影の侵入者 ―VECTOR HOUNDの眼
「ラングレーから通信だ。暗号コード“SPHERE-ZERO”」
暗号化された通信が横田基地の暗室に届いたのは、現地時間の午前3時。ジョン・マクファーレン中将は唇をかすかに歪め、手元の端末にパスコードを打ち込んだ。画面に映し出されたのは、CIA極東部門主任アリソン・ストークスの冷徹な顔だった。
「マクファーレン中将、ヴェクター・ハウンド及びゴースト・アイズの報告で確認された情報の裏付けが取れました。黒幕はヴェルニエフ大将――ただし、彼は単なる実行者。真の後ろ盾は、ワレリー・ゲラシモフ司令です」
マクファーレンの表情が硬くなる。
「ゲラシモフ……ロシア参謀本部総長。理論家にして行動派。“非対称戦”の教義を組み上げた男か……」
アリソンが続けた。
「はい。幻想郷を新たな“戦略的飛地”と見做し、非宣戦状況下での支配圏確立を目指していると見られます。PMCの調査で明らかになった“魔理沙計画”と“地下間欠センター核融合炉工作計画”も、その一環です。西側の信頼を損なわせ、民衆扇動から内部転覆へ誘導する――完全にゲラシモフ・ドクトリン通りです」
その頃、幻想郷北部の調査キャンプ。PMC部隊《VECTOR HOUND》の分隊長イーサン・クレイグ大尉は、赤外線センサーで地下施設の周辺異常を記録していた。
「おい、これ……パイプラインに不自然な磁場乱れがある。何か仕掛けられてるかもしれん」
傍らの分析官がすぐさま情報を《Ghost Eyes》へ転送する。受け取ったのは特殊作戦部隊の戦術情報担当、コードネーム“クロスデイル”。
「この信号……旧ソ連軍の通信暗号に似ている。しかも更新頻度がロシア正規軍のものより早い……これは、ヴェルニエフ派か?」
一方、モスクワの某所。ヴェルニエフ上級大将は厚い軍服のボタンを留めながら、隣に立つゲラシモフ司令を見た。
「西側は気づいたようだな」
ゲラシモフは静かに首を振った。「それで構わん。やつらが構えるなら、それだけこちらの行動は予測外となる。幻想郷の価値は、資源や地政学的位置だけではない。あそこには……“未来への扉”がある」
「扉、か」
「西側は幻想郷を“守る価値がある場所”と認識した時点で、自らの枷を嵌めたようなものだ。我々は制約されない。混乱を利用し、幻想郷の“秩序”に入り込む。それで十分だ」
ヴェルニエフはゆっくりと立ち上がる。「……ならば、始めよう。“幻想郷戦略圏構想”、フェイズ1だ」
その情報は、数時間後、CIA東京連絡所を通じて米国防総省、日本政府、そしてNATO司令部に共有された。
マクファーソン准将は、受信した通信を手に、静かに呟いた。
「この世界がまだ冷戦の亡霊に縛られているなら、俺たちは未来を切り開く剣になるしかない。幻想郷が戦場になる前に――奴らを止める」
背後では、イギリス特殊作戦軍と航空自衛隊の将校が既に次の作戦計画の概要を検討していた。
戦場は“現実”に移った。
そしてその戦場の名は――幻想郷。
グレートゲームが次のフェーズに入ったことを知らせる
鐘であった