第86章【備えるために】
その日、幻想郷郷土防衛隊の訓練場には、いつもと違う空気が流れていた。
朝靄の中に並んだバリケード、重々しい機動隊装備のシルエット。
そして、その前に立つのは、堂々たる整った制帽が印象的な男――エマニュエル・マルク大尉(フランス軍)。
「これより、諸君には暴動・デモ対応訓練を行ってもらう」
彼のフランス訛りの英語が、冷たい朝の空気を切り裂いた。
「暴動……?」と、魔理沙が小さく呟く。
「はい」と横から答えたのは、早苗。
軍服の袖に階級章を光らせながら、落ち着いた声で続ける。
「暴動とは、国民が行政に対して強い不満を掲げた際に発生する集団的衝突のことです。制御されなければ、公共秩序を著しく損ないます」
それを聞いた山村三佐が、目を細めて頷いた。
「よく知っているね、早苗准尉。的確な説明だ」
「その通りだ!」マルク大尉が拳を掲げるように声を張り上げた。
「幻想郷とて例外ではない! 外からの影響が増し、情報が錯綜すれば、いずれ誰かが不満を爆発させる。そして暴動が起きれば、秩序なき街が完成するのだ!」
朝田三佐が補足するように口を開く。
「我が国ではかつての国会突入事件や、右翼街宣運動、あるいは反戦デモの一部が暴徒化したケースが存在します。警察による制圧と鎮圧が必要です」
霊夢が腕を組みながら眉を寄せた。
「つまり、それを阻止するための訓練ってこと?」
「少し違う」マルク大尉が静かに首を振る。
「デモとは、本来認められた権利であり、我々は平和的デモに対しては見守る立場にある。しかし、それが暴徒化したとき――我々は即座に対応し、命と公共秩序を守らねばならない」
そして、彼は口笛を鳴らすように合図を出した。
「――まずは実演だ。かかれ!」
【実演:暴動シミュレーション】
フランス兵たちが二手に分かれた。片方はフルフェイスのヘルメット、盾、防弾装備で構成された「鎮圧部隊」。
もう片方は市民に扮した「暴動側」。
拡声器が鳴る。
「自由をよこせ! 外の世界の軍隊を追い出せ!」
「幻想郷は幻想郷であるべきだ!」
シュッ――シュパァン!!
火炎瓶が模擬車両に直撃し、フェイクの爆発音と共に赤い炎が立ち上る。
発煙筒が巻き起こす煙、投げ込まれる石、警棒で守りを固める兵士たち。
放水車が轟音と共に水柱を打ち上げ、暴徒役の兵士たちを後方へ押し返す。
早苗が思わず息を飲んだ。
「……すごい、本当に街が崩壊していくような光景……」
魔理沙はその横で手を握りしめながら呟く。
「けど、なんか胸がざわつくな……幻想郷に、こんなことが起きるなんて……」
その背後で、朝田三佐が厳しい声で言う。
「あり得ないと思っているうちに起きるのが“暴動”です。民主的な意見の発露と、暴力による圧力はまったく違うのです」
訓練が一段落し、マルク大尉が霧の中から姿を現した。
「さて、次は諸君の番だ。石を持っている者に石で返してはならない。だが、棒を持って向かってきた者には、こちらも防具を持って対応せねばならぬ。それが任務だ」
【郷土防衛隊 訓練開始】
霊夢、魔理沙、早苗、椛、イナバ、そしてフランドールらが郷土防衛隊員たちとともに整列する。
にとりが開発した訓練用の簡易防護装備と盾を受け取りながら、訓練官の指示に従って配置につく。
「これより、“制圧側”と“暴徒側”に分かれ、実際に模擬衝突を行う。対応力を養え。恐れず、しかし冷静に!」
アレン少佐と山村三佐が全体指揮を取り、各隊員が配置に散っていく。
「幻想郷を守るって、こういうことなんだね……」
と、フランドールが呟いた。
「力で押さえつけることじゃないのよ、秩序を守る勇気と、我慢の強さが必要なの」
アリスが背後から、静かにそう返した。
そして、訓練が再び始まる――
幻想郷に、“治安維持”という責任の形が芽生えようとしていた。