弾テロ――」
言葉を選ぶように、彼はわずかに目を伏せた。
「あの事件で、親友が死亡。彼はただ、ゴールを見に来ていただけだっただけに辛い思いでした……私は、あの瞬間、心に決めたのは。もう二度と、誰にもあんな思いをさせない。だから私は警官ではなく、軍人になることを選択しました。より広い現場で、脅威そのものを断ち切るために」
彼の言葉は、決して感情的ではなかった。それだけに、重みがあった。
「それから私は、ソマリアでの平和維持活動に参加した。だが、そこにあったのは平和ではありませんでした。過激派が支配する村、どこに爆弾が埋まってるかも分からない道路、突如始まる銃撃戦……私は、何度も死にかけた」
その顔に浮かぶ苦笑は、自嘲にも似ていた。
「最もつらかったのは……敵が子供だったときです。少年兵。私たちよりずっと幼い顔の少年が、AKを構えて突っ込んでくる。……ある時、私はその子供を撃ちました。背後には集落があった。もし撃たなければ、民間人が犠牲になっていたかもしれない。……しかし、今でもあの時の感触が残ってる。引き金を引いた瞬間の、音と、振動と、俺の心に刻まれたあの目」
部屋の空気が、張り詰めていた。
「……正しかったのか? あれは、正義だったのか? 今でもわかりません。でも、それでも私は……同じような悲劇を繰り返させないために、こうして軍人としてここにい立っています」
霊夢は、静かに目を伏せた。魔理沙や早苗もまた、言葉を探せずにいた。
だが、その空白こそが、ラミレスの語った現実の重さを、何より雄弁に物語っていた。
静寂が続いた仮設作戦室の中で、次に静かに前へ出たのは、ナイジェル・アシュフォード中佐――イギリス陸軍第49歩兵連隊出身の、歴戦の軍人であった。
彼は姿勢を正し、霊夢たちに向き直ると、慎重に言葉を選びながら話し始めた。
「私の名はナイジェル・アシュフォード中佐です。出身はイングランド北部、そして軍人として……ナイジェリア内戦当時、我がイギリス軍第49歩兵連隊の一員として、平和維持活動に従事しておりました」
霊夢たちは静かに耳を傾け、魔理沙も真剣なまなざしで中佐の顔を見つめていた。
「任務の主たる目的は、ハラムと呼ばれる過激派勢力の鎮圧と、周辺住民の保護でした。当時、ハラムの勢力は非常に強く、ナイジェリアの地方都市だけでなく、周辺国や、場合によっては我が国イギリスの治安にも深刻な影響を及ぼしかねない状況でした」
言葉にこそ抑制があったが、その瞳には、燃えるような使命感が宿っていた。
「……しかしながら、そのハラムが生まれた背景には、かつてアフリカを植民地として扱った欧州諸国の影響も否定できません。我々は……その責任を負っている。少なくとも私は、そう考えております」
霊夢は少し目を見張り、静かに頷いた。
「それでも私は信じたかった。過去と現在は違う――。我々は正義のために、今ここにいるのだと。だからこそ私は、戦地に赴きました」
彼はそこで一呼吸おき、少しだけ視線を遠くへとやった。まるで、あの日の出来事を思い出すかのように。
「ある日、私は街中での平和維持任務に就いておりました。市場の近くで、不審なトラックを発見し、私は同僚と共に警戒態勢を取りながら接近しました。……運転手は何かに怯えるような様子で、突然車両を放棄し、逃走を図りました」
「『止まれ!』と同僚が叫んだ、まさにその瞬間です。――トラックが爆発しました」
その一言に、場が張り詰めた。
「同僚は爆風で即死。私は側にいて、爆風と破片で腕と脚に重傷を負いました。意識を失いかけながら、私はその場に倒れ……ただ、怒りと悲しみで、自らを責めるばかりでした」
彼の声は静かだったが、その痛みは言葉以上に響いた。
「……後の調査で、そのトラックは過激派による即席爆弾搭載の自爆車両と判明しました。私たちは騙されたのです。……目の前で、仲間を失うという経験は、軍人として何よりも辛い」
彼は静かに言い添えた。
「それでも、私はここにいます。再び同じ悲劇を繰り返さないために。幻想郷であろうとどこであろうと、人々の暮らしが、あのような暴力に脅かされることがあってはならない。そう信じて、ここに参りました」
霊夢は深く頷いた。彼女の中にあった「外の世界の兵士たち」への先入観が、少しずつ、変わりつつあることを感じていた。
マクファーソン准将、アレン少佐、ラミレス大尉、ナイジェル中佐――各国の軍人たちがそれぞれの「戦場」と「過去」を語ったあと、少し間を置いて、一人の男が静かに前へ進み出た。
スターリング少佐。イギリス陸軍第38歩兵旅団所属。歳は20代後半といったところだが、その背筋には歴戦の重みがあった。
彼は霊夢たちに軽く頭を下げると、目を伏せるようにしながら語り始めた。
「私はスターリング・ホールドマン少佐。イギリス北部出身で……軍人としては、北アイルランド紛争――いわゆる『トラブルズ』の影響を引きずる地域で、治安維持と暴動・テロ対策任務にあたっていました」
霊夢たちは目を見張る。アイルランド問題は、外の世界でも歴史的に複雑で、しかも現在もなお完全に解決されたとは言いがたい問題の一つだった。
「イギリスとアイルランドは長きに渡って、宗教と民族を巡る対立の歴史を抱えてきました。私たちの任務は、それらによって引き起こされた暴動やテロから市民を守ること。しかし、それは同時に、同じ言葉を話し、同じ町で育った者たち同士が、互いに銃を向け合うという現実でもあったんです」
彼の表情は沈痛だった。口にする言葉が、自らの傷口を開くものであることを、彼自身も分かっていた。
「ある日、私は部下たちと共に都市部のパトロールに出ていました。夜間。――グリニッジ標準時でちょうど午前0時。街は静まり返っていて、どこか幻想郷の深夜のように、静かでした」
霊夢の表情が微かに動いた。その「静寂」は、次の瞬間に破壊される。
「だがその静寂は、AK-47の連続射撃によって、あっさりと打ち砕かれました。私たちは即座に応戦しましたが、敵は想像以上に訓練されており、私の部下3名が初撃で倒れました。私自身も、右肩を撃たれ……それでも、応援部隊の到着まで、残った者たちと防衛線を維持し続けねばなりませんでした」
彼は、言葉をひとつひとつ噛みしめるように続ける。
「最終的に……部下7人のうち、2名が死亡、3名が重傷。……その現場は、まるで戦場そのものでした。都市の片隅で、子供たちが眠っているすぐ近くで、銃声と叫びが響き、血が流れる。……そんな場所が、かつてのイギリス国内にあったんです」
そして、彼の語りの中で、最も重く、痛ましい瞬間が語られた。
「銃撃戦が終わったあと……敵の一人が倒れているのを確認しました。――それは、少年でした。おそらく十代の後半、まだ髭も生え揃わない年齢の。……彼は、大人たちに“正義”と“報復”を教え込まれ、銃を持たされた、ただの若者だった」
その場の空気が重くなった。
「私は……彼を撃たせまいと、一瞬迷いました。でも、その迷いが仲間を危険に晒すかもしれない。その判断の重さと恐怖を、今でも忘れられません。……私は今でも、あれが正しかったのか、自問自答する日々です」
静かに、しかしはっきりと、スターリング少佐は結んだ。
「だからこそ、私はここに来ました。幻想郷が、あのような“対立の火種”に巻き込まれないように。……我々が繰り返した過ちを、ここでは繰り返してはならない。たとえ武器を持っていても、“守るため”のそれであるべきだと……私は、信じています」
スターリング少佐が話し終えると、鬼頭二佐が静かに口を開いた。
「私は海賊退治でソマリア沖に派遣されたことを忘れません。ソマリア内戦が始まって以降、あの海域では海賊が頻発し、民間船舶の拿捕や襲撃事件が絶えませんでした。私は当時、三等海尉として【護衛艦むらさめ】に乗艦していました。初めてのソマリア沖勤務で、不安と期待が入り混じる中、海賊船との銃撃戦が発生したのです。
私は12.7mm機関銃で反撃しました。横には、まだ入隊したばかりの松島三等海曹を含む部下たちがいました。彼らを守るために戦ったのですが、松島海曹は銃撃を受け負傷してしまいました。私も軽傷を負いましたが、幸い軽微で済み、他の応援部隊が松島海曹を医務室へ運びました。
彼はなんとか助かりましたが、その日以降、艦を降りることになりました。自衛官を辞めたわけではありませんが、自信を失ったように見えました。私は年下の部下を守れなかった。あの経験があるからこそ、今ここにいるのだと信じています。」
その言葉には、深い悔悟と、未来を願う決意が込められていた。
鬼頭艦長の次に口を開いたのは、副長の伊吹三佐だった。
「私は、熊本地震でのあの出来事を決して忘れません。あの日、助けられるはずだった命を、目の前で失ってしまったことを……」
伊吹副長の声には、経験不足だった自分への悔恨と、やるせなさがにじんでいた。
「私はまだ十分な経験を積んでおらず、派遣された時も、助け出すことこそが誇りだと信じて任務にあたりました。しかし、地盤の緩みや余震といった自然の脅威の前に、なかなか作業はうまく進まなかったのです」
その言葉に、霊夢たちは深く胸を打たれた。人を救うことは簡単ではない。時には、自分の行動が手を遅らせることにもなってしまう──その現実を、痛切に感じ取ったのだった。
霊夢は、ゆっくりと目を閉じ、そして静かに口を開いた。
「……皆さんの言葉、しっかり受け止めました。幻想郷は、確かに平和に見えるけど……それが当たり前じゃないってこと。あなたたちは、それを教えてくれた」