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第66章:世界が燃ゆる前に

幻想郷の夜は静かだった。

虫の音が草むらを揺らし、遠くでは風が木々を撫でていた。


縁側に腰掛けた霊夢は、持ち込まれた新聞の見出しを見つめながら、深くため息をついた。


「ミャンマーで大地震……パキスタンのテロはまた……アメリカじゃ銃撃事件が連日……」

彼女の声には怒りではなく、沈んだ哀しみがあった。


隣でお茶をすする魔理沙も、口を開かない。

代わりに、新聞の端に小さく載った記事――ウクライナとロシアの攻防、止まぬガザの爆撃――を指差した。


「まだ、終わらないんだな。冷戦ってやつは……」


「幻想郷が静かでも、外の世界は嵐の中にあるみたいね」と、後ろから早苗の声。


霊夢は空を見上げた。

満天の星が輝いていた。幻想郷の空は、何も知らぬように美しかった。


「それでも……」

霊夢は小さく呟いた。

「それでも、外の人間たちは話し合ってる。戦争を止めようとしてる。世界が壊れる前に、平和を取り戻そうと……」


魔理沙が口元を緩めた。


「希望があるから、まだ救いようがあるんだろ。話し合いをやめちまったら、本当の終わりだ」


静寂が、三人の間を包んだ。


それは悲しみではなく、祈りのような静けさだった。


数日後――。


博麗神社にほど近い仮設の会議施設では、「幻想郷国際会議・安全保障分科会」の第七回目の会合が始まっていた。

自衛隊、NATO、米軍の代表者に加え、妖怪の賢者、月の使者、仙人、地獄の閻魔までもが席を並べるという、前例なき場である。


大画面には衛星回線で接続された各国の首脳や代表団の姿が映し出されていた。背景には、ウクライナの戦火で焼けた建物や、ガザの廃墟の映像が静かに流されている。


重苦しい沈黙の中、発言の機会を得たのは、ボスニア・ヘルツェゴビナの女性大使だった。


「私は、かつて自国が内戦で引き裂かれた時、世界が私たちの悲鳴に耳を傾けてくれることを願いました。今、再び世界は分断の危機にあります。だからこそ……幻想郷というこの『中立の場所』から始まる対話に、私は心から希望を見出しています」


その言葉に、月の使者・綿月依姫はわずかに眉を動かした。


「……我々月の民は、地上の人間が争いを止められない存在だと見てきた。だが、今ここで……その人間たちが、力ではなく対話で事を収めようとしている。それは、我々が見過ごすには惜しい変化だ」


その場にいた誰もが、その言葉の重さを感じていた。


そして、静かに立ち上がったのは、陸上自衛隊・山森一佐。

妖怪の山でも萃香たちに語ったように、今度は全員の前で彼は口を開いた。


「自衛官である私は、かつて数多くの災害現場で、人を守ることの意味を学びました。軍とは、必ずしも戦うためにあるのではない。守るために、信じるために、そして……対話の扉を開き続けるためにあるのだと、私は信じています」


霊夢はその姿を、そっと見つめていた。

外の世界はまだ争いの渦中にある。けれど、ここ幻想郷では、確かに何かが変わろうとしていた。


会議の空気がわずかに和らいだとき、それまで沈黙を守っていた幽々子が、扇子をふわりと開いて口を開いた。


「人は死に、また生まれる。命の循環は、止まることはないわ。けれど――その間にある“争い”が、命をいとも簡単に絶つのなら、私はそれを悲しいとしか思えないの」


彼女の声は柔らかく、それでいて胸の奥に響いた。


「冥界から見れば、人間の営みなんて儚いわ。でも、その儚さを抱えてなお、話し合いを続けているあなたたちの姿は、とても人間らしくて……素敵だと思うの」


次に立ち上がったのは、閻魔・四季映姫。


「……地獄にも戦いはある。魂の裁きにおいて、嘘は通用しない。そして私は、ここに集う者たちの言葉に、嘘が少ないことに安堵しています」


彼女の鋭い眼差しは、月の代表団にも、地上の軍人たちにも向けられていた。


「過去の罪を問うだけでは、未来は変わらない。必要なのは、正しさと正義を見極め、それでもなお赦す勇気です。第三次世界大戦を防ぐための会議――この幻想郷がその舞台となったことに、私は小さな希望を見出しています」


最後に、隠岐奈がふっと現れた。紫の扇を手に、彼女は壁から抜け出るようにして会場に姿を見せた。


「……幻想郷は閉ざされた世界。けれどそれゆえに、何も知らず、何も変わらないと思われてきた。だが、変わってきたわね。霊夢たちが外の世界に目を向けるようになったように、世界も幻想郷に目を向けるようになった」


彼女は霊夢に目配せをする。


「力を持つ者が、対話を選ぶこと。これは世界の“境”が揺らいだ証よ。そして、境が開けば――風も、光も、希望も流れ込むわ」


――幻想郷に、平和の風が吹く。


会議場の外では、夜空を見上げる妖怪たちの姿があった。

妖怪の山では、伊吹萃香がひとり、月を見上げていた。

紅魔館の上では、レミリアがワインを口にしながら「人間たちも、少しは粋なことをするじゃない」と笑った。


その夜、幻想郷に集った人と妖、月の民と地上の者たちは、かつてないほど静かに、そして深く繋がり合っていた。



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