第64章:互いの覚悟と葛藤・思い
博麗神社の空気は、わずかに張り詰めていた。
夕暮れの境内、鳥のさえずりもどこか遠のいたように感じる。
霊夢は本殿前の石段に腰掛けながら、風の流れを感じていた。
それは、外の世界の風だった。
霊夢:「……外の世界の“敵”が、ここに迫ってきてる気がするわ。まだ見ぬ敵。けど、確かにここへ足を踏み入れようとしてる」
傍らの魔理沙も、帽子を軽く傾けて言葉を継いだ。
魔理沙:「ロシアだけじゃない。中国も動いてるって話だ。
最近、幻想郷の結界にも奇妙な歪みが出てるらしい。……あたしの勘だが、何かが近づいてるぜ」
その時、朝田三佐が神社の石段を静かに上がってきた。制服は少し土埃を帯び、表情には疲労と葛藤が見える。
彼は霊夢と魔理沙の前に立ち止まり、静かに頭を下げた。
朝田三佐:「……申し訳ありません。
私たちがこの地に来たことで、あなたたちに不安を与えているのは承知しています。
自衛官として、この幻想郷に“軍”を持ち込むことに、私自身、今でも迷いがあるんです。
本当に、私たちはここにいるべきなのかと……」
:『静かな夜、交わす言葉』
夜の幻想郷は、不思議なほど静かだった。
星々が澄み切った空に広がり、神社の境内を月明かりが柔らかく照らしていた。
マルク大尉はアリスの元を訪れていた。
銀髪の魔法使いは、蝋燭の灯る机の前で静かに人形の糸をほどいていた。
マルク大尉:「……アリスさん。
我々は、あなたたちの住むこの世界に、"冷戦の風"を持ち込んでしまった。
私の国も、他の国々も、幻想郷の“調和”に敬意を払うべきだった……」
言葉を選びながらも、彼は深く頭を下げた。
アリスはその姿を見つめると、小さくため息をついて口を開いた。
アリス:「あなたたちは、まだ“私たちの世界”を知らない。
でも……謝罪の言葉に偽りはないようね。
だったら、これからどう動くかで示してちょうだい。幻想郷を“戦場”にはさせないわ」
他の代表団もまた、それぞれの夜を過ごしていた。
妖怪の山、冥界、天界……幻想郷各地で、小さな後悔と覚悟が交差していた。
「幻想郷を守る」――その想いが、ようやく彼らの中で芽生えはじめていた。
そのころ、博麗神社では、霊夢が境内の裏手にある縁側に立っていた。
虫の音が耳に届く中、彼女は一人の人物を呼び寄せていた。
霊夢:「来てくれたのね、朝田さん」
朝田三佐は、制服姿のまま、静かに霊夢の隣に立った。
朝田三佐:「ええ。何か……ありましたか?」
霊夢:「今日、いろんな人が“謝った”わね。
アリスに、幻想郷に、そして……自分たちの無力さに。
でも、私はあなたに聞きたいのよ。
“あなた自身”は、どうしたいの?」
霊夢の視線は、朝田の目をまっすぐ見据えていた。
それは、ただの少女のまなざしではなかった。幻想郷を背負う巫女としての問いだった。
朝田は少しだけ口を結び、そして答えた。
朝田三佐:「私は……自衛官として、この地に来ました。
でも今は、それだけじゃない。霊夢さん、魔理沙さん……あなたたちを“守りたい”と思ってる。
この幻想郷を、守りたいと」
霊夢は少し目を細めて、その答えを聞いた。そして、短く、けれどはっきりとこう言った。
霊夢:「……なら、もう十分よ。
あなたが“ここにいる理由”は、それでいい」
夜風が、二人の間を通り抜ける。
その音は、どこか優しく、そして未来への決意を運ぶものだった。
霊夢は縁側に腰を下ろし、静かに夜空を見上げた。
朝田三佐も無言で隣に座る。ふたりの間を月光が包む。
霊夢:「……実は私、あなたのことは――けっこう気にかけてるのよね」
不意に出た言葉に、朝田は目を見開いた。
霊夢は照れたように鼻をすする。
霊夢:「……誤解しないで。好きとかそういうんじゃないからね。
ただ、あなたって……なんていうか、不器用で、でも真面目で。
幻想郷のことを本気で考えてるのがわかるから……目が離せないのよ」
沈黙が落ちる。風が吹き、竹林の葉がさらりと鳴った。
霊夢:「外の世界のこと、私たちはよく知らない。
でも、あなた来てから……少しずつだけど、見えてきた。
この世界がどれだけ危うくて、でも、それでも希望を捨ててない人がいるって」
朝田はゆっくりとうなずいた。
心の中で、戦地で失った仲間たちの顔が浮かんでいた。
朝田三佐:「……自衛官である前に、一人の人間として。
私は、ここに生きる人たちを守りたい。あなたたちが、戦いとは違う場所で笑えるように……そうしたいんです」
霊夢はその言葉を聞き、そっと口元に微笑を浮かべる。
霊夢:「あなたがここに来た理由が、もし“守るため”なら――
私も、それに賭けてみるわ。幻想郷の巫女として」
そう言って霊夢は立ち上がり、朝田に背を向けて本殿へと歩き出した。
霊夢:「でもね……もし嘘ついたら、容赦しないから」
月明かりに照らされるその背中は、どこか頼もしく、そして少しだけ寂しげでもあった。
朝田はしばらくその姿を見つめ、やがて立ち上がると、静かに頭を下げた。
霊夢の背に向かって、朝田三佐は静かに言葉を返した。
朝田三佐:「……もし、私があなたを裏切るようなことがあれば――」
霊夢がふと立ち止まる。
朝田三佐:「その時は、これを使ってください」
朝田は静かに懐から黒いケースを取り出した。
中には、手入れの行き届いた9mm拳銃――自衛官としての最後の信念の象徴があった。
霊夢はゆっくりと振り返り、無言のままそれを見つめた。
朝田三佐:「信じてもらいたいとは思っています。でも……信じるだけじゃ、足りない時もある。
だからこれは、"覚悟"です。私が、自衛官であることの証明です」
拳銃を受け取ることはなかったが、霊夢はしばらくそれを見つめ、静かに言った。
霊夢:「あなた……本当にバカね。でも、嫌いじゃないわ。
ただ一つだけ言っておく――あなたが裏切るような人間なら、
そんな目で幻想郷を見つめたりしないって、私は思ってる」
朝田は拳銃を仕舞い、静かにうなずいた。
朝田三佐:「ありがとうございます。私は、必ず……あなたたちを守ります」
その夜の風は、どこか暖かく、それでいて遠く戦場の匂いを運んでくるようだった。
二人の間に交わされたのは、言葉ではなく――信頼と覚悟だった
霊夢が朝田に背を向けたまま、黙っている。拳銃の話を終えてもなお、言葉を選んでいるようだった。
その様子を、少し離れた木陰から魔理沙がじっと見つめていた。
魔理沙:「……さぁ、霊夢。言うんだよ。自分の本心を……」
その声は風に紛れるほど静かで、だが確かに届いていた。
魔理沙:「宴会の時に、あたしだけが見たんだぜ?あんたが、ほんの一瞬だけ見せた……あの顔。あの涙」
霊夢の肩がぴくりと動いた。
しばらくの沈黙のあと、霊夢はゆっくりと振り返った。
夜の闇に照らされたその目には、普段は見せない揺れがあった。
霊夢:「……本当は、怖いの。あの時、幻想郷が壊されるかもしれないって思った。
だけど、誰にもそれを言えなかった。私が不安を見せたら、誰も守れないって思ってたから」
朝田は何も言わず、その言葉を受け止めていた。
霊夢:「でも……あなたたちが、ここまで本気で私たちを守ろうとしてくれるのを見て……少しだけ、信じてもいいのかなって思ってる。
……私、信じたいの。あなたを。そして、幻想郷を守ろうとする外の人間たちを」
魔理沙は木陰でそっと微笑む。
魔理沙:「ようやく、言えたじゃないか。……あたしも、信じてるぜ、霊夢」
風が木々を揺らし、夜の静けさが戻る。
その中で、三人の心の距離は、確かに少しだけ近づいた。
静かな夜の森に、蝉の声が遠くで鳴いていた。
朝田三佐は拳を胸にあて、まっすぐに霊夢を見つめる。
その眼差しには、迷いのない覚悟と誠実な思いが込められていた。
朝田三佐:「霊夢さん……私がついている限りは、必ず守ります。
……あの時は、本当にすみませんでした。あなたを敵に渡してしまったこと、自分は——
辛い思いをさせてしまったと……今でも後悔しています」
重く沈んだ言葉。しかし、それは真実から逃げない男の声だった。
霊夢はその言葉を聞いて、ほんの少し目を伏せ、そしてゆっくりと口を開く。
霊夢:「……いいのよ」
霊夢はそう言ってから、朝田の目を見つめ返す。
霊夢:「あの時……私は、確かに辛かった。でも……魔理沙たちが来てくれて。
……そして、あなたも。朝田三佐が駆けつけて、私を救ってくれたこと……あれは、忘れない」
言葉を切り、少しだけ笑う。
霊夢:「あの時見せてくれた、あなたの強さと……頼もしさ。私は、ちゃんと見てたわよ。
だから、もう謝らないで。今、こうしてここにいるのは……あなたたちのおかげなんだから」
彼女の声は柔らかく、だが強い芯があった。
朝田はその場で深く頭を下げる。そして静かに言葉を返す。
朝田三佐:「……ありがとうございます。あなたのその言葉が、私の励みになります」
木々の間から月光が差し込み、二人を淡く照らしていた。
それを遠くから魔理沙が見守っていた。
何も言わず、ただ小さく頷く。
それは、幻想郷と外の世界との絆が、たしかに結ばれ始めた夜だった
月の光が静かに差し込む森の小道。風は穏やかに葉を揺らし、夜の静寂に包まれていた。
霊夢は朝田三佐の隣に立ち、しばらく黙ったまま夜空を見上げていた。
やがて小さく息を吐き、ぽつりと語り出す。
霊夢:「……ねぇ、朝田さん」
朝田は静かに「はい」と返事をする。
霊夢は言葉を選ぶように、ほんの少し目を伏せてから、顔を上げて彼を見つめた。
霊夢:「私……ずっと、自分の気持ちをごまかしてたのかもしれない。
あなたが来てから、いろんなことが起きて……正直、混乱もしたし、怒ったこともあったわ。
でも……でもね」
彼女は小さく微笑む。
霊夢:「……実は、あなたのこと、少し好きになったかもしれないの」
その言葉はとても静かで、でも確かな強さがあった。
その瞬間、近くの木陰から声が響いた。
魔理沙:「——やっと言えたか。まったく、回りくどいぜ」
驚いた霊夢がそちらを振り向くと、魔理沙が腕を組んでにやりと笑っていた。
魔理沙:「ほら、ずっとそわそわしてたんだ。見てるこっちがもどかしかったんだからな」
霊夢は頬を赤らめ、思わず目をそらす。
霊夢:「ちょ、ちょっと魔理沙、聞いてたの……?」
魔理沙:「ああ、しっかりな。……でも安心しな、私は応援してるぜ。
朝田三佐が相手なら、お前も悪くない選びしたって思えるからさ」
朝田は少し戸惑いながらも、静かに霊夢に向き直った。
朝田三佐:「……その言葉、大切にします。ありがとうございます、霊夢さん」
二人の間に、もう誤解も遠慮もなかった。
幻想郷と外の世界を繋ぐ、ただ一つの「絆」が、たしかにそこに生まれていた——